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王都警備隊  作者: 風羽洸海
本編
1/36

一章 不合格だ 【地図あり】

  一章



 ああ、森だ。

 そう直感した。

 人の歴史よりも古くから存在する、堂々たる巨樹に囲まれた緑の聖域。その静謐が、心に沁みとおる。

 樹々の息吹が聞こえたように思った、直後、幻想が揺らいだ。

 我に返って目をしばたたいたリーファの前に、一人の旅人が立っていた。砂まじりの乾いた風が、汚れた外套の裾を巻き上げて走り去る。

 旅人が手を差し出した。

「来るか?」

 問いかけた声は、深く広い森の響きがした。リーファは答えず、改めて相手を見つめる。不思議な力を湛えた緑の双眸が再び心をとらえた。

 彼が誰だかは知らない。

 問いかけの意味も、差し出された手の意図も。

 ――だが、彼女はその手を取り、立ち上がった。




 二年後、春。

 王都シエナを望む城の中庭で、リーファは一人の男を相手に剣を振るっていた。

 ガツッ、ギィン!

 鋼の噛み合う音が、館の石壁に跳ね返り、青空に吸い込まれていく。

「っと……!」

 反射的に体を捻って鋭い突きをかわすと、三つ編みにした焦茶色の髪が背中で跳ねた。見物人が、わっと声を上げる。

(野郎、今のが当たったら洒落になんねえぞ)

 殺す気か、と彼女は怒りを込めて敵を睨んだ。

 対戦相手はディナル=イーラ、王都警備隊の隊長である。ちなみに義理の叔父でもあるが、だからと言って仲が良いとは限らない。

 顎から汗が滴り落ちる。リーファは息を整えながら間合いを取り、隙を窺った。

 悔しいかな、既に勝敗の行方は見えていた。

 リーファは十八歳の女としては、身長こそ標準より高めだが、体格は昔と同じく痩せている。対するディナルは、彼女が心中密かに熊オヤジと呼ぶほどの体躯。まともに打ち合えば、こちらが消耗するだけだ。

(やっぱり、速さしか勝ち目がない)

 ヒュッ、と一瞬、息を吸い込む。

 刹那、ディナルの余裕が失せるほどの素早さでリーファが斬りかかった。

 が、疲労の限界に達していた彼女は思うように動けず、あえなく反撃をくらってよろけ、すてんと尻餅をついた。その眼前に、剣の切っ先が突き付けられる。

「不合格だ」

 ディナルが傲然と言い放ち、座り込んだままのリーファは、ぎりっと歯がみした。手のひらで地面を叩き、吐き捨てるように唸る。

「きったねぇ……! 畜生、こんなの不公平だ!」

「なんとでも言え。小娘に警備隊員は務まらん事が、よく分かったろう」

 フンとディナルは鼻を鳴らし、練習用の剣を無造作に置き場へ戻した。

 リーファは屈辱に唇を噛み、言うことをきかない足を立たせようと叱咤する。と、勝負を見物していた野次馬の中から、一人の青年が進み出てリーファに手を差し出した。

 この地方には稀な漆黒の髪と、鮮やかな夏草色の瞳。目に付く特徴だけでも充分だが、それに加えて身に帯びた強い存在感が際立っている。

 青年はリーファを立たせ、ディナルに向き直って言った。

「確かに、体力ではリーに勝ち目はないな。しかしディナル、最後の一撃はおまえも怯んだろう」

 低く深みのある声に、面白そうな気配が隠れている。ディナルは渋い顔をした。

「ご自分が拾ってきたもんだから、贔屓をしたいと思われるのは分かりますがね、陛下。警備隊は子供のごっこ遊びじゃないんですよ。それこそ体力勝負な仕事です」

「そうとばかりも言えんのじゃないか?」

 穏やかながらはっきりと言い返され、ディナルのこめかみがぴくりと引きつった。愛想笑いを浮かべたまま、彼は険悪な声で応じる。

「いいえ、何はなくとも体力が第一です。そいつみたいな痩せっぽちの女に、街の安全を守れるわけがありません。国王陛下のお膝下で、悪党をのさばらせるわけには参りませんからな」

 彼の言う通り、実際に警備隊の仕事の大半は、酔っ払いの保護や喧嘩の仲裁、スリや置き引きの現行犯逮捕などで、腕力がなければ務まらない。また、足を使う地道な調査には体力も必要だ。

「そうでなくとも最近は、警備隊を侮る輩が増えておるのです。小娘などに制服を与えたらどうなることか! では失礼、私は仕事に戻らねばなりませんので」

 言うだけ言って、彼はまさしく熊のようにのしのしと門の方へ去って行く。その後ろ姿に向かって、リーファはいーっと歯を剥いた。

「くたばれ、クソジジイ」

 聞こえないように罵ってから、体勢を変えようとして膝が抜け、おっと、とよろける。それを支えてくれた国王陛下に、リーファは面目無さそうに礼を言った。

「悪ィなシンハ。せっかく場所、貸してくれたのに」

「気にするな」

 国王シンハ=レーダは苦笑して、彼女の背中をぽんと軽く叩く。

「疲れたろう。茶を淹れるか」

「うー……その前に水を浴びてくるよ」

 片手を挙げて言うと、リーファは館の裏手へ足を向けた。見物人たちが口々に、残念だったなとか、惜しかったのにとか、勝手な感想を投げてくる。今のリーファには、それが小石のように煩わしく痛かった。


 汗と憤懣を一緒に洗い流し、新しい麻のチュニックに着替えたリーファは、少しさっぱりした気分で国王の私室を訪れた。

 面倒な拝謁願いだの、取り次ぎだのは無用だ。

 元々この国では伝統的に王族が庶民的で、国民の方も他国民が唖然とするほど、王族に対して遠慮がない。それに加えて彼女の場合、かつて盗人だったのをシンハに拾われた、という事情もあって、お互い完全に身内感覚になっている。

 もちろん、素性の怪しい小娘を連れ帰った若い国王に、渋い顔をした者は大勢いた。だがこの王の型破りはその程度に留まらないため、ほどなく諦めと共に容認されたのだ。

 そんなわけで。

 室内ではシンハが紅茶を用意して待っていた。本日のお茶菓子は国王陛下お手製、苺のタルト。今春初の苺菓子である。

 甘酸っぱい香りをかいで、リーファは思わず苦笑した。

「まぁた仕事さぼってお菓子作りかよ。年中何かしら季節ものの茶菓子が食えるのは、オレとしちゃ嬉しいけどさ」

「誰がさぼり魔だ、人聞きの悪い」

 そんなことを言う奴には分け前をやらんぞ、などとシンハが拗ねる。しかし彼が頻繁に厨房に立つのは、自分が美食家だからというのでは決してなく、人の喜ぶ顔が見たいからだ。よってリーファが食べ損ねる心配をする必要もなかった。

「いい歳の野郎が拗ねたって可愛くねーぞ」

 笑いながら軽くいなして、席につく。三十路の足音が聞こえるシンハは何とも言い返せず、憮然としながら茶を注いだ。

 いつもならそのまま、いただきまーす、と遠慮なく食いつくリーファなのだが、今日は紅茶とタルトを前にしたまま、ふとうつむいてしまう。

 シンハは何も言わず、向かいに座って自分の紅茶を飲んだ。下手に慰めたり励ましたりはしないが、一人にしておこうと放置するでもない。リーファはその心遣いを嬉しく思うと同時に、ますます己が情けなくなった。

「……なんか、いつまでも世話になりっぱなしで、本当にごめん」

「俺はたいして世話をしてないさ」

 さらりと受け流されてリーファは苦笑した。目をやると、いつもと変わらぬ夏草色の瞳が穏やかなまなざしを返してくる。それを受け止められず、彼女はまたうつむいた。

(最初は平気だったのになぁ)

 脳裏に、出会った日の光景がよみがえった。

 今いるこの国とリーファの生まれ故郷との、ちょうど中間にある街でのことだ。

 元々盗人一族に生まれ育った彼女は、他に生計の道を知らず、やはりそこでも他人の懐から失敬して己の口を養っていた。しばらく不漁が続いて道端に座り込んでいた時、たまたま通りがかったシンハと目が合ったのだ。

 ああ、森だ、と直感した。

(あの時はただ、きれいな……不思議な目だと思っただけだった)

 じっと目をそらさなかったリーファに、彼は援助の手を差し伸べた。俺の目をまともに見返せる奴は少ないからな、と、それだけの理由で。

 聞いた時には呆れたものだが、じきに納得した。

 人並み外れて強く太陽神の加護を受けているという彼は、周囲を圧する存在感をもっている。その緑の双眸に直視された人間は、ほとんどが顔を伏せてしまうのだ。

 普段は平気なリーファでも、時には己に対する失望のゆえに耐えられなくなる。ちょうど今のように。知らずため息がこぼれた。

「おまえには貰ってばっかりだ。衣食住も、家族も、……まともな暮らしって奴も」

 王立図書館司書の養女にしてくれた。この国の言葉を養父から学び、多くの本を読めるように。そして盗むばかりでなく、人の役に立つ喜びを教えてくれた。いちいち感謝の言葉を口にしたりはしないが、恩の深さを感じてはいる。

「だから、いい加減にちゃんとした職について、ちょっとは恩返しをしようと思ったのにな。慣れない事するもんじゃねえや」

 リーファはわざと冗談めかして言い、無理に苦笑した。シンハは片眉を上げて、おどけた表情を見せる。

「おまえが殊勝だと気味が悪いな。いつもの図々しさはどうした?」

「なんだよ。人が真面目に話してるのに」

 リーファはムッとしたものの、手ぶりで促されてタルトにフォークを突き刺した。一口食べると爽やかな香りと甘味が広がり、すっと肩から力が抜けて行く。無意識に寄っていた眉間の皺をすっかり消してしまうほどの、優しい安堵。

 思わず食べる方に夢中になっていると、独り言のようにシンハがつぶやいた。

「急がなくていい」

「んぁ?」

 リーファはフォークをくわえたまま顔を上げる。シンハは横を向いて、窓の外を眺めていた。少なくとも姿勢だけは。

「俺はおまえに何かを恵んでやったわけじゃない。自分がしたいようにしただけだ。だからおまえも、望むことをすればいい」

 そこまで言うと、彼は照れ隠しのように小さく咳払いして、こちらに向き直った。

「で、おまえの望みが――義理立てじゃなく、自分の希望として王都警備隊に入りたいと言うのなら、俺も出来る範囲で協力するさ」

「七光は要らねえよ」

 馬鹿、とリーファはぼやいて紅茶を飲む。

「そうでなくても既にオレは、一生かかっても返せないぐらいの借金を抱えてんだぞ。この上さらに負債を増やすんじゃねえや」

「借金? 誰も返せとは……」

「馬鹿野郎、オレの面倒みるのだって税金から賄われてんだろが。贅沢はしちゃいないけど、食費に衣装代、勉強するのに使った羊皮紙やら何やら、いったい総計いくらになるかなんて、あああ考え出すと頭痛が」

 思わず頭を抱えたリーファに、シンハは堪えきれず失笑した。

「律義だな」

「元盗人は金勘定に細かいんだよ。まぁ、それはともかく……まずは体力をつけて、ディナルのおっさんを納得させねえと。でもやっぱり無理かなぁ」

 あー、とため息。金髪熊オヤジを思い出すと、途端に気分が滅入る。

「おっさん、何がなんでもオレを警備隊に入れたくないみたいだしさ。嫌われてっから」

「柄が悪くて生意気で可愛げがないからな」

 にやにやしながらシンハが言い、リーファは口をへの字に曲げた。

「へえへえ、どうせオレは可愛くありませんよ。国王陛下にぞんざいな口をきくわ、毎日のように食い物をたかるわ、手癖は悪いわ」

「しかもそのくせ頭がいい」

「見た目も冴えな……は? 何だって?」

 自虐的にぼやいていたリーファは、数拍遅れてシンハの台詞に反応した。からかわれたのかと思ったが、案に相違して彼は真面目だった。

「たった二年でほぼ完全に――上品か下品かはともかく――エファーン語をものにして、図書館の蔵書を半分以上読破した。機転が利いて、物事を理解するのも、それに対処するのも早い。だからディナルは余計に気に食わないんだろう」

「……おまえ、なんか悪い物でも食ったか?」

 気色悪い、とばかりにリーファは顔を歪めた。おいおい、とシンハが苦笑する。

「せっかく人が褒めてやってるのに、なんだそれは。いや、俺は事実を言ってるんだぞ。俺の知っている限りで言えば、おまえは平均的な司法学院卒の警備隊員よりよほど頭が切れる。この国の慣例や常識にとらわれず独特の発想をするしな。そういう面で、おまえは役に立つと思うんだが」

 彼はそこで言葉を切り、しょうがない、と言うように肩を竦めた。ああなるほど、とリーファも察して納得する。

「おっさんにしてみれば、今まで自分達が築き上げてきたやり方ってのが、素人の思いつきと小手先だけで引っ掻き回されることになりそうで、嫌なんだな」

「そういうことだ。そら、飲み込みが早い」

「そこまで言われりゃ分かるよ。あーあ、参ったなぁ」

 うんと伸びをして、背もたれに身を預ける。シンハは少し考えている風情だったが、ややあって自分の中で結論を出したらしく、ひとり小さくうなずいた。

「まぁ、ゆっくり納得させるしかないだろうな。折を見て説得するように、他の警備隊員にも話をしておこう。おまえは気にせず好きな事をしてろよ」

「言われなくてもそうするさ。おまえの方は、あんまり好き勝手すんじゃねえぞ。腐っても国王様なんだからな」

 なんとなく嫌な予感がしてそう釘を刺したが、言われた当人は分かっているのかいないのか、おざなりな了解の返事を寄越しただけだった。


 案の定、後日のこと。

 国王の私室へ呼ばれたリーファは、何やら企み顔のシンハと不機嫌なディナルの二人に迎えられ、うえ、と顔を歪めた。次いで、室内にある別の物に気が付く。

 椅子の背にかけられた臙脂色のダブレット――警備隊の制服だ。

「シンハ、おまえなぁ!」

 喜ぶどころか怒声を上げ、リーファはシンハの襟首を締め上げた。

「好き勝手すんなって言っただろ!? 職権濫用してこんな……」

 が、シンハは慌てもせずに彼女の手をはがし、短く一言告げた。

「追試だ」

「……は?」

 リーファはぽかんとなり、どういう事かとディナルを振り向く。赤ら顔の隊長はその顔をさらに赤くして、いまいましげに唸った。

「別種の試験を課すことになった。体力ではどうしたって、小娘では話にならんのだからな。その他の面とやらでおまえが役に立つかどうか、見せてもらう」

「別種の試験、って」

 リーファは面食らって、きょときょと二人を見比べる。シンハは一瞬にやりとし、それから真面目な顔つきになって言った。

「これからおまえには、この制服を着て王都の巡回に出てもらう。街には試験官がいて、おまえが来るのを待っているが、誰が試験官かは秘密だ。おまえが警備隊員にふさわしいと判断したら、試験官がこういう……」

 と、彼は一枚の紙切れを取り出した。何か文字か模様らしきもの書いてあるが、途中で切られているので判別できない。

「紙を渡してくれる。その街区での合格証だ。そうして順番に七番隊まで、すべての街区で合格証を手に入れられたら、おまえは晴れて警備隊に入隊できるというわけだ」

「……はァ」

「ちなみに市壁の外を回る八番隊については、今回は除外する。制限時間は一街区につき三日まで」

「んな!? 制限時間、って……誰が試験官かも分からないのにかよ!」

 抗議しようとしたリーファに、ディナルが意地の悪い愉悦に満ちた激励をくれた。

「まぁせいぜい頑張って探すことだな。無理なら降参しても構わんぞ」

「うるさい! 上等だ、受けて立ってやらぁ」

 いきり立つリーファに、シンハはやれやれと天を仰いだ。

「じゃあ、急いで着替えて来い。試験は今日からだ」

「それを早く言え、この鈍牛!」

 即座にリーファは制服をひっつかみ、部屋から飛び出して行く。誰が牛だ、というシンハの文句は、彼女の踵にさえ届かなかった。



※大陸地図

挿絵(By みてみん)

“ダキュオンの柱”“竜の背骨”は同じ山脈の東西それぞれ側からの呼び名。

リーファの故郷はカリーアの東端近くで、シンハと出会ったのは乾燥地帯にあるオアシス都市。


※シエナ略地図

挿絵(By みてみん)

“本部”の犬マークは警備隊本部。通りは南北の大通りはほぼ直線ですが、それ以外の通りはどれも微妙に曲がっています。


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