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王都警備隊  作者: 風羽洸海
本編
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八章 謎は解けるか(3)


 控えめな足音が小さくなって消えると、リーファは本を開く前に書架をざっと眺めてみた。なるほど確かに、あまり司法の世界とは関係がなさそうな、砕けた題名が並んでいる。『東方美味礼讚』だの『銘酒百選』だのまであるのには、失笑してしまった。

 その声が静かな室内に思いのほか反響し、リーファは慌てて口をつぐむ。必要もないのに小さな咳払いをしてごまかし、『見聞録』の指定された頁をめくった。見付かったのは、ごく短い一文。

 『そこでは誰もが自由に飲み食いすることを許されていた。』

「……は?」

 何のことやら。リーファは本を片手に、しばし茫然と立ち尽くした。

(自由に飲み食い、って……この界隈の食い物屋を全部当たれってのか? いや待て、店だったら『自由に』とは言わないか。となると教会の施しみたいなもんか?)

 生まれ育った街の光景を思い出し、リーファは眉を寄せた。浮浪者や孤児たちに、不味くて薄いスープを配る教会の尼僧たち。残飯をぶちまける料理係と、群がる飢えた獣のような貧民たち。すえた臭いが不意に鼻をついた気がして、リーファは頭を激しく振った。

(あんな光景は……この街じゃ見たことないぞ)

 リーファは本を棚に戻し、図書館を出た。嫌な記憶に追いすがられているようで、自然と速足になる。受付まで戻ってきた所で、ふと、鼻をくすぐる本物の匂いに気が付いた。何かをコトコト煮込んでいるような、温かくほんのり甘い匂い。途端に腹の虫が目を覚まして鳴き出した。

 リーファが思わず辺りを見回すと、受付の女と目が合った。

「そういえば、そろそろお昼時ね」彼女は笑って言った。「食堂なら、そのまま真っすぐ行って突き当たりを右よ」

「どうも」

 リーファは照れ隠しに苦笑し、言われた通りに歩きだした。財布に小銭は入っているし、学院の食堂なら安くで何か食べられるだろう。

 着いてみると、食堂はがらんとしていた。上級生や教師の姿がちらほら見えるだけだ。どうやらまだ、授業中らしい。

(混雑する前に、さっさと食って退散しよう)

 リーファは急いで配膳口に向かい、「すみません」と声をかけた。あいよ、と威勢よく答えて応対に来た小男は、リーファの格好を見て目をぱちくりさせた。

「なんだ、あんた学校の人じゃないね。その制服は警備隊かい?」

「ああ、えーと、まだ見習いみたいなもんですけど。食事、できますか」

「うーん、本当は駄目なんだがねぇ。まあ、警備隊ならしょうがねえか。そこの盆を一枚取りなよ」

 人の話を聞いているのかいないのか、男は顎をしゃくって何百枚と重ねられた四角い盆を示す。リーファが一枚取って来ると、瞬く間に手際よく、パンとシチューと黒苺入りヨーグルトが並べられた。

「量はそんでいいかね? パンとシチューなら追加できるよ」

「ありがとう、充分です。これでいくらですか」

 財布を引っ張り出しながら問う。だが男は「要らん要らん」と手を振った。リーファが怪訝な顔をすると、男は歯の欠けた口でにかっと笑った。

「この食堂はタダだよ。献立は選べんがね。だから本当は外のもんには出すなって言われてんだけどよ、でもま、そんな決まり、あってないようなもんだからね。いいから、食いなよ。ああ、ほんで、終わったら食器と盆はそっちに返してくんな」

 ほらほら急いで、とばかりに手で促され、リーファは曖昧にぺこりと会釈してから、隅のテーブルに席をとって食べ始めた。格別美味くもないが、決して不味くはない、よくある家庭の味だ。無料とは気前のいい話だが、国の補助金をたっぷり貰っているからだろう。

(授業料がいくらかかるのか知らないけど、少なくとも食うものと寝る所の心配はしなくていいってことか。貧乏人でも頭が良けりゃ、なんとかなるって寸法かね)

 むろん受験勉強ができる程度には生活に余裕がないと無理な話だが、それでも一部の金持ちだけが司法の世界を占領してしまうのを防ぐことは出来る。

(あいつらしいや)

 シンハの顔を思い出して、リーファはそっと微笑んだ。それから彼女は、生徒たちが押し寄せる前に食べ終えることに集中した。あまり熱心に食べていたもので、ちぎったパンの中から紙片がいきなり出て来たのには、心底ぎょっとさせられた。

「あっ……!」

 小さな声を上げ、反射的に配膳口を振り返る。歯欠けの男はわくわくしながら様子を見ていたらしく、顔をくしゃくしゃにして大喜びした。

「食っちまわなかっただろうね?」

「なんとかね」

 リーファは苦笑で応じ、紙片を振って見せた。どうやら、パンに切り目を入れて押し込んだらしい。まったく、この試験官は何人の関係者を巻き込めば気が済むのだか。

 紙片を汚さないよう脇に避けて、急いで食事を片付ける。言われた通りに食器を返してから、リーファは中庭に日当たりの良い芝生を見付けて腰を下ろし、紙を開いた。

 『学び舎の古老の冠の中』

「……勘弁してくれ」

 まだ続くのか、とリーファはその場にひっくり返ってしまった。さすがにそろそろ疲れてきた。警備隊本部、図書館、食堂。次はどこだ? 学び舎と言うからには、学院の敷地内だろうが、古老とは誰だ。教師の最高齢者だろうか。それとも、建物の中で一番古い部分のことか。

「これだけ学院の職員に顔がきくんだから、出題者は学長なんだろうけどなぁ」

 ぼそりと独りごち、紙片を恨めしげに睨む。学長室に乗り込んでも、すべての謎を解いていなければ、合格証は貰えないだろう。あるいは『私の居所まで辿り着けたら』と言っているからには、どこかに雲隠れしているかもしれない。

 リーファはしばらくあれこれと頭を捻っていたが、最終的に出てきた結論は、ひとつだけだった。

 食事の後で暖かな芝生に寝転がって、考え事などするものではない――と。

 目が覚めた時には、夕焼け空にカラスが飛んでいたのである。


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