約束の桜
わたしとおっさんは京都に向かった。新幹線の中でお弁当を三個も食べたのは朝ごはんを食べ損なったからである。けっしてわたしが大食らいなわけではない。
平日だというのにこのこみようである。わたしの生まれ育った街とは別の国に来たようだ。
そこからバスに乗り換える。今は桜の季節なので、さぞかし満開の桜がわたしたちを出迎えてくれるのだろう。バスが止まると、わたしはバスのステップを飛び降りた。
勝手に行くな、おっさんの声もどこかうれしそうである。それはそうだ。だって長年待ち望んでいた約束を果たすことができるのだから。
南禅寺。ここだ。わたしは走り出す。
桜がきれいだ。こんなにもきれいな桜たちをわたしは見たことがない。空気も澄んでいる気がする。さらに速度をあげる。わたしは走る、約束の桜の木へと。
写真から見るにこのへんのはずだ。わたしはまわりを見渡す。しかしそうのようなものはなかった。もう少し向こうなのかもしれない。
そんなことを考えながら、ふと足元を見た。
「そんな・・・」
これをおっさんには見せてはいけない。そう思った。わたしは来た道をひきかえそうと振り返るとそこにはもう彼がいた。
風が吹く。桜の花びらが宙に舞う。こんなにもたくさんの桜。桜。桜。しかし約束の桜はなかった。
おっさんは呆然とその場に立ち尽くしていたけれど、しばらくして口を開いた。
「きっと彼女は僕が自分以外の誰かとここに来るのが嫌だったんだろうね」
そんなことない、ということは簡単だ。しかしミユキちゃんの気持ちはわからない。わたしはミユキちゃんではない。ただ外見が似ているだけだ。気持ちなんてわかるわけがない。
もう花を咲かすことのない約束の木。約束を果たすことのできない桜の木。いやミユキちゃんがいなくなった時点で約束は果たせないのか。
わたしは顔を伏せた。いまの顔をおっさんには見られたくない。こんなひどい顔見せられない。
わたしは泣きながら、笑みをこぼしていた。わたしはひどい女だ。おっさんがこんなに悲しんでいるのに。
わたしは安堵していた。どうしようもないくらいに安堵していた。約束を果たせなかったことに安堵している自分がいた。そうか嫉妬していたのか。死んでもなお、おっさんの心に居続けるミユキちゃんに。
ミユキちゃんなんていなくなってしまえばいい。
ミユキちゃんがいなくなれば彼はわたしをみてくれる。
ミユキちゃんがいなければ彼はわたしをみてくれない。
矛盾。ミユキちゃんがいなければわたしたちが出会うことはなかった。
いま、彼はなにを考えているのだろう。なにを思っているのだろう。
幸せではないだろう。ならば不幸なのだろうか。
いま、わたしはなにを考えているのだろう。なにを思っているのだろう。
不幸だとは思わない。ならば幸せなのだろうか。
不幸じゃないから幸福だなんて、そんな二者択一的な幸福論わたしは知らない。知りたくもない。一方が選択できなくなって、もう一方を選択せざるをえないような、そんな二者択一間違っている。ミユキちゃんは一般解でわたしは特殊解だった。いや特異解か。どっちがどっちだか忘れてしまった。どちらにしても選択せざるをえなかったゴミ解がわたしだった。
わたしでは代わりになることができなかった。単純なことだった。ミユキちゃんが死んで物語は終わり。どんな登場人物もミユキちゃんの代わりにはなりえない。
ミユキちゃんがいないから、代わりにわたし。そんな代替案間違っていた。そんな誰かが誰かの代わりになるなんて間違っていた。
わたしはなんでここにきたのだろう。
ミユキちゃんの免罪符? 違う。わたしはこの人の力になりたかった。この人の生きる希望になりたかった。
「来年も来よう」
「え?」
「再来年もその次の年も。桜が咲く季節に何度でもここに来よう」
それはミユキちゃんの気持ちをなにも考えていないことばだった。
「わたしと約束しよう」
そこに約束の木はない。ありもしない桜の木の下で約束をかわすなんてバカな話だ。
おっさんはわたしを見て微笑んだ。
「ああ、約束だ」
この約束にはどれほどの意味があるのだろう。守れないことがわかっていても約束をするのはどんな気持ちなのだろう。かつて同じ約束を交わした彼らの気持ちが少しだけわかった気がした。




