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王都警備隊  作者: 風羽洸海
本編
21/36

十二章 最後の試験(1)


    十二章


「よく来ましたね。待っていましたよ」

 銀髪の魔法学院長は、女生徒たちの憧れのまなざしを集める優雅な微笑で、リーファを出迎えた。と言ってもリーファの目にはこの場合、胡散臭い笑みとしか映らなかったが。

「……なんか、面倒くせぇ試験を用意してくれてそうだなぁ。本当にやんのかい? もう必要ないようなもんだって聞いたけど」

「もちろん、やりますよ。こんな機会はめったにありませんからね」

 セレムは楽しげに言ってから、真面目な口調になって続けた。

「西方出身のあなたにとって、この街区にある魔法学院や神殿は、あまり身近とは言えない存在でしょう。あちらでは魔術はご法度、宗教は一神教で、教会の活動もこちらの神殿とはかなり違っているそうですからね」

「似たところもあるけどね。違いと言えば、あっちの教会は何かと人に押し付けるのが好きだったし、言うこときかない奴には容赦なくて、なんて言うか……厳しくて口やかましい親みたいだったな」

「そうですか。こちらの人々にとっては、神殿はもっとおおらかな存在ですし、何より魔術も神々も、ともに生活に結び付いています。あなたも警備隊員として街の人々を守るのであれば、その重要性を認識して頂かなくてはね」

「そりゃあ、まぁ」

 リーファはもぐもぐと口ごもり、頭を掻いた。確かにごもっともだし、魔術が便利なものだということもよく分かっている。理屈ではそうなのだが。

「でも、なんかオレにはさ、神々ってのが……しっくり来ねえんだ。よそ者だからかな。まぁ、あっちにいた頃も別に信心深いなんてことはなかったけど」

 それでも何となくね、と曖昧に語尾を濁したリーファに、セレムは興味深げな表情を見せたものの、意外にあっさり「なるほど」とうなずいた。

「分かりました、信仰の問題については無理強いも出来ませんしね。神殿を見学して聖十神の像を拝んでらっしゃい、と言うのはやめにしましょう。美術品としても素晴らしいものなんですが」

 本気なのか冗談なのか判然としない口調だったが、セレムはやや残念そうに言い、「またの機会に」と付け足した。

「今日のところはまず、あなたの知識を確かめさせて貰います。聖十神の名前ぐらいは、もう覚えているでしょうね?」

「う……た、たぶん」

 リーファは自信なさげに答えた。まさかこんなに試験らしい試験をされるとは思わなかったので、事前に予習をして来なかったのだ。失敗した。

「ええっと……まず、太陽神リージアだよな」

 レズリア王国の名の由来でもあり、シンハをはじめ国王を守護するといわれる神だ。これだけはリーファも最初に覚えた。が、あとはかなり怪しげである。十の月にそれぞれの神が対応しているので、暦を思い出せばなんとかなるか、と指折りながら数えて行く。

「生命神サーラスから始まって、次が……あれ?」

 二月でもう詰まってしまったので、セレムが失笑した。リーファは赤くなり、他の月から順に埋めていこうと、ぶつぶつつぶやく。

「月の女神……は、何月だっけ。今月は確かミュティアっつって春の女神だったよな。先月は……」

 しばらくかかって、結局リーファは両手を挙げ、降参した。

「ごめん。まだ全部覚えてねえや。ほら、海とか月とかそういう覚え方はしてるんだけど、名前まではちょっと……」

 もごもご言い、上目遣いに顔色を窺う。セレムは「困りましたね」と渋い表情を見せた。こちらを脅かそうとしているばかりでもないらしい。リーファは縮こまってしまった。

「何もあなたに、信者になれと言っているのではありませんよ。ただ、私たちの神々について、ちゃんと知識と理解をもって貰いたいのです。でなければ、警備隊員としてやって行くのにも、支障が出ますからね」

「そうかなぁ?」

「そうですよ。あなたが思う以上に、この国の人々は神々と近しい生活を送っているんです。単に事務的な面だけ言っても、暦の祭日を把握していなければ何かと不便でしょう」

「あぁ、そういうことか」

 リーファは納得してうなずいた。確かに、市民の中にはきっちり何月何日と言わず、何とかの祭日、としか言わない者もいる。それに大きな祭の時には人出があり、揉め事も生じやすい。警備隊の仕事をしていくのなら、そういった暦の把握は重要だろう。

 だが、セレムの言葉にはまだ続きがあった。

「それだけではありません。たとえ警備隊員という肩書があっても、神々に対して不敬な人間が正義を振りかざすことなど、誰も善しとはしませんよ」

「……了解」

 返す言葉もなく、リーファは暗い声で応じた。

 萎れてしまった彼女を励ますように、セレムは口調を明るいものに変えた。

「まぁ、暦ぐらいはあなたのことですから、じきに覚えられるでしょう。神々に対する敬意は……言ってすぐにどうこうできるものではありませんしね。この国で暮らしていれば、いずれ感覚として自然に身につくでしょう。神々の名を覚えることは宿題にしておくとして、本題に入りましょうか」

「え? 今のが試験じゃなかったのかよ」

 リーファが気抜けすると、セレムは悪戯っぽく微笑んだ。

「試験の一部、ということです。ちょうど今日は神殿でちょっとした催しがありますので、見物がてら、参拝者の誘導をして貰おうと思いまして」

「今日って、何かお祭りとかあったっけ?」

「いいえ、特別な儀式祭礼というわけではなくて、月に一度の大礼拝です。今月は、あなたも先ほど言ったように春と美と芸術の女神ミュティアの月ですから、本殿の前の広場で歌が奉納されるんです。警備隊のお世話になるほどの人出ではないのですが、まぁ練習だと思って神官の方々を手伝って下さい」

「ん、分かった。今から?」

「はい、今から私も参りますので」

 セレムはにこりとして外出用の上着を羽織る。リーファはおどけて大仰な礼をした。

「お供つかまつります、学院長様」


 というわけで、リーファはセレムの後について学院を出ると、神殿へと向かった。王都にはそこかしこに小さな神殿があるが、広場に面した大神殿は国内のすべての神殿を統括するものだけあって、相当な規模である。

 聖十神の像がおさめられ、人々が礼拝に訪れる本殿。神官たちが研鑽につとめる講堂、彼らの宿舎。加えて、広大な墓地。

 今は、本殿前の広場目指して大勢の人が集まり、神官の誘導に従ってぞろぞろと動いていた。広場の四辺には香炉を持った神官が立ち、煙をくゆらせている。

「話は通してありますから、行ってらっしゃい」

 適当なところでセレムに背中を押され、リーファはうなずいて人の波をかきわけ、神官の方へ向かった。臙脂色の制服を見て、向こうはすぐに誰かと気付いたらしい。ほっとしたように笑顔を見せた。

「ああ、助かります。あの階段の辺り……見えますか、今、一人だけ立っているんですが、あそこに行って手伝って下さい。一人が転ぶと大変ですから、特にお年寄りに気をつけて下さいね」

 本殿に続く参道の階段を示され、リーファは「了解」と敬礼すると走りだした。

 指定された場所に着くと、既に神官がいるのと反対側の脇に立ち、向かいのやり方を見ながら誘導を始めた。

 人波からこぼれて階段の裏に回ろうとする者を元の流れに戻し、手摺りにつかまって一段一段上る年寄りを後続者から守る。幼い子供の場合は、押し潰されたり、はぐれたりしないかとハラハラしながら見守った。

「押さないで! ここから階段です、足元に気をつけて下さい!」

 何度も同じ注意を繰り返し叫び、参拝者の立てる砂埃を吸い込んで咳き込む。臙脂色の制服も、いつの間にか白っぽくなっていた。

(毎月これやってんのか。神官も思ったより大変だな)

 喉がいがらくなり、口の中がざらつく。リーファは咳をしながら向かい側の神官を見やった。まだ若い。こうした仕事は下っ端の受け持ちなのだろう。目が合うと、彼は同情的な顔になり、大丈夫かと問う仕草を見せた。

 なんとかね、とリーファが苦笑を返した時、人込みの中から「あれっ」と聞き覚えのある声が飛び出した。驚いてそちらを見ると、トニスが同じく目を丸くして立っていた。

「なんであんたがここに」

 二人は同時にそう言い、決まり悪くなって立ち尽くす。後続の参拝者に押され、トニスは慌てて人波から抜け出し、道の脇にやって来た。赤毛の女はいないが、トニスは幼い娘の手を引いていた。

「元気そうだな。良かった」

 リーファが言うと、トニスは皮肉かと疑うように眉を上げたが、すぐに微笑してうなずいた。彼は娘の頭を撫でてから、リーファの目をまっすぐに見た。

「あんたには色々、世話になったね」

「オレは別に何もしてないよ。礼ならシンハに言ってくれ」

 深く考えずにリーファが言った途端、トニスはぎょっとなって周囲を見回した。慌ててリーファは言い足す。

「あ、いや、ここには来てないけどさ」

「脅かすなよ……あの人はおっかねえからなぁ。あんたから伝えといてくれよ」

 心底ほっとした様子のトニスを眺め、リーファは苦笑した。シンハが聞いたらさぞや落胆するだろう。部屋の隅で壁に向かっていじけるかもしれない。

「大丈夫だよ」リーファは拳でトニスの肩を小突いた。「今のあんたなら、シンハの奴もそんなに怖く見えないさ」

「あっしはあんたとは違うよ」

 トニスは首を振ったが、その面には微かながらも同感の笑みが浮かんでいた。足元で娘が手を引き、小さな声で、早く行こうと催促する。

「おっと、そうだな、行かねえと場所がなくなっちまうな。それじゃ……」

「うん。あ、ここから階段だぞ。その子、気をつけてやりなよ」

 リーファは仕事を思い出して、いまさらながら注意する。トニスは苦笑した。

「ここには何回も来てるよ」

 そう言えばそうか、とリーファは納得し、それからふと不思議になって、問うでもなく独りごちた。

「この国の神殿は、罪人も受け入れてくれるんだな」

 自分の生まれ育った国では、貧しい者や罪を犯した者、端から人間扱いされていない者たちは、決して教会に入れなかった。盗人を教会に匿った咎により、首を斬られた司祭もいるほどだ。

 昔を思い出してやや茫然としたリーファに、トニスが振り返って言った。

「神様が許してくれなきゃ、ほかの誰が許してくれるって言うんだい?」

 疑念の欠片もない、わざわざ信念をこめて強調することもない、ごくごく当たり前の口調だった。驚きに打たれてリーファが立ち尽くす間に、トニスはもう背を向け、娘の手を引いて段を上って行く。

「……そう、か」

 トニスの背中が見えなくなってから、リーファは小さくつぶやいた。そういうものなのだ、この国の人々にとっては。改めて、遠くに来たんだなぁ、などと実感する。だがそれはもう、居心地の悪い疎外感ではなかった。

 ――それならば、自分のような元盗人も、信仰の薄いよそ者でも、神々は大目に見てくれるだろう。

 はっきり言葉にしてそう考えたわけではなかったが、なんとなくリーファは安心して、また参拝者の誘導を始めた。

 やがて群衆がまばらになり、最後尾が見えて来た頃、本殿の前で香炉をくゆらせていた神官が扉を開け、中に消えた。いよいよ始まるらしく、誘導に当たっていた神官たちも広場の方へ移動し始める。

 リーファも向かいの神官にならって階段を上り、広場の後ろに立って人々の様子を見守った。皆、何年も、何十年も、この礼拝に参加してきたのだろう。慣れた様子で、誰が号令をかけるでもなく、しずしずと行儀よく整列しては石畳の上に座っていく。

 やがて人々が落ち着くと、不意に静けさが降りて来た。直前までの足音やざわめきが、透明な刷毛にすうっと拭い去られる。

 どくん。

 鼓動がひとつ大きく打つのを感じ、リーファは自分自身に驚いた。自分はこの国に生まれた者ではなく、この場で崇められる神々の名も知らない。にもかかわらず、何かが始まろうとしているのを感じた。



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