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王都警備隊  作者: 風羽洸海
本編
19/36

十一章 犯人逮捕(1)


    十一章


 警備隊本部に駆け込むと、夜番の隊員が何事かと驚いた顔を上げた。

「人の手配を頼みます」

 息を切らせ、リーファはまずそう言った。すぐに隊員の一人が事情を聞こうと近寄り、もう一人が奥へ入る。じきにディナルが寝起きの顔で荒々しく扉を開けて、のしのしと姿を現した。

「逃げられたのか」

 そらみろ、と言わんばかりのいまいましげな口調。リーファは「はい」と応じ、息を整えてから説明した。

「トニスの家が放火されました。その犯人に逃げられたので、市中に手配をお願いします。暗くて顔は見えませんでしたが、男で身長はこのぐらい」

 と、自分の頭の少し上を手で示す。

「利き腕でない方の腕――多分左だったと思いますが、そっちに噛みついたので、歯型があるはずです。それから顔にも引っ掻き傷が」

 言いながらリーファはその仕草をして見せる。隊員の一人が顔をしかめたので、リーファは明かりの下で自分の手を見て、初めて爪に血がついているのに気付いた。うげっ、と思いはしたものの、洗いに行くのは後回しだ。そのままてきぱきと報告を続けた。

「ナイフを持っていました。かなり強く噛み付いたので、ねぐらに帰るか医者に駆け込んでいる可能性もあります。仲間はいないようでしたが、念のためトニスにも武装した護衛をつけて下さい」

 ディナルはむっつりと不機嫌にそれを聞いていたが、話が終わるとすぐに「分かった」とうなずいて、部下たちに指示を出した。流石は腐っても警備隊長である。

 必要な指示を出すと、ディナルはリーファに向き直り、石臼で挽くように歯の間から言葉を押し出した。

「貴様はさっさとその格好をなんとかしろ。予備の制服と武器は奥の部屋にある」

 リーファは目を丸くしたが、余計な事は言わず、素早く敬礼した。

 奥の備品室に入って、体に合いそうな制服を引っ張り出し、古着を脱ぎ捨てて着替えだす。ちょうどそこへ隊員の一人が扉を開け、わっ、とうろたえた声を上げて引っ込んだ。リーファは手を止めずに声をかけた。

「気にせず用を済ませて下さい。別に素っ裸ってんじゃないんだから」

 もちろん、一般的に言って女の肌着姿は他人に見せられるものではない。外で隊員が困っているようなので、リーファはやれやれと天を仰いだ。

「本人がいいって言ってんだろ、さっさとしろよ! つまんねえ事に構ってる場合じゃねえだろが」

 ベルトを締めながら彼女が怒鳴ると、やっと決心がついたらしく、隊員が入ってきた。棚から呼び子を取り、リーファ用にひとつ机の上に置く。その間も彼はリーファを視界に入れないよう、不自然な方を向いたままだった。そして結局一言もしゃべらず、そそくさと部屋を出て行く。リーファはげんなりした。

 なるほど、こういう場面もあると考えれば、女が警備隊に入るのを嫌がられても仕方がない。一部屋余分に用意しなければならないわけだし、現場を変えるとなると、何かと面倒なのだろう。

「要するにてめえの腰が重いだけじゃねえか」

 けっ、とリーファは小さく毒づいた。憎き熊オヤジの顔を思い浮かべながらきつく靴紐を結び、剣を佩いて外に出ると、当人が待っていた。

「貴様はこっちだ」

 顎で呼び付けられ、リーファはしょっぱい顔になったものの、黙って従った。他に十人ばかり隊員がいるところからして、一番手強い場所、つまり総元締めの屋敷に乗り込むつもりだろう。そこに加えて貰えたことを、評価の証と思わねば。

「どう言って中に入るつもりですか」

 屋敷街を歩きながらリーファが小声で問うと、ディナルはじろりと疎ましげな目をくれたが、それでも渋々返事をした。

「放火犯が付近に逃げ込んだという情報があった、と言えばいい。無理に押し入らんでも、圧力をかけておけば動きがあるはずだ」

 ふむ、とリーファはうなずいた。いくら警備隊と言っても、貴族の屋敷に問答無用で立ち入る権限はない。門を閉ざされたらそれまでだ。だが目をつけられたと相手に悟らせてやれば、焦って尻尾を出すだろうから、そこを押さえるつもりらしい。

「じゃあ、この人数は威圧のためってわけだから、一人抜けても大差ありませんね?」

 リーファはあれこれと考えを巡らせながら言った。途端にディナルだけでなく他の隊員たちも、何をするつもりかと胡散臭げな顔になる。リーファは自分を取り巻くそれらの顔を見回し、肩を竦めて見せた。

「表で騒いでいる間に、裏から逃げられちゃ困りますからね。そっちに回ろうかと思うんですが」

「当然、裏口にも配備する。そのための人数だ」

 ディナルが唸ったが、リーファはそれを受け流した。

「いや、私の言う『裏』ってのは、ちょっと別の方面でして」

 そのとぼけた言い草に何人かが失笑し、ディナルは顔を赤くして歯噛みした。束の間の逡巡。それから彼は、

「勝手にしろ! どっちみち貴様は正規の隊員ではないからな!」

 吐き捨てるように言って背を向けた。リーファは他の隊員たちに苦笑を見せてから、誰にともなく言い足す。

「誰か、庭の方も見張っていて下さい。うまく捕まえられたらいいけど、一足早く逃げ出しているかも知れないんで」

 隊員の一人が了解のしるしにうなずくと、リーファは「お願いします」と言い置いて、隊列から離れた。

 松明から遠ざかると、辺りはもうすっかり闇に呑まれていた。雨は止んでいたが、月の顔はまだ見えない。屋敷の白壁に並んだ窓のひとつふたつから漏れる明かりが、かろうじて物の輪郭を浮かび上がらせている。

 やがてリーファの手が、先日の巡回で目をつけた場所を見付けた。蔓薔薇の絡まり具合で、そこだけ隙間ができて柵を掴めるようになっている。リーファは物音に耳を澄ませ、周囲に動く影がないことを確かめてから、素早く柵をよじ登った。

 顔や手を所々棘にひっかかれつつ、内側に降り立つ。芝生が足音を消してくれた。見た目には美しいが、不用心な庭。

(さて、どこから逃げるかな)

 ぐるりを見回し、リーファはふむと思案した。初めて屋敷を見た時に考えた侵入方法は、そのまま逃走にも使い得る。だが相手は今、片腕を負傷しているし、リーファほどには身軽でないかもしれない。とすれば別の方法を考えるだろう。

(まっとうな出入り口からは逃げられないだろうし……)

 警備隊員がいなくても、胡散臭い男が血まみれでうろついているのを屋敷の者に見られたら、騒ぎになって悪事が露見してしまう。恐らくあの男は、人目につく恐れのない出入り方法を使っているはずだ。

 リーファはそこまで考え、ふと耳を澄ませた。真夜中でも絶えることのない水音が、ちょろちょろと闇の中を流れていく。

(噴水か……水……待てよ)

 はっと気付き、リーファは音の方へと走って行った。庭園の中央にはこれ見よがしに大きな噴水があったが、彼女の目当てはそれではなかった。改めて耳を澄まし、辺りを見回す。噴水の音とは別の、くぐもった水音が聞こえたのだ。

「あった!」

 リーファは口の中で小さくつぶやくと、噴水そばの地面を四角く切り取る細い線に駆け寄った。膝をつき、小さな窪みに手をかけて動かす。ズズッ、と石の板が横滑りし、ぱっくりと暗い穴が現れた。

 予想通りのものを見付け、リーファは笑みを浮かべた。地下へ続く短い階段の下に黒い闇がたゆたい、時折かぼそい光をチラチラと反射している。下から吹き上げる冷気は、眉をひそめたくなる臭いを乗せていた。つまり下水道だ。

 リーファは屋敷の位置を目測してから、階段を降りて行った。

 上水道と違って下水道は異物が溜まりやすい上に、詰まって溢れようものなら大変なことになるので、定期的に人が入って浚渫できるよう設計されている。中でもこの水路は、特に広々としていた。まさか、最初から抜け道としての利用を念頭に置いて工事したわけではあるまいが。

 当然ながら、中は真っ暗だった。リーファはくるぶしまで水に浸かり、壁に片手を当てて、なるべく音を立てないように気を遣いながら上流へ向かった。

 屋敷内にも、下水道への入口がどこかにあるはずだ。貴族なら、うっかり高価な指輪を流してしまって下男に取りに行かせる、などという場面もありそうなことだし。

 あれこれ考えながら歩いている内に、ずっと先の方から物音が聞こえてきた。それでふと気付くと、薄ぼんやりと辺りが明るくなっている。水路が少し先で曲がっているのが分かり、光はその向こうから射していた。

 金属の触れ合う音。何を言っているのかまでは分からないが、野太いがなり声。水面の揺れが微かな波紋となってリーファの足を洗う。

(どうやら厨房みたいだな。遅くまでご苦労さんなこった)

 大量の洗い物を処理する流し場は、排水口も大きいのだろう。上の物音までよく聞こえる。ということは、うっかりすればこちらの足音も聞かれかねない。あれだけ鍋か何かをガタガタ言わせているのだから気付かれはすまいが、リーファは用心して一旦歩みを止め、様子を窺った。

 話し声が少し遠のく。水面の揺れもおさまり、じきにシンとした静寂が戻って来た。それからさらに数呼吸の間を置き、リーファが動き出そうとしたまさにその時、同じように考えた誰かが水音を立てた。

 リーファは息を飲み、素早く壁に張りついた。パシャパシャ、と小さいながらも間違えようのない足音が、束の間だけ反響を変え、移動してくる。厨房の洗い場を通過して、誰かがこちらへ向かっているのだ。

 誰が――とは、考えるまでもない。あの男だ。ほかに誰がいる?

(どうしよう)

 その時になってリーファは、自分があの男と出くわしたらどうするか、ろくに考えていなかったことに気付いて青ざめた。

 逃げられる前に捕まえればいい、とだけ思っていたが、ここで暴れて騒ぎを起こすのは得策でない。屋敷の者に聞かれて出口で待ち伏せされたら、許可なく侵入したリーファの方が立場は不利だ。しかも警備隊の制服を着ているとくれば、どんな結果になるか。リーファはぞっとなった。あの太った男爵が、自分の死体をディナルの前に投げ出して、警備隊はいつから泥棒集団になったのか、となじる場面が目に浮かんだ。

 ピシャ、パシャ……しぶきを跳ね上げる音が近付き、さざ波がリーファの足を洗う。リーファは焦るあまり、喚きだしたい衝動に駆られた。

 落ち着け、よく考えろ。自分に言い聞かせて、早鐘を打つ心臓をなだめる。

(駄目だ、警備隊員だと見破られるわけにはいかない)

 警備隊員として相手を逮捕することは不可能だ。自分が危険だとか、警備隊にとって不都合だとかいうだけでなく、ほかにもまずい点がある。

この街の警備隊は、よほどの事がない限り人を殺さない。たとえ極悪人でも、裁きを受けさせる為には生かして捕えねばならないからだ。それゆえ悪人にはなめられやすい。仮にうまく捕えられても、逆にこちらの不正を攻撃されてしまうだろう。

 では、どうすればいい? 一撃で失神させるか。だが失敗したら?

(一か八か、騙してみよう。悪党の真似ならお手の物だしな)

 リーファは静かにゆっくりと剣を抜き、気配を殺して待ち受けた。相手は一度、洗い場から射す仄かな明かりに目を晒している。まだ暗闇に慣れていないだろう。

 緊張が高まる。水音の反響が変わり、やがてついに、角を曲がって人影が現れた。


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