少年と少女
ぼくが病室に入ると彼女は窓の方を見ていた。それは窓の向こう側の景色を見ていたのか、窓ガラスを見ていたのかはぼくの位置からではわからない。来客用の椅子をひろげて腰をおろし、読みかけの文庫本を取り出した。紙のこすれる音だけが聞こえる。閉塞された空間。なにもない部屋。ぼくら以外は誰もいない部屋。
「夢をみたの」
唐突に彼女が言った。脈略がないのは彼女の特徴でもある。
「満開の桜。青い空をおおってしまうほどの、目をおおってしまいたくなるくらいの満開の桜。あなたと二人で桜の木の下にいる夢」
「それはきっと正夢だよ。きみは病気が治ってぼくと桜を見に行くんだ」
「でもそこにわたしはいなかったの」
「・・・・・・」
相変わらず意味不明なことを言う。
「そこにいたのはわたしではない。わたしではない誰か。わたしの知らない誰か。誰も知らないわたし」
「それはなにかの比喩表現かい?」
「人間って平等じゃないのよね」
突然話題は変わる。いつものこと。
「きみはみんな平等であればいいと思っているの?」
「みんながそれを望んでいるわ」
そのみんなにはきみも含まれているのだろうか。
「ひとつだけみんなが平等になれる方法があるよ」
そのときはじめて彼女はぼくの方を向いた。ぼくは彼女から目線をはずす。
「みんな殺せばいいのさ。死はみんなに平等だろ?」
「そんなの・・・」
どうやら彼女の期待に添った解答はできなかったらしい。かまわずぼくは続ける。
「どんな数字だって零をかければ等号で結ぶことができる」
「あなたはみんな死んじゃえばいいと思っているの?」
「そんなことはないよ、ぼくはみんな平等であるべきだとは考えていないからね」
平等は存在しない。それは存在できなかったのではなく存在する必要がなかったからなのだ。
「たとえば幸せって言葉があるだろ?あれは相対的なものであって絶対的なものではない」
不幸が存在するから、幸福は存在する。
表があるから裏がある。裏があれば必ず表がある。
不幸な他者が存在するから、幸福を知覚することができる。
幸福に自己完結は存在しない。
平等な世界に幸福はありえない。
「いま、あなたは幸せ?」
彼女は問う。
ぼくは答える。
「ああ、幸せさ」
こんなにも不幸な人間が目の前にいるのだから。
こんなにも他者の不幸を喜ぶ者がいるのだから。
「じゃあ、なんでそんなにも悲しい顔をしているの?」
彼女は問う。
ぼくは答える。
「それは・・・・・・」
彼女はぼくの言葉をさえぎった。そして悲しい顔で笑ってみせた。
その二週間後、彼女は死んだ。