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王都警備隊  作者: 風羽洸海
王都以前(出会い編)
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三章


 目覚めると、部屋にはセレムだけしかいなかった。寝台の端、窓に近い場所に腰掛け、何やら見たことのない道具をいじっている。陽射しを受けてきらめく銀髪が、彫刻家の理想を刻んだような横顔を縁取っていた。


 こいつ本当に人間かな、などとぼんやり眺めていると、気付いたセレムが振り返って微笑んだ。


「おはようございます。シンハ様なら、真面目に仕事をしに行きましたよ。私はあなたのお世話をいいつかっています」

「ぅはよ……あんたはついて行かなくていいのかい? 大臣だかなんだか、偉い人なんだろ」

「いいえ、私はただの友人ですから。まぁ、王立魔法学院の学院長という肩書きはありますが、政治のことなら頼もしい秘書官のロト君がついていますからね。さあ、顔を洗って朝食にしましょう」


 促され、リーファは曖昧に唸りながら起き上がる。のそのそ歩いて階下に降りると、外の共同井戸まで行って顔を洗い口をすすいだ。太陽は既に高い。ゆうべは夜更かししたうえに、久しぶりのまともな寝床だったもので、熟睡してしまった。


 宿屋の一階は酒場になっており、申し訳程度の食事をとることができた。カチカチになったパンとチーズ、くず肉と豆の煮込み、それに茶か麦酒。新鮮な野菜や果物は、外の屋台まで行くしかないが、食べられればなんでもいいリーファは文句などなかった。


 例によって瞬く間に平らげた少女の前で、セレムがあえてゆっくり茶を飲みながら切り出した。


「さて、あなたへのお礼ですが……シンハ様から、あなたの意向を確認するように頼まれました。ひとつ尋ねます。もし叶うなら、今の生き方を変えたいですか」


 穏やかで静かな、それでいて鋭い問いかけだった。リーファは黙って顔を背け、外の往来を眺めるふりをする。

 明るい日の当たる大通り。その端に座り込んで獲物を物色するのではなく、日陰の路地裏に身を潜めて空き巣を狙うのでもなく、通りの真ん中を、堂々と歩けるような人生を――選びたいか、などと。


「わかんね」


 つぶやきがこぼれた。そんな質問は的外れだ。そもそも人生を選べたためしがなかったし、今の生き方を変えたくとも、何をどうすればいいのか見当もつかない。

 リーファはちょっと頭を掻いて、肩を竦めた。


「そりゃ、今のままじゃ長続きしないってぐらいは、わかってるけどさ。今日明日のメシの心配で手一杯で、その先とか、あんまり考えたことないし」


 盗人の末路だけは数多く見てきた。捕まって殴られ蹴られ石を投げられて死ぬとか、裁判にかけられて絞首台に吊されるとか、手を切断され物乞いに身を落とした末に病や飢えで死ぬとか。……ある日突然、偉い連中が兵を率いて焼き討ちをかけてきて、片っ端から殺されるとか。


 ほかにどんな人生があって、どんな死に方があるのか、それらは漠然と遠いものでしかない。だがセレムはそこで思考停止することを許さなかった。


「でしたら、今、考えてください。いくらかお金を手に入れてこの町に留まるか。それとも、言葉も通じない東方へ私たちと一緒に来るか」

「――え? 一緒に、って……本気か? いや、確かにあいつ、そういうこと言い出しそうだけど。犬猫拾ったのとおんなじ感覚で、オレを懐にねじこんで土産に持って帰るとかやりそうだけど。いいのかよそれ」


 呆れるリーファに、セレムが愉快げに笑った。


「出会ったばかりなのに、よくわかっていますね。ええ、そうです。旅の土産、というわけではありませんが……一度手を差し伸べたなら、最後まで責任を持つということですよ。私たちはじきにここを去ります。あなたに謝礼としていくらかお金を渡して、それでおしまいにしてしまったら、この先あなたがどうなっても助けられませんから」

「そんなことまでいちいち気にするのか? 盗人に金を恵んでやった、はいおしまい、ってのが普通だろ」

「シンハ様は普通ではありませんから。それに、そんなあの方を前にして萎縮せずいられるあなたも、あまり普通ではありませんよ。だからこそシンハ様は、あなたを連れて行きたいとお考えなんです。ただ、本当に何もかも違いますからね……言葉だけでなく、気候も食べ物も、価値観も。適応できなければ、あなたを不幸にしてしまうかもしれない」


「うーん」

 さすがに即答できず、リーファは一呼吸の間だけ、天を仰いで考えた。それから顔を下ろし、ぽんと一言答える。

「行くよ」


 まるで気負わない返事だったもので、セレムが疑わしげな顔をする。リーファは肩を竦めて説明を添えてやった。


「言葉はまぁ、話すだけなら何とかなるだろ。今使ってるウェスレ語だって一年ぐらいで覚えたし。金だけもらっても、この町じゃたいして良い生活は見込めないからさ。王様とお近付きになれたんだから、そっちに行くほうがいいに決まってるじゃないか」


 楽観を装って図々しく笑って見せたのは、少々わざとらしかったかも知れない。セレムが眉を曇らせて、いたわりと心配のいりまじるまなざしを向けてきた。気遣われることに不慣れなリーファは、居心地悪くなって目をそらす。


 もちろん、言うほど気楽な生活が待っていると甘く考えてはいない。

 今はシンハたちが何様だろうと気にせず接していられるが、きっと国に帰ればそうはいかないだろう。面倒な取り巻きが大勢いるだろうし、二人とも本来の仕事が山積みで、ケチなコソ泥一人にかまけている時間なんてなくなるだろう。

 気候や食べ物が身体に合わなくて病気になるかもしれないし、そうなった時に彼らに忘れられていたら、結局のたれ死ぬかもしれない。

 だがそれでも、この町にとどまって他人の懐を漁り続けるよりは、きっとマシなはずだ。


「まぁ、そうは言っても、いつまでもたかるつもりはないよ。なんとか食ってく方法を見付けるからさ」

「その点は遠慮しなくていいんですよ。最初にあなたに手を差し伸べると決めた以上、あの方は決して中途半端なところで手を離したりしません。ともあれ、あなたが一緒に来てくださるのなら、準備をしなければいけませんね。まずは旅に備えて新しい服と靴を調達しませんと」


 行きましょうか、とセレムが席を立つ。リーファは当惑して自分の格好を見下ろした。


「えっ……と、その、必要だってのはわかるけど」


 口ごもり、どう言い逃れようかと思案する。確かにこんなボロ着で王様のお供はできないし、足に履いているのは靴と呼ぶのもはばかられる状態の代物で、長旅には耐えられない。新しいものが手に入るならむろん大喜びなのだが、しかし。


「オレが自分で買ってくる、ってんじゃ駄目かな」


 華美なお仕着せなどごめんこうむりたいのはもちろんだが、たとえ古着屋に行くとしても、この美青年がついてきたら店員は張り切りすぎるだろう。何より、性別がばれてしまうのは困る。まだ覚悟ができていない。


(いずれはそりゃ、はっきりさせなきゃいけないだろうけど)


 拾ったのが女だとわかったら、捨てられるかも知れない。性別によって家畜以下の扱いをされると思い知らされてきた経験上、シンハやセレムは自分の知っている連中とは違う、と信じ切れなかったのだ。


 リーファの態度にセレムは怪訝な顔をした。


「あなたが一人でお金を持ってうろうろするのも、いささか不用心でしょう。自分で選びたいというなら口出しは控えますから、一緒に行きましょう」

「うー……わかった」


 渋々リーファはうなずいた。実際問題、彼女の風体ではまともに買い物ができるかどうか怪しくもあったので、強硬に断ることもできない。


(店の外で待たせとけば、ごまかせるだろ)


 着替えるところを見られたり、店員が余計なおしゃべりをしてきたりしなければ、切り抜けられるはずだ。

 よし、と気合いを入れて立ち上がり、少女は青年の後について買い物に向かった。




 心配したような事態にはならず、リーファは無事に新しい服と靴を手に入れた。選んだのはもちろん男物の古着だ。店の奥を借りて着替えたので、ばれてもいない。靴はリーファの足に合わせていくらか調節してもらわなければならず、こちらについてはセレムがあれこれと助言をしてくれた。


 買い物はそれだけではなく、替えの服や水筒、それらを入れる鞄など、リーファが今まで考えたこともなかったようなものが必要だった。


「ふぇー、旅支度って大変なんだなぁ」

 しみじみ言ったリーファに、セレムは小首を傾げて遠慮がちに問うた。

「あなたはカリーアの出身らしいと聞きましたが、ここまで来た時は?」

「あー……それが、どうやって来たのか、オレもよく覚えてないんだよな」


 リーファは苦笑いし、なんとなく西の空をふり仰いだ。一日がかりで買い物をしたので、太陽がもう低くなって空を緋色に染めている。建物に遮られて見えないが、町の外には乾いた荒野が広がり、遙か日の沈む方には世界を区切る山脈が横たわっていて――彼女の生地は、その向こうだった。故郷などと呼ぶには値しない、ただ生まれ育ったというだけの場所。


「オレが育ったの、宿無しと娼婦と盗人の吹きだまりだったんだけどさ。……近くに住んでた司祭さんが盗人に親切にしたってんで兵隊に連れて行かれて、代わりに来た奴が、オレらみたいな連中が教会を穢すんだ、つって焼き討ちかけやがったんだよ」


 リーファはあえて他人事のように言い、肩を竦めた。セレムが愕然とし、端正な顔を苦渋に歪めて唸る。


「……カリーア教が罪人に厳しいとは、知っていましたが。それは、あまりに……」

「あいつらの理屈がどんなもんかは知らないけどさ。オレらはそもそも教会に入れなかったし。ただいきなり教会兵が押し寄せてきて、手当たり次第に殺しはじめたんで、わけわかんねえ状態で逃げたんだ。最初は知り合いの集団だったけど、いつの間にかばらばらになって。とにかくカリーアから出なきゃ駄目だ、って必死だったから……東へ行く隊商に紛れ込んだんだと思う。ずっと熱に浮かされてるような感じで、ふっと我に返った時にはこの町にいたんだ。自分が何やってたのか、覚えてなくてさ。今もそこら辺のことは抜け落ちたまんまなんだよなぁ」


 ぽろりと頭から何か落ちる手つきをして見せ、リーファはセレムを見上げて笑った。


「美人がそんな悲しい顔すんなよ、すげえ威力だぞ。いいんだよ、オレはこうして生きてるんだし、間のことはいろいろ忘れちまってるから痛くも痒くも――っと」


 強がった言葉尻でリーファは素早く一歩退いた。セレムが明らかにこちらを抱きしめようとする動作を見せたからだ。同情を拒まれた青年の顔が悲痛の色を増した。行き場をなくした手を力なく落とし、うなだれて目頭を押さえる。


「……すみません」

「いや、こっちこそごめん。そういうのは慣れなくて」


 リーファは曖昧にごまかしてから、ふと眉を寄せた。

 そうだ、この感覚がいつもの自分だ。他人にむやみに近寄られるのは危険だと感じるし、抱きしめられるなんて冗談じゃない。

 なのに、ゆうべシンハと盗みに入った時は、抱えられても気にならなかった。今あらためて思い返してみても、不快感はない。それどころか、早くまた会いたいとさえ思う。


 首をひねった彼女に、セレムが物問い顔をする。リーファは往来を見渡して、無意識に彼の姿を探しながら言った。


「あいつだけは、なんでか平気だったんだよな」

「シンハ様ですか?」

「うん」

「面白いですね。あの方に対してこそ萎縮するのが一般的な反応なんですが、あなたはむしろ……太陽神の力に畏怖よりも安らぎを感じるのでしょうか。カリーアの神ではないのに」


 セレムが少し寂しそうに微笑む。リーファは肩を竦めただけで、答えなかった。


 自分がどうして彼のあの圧倒的な存在感に潰されないのか、理由などわからない。ひとつ思い当たるとしたら、それは――これまでの人生で彼女にただひとり本物の思いやりを与えてくれたのが、神のしもべたる司祭であったことと無関係ではあるまい。

 だがそんな大切な思い出まで話す気にはなれず、彼女はただ黙って、宿へと歩き出した。


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