八章 謎は解けるか(2)
とは言ったものの、正直、翌日は試験にあまり身が入らなかった。
五番隊の受け持ちは警備隊本部の裏側、王都の西側の一画だ。目立った建物としては司法学院があるだけだが、その敷地は広大である。学生や教官相手の店や下宿が多いため、街の雰囲気もどこかしら学院色に染まっている。
だから余計に気が進まない、というのがリーファの本音だった。勉学自体は嫌いではないが、学校という場所には無縁だったもので、胡散臭く感じられて仕方ない。
(不気味だ……)
街を歩きながら、彼女は早くもげんなりしていた。まず、お揃いの紺のケープが気に入らない。年齢的に弾けんばかりの生気に満ちた少年少女たちが、同じ格好をしてぞろぞろたむろしているだけで、一種異様な空気が醸し出される。
(こんな所で、誰がどんな試験問題を用意してくれているのやら)
頭痛がしてきた。警備隊の入隊試験には法規関係の試験もあり、リーファも王都シエナの都市法はきっちり勉強している。だが司法学院では過去の膨大な法令を集めた大法典も学ぶと言うし、そんなところから問題を捻り出されたらお手上げだ。
難しい顔で歩いていると、いつの間にか司法学院の正門前に差しかかっていた。
「あ、ちょっと、そこの君」
不意に呼び止められ、リーファは足を止めた。見ると、守衛らしき太った男が何やら手招きしている。早速おいでなすったか、と気合を入れて駆け寄ると、相手はいきなり紙片を差し出した。
「え? これ……」
「あんたに渡すように頼まれたんだ。近日中に通りかかるだろう、ってね」
はて、どういうことか。リーファは折り畳まれた紙片を用心しながら受け取り、すぐにそれが合格証ではないと気付いた。紙の質も大きさもまったく違う。もどかしげに開いて見ると、それは短い手紙だった。
「『私の居所まで辿り着けたら合格だ。まずは第一の鍵を見付けたまえ。在処は番犬の餌入れの下』……なんだ? つまり謎掛けってことか。へえ、面白い」
こういうのなら歓迎だ、とリーファは笑顔になる。守衛はどうやら事情を聞かされているらしく、秘密を隠してとぼけ顔を作っている。
「ええっと。オレ、中に入ってもいいのかな」
彼女が門の内を漠然と指して問うと、守衛は奇妙な表情でうなずいた。答えがばれるのを警戒してか、無言だ。その表情に引っかかるものを感じながらも、まずは門を通り抜けた。
「番犬、ねぇ」
学院で犬を飼っているとは思えないが……、と訝りながら周囲を見回すと、なんと、門のすぐ近くに犬小屋があった。守衛の助手なのだろう。大きな黒犬が小屋から半分体を出したまま眠っているのが見えた。そして小屋のそばには水の器と、空の餌入れが。
「……まさかなぁ」
半信半疑ながら、慎重に小屋へ近付く。犬はピクッと耳を動かし、むくりと頭を持ち上げた。リーファは何げない素振りで歩き、犬など見えていないかのように、餌入れのそばにしゃがむ。
そこまでは何も問題がなかったのだが、餌入れに手をかけた途端、犬が大きく一声、吠えた。
「わっ!」
リーファは驚いて尻餅をつきそうになり、慌てて体勢を立て直す。咄嗟に餌入れをつかみ、裏にくっついていた紙片を素早くむしり取って立ち上がる。大股に後ずさって犬から遠ざかると、彼女はやれやれと紙片を開いた。そこには一言。
『失望させるな、馬鹿』
リーファが紙片を握り潰すと同時に守衛が笑いだし、犬をなだめに来てくれた。いまいましげにそれを横目で睨み、
「本気でここだと思ったわけじゃない」
負け惜しみに聞こえると承知で彼女が言うと、守衛は「そうだろうとも」と理解を示してくれた。腹の立つにやにや笑いもおまけについていたが。
リーファは口をへの字にしてから、今度は守衛の番小屋にずかずか入って行った。番犬と言ったら、何も本物の犬には限らない。しかし、となると餌入れが何かが問題だ。
茶が入ったままのカップを持ち上げてみたり、棚を漁って食べ物の入った容器はないかと探したりして、最終的に皿の裏に貼り付けられた紙片を見付けた。ぺり、とはがして、また侮辱の言葉が書いてあるのではないかと身構えつつ開くと。
『惜しい』
「……人をからかってやがるな」
くそ、と舌打ちし、小屋の外に出る。守衛は肩を竦めた。
「俺が知っているのは、ここのふたつが外れってことだけだよ。当たりがどこにあるかまでは、聞いてないからな」
「教えて貰えるなんて期待しちゃいないよ」
リーファはぞんざいに言い返し、さて、と腕組みして考え込んだ。学院の門で渡されたからここに気を取られたが、五番隊の受け持ちは学院だけではない。また、あの言葉からして『番犬』は本物の犬ではないだろう。
(となると、あとは犬の彫像とか……あるいは)
この街区にあるものを思い出していると、不意に閃きが降ってきた。
(警備隊本部!)
法と正義の番犬、警備隊。その本部もこの街区にある。厳密には五番隊の受け持ちではないが、一般人がそこまで気にするとは思えない。
リーファは守衛に挨拶もせず、踵を返して走りだした。
本部に飛び込むと、中にいた隊員たちがぎょっとなって振り返った。
「失礼、ちょっと探し物をさせて貰います」
適当な敬礼をして、呆気に取られている隊員たちの目を無視し、家捜しにとりかかる。
(餌、餌、餌……)
食べ物にかかわりそうなもの。また皿だろうか。誰かのカップ? あまりしょっちゅう動かされる物は、はがれてしまうだろうから不可。残りは何がある?
ポットや食器を一通り調べたが、収穫はなし。リーファは嫌な予感がして、ちらりと奥の部屋に続く扉を見やった。それから近くにいた隊員に向かって、渋々と問う。
「……ひとつ訊きたいんですが、給料の管理はどうなっているんです? あの奥で誰かが金庫番をしてるんですか」
「え? ああ、給料ね。あんまり大きな声では言えないけど、お察しの通り、奥だよ」
試験の一環だと気付いたらしく、隊員は途端に面白そうな顔になった。
「何だい、隊長から金庫を奪って来いって?」
「いいえ。でも、それに近いかも」
やっぱりか。リーファは深いため息をついた。出来れば熊オヤジとは顔を合わせたくないのだが。しかもよりによって、金庫を見せてくれ、などと頼まねばならないとは。
リーファは嫌々ながら奥の扉をノックし、待ちかねていたような「入れ」の声を耳にして眉間に皺を寄せた。
「失礼します」
開けてみれば案の定、ディナル警備隊長がご満悦の体で椅子にふんぞりかえっていた。リーファはどんよりした目でそれを見やり、ため息ひとつの後で、ぴしっと姿勢を正して言った。
「入隊試験のため、隊員の給料を保管している金庫を拝見したく、許可を頂きに参りました」
焦らしているのか何なのか、ディナルはしばらく返事をしなかった。ややあってフンと鼻を鳴らすや、ずいと小さな紙片を突き出す。
「持って行け」
はいとも言えず、リーファは胡散臭げにそれを受け取った。疑いのまなざしに対し、ディナルは軽侮もあらわに応じた。
「貴様はまだ部外者だ。金の置き場を見せてやるわけにはいかん。答えが分かったのならそれで充分だ。とっとと失せろ」
しっしっ、と手を振られ、リーファは渋面になったものの、文句は言わずに退散した。余計な厭味まで頂戴したくはない。本部を出てから紙を開くと、今度は短く『ティトス見聞録、二六頁三行目』とだけ記されていた。
「何だこりゃ? 見聞録……頁と行ってことは、本の題名なんだろうなぁ。ったく、行ったり来たりさせやがって」
ぶつぶつぼやきつつ、来た道をまた戻って行く。守衛に片手を挙げて挨拶し、今度は学院の建物に入ると、受付で場所を訪ねて図書室に向かった。
扉を開けた途端、ずらりと並んだ書架に圧倒される。リーファは一目見るなり、自力で探すことは諦めた。
「すみません、ちょっと調べ物をしたいんですが」
司書らしき中年の女に小声で話しかける。女は臙脂色の制服を見ると「ああ」と笑みを浮かべた。
「話は聞いていますよ。どれ、ちょっと拝見」
司書が手を差し出したので、リーファは謎の書かれた紙片を渡した。どうやら彼女も、出題者から協力を頼まれているらしい。
「はいはい、ティトスの見聞録ね。こちらです」
ついて来て、と司書はすぐに歩きだす。リーファは流石に驚きを隠せなかった。
「まさか、ここの蔵書全部を覚えているんですか?」
「完璧にとはいかないけれど、大体はね。蔵書票を調べるのは面倒だし、もし蔵書票が紛失したりすれば、記憶だけが頼りだもの」
司書の口調はさも当然とばかり、あっけらかんとしている。リーファは「はぁ」と間の抜けた相槌を打つのがせいぜいだった。
歩きながら彼女は、感嘆とともに館内を見回した。書見台や机には学生のみならず教官の姿もあり、手首を痛めそうな分厚い書物を繰っている。
「すごい数ですね」
素朴な感想に対し、司書は誇らしげに笑みを広げた。
「年月をかけて少しずつ集められてきたものですからね。法令集や判例集は毎年増えて行くのが当たり前としても、それ以外に様々な書物を購入していますから」
話すうちに、彼女の表情は真剣なものに変わっていた。
「この学院の卒業生は、各地の都市警備隊、あるいは裁判官や書記、巡察官など、様々な職業に就いて、世間を渡って行くことになります。そんな時、頭に法令を詰め込んだだけの、歩く大法典のような人間では困りますからね。そうでなくとも学院は閉ざされた場所で、そこに身を置く者は、ともすれば学院の外にこそ世界があるという事を忘れがちです。ですから学長は、学生たちに少しでも広い視野を持って貰おうと……」
そこで彼女は足を止め、書架のひとつを示した。
「教養となる古典はもちろん、小説や紀行文なども収めているわけです。お探しの見聞録も、そうした書物のひとつなんですよ」
はいどうぞ、と差し出された書物は、まだ新しかった。リーファはそれを受け取り、礼を言って頭を下げる。司書は「どう致しまして」と応じ、用が済んだら元の場所に戻しておくように、とだけ言ってその場を立ち去った。