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王都警備隊  作者: 風羽洸海
王都以前(出会い編)
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二章(2)


 目指すは屋敷の横手、これまたナツメヤシが目隠しになってくれる死角の窓だ。材木が乏しく雨の降らない土地柄、雨戸や鎧戸の類はほとんどない。

 一階と二階の窓は防犯上、格子が嵌められているが、三階は何もない。窓というより、通気と採光の穴、というほうが正しいだろう。リーファはすべての窓を観察し、恐らく使われていないだろう部屋の目星をつけていた。


 あそこ、とリーファが示すと、アースは無言で承知とうなずいた。さっと屈んで、今度は踏み台にされる前に少女を肩に抱きかかえる。慌ててリーファは青年の首にしっかり腕を回した。

 一呼吸の後、風を切って舞い上がる。ナツメヤシの幹を蹴って弾みをつけ、アースは軽々と三階の窓に片手をかけた。リーファは急いで窓に乗り移り、身を滑らせて中へ入る。


 暗い室内に足を下ろすと、埃が薄く舞い上がった。思った通り、物置だ。壁際に長櫃が並び、使わない椅子や古ぼけたタペストリーが雑然と積まれている。

 要らないものがこんなにあるならひとつ寄越しやがれ、などとリーファが忌々しい顔をしていると、物音一つ立てずにアースが横に立った。ここからは彼が先導役だ。


 廊下に出ると、中庭側の窓から月明かりが射し込んでいた。ありがたいが、見付かる確率も上がる。二人は用心して影を伝い歩いた。アースは時々、現在地を確かめるように足を止めながら、しかし迷わず無言で進んでいく。


 当たり前だが金庫の在処は、屋敷の住人が平常暮らしているところだ。場合によってはあるじの寝室に置かれていたりもする。リーファは一歩ごとに緊張が高まり、てのひらがじっとり嫌な汗で湿ってくるのを感じた。


 アースのほうは鋼の神経なのか、平然として見える。曲がり角に隠れて巡回の警備兵をやりすごし、いびきが響く廊下を通り過ぎて、やっと目指す部屋にたどり着いた。


 錠前のついた立派な扉だったが、杜撰なことに鍵はかかっていなかった。屋内だから安全だと思っているのだろう。よくあることだ。

 そっと隙間を空け、まずリーファが中に滑りこむ。真っ暗だ。しかしアースは構わず後ろ手に扉を閉めた。


「―……―、……」


 小声でつぶやかれた言葉は、リーファには意味がわからなかった。東方の言語か、あるいは魔法の呪文だったらしい。部屋の奥にほわんと柔らかい光が生じ、あるじの執務用とおぼしき机や椅子、文箱などを照らしだした。

 思わずリーファは息を飲む。アースがささやいた。


「取引を装って、在処のわかる魔術を仕込んだ契約書を渡しておいたんだ」

「別働隊のロトが?」

「そうだ。ちらっと名前を出しただけなのに、よく覚えていたな」


 ささやき声に感心した響きがこもる。大した事じゃない、とリーファは肩を竦めた。


「物騒な名前は覚えておかないと。おまえをぶっ殺す奴なんだろ」

「おい待て。もののたとえだ、本気にするな」

「わかってるよ。あそこに目当てのもんがあるんだな」


 リーファは軽くいなして、足元に注意しながら明かりのもとへ近寄る。机の横に設えられた棚で、平たい金属箱の内側から光が漏れていた。手元が見えやすいのは助かる。


 よし、とリーファはベルトに着けた革包みを外して開く。錠前開けの道具だ。用途を知らなければ、妙な形の針金や棒の組み合わせにしか見えないが、生まれ故郷から唯一持ち出せた財産だった。


 箱は全体に凝った装飾が施され、鍵穴がわかりにくいようにされている。だが彼女はすぐに、青銅の葡萄の葉を動かして穴を見つけた。細い道具を差し込み、慎重に少しずつ動かして確かめ、なだめすかして手なずける。


 ほどなく、カチャリと微かな音を立てて蓋が開いた。リーファが場所を譲ると、アースは素早く箱の中身をあらため、一枚の羊皮紙を抜き取って元通りに閉めた。


「それだけでいいのか?」

「ああ。これで決め手になる」


 危険を冒して侵入して、紙切れ一枚。けちくさい話だ。リーファはついでに何か失敬できるものはないかと室内を見回した。足がつかなくて、すぐ換金できるもの。だが鋭い観察眼が獲物をとらえるより先に、牽制された。


「何も盗るな。賊が入ったと気付かれる」


 追加の収穫は無しのまま、魔術の光を消して部屋を後にする。幸運に恵まれて問題も起きず、無事に塀の外まで脱出すると、リーファはほっとして月を見上げた。


 ひんやりとした夜気が身を包み、一仕事終えてまだ残っている緊張を緩めていく。こんな立派な屋敷に忍び込んで、見付からずに逃げおおせたというのが信じられない。自分の手に成果が何もないから余計に、夢の中にいるような気分だ。


 その夢見心地に、一夜限りの相棒が終わりを告げた。


「さて、どうする? 宿まで来てくれたら事情を説明するし寝床も使わせてやるが、面倒ならここで金だけ渡してそれっきりにしてもいい。好きに選べ」


 問われてリーファは相手を見上げた。

 来るか、と言った時と同じだ。手を差し伸べはする。だが自ら掴んで立つ意志のない者には、それ以上のことをしない。彼の優しさであり、厳しさであるのだろう。

 だがしかし、選べ、と相手に委ねて決断を尊重するその態度が一種の傲慢だと、彼自身は気付いているのだろうか。リーファは鼻を鳴らして腕組みした。


「偉そうに言いやがって。オレがどっちを選んでも、おまえはどうでもいいってか?」


 思わぬ返答だったのだろう。フードで隠れていてもわかる、当惑の気配が伝わってきた。そこへリーファは追撃をかける。


「そりゃ、おまえは実際、構わないんだろうさ。オレみたいなチンピラがどうしようと、なんにも困らないんだろ。そうじゃないってんなら、どうして欲しいか先に言えよ」

「……いや、俺の希望を言えばおまえの選択を左右してしまうだろう」

「オレがおまえの言いなりにすると思ってんのか? あのな、欲を言えばオレは当然、メシと寝床にありつきたいし、自分が何の片棒担いだのか知りたいし、やばいことになった時にこいつのせいですって言えるようにおまえの顔ぐらい見ておきたいさ。けどおまえが出来るだけ早くオレを厄介払いしたいってんなら」

「まさか」


 失笑と共に台詞を遮り、アースは手を伸ばしてリーファの頭をくしゃくしゃにした。


「うわ、やめろよ! 犬じゃねんだぞ」

「ああすまん。おまえが尻尾振ってくれたのが嬉しくてな」

「だから犬じゃないし尻尾も振ってねえって」

「よしよし、じゃあ一緒に来てくれ。こっちだ」

「人の話を聞けよ……」


 リーファはぼやきながら、上機嫌の軽やかな足取りについていく。夜の街を歩いて一軒の小さな宿屋に着くと、受付では女将が寝ずに待っていた。遅くなると知らせてあったらしい。

 客の背後に汚い浮浪児を見付け、女将の目が険しくなる。アースは追加の銀貨で詮索と苦情を封じ、階上の客室にリーファを連れていった。

 ノックより先にドアが開き、銀髪の美青年が出迎える。


「ご無事で何より。リー、あなたもお疲れ様でした」

「あ、うん」


 丁寧にねぎらわれるなど経験がないもので、リーファはもじもじしてしまう。ごまかすように室内に入り、さっさと寝台に腰を下ろした。この手の宿は本当にただ眠るためだけのもので、客室に椅子など置いていないからだ。

 狭い部屋を占拠している寝台は、木材の枠組みに葦を詰めて敷き毛布を掛けただけの簡素なもの。四、五人は雑魚寝できる広さだ。壁には燭台が掛かっているが、宿のあるじがケチったのか、蝋燭は今にも消えそうなほど短くなっている。


 セレムがドアを閉めて、何やら二言三言唱える。また知らない言葉だったので、リーファは「魔法かい?」と質問した。


「ええ、結界の術です。室内で何を話しても外には聞こえませんし、こちらが許可しなければ外から部屋に入ることもできません。大声で叫んでも大丈夫ですよ」


 にこやかに答えられて、リーファは変な顔になった。それはつまり、助けを呼んでも無駄だぞ、というやつではないのか。それとも、大声で叫ぶような状況になるぞ、という予告だろうか。


 疑問の答えはすぐにわかった。アースがやれやれと伸びをして外套を脱いだ途端、その全身を包む存在感が一気に強さを増したのだ。思わずリーファは目を丸くした。


 蝋燭の弱い明かりしかなくても、その双眸に視線が吸い寄せられる。生い茂る夏草、深い森の緑。神域の力に包み込まれ、魂を暴かれるような感覚。

 ジッ、と蝋燭の炎が揺れ、強い気配がふっと和らいだ。青年は複雑な表情でこちらの反応を見ていた。


「この外套にも魔術が仕込んであってな。少しだけだが、神々の力を隠してくれる。これがないと目立ってしょうがなくてな……セレム、蝋燭が消えそうだ。明かりを」


 はい、と応じてセレムがまた呪文を唱える。宙に柔らかい月のような光が灯り、青年の姿を照らした。緑の双眸と漆黒の髪の取り合わせは、西方人にも珍しい。なによりその、人を惹きつけ従える存在感ときたら。

 リーファはしばしぽかんとなり、それから長々と息を吐き出した。


「はー……東には化け物がいるって本当だったのか……」

「おい待て」

「まぁでもわかった。確かにこれじゃ、おまえが自分の望みを先に言うと不公平になるよな」


 先刻のやりとりを思い出して、うむうむと納得する。おや、とセレムが興味深そうな顔をした。


「何かあったんですか、シンハ様」

「ちょっとな」

「理解してもらえて良かったですね」


 互いに説明しなくても通じ合う、気心の知れたやりとりだ。リーファはそれを聞き流しかけ、はたとひっかかって眉を寄せた。


「なあ。今、こいつのことなんて呼んだ?」

「おっと失礼。その話はまだでしたか」


 セレムが白々しくとぼけ、苦い顔の連れに悪戯っぽい視線をくれてから、まるで何でもないことかのようにぽんと一言、説明した。


「シンハ=レーダ様。レズリア国王ご本人であらせられます」

「阿呆かああぁぁ!?」


 思わずリーファは全力で叫んだ。大声を上げても、と予告された通りの行動をするのは癪だったが、とても我慢できない。寝台から飛び降りて青年に詰め寄り、


「おま、何やってんだ王様が! こんなとこで! 盗人の真似までして!!」


 怒鳴りながら両肩を掴んで力任せに揺さぶる。セレムがにこにこしながら感慨深げに言った。


「うーん。久しぶりにまっとうな反応を見ましたね。最近はロト君もすっかり諦めてしまって、まるで国王が脱走するのは世界の常識かのような雰囲気になっていましたが」

「今回は脱走じゃないだろうが。ちゃんと事前に計画を立てて打ち合わせたからこそ、おまえたちも協力してだな……おいリー、落ち着け。何の片棒を担いだか知りたいんだろう」


 アース、もとい本名シンハが、少女の頭に手を置いてなだめる。リーファはその手を振り払い、厚い胸板に渾身の頭突きをくらわしてから解放してやった。


「あーもう、信じらんねえ。本当かよ、レズリアがこの辺の交易を牛耳りたがってるって噂だったけど、まさか王様本人が乗り出してくるとか」

「その噂は間違いだが」


 ごほ、とシンハはひとつ咳をして、外套の隠しに入れてあった羊皮紙を取り出した。それをセレムに渡しながら、彼は面白そうな顔でリーファに言った。


「俺が国王だという点については、信じられるのか?」

「おまえみたいに偉そうな奴が、ほかに何の仕事してるってんだよ。つーか有名なんだぞ、レズリアの太陽王ってったら商人だけじゃなく宿無しのガキだって知ってる。東から来た芸人たちが歌ってるからな」


 太陽神リージアの加護を受け、夜のごとき漆黒の髪を持ち、その瞳は相対する者の罪を暴いて白日の下に晒す、偉大な王。あまりにその力が強いため、生まれてすぐに存在を隠され密かに育てられ、隣国との戦で危機が訪れた時、単身敵地に乗り込んで勝利をもたらした――そんな華々しい英雄譚。


「どうせ八割方は法螺だろ、って思ってたけど。容姿とその、なんつーか迫力? みたいなのは本当だったし。セレムだってほいほい魔法使ってるけど、本当はそんな簡単なもんじゃないんだろ? ただ者じゃないのはわかるよ」


 リーファは肩を竦め、改めて噂の国王陛下に向き合う。あえてまともに目を見ると、やはり気圧されたが、しかし恐ろしくはなかった。シンハが微笑み、くしゃりと少女の髪を撫でる。


「正体を納得してくれたところで、種明かしをしよう。交易権がどうのという噂だが、元になった懸念はあるんだ。うちの国が農業大国なのは知ってるか? 近隣の国はそうでもないから、あれこれ条件をつけて安く穀物を輸出している」


 話しながら彼が腰を下ろしたので、リーファも横に並んだ。セレムが明かりの下で羊皮紙を広げてじっくり目を通していく間に、シンハの説明が続く。


「今年も条約……つまり取り決めを更新するように頼まれたんだが、どうも気になる情報がちらほら入ってきていてな。こちらが支援のつもりで安く譲った穀物を、転売している気配があるというんで、行き着く先を辿ってここまで来てみたわけだ」

「えーと。要するに、病気のかかぁと腹を空かせたガキがいるんでさぁ、つって恵んでもらった食い物を他人に売って儲けてるってことかよ。せこいなぁ」

「本質的にはそういうことだな。それが事実なら、同じ条件で取引を続けることはできない。調査しているとばれたら帳簿や書類を偽造したり燃やしたりしてごまかすだろうから、迅速かつ隠密にやる必要があってな。というわけで、一番手っ取り早く物事を進められる顔ぶれだけで出張ってきたんだ」


「当然の顔して言うことかよ……仮にも王様だろ」

 リーファは眉間を押さえてうめいた。当人はまったく悪びれず、にやりとする。

「あいにく、王族扱いされずに育ったんでな。さてと、どうだセレム、間違いないか」

「ええ。前の数字と帳尻が合います。まったく呆れますね、禁輸国にまで」

 銀髪の青年はやれやれと嘆息してから、シンハに向かってうなずいた。

「明日にも片付けてしまいましょう」

「そうだな。盗みに気付かれていないから対処される心配はないが、さすがに少々遠出しすぎた。既に売買されてしまったものを返せとは言えないが、しばらく取引の審査を厳重にするよう圧力をかけておけばいいだろう」


 ぽんぽんと簡単に話が進んで行くが、もしかして何かとても重要で大きなことが決められているのではないのか。リーファは自分の目の前で繰り広げられるお偉いさんの会話に、軽いめまいをおぼえた。やっぱりこれは夢じゃなかろうか。実は道端に座り込んだまま、空腹のあまり気絶してしまったのでは?


 どうやら頭のほうも、この事態を現実として処理することを拒否したらしい。どっと眠気が襲ってきて、堪えきれず彼女はがくんと船を漕いだ。


「おっと。すまん、そうだな、子供はもう寝る時間だ」


 シンハが抱きとめて、そっと寝床に横たえる。気を張っていたんでしょうね、とセレムがいたわる声は、既にぼんやりと霧の向こうに遠ざかっていった。


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