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王都警備隊  作者: 風羽洸海
番外編
23/36

優しい処方箋

リーファが19歳の頃の話(『溺れた靴職人』の後)。激甘注意。


 古い城によくあるもの――抜け道、怪談、開かずの間。

 というわけでリーファもその日、城内のある場所で開かずの間を発見した。

「あれ? ここ、なんだい?」

 厳重に施錠された扉の前に立ち、リーファは首を傾げた。近くで掃除をしていた召使が、なんですか、と顔を上げる。リーファは扉を叩き、その音の奇妙な響き方に眉を寄せる。もしやと思って七つ道具に手を伸ばしかけたところで、召使が慌ててそれを止めた。

「駄目ですよ。そこは開けても壁になっているんです」

「やっぱり。音が変だと思ったよ。でも、なんでだい?」

 元々部屋があったところをふさいだのか。それとも、最初から部屋などなく、泥棒を惑わすための偽の扉なのか。

(まぁ、あのシンハのご先祖が作ったんなら、単なる冗談ってのも大いにあり得るけどな)

 そんな風に軽く考えていたリーファは、召使の暗い表情に、あれっ、と嫌な予感をおぼえた。しまった、と本能的に察して後悔したが、その時にはもう陰鬱な調子の語りが始まっていた。

「そこは昔、悪霊から身を守ろうとして、城の者たちが立てこもった部屋なんです。災いと疫病が町を襲い、城の者は悪霊を迷わせるために複雑な迷路やこうした偽の部屋をいくつも作って、最後には、自ら入った部屋の扉を内側から塗り潰してしまったとか……。悪霊は町を去りましたが、部屋の中に隠れていた人達も……」

「わわわわ分かった、結構、もういいよ!」

 大急ぎでリーファは手を振り、話を遮った。締めくくりは大体想像がつく。今でも夜な夜な、壁の向こうからうめき声やすすり泣きが聞こえる、といったところだろう。

 幽霊と死人が大の苦手であるリーファは、そそくさとその場を逃げ出し、もっと明るい場所へと走り去ったのだった。

 が、しかし。

 えてして怪談とは、聞いたその時よりも、夜になって明かりを落とした後で、威力を発揮するものである。

「……寝られねぇ……」

 ベッドの上に座って枕を抱えたまま、リーファはびくびくと室内を見回していた。

 ちょっとした物音が気になって、眠れない。衝立の向こうで眠る父の寝息さえもが、まるで嘆きさまよう幽霊の吐息に思われる。

 しばらく悩んだ末、リーファは思い切ってベッドから降りると、こっそり隠し通路のひとつへ向かった。何度も夜中に通っている通路だが、今は地獄に続く洞窟に思われてならない。用心もそこそこに、せかせかと先を急ぐ。

 出て来た部屋はもちろん、こんな時には何よりよく効く、人間魔除けこと国王シンハの寝室である。並外れて強い太陽神の加護があるため、大半の幽霊は近寄れないのだ。通路から出ただけで、リーファは安全圏に入った確信から、ほっと安堵した。

 そして、気が緩んだ途端に肌寒さを感じて身震いする。季節は初夏であったが、深夜ともなれば冷える。そうでなくとも石造りの城なのだ。ぬかった、とは思えど、もう一度あの通路を引き返す気にはなれない。仕方なく、リーファは国王陛下の寝台にそろそろと歩み寄った。毛布の一枚でも貸して貰えたら、そこらで丸まって寝られるだろう。

 と、リーファが声をかけるより早く、シンハは不審げに目を開けた。そして、なんだまたか、と言わんばかりの顔をする。今までにも何度か、夜中に叩き起こされていいように使われた経験があるので、それも無理はない。

「今度は何だ……?」

 いささか閉口したように、それでも律義にシンハは身を起こす。リーファは申し訳なくて縮こまった。うつむいて少しもじもじした後、

「……寝られねえんだ」

 小声でそう白状すると、案の定、シンハは胡散臭げな半眼になった。リーファは訊かれる前から言い訳を始める。

「だ……だって、昼間、見付けちまったんだよ、あの『開かずの間』! それで……」

「幽霊が怖くて、か?」

「シーッ!」

 幽霊、と口にしただけで、ご本人が現れるとでも言うかのように、リーファは慌ててじたばたした。あの扉を思い浮かべただけで寒気がして、否応なく涙ぐんでしまう。

 シンハは呆れ顔をしたものの、小さなため息をひとつついて、仕方ない、と体をずらしてベッドを半分空けた。さすがにリーファも、これには赤面した。

「ちょ、ちょっと待てよ、いくら何でもそりゃまずいだろ。犬猫じゃあるまいし」

「似たようなもんだろう」

 シンハの声は、もう八割方眠りかけだ。お疲れだからか、相手がリーファなので警戒も緊張もしないせいか。こちらに背を向けた姿勢のまま、すう、と深い寝息を立てる。

 リーファはしばらく迷っていたが、足が冷たくなってきたので、えい、と思い切ってベッドに潜り込んだ。

「うお、あったけぇ」

 身も心も一度に温まり、思わず笑みがこぼれる。安堵とくつろぎが眠気を誘い、瞬く間に眠りに落ち……かけたところで、コホン、と小さく咳き込む声がした。肩に接しているシンハの背中が、微かに揺れる。

「……?」

 あれ、まさか、と眠い目をこすって様子を窺うと、コンコン、と続けて咳き込むのが分かった。

「シンハ? どっか具合悪いのか」

「いや」

 大丈夫、というようにシンハは無造作な返事をよこす。だが、しばらくするとまた、こほこほと小さな咳を繰り返した。リーファはもはや悠長に寝てなどおられず、むくりと起き上がってシンハの肩を揺すった。

「おい、本当に具合悪そうだぞ。神官に診てもらったのか?」

 城付きの神官は医者もかねており、リーファも何度か世話になったことがある。

「自分が丈夫だからって、病気を甘く見ると後が怖いんだぞ。聞いてんのか、こら」

「心配ないさ」シンハは億劫げに答えた。「夜に少し咳が出るだけだ」

「馬鹿、それが甘く見てるってんだろ! 朝になったらちゃんと神官のとこ行けよ、絶対だぞ。行かなきゃオレが引きずってくからな」

 リーファがあまりに真剣なので、シンハは不思議そうな顔で振り返った。もの問いたげなその表情に、リーファは目を逸らし、独り言を装ってつぶやいた。

「……昔、オレにもちっこい妹がいたんだ。本当の妹かどうかは知らないけど、可愛かったよ。まだ三つか四つだった。寝る時はいつもこんな風に、背中合わせにくっついてたんだ。それが、いつ頃からかな、夜になると咳き込むようになってね。うるさいってよく殴られて、だからいつも咳を押し殺してた。でもオレには背中越しに分かってさ……正直、鬱陶しいなぁと思ってたんだ。どうする事もできなかったしね。そしたらある晩、静かになって。ああやっとおさまったんだな、と思ったら……朝には、冷たくなってた」

 堪え切れず、言葉の終わりで涙が一滴、転がり落ちた。

 暴力と病の両方に、ただじっと耐えていた小さな背中。弱り、痩せこけて、とうとう最後まで一度も、つらいとも苦しいとも言わずじまいだった。

 リーファは何度も瞬きし、それ以上泣くまいと気を紛らせた。その頭を、大きな手がふわりと撫でる。

「分かった。ちゃんと診てもらうから、心配するな」

「……うん」

 ぐす、と鼻をすすると、リーファは照れ臭いのをごまかすように、背を向けてごろんと横になった。乱暴に毛布を引っ張り上げ、顔を隠す。眠りに落ちる前、つむじの辺りに軽くキスされたような気がしたが、夢だったのかも知れない。


 翌日の午後。

「うー……ごほ。シンハ、いるかー」

 元からかすれ気味の声をさらにガラガラにして、リーファは国王の部屋を訪った。もちろん、ちゃんとした扉から、である。

 返事を待たずに中へ入ると、シンハは窓際で、何やらガラス壜を光に透かして、ためつすがめつ眺めていた。

「何やってんだ?」

 リーファが問うと、シンハは驚いたように振り返り、苦笑した。

「なんだ、すごい声だな」

「おまえのせいだろが」

 それだけ言い返し、リーファはげほごほと咳き込む。しばらくして呼吸が落ち着くと、彼女は恨めしげに国王を睨みつけた。

「よく考えたら、おまえが咳き込むような風邪、うつされたらただじゃすまねえってぐらい、気付くべきだった……げほ、げっほ! 畜生、油断したぜ」

「そこはかとなく失敬な発言だな」

「事実だろ、この体力馬鹿、普通の人間の身になれってんだ! おかげで仕事にならねえって、詰所から追い出され、げほげほげっへ!」

 苦しむリーファを見下ろし、シンハは苦笑した。

「まあ、ただの風邪で良かったじゃないか」

「たりめーだ、でなきゃ今頃くたばってらぁ。あー、くそ。おまえの方は、ちゃんと神官に診てもらったんだろうな?」

 リーファが念を押すと、シンハはうなずいて、先ほどから手にしていた壜を見せた。

「ちょうどいい、おまえにも分けてやるよ。咳止めだ」

 言いながらもう栓を抜き、中の液体を匙に注ぐ。そら、と差し出され、リーファは憮然とした。

「オレは子供か?」

「似たようなもんだろう」

 ゆうべと同じ台詞を聞かされ、リーファはしかめっ面をしたが、それでもおとなしく口を開けた。よくある水薬だろうと思ったのだ。

 が。

「……っ!? な、なんだこれ!」

 ごくん、と飲み下した直後に、うろたえて素っ頓狂な声を上げる。シンハが愉快げに声を立てて笑ったが、リーファは彼をなじるどころでなく、眉間を押さえてうめいた。

「あ……甘……っ、脳天に染みる……」

 確かに咳止めには違いなかろうが、ただの水薬ではなく、シロップだったのだ。しかも、薬の苦みを紛らすために強烈な甘さにしてあるので始末が悪い。奥歯が浮き、鼻孔の奥まで甘ったるい匂いが逆流する。

「一番効くやつ、と言ったらこれを処方してくれたんだ」

 シンハがにやにやしながら説明する。リーファは絶望的な顔になった。

「ちょっと待て。うつされたのがおまえの風邪だってことは、オレにも同じ薬が……」

「出るだろうな」

「…………勘弁してくれ」

 ああもう、泣きたい。そんな声音でうめいたリーファに、シンハは形ばかり、詫びるような表情を取り繕った。

「『開かずの間』の呪いかもな」

「病人に追い討ちかける奴があるかよ」

 リーファはげんなりしながらも、少し喉が楽になって息をついた。さすがは『一番よく効くやつ』なだけはある。とはいえ、決して進んで飲みたい代物ではないが。

 リーファは壜を視界の外に追いやろうと、シンハの顔を見上げた。

「あの部屋、本当に言い伝え通りのもんなのか?」

「どんな怪談を聞いたんだか知らんが、あの壁の奥で誰かが死んだとかいう事実はないから、安心しろよ。ずっと昔に疫病が蔓延したのは記録にもあるし、その際に病人を隔離しようとかなり極端な事が行われたのも確かだ。だがあの扉はそれとは関係ない」

「んじゃ、何なんだ?」

「感傷だ」シンハは肩を竦めた。「先祖の誰かが、妻を病で亡くした時に、遺品をひとつの部屋にまとめて壁を塗り潰させた。多分それが、疫病の話とまじったんだろう」

「ふーん……そうか」

 少し気抜けした様子のリーファを見やり、シンハが意地の悪い笑みを浮かべた。

「これで、一人で眠れるな?」

「ばッ、い、言われなくてもっ!」

 リーファは赤くなって怒鳴り、次いでまた咳き込む。シンハが気の毒そうに、薬の壜を差し出した。

「もう一口どうだ」

「要るか! おまえの薬だろ、自分で飲めよ!」

「おまえの方が重症だろう」

「要らねえっつってんだろ、やめろこの……」

 互いに壜を押し付けあっていると、呆れ声が割り込んだ。

「何をやってるんですか、まったく、子供みたいに」

 言うまでもなく、胃痛病みの側近である。二人は慌ててあらぬ方を向き、白々しくとぼける。ロトはそんな様子を眺めてやれやれとため息をつき……

 こほん、と咳をした。

 リーファは目を丸くし、ちらりとシンハを見る。夏草色の目が、同じ気配を浮かべてこちらを見返して。

 二人は揃ってロトに向き直ると、不審な顔の彼に向かって、おもむろに提案した。

「あー、えへん。あのさ、ロト」

「ここにたまたま、咳止めの薬があるんだが……」



(終)


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