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王都警備隊  作者: 風羽洸海
本編
12/36

七章 夢を抱く街(2)


 次に老人が立ち止まったのは、小川にかかる橋の上だった。

 小川、と言っても、正確には用水路である。シャーディン河の上流から引き入れられた水は、貯水塔から縦横に張り巡らされた水道を通して市民に提供されているが、一部は小川となって町中を流れているのだ。ちょっとした洗い物や消火用水にも使えるし、火避け地にもなる。もちろん、日向ぼっこにも最適の場所というわけだ。

「ちょっくら休みますかの」

 老人は不意にそう言って、リーファの返事も待たず、川岸に置かれたベンチの方によちよち歩いて行く。どっこらしょ、と彼が腰を落ち着けてしまったので、リーファも仕方なく隣に並んで座った。

「すみませんなぁ、お疲れでしょう」

 老人に言われ、リーファは本音を隠しきれずに苦笑した。

「いえ、疲れたわけじゃ……ただ、なかなか見付からないなぁと思って。そちらこそ、お疲れでしょう。何か買ってきましょうか」

 言って、リーファはもう早速と立ち上がった。川沿いにはよく屋台が出ていて、薄荷入りの紅茶や、安い菓子などを売っているのだ。

「お茶でも飲んで、ゆっくりしましょう」

 いいですなぁ、と老人の賛成を取り付けると、リーファは屋台の並びへ走って行った。

 爽やかな香りのする紅茶を二人分買って戻ると、老人は既にうつらうつらしていた。

「ありゃ……」

 陶器のマグを二つ持ったままリーファは呆然とし、ため息まじりに苦笑する。まぁ、年寄りなんだから仕方がない。かなり歩いたし。

 起こさないようそっと腰を下ろし、マグから紅茶をすする。瑞々しい緑の葉が琥珀色の海で揺れた。値段の割には良い味だ。

 南からの暖かい風が、川面にさざ波を立てる。岸辺に植えられた木々が順番に梢を揺らす音。やがて、ザアッ、と頭上の枝を揺らし、頬を撫でて、風は北へと駆け抜けて行く。どこからか飛ばされた白い花びらが、川面に華やかな彩りを添えていた。

 賑やかな劇場街の中で、ここだけは喧噪も遠のき、穏やかな別の時間を刻んでいた。河原でセキレイが尾を揺らしながら、ぴょんぴょんと跳ねるように歩き回っている。

 リーファはマグを両手で持ったまま、くつろいだ気分でその風景を眺めていた。向こう岸のベンチでは、誰かが昼寝をしているようだ。この陽気ではさぞかし気持ちが良いだろう。

 つられて眠気を催し、リーファは大欠伸をした。と同時に老人がむにゃむにゃ言って身じろぎし、はてな、と不思議がるような風情で顔を上げた。

「おや……寝てしまいましたかのぉ」

「少しの間だけです。良かったら、お茶、どうぞ。まだ温かいですよ」

「や、どうもすみませんな。あんまり気持ちがいいもんで」

 老人はマグを受け取ると、目を細めて川面を見渡した。リーファもその視線を追い、そうですね、とうなずく。

「王都にこんな場所があるなんて、知りませんでした」

 そうしてしばらくそこでのんびりしてから、二人はまた歩きだした。

 今度はリーファも、老人ののろくさい歩みや見当外れの発言に、苛立つことはなかった。老人が指さし、あるいは立ち止まるのは、洒落た構えの店や、誰かが壁に殴り書きした詩の一節、古い大道具を利用したと思しき看板など、劇場街に独特の味わいをもつものばかり。そうと気付くと、まるで一緒に観光でもしているようで、焦るのが馬鹿らしくなったのだ。

 ようやく目当ての家に辿り着いたのは、太陽が西に傾いて、家々を蜂蜜色の光にとっぷりと浸らせる頃だった。

「おお、ここじゃ、ここですじゃよ!」

 老人が顔を輝かせ、一軒の下宿屋を見上げる。古ぼけた漆喰塗りの壁も、そこを這う蔦も、周囲の似たような建物に埋没してしまいそうな、こぢんまりとした家だ。誰かが竪琴を練習しているのが、辛うじて特徴と言えば特徴か。

 老人は感に堪えず声を震わせ、それきり無言で立ち尽くした。深い思い入れのある場所らしい。リーファはほっと一息つくと、物思いを邪魔せず、数歩離れてその様子を見守っていた。

 長い沈黙の後、老人は深く静かな息を吐き出し、晴れ晴れとした表情で振り向いた。

「本当に見付かるとは、思うておりませなんだ。ありがとうございます」

「え……? でも、誰かを訪ねて来られたのでは?」

 リーファは小首を傾げ、目をしばたたかせた。老人は「さよう」とうなずき、また建物に目を転じる。

「ここは、ずっと昔にわしと友人が住んでおった下宿屋でしてな。わしらがまだ、田舎から出てきたばかりの無名の貧乏青年だった頃ですじゃ。その後、わしは何とか舞台で身を立てたものの、友人の方はそうはならず……しまいに病気になって、田舎に帰ってしもうたんですわ。それきり長らく、会えませんでしてな」

 同じ夢を抱いて来て、片方だけがそれを諦めざるを得なくなったのだ。たとえそれが友人でも、否、友人だからこそ、どうして気楽に会うことができようか。

「わしも、もう長らく彼のことは忘れておりました。この界隈に近付くこともなくなって……ですが先日、彼が亡くなったと知らせが届きましてな。それで無性に、彼に会いとうなったんですわ。今さらですがね」

「……そうだったんですか」

 リーファは何とも答えられず、曖昧につぶやいた。ご愁傷様です、と言うのもなんだかそぐわない気がして。

 老人は振り向くと、気まずそうなリーファを安心させるように、にこりとした。

「お嬢さんには、すっかりお世話になりましたなぁ。結局一日中、年寄りの昔話に付き合わせてしもうて。ほかに用事もおありでしょうに、まったく申し訳ないことをしました」

「いえ、いいんです。おかげさまで、色々と良いものを見せて頂きました」

「ほう、そう言って貰えると、わしも気が楽ですわい」

 老人は目を細め、満足げにうなずいた。そして、不意に何かを思い出したように、ぽんと手を打った。

「そうそう、お礼をしなければなりませんな」

 言いながらもうごそごそと、鞄の中を漁りはじめる。慌ててリーファは断った。

「お礼なんて、気にしないで下さい」

 これも仕事ですから、と言いかけ、まだ自分は正規の隊員ではないのだと思い出して言葉をひっこめる。しかし老人は気にも留めず、いやいや、と片手を振った。

「渡しておかんと、わしの気が済みませんでな。ええと、あれはどこへやったかな……ああ、あったあった。これじゃ、これ」

 ほら、と老人が出してきたのは、一枚の紙切れだった。リーファはあんぐり口を開け、ぽかんとその場に立ち尽くす。老人は悪戯っぽくにやにやし、紙片をひらひらさせた。曲がっていた腰がしゃんと伸び、しょぼついていた目がすっきりと冴えた光を宿す。

「要らんとは言わんだろうね?」

 そう訊いた声は、いきなり十歳ほど若返ったように聞こえた。

「もちろんです」

 慌ててリーファは手を出し、合格証を受け取った。ためつすがめつ眺めてみたが、間違いなく本物だ。

 と、ちょうどその時、下宿屋の窓からひょこっと一人の青年が顔を出した。

「声がすると思ったら、やっぱり座長だ! お疲れさまです、例の試験とやらは終わったんですね?」

「座長?」

 リーファはしかめっ面を作り、老人を軽く睨む。彼はごほんと咳払いをすると、青年に向かって言った。

「そうじゃなかったらどうするつもりだ、このボンクラめ!」

 言葉は悪いが、温かい声音だった。青年はおどけて首を竦め、そそくさと頭を引っ込める。老人は鼻を鳴らし、改めてリーファに手を差し出した。

「お疲れさま。劇場街の試験はこれで終了だよ」

「ありがとうございました」

 リーファが手を握ると、老人はおどけて片眉を上げた。

「わしの演技も、まだ捨てたもんではないでしょうな?」

 堪え切れずリーファは笑いだし、ええ、とうなずいた。

「すっかり騙されましたよ。でも、お友達の話は本当ですね」

「さて、どうかな」

 老人はとぼけて応じ、それじゃ、と軽く手を振ると、杖をひょいと肩に担いですたすた歩きだした。リーファはそれを見送ってから、参った、と苦笑する。

「元気なじーさんだなぁ……」

 ともあれ、これで四枚目。半分は達成したわけだ。

「よし、残りもぱぱっと片付けちまうか!」

 気分を切り替え、疲れた足を励まして帰路につく。通りを歩いていると、朝すれ違ったのとは別の旅芸人一座と出くわした。こちらは既に一日の仕事を終えたのか、悄然として活気がない。去って行くのは市門の方向。町中では高くて宿がとれないため、野宿するのだろうか。

 それを見送っていたリーファは、視界の端に見覚えのある姿を捉えてハッとなった。

 大通りを挟んで向こう側。今しも細い路地の向こうに消えようとしているのは、試験が始まってから二回、リーファと鉢合わせしたあの男だったのだ。

「ちょっと待てよ!」

 反射的にリーファは声を上げ、追いかける。男は一瞬ぎくりとしたかと見るや否や、振り返りもせずに猛然と逃げ出した。

 リーファも精一杯走ったが、男がいた場所に着いた時には、既に影も形もなかった。入り組んだ路地のどこへ逃げて行ったのか、見当もつかない。

 肩で息をしながら、その場に立って周囲を見回す。

「三度目の正直、か。でもそれにしちゃ、何か妙だな」

 つぶやいてみたものの、それに対する応えはなく、黄昏を迎えて慌ただしく夕餉の支度をする物音だけが微かに路地を流れていった。



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