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牛乳パックの夏

作者: 七瀬みる



 七月の初めだった。五限目の学級会の時間だった。みんなで本を読もう、借りようという話になって、クラス全員で図書室へ行くことになった。

 読書週間とか、そんな、おおげさな話ではなかった(そういうのは秋だ)。ナントカ活動だかカントカ活動だかいう学級会のお題目のひとつだった。

 タツオたちのクラスにも本好きの子は何人かはいる。

 が、その他のほとんどは、まあ、「お察し」というところ。

 おしゃべりしたり走りまわったり……といっても、さすがに度が過ぎると担任に注意されたので、うるさかったのは、せいぜい最初の十分くらいだったろうか。

 そのあとは、たいていの男子も女子も、それなりに本を見ているふりなどして、時間をつぶすようにはなっていった。

 もっとも、手にしている本といえば、学習まんがだったり、男子なら昆虫とか電車とか妖怪とかの図鑑・百科のたぐいだったり、女子ならおしゃれコーデとかお悩み相談とかといった特集本のたぐいだったりもしたのだが……そのくらいは担任だって想定内。特にうるさくはいわなかった。

「なんだい、こりゃあ」

 きゅうにケラケラわらいだしたケンタが、絨毯張りの床にねっころがってみていたのも、『みんなでつくろう たのしい工作百科』かなにかいう、「読む」というより「使う」本だった。

 タツオの視線に気づくと、ケンタはその本の終盤のページをこちらにむけて開いて見せた。

「みろよ、これ。牛乳パック101個だってさ」

「なに、そのイッコって?」

「知らねーよ」

「犬でも行進させるのかねぇ」

 軽口をたたきながら、本を受け取って、パラパラと覗いてみた。

 なるほど『百科』というだけあってぶ厚いページの大半には、図工の授業で作るような、いろいろな工作が各種分類され列挙されている。

 ふつうにまじめな本なのだが……

 どうしたわけか、最後の数ページにだけは、著者たちの悪ノリのような、むちゃなネタみたいな工作がいくつか載っているのだった。

 そのうちのひとつが、1リットルの牛乳パック101個をはりあわせてつくる、一人乗りの――実際に人が乗れるサイズの――カヌーだった。

 たんに100ではなくてわざわざ101というハンパな数字からしてふるっているが、ほかにも――たとえば「安全のためにライフジャケットを着ておこう」なんて書いてあるすぐ横に、完成したカヌーに乗った海パン一枚の子どものイラストが配してあったりして……ツッコミ待ちというか、渾身のギャグというか、まじめな体裁の本だけに、なおいっそうシュールだった。

「100個なんてどうやって集めるんだよ」

 ケンタが笑った。

「週に2本飲んだとしても月に8本9本。ひとりなら一年がかりだね」タツオはかるく計算してみた。「週3本なら月12本、13本……それでも七、八カ月か」

「ないな」

「ないよな」

 むろん、多人数で協力すれば、もう少し早く集まるだろうが、それでできあがるのが、一人乗り?

 とり合いになる……だけならまだしも、どうせ何人かのお調子者が占有してはしゃいだあげくに、あっというまに壊してしまうのがいいところだろう。順番なんかまともにまわってくるわけがない。

「十人いれば一カ月くらいで……」

「何人目で壊れるかな」

「自治体の回収に出してあるのを……」

「洗って切って広げてあるやつ?」

「ご近所に協力を……」

「おおげさだなあ」

 考えれば考えるほど、無理だった。

 それにだいいち、場所がない。

『百科』には「野山や海」だの「湖や川」だの、ざっくりテキトーなロケーションがあげてあるが、よほどの田舎ならともかく、郊外とはいえそこそこ規模の地方都市。それこそクルマでもつかわなければ、牛乳パックのカヌーなんて大荷物は、水場に持っていくことさえできそうもない。

 むろん、行ったところで、立ち入り禁止に遊泳禁止。許可制だの、入場料だのいう場所も、探せばあるかもしれないが、どっちにしたって、大人の協力が不可欠だ。

 わずらわしいことこのうえもないが、そのわずらわしい手続きをすっ飛ばして、子どもだけで強行すれば、行き着くところは「通報」だろう。初版が昭和の『百科』とは、時代が違うのだ。

 どうしてもというのなら、比較的現実的なのは、担任に話して、それこそ「ナントカ活動」の一環として作らせてもらうことだろうか。クラス総出なら101個あつめるのも簡単だし、場所だって学校のプールでもつかえばいいことになる。

 実際、『百科』だって、図工の授業とか、林間学校とか、そうしたシチュエーションを想定して、こんな工作を掲載したのかもしれない。

 ただし、その場合、それだけの人数を動員して、できあがるのは一人乗り、と、やっぱり話はそこに戻るわけだけれども……。

「ボーイスカウトでも入るかね。山だか川だか湖だかしらないけど、つれてってくれるだろ」

「それなら牛乳パックも何もあるかよ。ほんとのカヌーに乗れるんじゃないのか」

「そのときだけ、な」

 大人の手を借りれば、それは、豪勢なレジャーでも、本格的なアクティビティでも、何だってできるだろう。

 けれど、そんなのは、そのときその場かぎりのオモテナシ。後日につながるわけではない。遊園地のアトラクションと、路地裏の鬼ごっこを、同列に語られても、困るのだ。

 そういうのじゃないんだよなぁ、と、二人は顔を見合わせて嘆息した。

 子どものあそび。

 子どもたちだけのあそび。

 たったそれだけのことが、どうしてこんなに難しいのだろう。

「しょせん、おとなのアサヂエだよな」

 とうとう、ケンタが本をほうりだして、床につっぷした。

 その本を拾いあげたのが、クラス委員の、ミキだった。

 床に寝るなだの、本をなげるなだの、まーたうるさい女子のお小言か、と、思いきや、ミキがいったのは、思いがけないひと言だった。

「場所なら、あるじゃない」

 バカね、と、鼻で笑ったのはよけいだったけれど。



 いまではすっかり宅地化されてしまったけれど、二、三十年も前までは、このあたりにも見わたすかぎりの田んぼや畑が広がっていたという。

 その名残は、いまも、すこしは残っている。

 わずかな田畑をほそぼそうけつぐ兼業農家、収穫体験メインの観光農園、趣味の菜園用の区割りの貸し出し……などなど。

 問題はその水源だ。地下水なのか、川の水でもひいているのか、くわしいことはわからない。けれど、むかし、農地が広大だったころには、あちこちにため池などもつくられていたという。

 そのうちのひとつなのかどうなのか。ミキの家の裏手に、ほんの数メートル四方の小さなものだが、そんな池がひとつだけ、今も残されている、というのだった。

「委員長の家って、あの住宅地?」

「そ、北側の川沿い」

 その小さな川が――川というより水路といったほうがしっくりくるくらいの、ささやかなコンクリの溝だけれど――住宅地と、なごりの農地の、境界線になっている。

 その境界線のすぐそばに、その池はあるのだという。

 いちおうは柵でかこわれ、入口の木戸はいつも閉まっているが、高さは子どもの胸くらいまでしかない。その気になれば簡単にのりこえられる。

「だからって勝手に入ったら、めんどうなことになるだけだろ」

「許可をとればいいじゃない。私有地なんだから、地主さんのオッケーひとつでしょ」

 ミキは何でもないことのようにいってのけた。

 タツオとケンタは顔を見合わせた。

「できるのかい、そんなこと?」

 タツオがきいた。

 ミキはにやりと笑った。

 その地主さんには、ミキの両親が、趣味の菜園を借りている。ミキも何度も会ったことがある。

「あとは話の持っていき方ひとつじゃない?」

 つまるところ、そのときがきたら、その交渉はミキがひきうける。そのかわり、カヌー作りの仲間に入れろというのだった。

 タツオとケンタにしてみれば、わたりに舟というところだった。

 しかし、そこは小学生男子。女子を仲間に入れるとなると、理由のないためらいもついてまわった。気恥ずかしさもある。他の男子の手前もある。ツマラナイ話だとわかってはいるのだけれど。

「女子はなあ」

 ケンタがもったいをつけた。

 いきおい、とりなし役は、タツオにまわってきた。

「まあ、委員長なら、いいんじゃないの」

 ツンケンした性格だが、気ぐらいが高い分、小ズルいことは大きらい。サボったりはしないだろう。口だってかたそうだ。むしろタツオとケンタのほうがきゅうくつな思いをするくらいかもしれない。

「……それこそ、授業みたいにならないか、それ?」

 ケンタが、あながちポーズとも思えない表情で、煙たがってみせた。

 タツオは肩をすくめた。

「だからって、いまさら手遅れだろう」

 ミキひとりをのけ者にして男子だけ集めて……なんてことになったら、どんな仕返しをされることか。

「そうよ、あきらめなさい」

 ミキが腕をくんで、ふふん、と、笑った。

 ちぇーっ、と、ケンタがまた床につっぷした。


 そのつぎの問題は、仲間を何人あつめるかだった。

 人数が増えるほど、材料は集まりやすくなる。が、できあがるカヌーは一人乗りがひとつだけ。あまり多人数をあつめるわけにもいかない。

 ため池なんていう、本来は遊泳禁止だろう場所が、ほんとうにつかえるのなら、担任その他めんどうな大人たちにばれないようにもしなければならない。人選は重要だ。

「それとも、いっそ三人だけで、やれるだけやってみるほうがいいかなあ」

 タツオは指折り数えてみた。

 週に2本なら月に8本だが、がんばって週3本にできれば、月に12本。三人なら36本。三カ月弱で目標に達することにはなる。

 あくまで机上の計算だが、七月の今からはじめれば、九月中には数がそろうわけだ。少し厳しいが、気候のゴキゲンしだいでは、水遊びもまだできないことはないかもしれない。

「気が長すぎるだろう」

 ケンタがあきれた。

「そんな計算どおりいくわけないでしょ」ミキは鼻で笑った。「あんたたち、どうせ途中で――」

「そんなことしねえよ」

 ケンタはくちびるをとがらせた。

「どうだか」

 ミキは腕を組んで二人を見た。

 タツオはかるく嘆息した。

「まあ、正直者がナントカなんて、ありがちではあるけどね」

「だから却下よ」

「じゃあ、どうする?」

「考えなさいよ」

 話はまたループしそうになった。

 ケンタがいらだたしそうに舌打ちをした。

「おまえらはよけいなこと考えすぎなんだよ。こんなもん、わーっと、やっちまえばいいんだ」

 たしかに、こういう場合は、考えなしのケンタのほうがたよりになる。

 いいか、と、ケンタが身を乗り出した。二人は傾聴した。


 放課後、ケンタは五、六人の男子をあつめて、演説をはじめた。

 椅子の上に立ったケンタが、拳をふってしゃべりだすと、集まった男子たちは、それだけで、またなにかバカな――おもしろい――ことをやりはじめたな、と、興味をそそられたようだった。

「しょくん! まえにネットで話題になったネタ画像をおぼえているか。外で遊べ、といわれた子どもが、公園のベンチで携帯ゲームをやっている画像だ。イマドキのガキンチョは、と、大人はさんざんに笑ったよ。だが、なら、どこで何して遊べっていうんだ!」

 演説の中身をかんがえたのは実はタツオだった。

 だが、それをこんなふうに人前でどうどうとぶちあげる度胸は、タツオにはない。

 ウケるかどうかとなれば、なおさらだ。

 タツオが同じことをやっても、だれも見向きもしない。冷笑されるだけだろう。

 だが、ケンタはちがう。

 あっというまに、まわりをひきつけてしまった。

「あれもダメ、これもダメ。あそこへ行くな、ここに入るな。アブナイ。ヤメロ。声がうるさい。あげくのはてが通報だ。そしてまた遊び場がうばわれる。この国の大人はもはや正気ではない。子どもによる、子どものための、子どもの遊びを、子ども自身の手で取り戻さなければならない。危険が何だ! 立ち入り禁止が何だ! しょくん! 子どもかてい庁をフンサイせよ!」

 わーっと、歓声があがった。

 みんながケタケタわらいながらはやしたてている。

 ケンタはすました顔で、「いやいや、どうもどうも」なんて、選挙中の政治家みたいに、ヘイコラしてみせた。

 そしてまた爆笑。

 ひとしきりそんな騒ぎがつづいた。

「で、けっきょく、何がやりたいんだよ」

「そーよ、さっさと話しなさいよ」

 ころあいをみて水を向けたのは、タツオとミキだった。

 うちあわせどおりだ。

 待て待てチミたち、などともったいをつけてから、ケンタはおもむろに、牛乳パックカヌーの計画を話しはじめたのだった。


 ケンタが選んだだけあって、脱落者はいなかった。その場の空気もあっただろうが、全員が参加を表明した。

 ただ、最初に片づけておかなければならなかったのは、やはり、ミキの存在だった。

 いつもの顔ぶれの男子グループのなかに、あたりまえのような顔をしてまじっている、新参者の女子ひとり。しかもまじめキャラで通っているクラス委員。となれば、奇異の目でみられるのも当然だった。

 だが、それも、ケンタのひと言ですぐに解決した。

「いいじゃん。タツオのカノジョだろ?」

 にしし、と、下品にわらって、そういってのけた。

 さっきとは違って、うち合わせなしのアドリブだった。

 タツオもミキもうろたえて、

「ちがう」

「バッカじゃないの」

 などと口々にいったが、だれも耳をかす者はいなかった。

 ギャーっと悲鳴だか歓声だかわからない声があがった。

 走りまわるバカがいた。

 机をたたいて拍子をとるやつもいた。

 どいつもこいつも、ヒューヒュー、だかなんだか、ありきたりの声をあげて、はやしたてた。

「おい、ケンタ!」

 タツオとミキはケンタをにらみつけたが、当のケンタはそしらぬ顔。ヘタクソなウインクだか変顔だかわからないサインをおくってきただけだった。「まあ、そういうことにしとけよ」とでも、いいたいらしい。

 タツオはあきらめて嘆息し、ミキは憤然と腕を組んで、そっぽを向いた。

 だが、さすがというべきか。

 おかげで、ミキの参加に文句をいうやつがいなくなったのは事実だった。

 それからあとはすんなり運んだ。

 まもなく一学期がおわる。

 そしたら夏休みだ。水遊びにはちょうどいい。

「各自牛乳パックをあつめて、終業式のあとに集合!」

 そういうことになった。



 妙なことになってきたな。タツオは思った。

 最初はネタ工作を笑っていただけだった。べつに作る気はなかった。むしろ「作れない」とツッコミを入れていたはずだった。

 なのに、ミキが口をだしてきたことから、いつのまにか、なんとなく、実際に作る流れになってしまった。

 そもそもまじめキャラで通しているミキがこんな話にのってきたこと自体、妙だといえば妙だった。

 まあ、なんとなく、察しはつかないこともない。

 小六といえば思春期の入口だ。男子はあいかわらず幼稚なバカだが、女子はマセたことを考えたりもするのだろう(などとブンセキするタツオ自身、その幼稚な男子なのだから、盛大な見当はずれかもしれないが)。

 まして、小学校最後の夏なのだ。

 気になる男子と思い出つくりのひとつくらい、考えたっておかしくはない。

(ははーん。委員長のやつ、ケンタと……)

 だからなおさら、カノジョ云々のケンタのやり口も、ミキには気に入らなかったのだろう。知らぬはケンタばかりというわけだ。

(それならそれでいいさ)

 べつに邪魔をする気もなければ、よけいな世話を焼くつもりもない。なまあたたかく見守っていればいい。

 なりゆきとはいえ、いっしょにバカさわぎをやることになったのだ。それを楽しめばいいだろう。そう思った。


 ところが、そううまくはいかなかった。

 ミキが青い顔をして、自治会配布のプリントを持ってきたのは、週明けの月曜日だった。

 住宅地のとなりに残されていた耕作地が、ついに開発されるという。

 造成されるのは、市内の高校の、第二グラウンドだ。

 ついては、近隣住民への説明会がひらかれるという。プリントはそのお知らせだった。

 三人は顔を見合わせた。

 ため池も、工事の予定区域に入っている。

 まだ実際に工事ははじまっていないが、それも時間の問題だ。

 牛乳パックをあつめてどうこう、などという時間の余裕は、もう、ないことになる。

「いそげば、まにあわないかな?」

 めずらしくこころぼそそうな声で、ミキがいった。

 タツオとケンタは顔を見合わせた。

 のぞみは薄そうだ。

 まあ、牛乳パックの工作で、実際に人が乗れるサイズのカヌーなんて、はじめから冗談みたいな話ではある。しょうがない、のひと言で、あきらめてもいいのだが……

 ミキはしんけんな表情で唇をかんでいる。その顔をみると、あまりカンタンにさじを投げるのも、悪い気がした。

 が、それ以上、考えている時間もなかった。

 三人が額をよせあっていると、そのうちに、「なんだなんだ」と、仲間たちがあつまってきてしまった。

 しかたなく、プリントの件を話してきかせると、「えーっ」と、いっせいに失望の声があがった。しかし、それだけといえば、それだけだった。

「ちぇーっ」

「おとなってこれだ」

「かってだよな」

 などなど、ひとしきりブツブツいってはいたが、だからといって、カヌーの件に固執するというほどでもない。

 あそびのひとつがダメになった、というだけのこと。

 残念だが、もう、きりかえている。

 ひとつには、週があけて、熱がさめたというのもあっただろうか。

 冷静になってみれば、地道に牛乳パックをあつめるというのもめんどくさい話ではある。

 今のうちに話がナシになってくれたのなら、傷が浅くてよかったともいえるかもしれない。

「ねえ、待ってよ。まだ工事がはじまったわけじゃないのよ。ほかの場所だって、さがせば見つかるかもしれない」

 ただミキだけが、すがりつくように、声をふるわせていた。

 だが、相手にする男子はいなかった。

「そんなこといったって」

「ほかの場所ってどこだよ」

 唇をとがらせて、抗弁する。みんな、もう、やめる気でいる。まだこだわろうとするミキは、すっかり「めんどくさいやつ」だ。これだから女子は、と、口に出していうやつもいた。

「だいたい牛乳パックのカヌーって、冷静にかんがえたらカッコ悪いよな」

「それ持ってプールとか行ってみ? ぜったい笑われるって」

「あ、これ図工の授業ですからー、みたいな、イイワケでもあれば別だけどな」

「それに、ほら、ため池って、実は、そうとう、危ないらしいし」

 ミキはくちびるをかんでうつむいていた。

 タツオはそのそばに立ちつくした。何とかしてやりたいと思ったが、何も思いつかなかった。

「ごちゃごちゃウルセエ!」

 声をあげて、実力行使にうってでたのは、やはり、ケンタのほうだった。

「テメーラ、いまさら文句いってんじゃねえぞ!」

 だが、それさえも、男子たちにとっては、いつものじゃれ合いみたいなものだった。ぎゃーっと、歓声をあげて、笑いながら、散らばっていく。

 ケンタも頭の上で拳をふりまわすだけで、それ以上、追いかけたりはしなかった。

「放課後、見に行ってみよう」

 タツオが、うなだれるミキに、そういってやることができたのは、やっと、それからのことだった。

 ミキはこくん、と、うなずいた。


 放課後、三人で、住宅地へ行った。

 川にかかる小さな橋のむこうには、ささやかな田園風景が残されている。

 一見すると、いつもと変わらない景色にも見えた。

 一部の田んぼには青々とした稲が風にそよいでいる。

 春撒きの野菜や豆がそろそろ収穫期を迎えている畑もある。

 けれど、そんなのは少数派だ。

 あらためてそのつもりで見てみれば、雑草だらけのまま放置されている区画のほうが、かなり多かった。

 何より、いつもは出入り自由のその橋のたもとが、いまはフェンスの扉で閉鎖され、施錠までされていた。

 三人はぼうぜんと立ちつくした。

 六年生にもなれば、カエルだの虫だのを採りに、田んぼや畑にもぐりこむようなことも、めったにしなくなってはいた。それでも、見慣れた景色が失われてしまうのは、子ども心にも、やはり、どこか、もの悲しいものはあった。

「ちぇっ」

 ケンタが足下の小石をけった。

 ミキの消沈ぶりは見ていられないくらいだった。

 ここまで、ひとことも口をきかなかった。

 そのミキが、

「……それでも、作ろうよ」

 ぽつり、と、いった。

 男子二人は顔を見合わせた。

(どうする?)

(どうするったって)

(なんかいえよ)

(おまえこそ、何かいえよ)

(見にいこうっていったの、おまえだろ)

 二人がもたもたしているあいだにも、ミキは唇をかんでうつむいている。

 とうとう、顔をおおって、しゃがみこんでしまった。

 こうなると、もう、お手上げだった。

 ケンタは頭をかいて、天をあおいだ。

 タツオは、ミキのそばにしゃがみこんで、おそるおそる、肩に手をのばしかけて……やっぱり、直前でためらってしまった。

 結局、うごいたのは、ミキのほうが先だった。

 さっと、立ち上がると、

「ごめん、忘れて」

 ひと言、つぶやくようにいった。

 そうして、ぐいっと、男子みたいなしぐさで顔をふくと、

「帰る」

 きびすをかえして、歩き去っていくのだった。

 タツオとケンタは、だまって、その背中を見送った。

 ミキは一度もふりかえらなかった。

 ちぇっ、と、ケンタが舌打ちした。

「ちょーし、狂うなぁ」

 タツオも同感だった。



 いつだったかのやりとりが、ほんとうになってしまったな――タツオは思った。

『あんたたち、どうせ途中で――』

『正直者がナントカなんて、ありがちではあるけどね』

 あのときは三人だけの内輪の話だった。しかしその後、へたに仲間があつまって、人数が増えてしまった。ダメージも増量だ。

 なのに、教室でも、あの橋のたもとのフェンス前でも、うまいことばのひとつ、かけてやることができなかった。

 自分のふがいなさに、いまさら腹が立った。

 それにしても、どうしてミキはあんなにもこだわったのだろう?

 そんなにケンタとの思い出がほしいのか?

 だからといって、泣くほどのことなのか?

 夏はまだこれからだ。

 なにもあの工作でなくたって、ほかにできることはいろいろとあるだろう。仕切りなおせばすむことだ。

 たとえ夏が終わったとしても、そのあと、二学期には、運動会だって、遠足だって、学芸会だってある。そのあとは冬休み、三学期……思い出づくりのチャンスなんて、まだいくらでもあるだろう。

 なのになぜあんなにも思いつめるのか?

 なんだかモヤモヤした。

 自分でもふしぎなくらい、おもしろくなかった。


 謎がとけたのは、その週末の「終わりの会」の時間だった。

 突然だが、ご家族のつごうで、ミキが転校することになった――クラス全員のまえで担任がそう告げたのだった。

 引っ越しはまだ少し先だが、この学校にくるのは今学期かぎり。二学期からは別の学校に通うことになるという。

 なるほど。ミキにとっては、文字通り、これが最後のチャンスだったわけだ。少なくとも、ミキ自身は、そう思い詰めていたのではないだろうか?

 もともと、ミキとケンタは、いつもいっしょに遊んでいた仲良しグループというわけでもない。むしろ煙たい「委員長」。男子と女子というハードルもある。

 それがふとしたきっかけで、いっしょに工作をやることになった。それ自体、棚ぼたみたいなものだ。

 せっかくのそのチャンスがふいになってしまったとして、二度目の棚ぼたなんてあるだろうか? しかも残された時間はわずか。もうこれっきりになってもおかしくない。

 いや、これっきりだ――ゆうずうのきかないミキの性格からすれば、一途にそう思い込んだとしても、ふしぎではなかった。

 タツオはミキの席に目をやった。

 クラス中が騒然とするなかで、当のミキはただ黙ってうつむいていた。

 はいはい、静かに――担任はパンパンと手をならすと、終業式のまえにお別れ会を開こう、来週はそのうちあわせをしよう、と、やけにはりきって提案した。

「異議なーし」とクラス全体が即決した。

 タツオは今度はケンタのほうを向いた。

 ケンタもタツオを見ていた。

 そして、小さくうなずいてみせた。

 

 終わりの会のあと、ミキは女子たちの質問攻めにあっていた。

 タツオとケンタは近づくこともできなかった。

 クラスメイトの転校というのはそれなりの大ニュースだ。教室を出たあともミキはなかなか解放されなかった。

 しかたなく、二人は、あやしまれない程度の距離をおいて、女子たちの集団のあとについていった。見つかったら大ごとだぞ、と、内心はヒヤヒヤした。

 が、そんなハメにおちいることもなく、女子たちも、やがて、ひとり去り、ふたり去りしていった。

 最後のひとりが「バイバイ」と手をふって去っていったのは、住宅地に入ってしばらくしてからだった。

 タツオとケンタは、うなずきあい、そろって走りだした。

 ミキを追い越し、その前にたちはだかると、

「海に行くぞ!」

 決闘でも申し込むみたいに、ビシッと指をつきつけて、ケンタが宣言したのだった。

「は?」

 ミキは眉をひそめた。

 ゴミでも見るような目をしていた。

 ケンタはたじろがなかった。

「さがせば他の場所が見つかるかもって、おまえだって言ってただろう。だったら、海だ。隣の県なら海水浴場がある。電車で二時間かからない。予定通り、終業式のあと集合だ。わかったな!」

 やたらエラソーにふんぞりかえって一気にまくしたてた。

 ミキはすこしうろたえたように見えた。

「な、ちょっと、なにいってんのよ、いまさら」

「うるさい! とちゅうで投げ出すとか、オレは嫌いなんだ。やるといったら、オレはやる。仲間はずれにしたくないから、おまえにも、いっといてやる。その気があるなら、牛乳パックあつめとけ!」

 恰好をつけてタンカをきって、いまさら照れくさくなったのか、いつのまにかケンタは真っ赤な顔をしていた。

「い、いいなっ」

 きゅうに噛み噛みになると、くるっと背中を向けて、走り出した。

「ちょっ、待ちなさいよ!」

「うるせー、バーカ、バーカ」

 ケンタはそのまま走り去った。

 バカはおまえだ、と、思いながら、取り残されたタツオは頭をかいた。

(ケンカ売ってどうすんだよ……)

 ミキが眉根をよせてタツオを見ている。

 するとやっぱり、タツオだって、ケンタより気の利いたことがいえるわけでもなかった。

「ま、まあ、そういうことだから」

 しどろもどろにそれだけいうと、「じゃ」とかるく手をふって体裁をつくるだけで、いっぱいいっぱいだった。



 その日から二人はあらためて牛乳パックを集めだした。

 もとの計画仲間たちは、誘わなかった。

 これは三人のモンダイだ――早々にそう決めこんでしまった。

 かといって、101本分の牛乳パックなんて、家族の消費分だけで足りるわけがない。

 となれば、また別のだれかに、協力してもらうしかない。クラス内はもちろん、タツオより顔の広いケンタは、隣のクラスにたのみにいったりもした。

 だが、二人とも「工作でつかうんだよ」の一点張りで、くわしくは説明しなかったからだろうか。それほどめざましい成果は得られなかった。

 みんな「ふうん」ていどの反応で、牛乳パックの集まり方だって、ひとつ、ふたつ、ポツリ、ポツリくらいのペースだった。

 あとから冷静になって考えれば、もっとうまいやり方はあったのかもしれない。

 転校するミキのために――なんて、情に訴えるやり方もあったのかもしれない。

 意地をはらずに、もとの仲間を頼ればよかったのかもしれない。

 だが、どうしても、そうする気になれなかった。

 それをやったらおしまいだ、という気さえした。

 なぜだろう?

 タツオはときどき視線を感じた。

 ふりかえると、そこにいるのはミキだった。

 教室のすみで渋い顔をよせあうタツオとケンタを、ミキがだまって見つめているのだった。

 タツオに見られていることに気づくと、ミキはすぐに顔をそむけた。

 ミキがどうするつもりなのか、タツオにはわからなかった。

 ただ、二人のやることを気にしているのは、たしかだった。

 だったらなおさら、あとにひくわけにはいかなかった。


 二人の考えはこうだった。

 例の牛乳パックカヌー。あらためて『百科』をみてみると、材料が多くておおがかりなだけで、工作自体は難しくない。要は水が入らないようにきっちりと封をしたうえで、ブロックのように組み合わせ、つなぎあわせるだけだ。

 それなら、現地に着いてから、その場で組み立てることだって、できないことはないだろう(多少の下準備は必要かもしれないが)。

 なまじ全体を完成させてしまえば、大きすぎて、持ち運びに不便だが、パーツの状態なら、何とでもなる。

 浮力を必要とする工作の性格上、牛乳パック自体をつぶしてしまうわけにはいかないから、かなりかさばるのはたしかだろう。

 それでも、おおきめのカバンがいくつかあれば、なんとか手分けして詰めこんでしまうこともできるのではないか?

 それなら、大人の手をかりなくても、子どもたちだけで――三人だけで――水場までもっていくことも、できるのではないか?

 そして、それができるのなら、なにも、ご近所のため池なんて、ケチなロケーションに、こだわることもない。

 せっかくの思い出だ。小学生最後の夏だ。

 どこへだって、行けばいい。

 どうせなら、うんとトクベツな場所がいい。

 夢みたいな、マンガみたいな、たのしい、キラキラした思い出をつくれる場所がいい。

 他のみんなが、うらやましがるくらい、楽しんでやればいい。

 だから、行こう。

 牛乳パックとハサミとテープと、着替えとタオルとその他もろもろカバンにつめて……

 三人いっしょに、バカみたいに、笑いながら……


 海へ――


「……っていうつもりだったんだけどなぁ」

 ケンタはぽりぽりと頭をかいた。

 タツオはそのとなりで苦笑した。

 ミキはジト目で二人を見た。

「プールじゃん」

 終業式のあと。

 七月下旬の日差しがカンカンに照りつけている。

 ところは、市営プールのまえだった。

「しょうがないだろっ。海って遠いんだぞっ。電車賃、高いんだぞっ。片道1000円だぞっ。子どもだけでそんなとこ行ったらいけないんだからなっ!」

 ケンタは力説した。

 ミキの視線の温度はどんどん下がっていくみたいだった。

 さすがのケンタも少しだけ目線をおよがせた。

 けれど、すぐに気をとりなおして、肩から下げたスポーツバッグの横腹をたたいて見せた。

「そ、そのかわり、見ろ、牛乳パックはバッチリだ!」

 が、その横で、今度はタツオが、指先で頬をかいた。

「んー、まあ、そのつもりだったんだけどねぇ」

 タツオとケンタは、カバンをひとつずつ持っている。

 あわせて、二つ。

 小さいカバンではないが、そこまで巨大なわけでもない。

 着替えやタオルや、工作道具、その他もろもろといっしょにした牛乳パックが――気密性を保つために、つぶしてしまうわけにもいかない1リットルの四角い箱が――100個も入るわけがない。

 それでも、ケンタひとりで20個近く集めたのは、よくやったというべきだろう。タツオの分をあわせれば、30個近くにはなる。

 だが、姫のお気にはめさなかったらしい。

「ぜんぜん足りてないじゃん」

「しょうがないだろっ! 二週間もなかったんだぞ。これでも多いほうだ」

 ケンタは顔を真っ赤にして力説した。

 タツオが苦笑しながら助け舟をだした。

「それに、あんなデカい工作、ジャマだし、迷惑だし……そもそも市営プールじゃあ、何から何まで、禁止だろうしね」

 そーだそーだ、と、ケンタがうなずく。

 タツオはつづけた。

「しまらないオチで悪いけど、いまはこれが精いっぱいってことで、手をうちなよ。材料もこれだけあれば、なにかしら作れないことはないだろうしね――おめこぼしの範囲でだけどさ」

「そうそう、腕にはめる輪っかとか、ビート板とか、ジャマにならないやつ。こんなのクフウ次第なんだよ。『百科』には同じシリーズの姉妹編が何冊もあるけど、その本にだってだなあ――」

 ここぞとばかりケンタはまくしたてた。

 先だっての演説より、はるかに必死な熱弁だった。

「姉妹編まで読んだの? 何冊も?」

 タツオは思わずつっこんだ。

「いや、だって、代わりの工作をさがしてだな」

「よくやるね」

「うるせー」

 二人のかけあいに、

「ぷっ」

 とうとうミキも噴きだした。

「あんたたち、バッカみたい」

 お腹をおさえて、前かがみになって、苦しそうに、でも楽しそうに、ミキは笑った。

 タツオとケンタは顔を見合わせた、

 そして、やっぱり、笑いだした。

 ひとしきり笑うと、ミキは指先で目じりをふいた。

「あー、おかしい」

 それから、

「あんたたち、本当に、プールで工作なんかするつもりなの?」

「おうよ」

 ケンタはいせいよくこたえた。

「叱られるわよ」

「そのときは、そのときだ」

「かってにしなさい」

 ミキは肩をすくめた。

「ま、大丈夫そうなら、わたしのぶんも、分けてあげるわよ」

 タツオとケンタは「え?」となった。

 が、そのときにはもう、ミキは背中を向けて、さっさと歩き出していた。

「ほら、行くわよ。もたもたしないの」

「おい、待てよ。――いま、何ていったんだよ」

「うるさいわね、どうでもいいでしょ」

「よくねえ、おまえも持ってきたんだろう」

「うるさいうるさいっ」

 ケンタとミキが、じゃれあいながら、走りだした。

 苦笑しながら、タツオがそのあとにつづいた。

 見上げれば、これでもかとばかりに夏らしい、青い空に白い雲。

 海ではなかったけれど――

 特大の工作なんて作れなかったけれど――

 どうやらこれも、夏の思い出とやらのひとこまにはなるらしい。そう思うことにした。

 セミがうるさいくらいに鳴いていた。


おしまい


※作中の『みんなでつくろう たのしい工作百科』は架空の書名ですが(万一、実在したとしたら偶然の一致ですが)、牛乳パックカヌーを掲載している工作図鑑は、実在します。

作中に登場させるにあたって書名を架空のものに変更しました。

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