第4章 覚悟ノ女王と鬼ノ斧ノ少年6
唄子の口から安堵の息が漏れた。
綾女の脚に火傷の痕はない。
よく見れば、かさぶたになっているところもあるが、治りそうな感じである。
「屡衣さまをお送りしてきました」
車の奥から咲人の声が聞こえる。
「今ごろは海の上でしょう。一族の決定で、竹村が管理している孤島で暮らすことになりました。紀田の直系だから待遇はいいはずです。ただし、二十四時間監視されることに」
身を屈めて車中を覗き込むと、咲人がこちらも見ずに話をしていた。
彼は先週の会議で免罪され、また紀田の中枢に返り咲いたという。
副族長の任と綾女の許嫁としての地位を無くし、戦闘補佐として他の紀田の戦闘員達をまとめる役職に就いた。
この程度で済んだのは、屡衣が王魅を使って彼をたぶらかした、と主張したからだった。
「あの島に入ると、筒器の力も、紀田の力も失われてしまう。屡衣は普通の女になりたかった所があるから丁度良いだろう」
英利が補足の説明をして、うなだれた成吾の肩を叩く。
「池平成吾。屡衣さまに、これを渡せと言われました」
咲人が何かを掴んだ手を伸ばしてきた。
両手の平を皿のようにして合わせ、成吾はそれを受け取った。
銀の棒を叩いて丸くしただけの無骨な指輪だ。
だが、触れた瞬間、全身を爽やかな風が流れていくのを感じた。
「眠れる筒器、清糸です。主の怪我を修復する力を持ちます。この清糸は、紀田一族ではなくとも扱える代物です。戦闘時に鬼の斧一つでは、力が分散されすぎて身が持たないだろうと、と屡衣さまが気遣っていました」
(……一度死んだのを気付かれている)
咄嗟に綾女の顔を見たが、情報は伝わっていないらしい。
綾女は何かイヤミの一つでも言いたそうな英利に向かって胸を張り牽制する態度をとり、成吾と咲人のやりとりを円滑に進ませようとしていた。
「君は、紀田でも竹田でもないから。鬼の斧を持っていたとしても、これから続く戦闘で体が保つか分かりません。そのための、清糸です」
咲人がフォローするように言葉を重ねる。
成吾の身体にある真実は、これから紀田と竹田をまとめていく綾女にとって負担になるだけだ。
「ありがとうございます」
指輪を握りしめて成吾は項垂れる。
「礼を言うのは僕等の方です。君のお陰で、屡衣さまは死なない。どんな目にあっても自ら命を絶つことはない。……では」
車が動き、窓が閉まりかける。
その時、唄子がひょいと車に顔を近づけた。
「わたしんこと、助けてくれてありがとねっ」
目を大きくして驚いた咲人を乗せたまま、車は三人の前から走り去っていった。
「――天然の男たらしだな」
やや呆然として英利が呟く。
「……それって、わたしのこと?」
「他に誰がいる。気のない相手なら助けられても素っ気なくしていろ」
むーっとした顔になった唄子が、英利を蹴ろうとして避けられる。
「さて、お姉さまのことも、テストも終わったことですし、行きましょうか?」
乾いた明るさを振りまいて綾女が成吾の手を軽く握る。
意地っ張り、と成吾は思った。
彼女は車の中で泣いていた、と太陽の光が教えてくれる。
目元と頬に涙のあとが光って見えた。
「行くって、どこ行くのぉ。また地下?」
「はい。地下です。でも、究極のデパ地下チョコラ巡りですわ」
信念を持った顔で厳かに綾女が告げる。
「昨日、お姉さまに言われましたの。チョコレートのお酒なんて大したことないから制服で堂々と食べにいきなさいって。駄目なら店員が止めるからと。それで、一人では怖いので皆さんと一緒に実行してみようかと。無理でしょうか?」
「屡衣と話したのか?」
「はい。暫くお話もできませんので」
明るく明るく、とても明るいままを維持して綾女が言う。
「生きていればまた会えます。わたくし、お姉さまを一生あの島へ隔離させたくありませんの」
成吾の手を握りしめて、綾女は言葉を続ける。
「でも、今はショコラを。うんと甘い、ショコラを」
疲れているだろう彼女の手を成吾は強く握り返した。
「よっし、今日はデパ地下ショコラ巡りだね」
「それとお洋服を買いに行きたいんですの」
「服を?」
「はい。わたくしに似合う服があればいいのですけれど」
「あるって、絶対!」
快活に言って、成吾は駅の方へと華奢な腕をそっと引っ張る。
見た目が無事でも、脚の筋肉が元通りとは限らない。
その思いに気付いたのか綾女は小さく歯を見せると、成吾の腕を頭より高く上げ、ダンスをするように一回転してみせた。
「なーに踊ってんのよ」
拗ねた声を出しながら唄子が綾女の腕に抱きつく。
「心配させてんじゃないつーの。このバカ友」
「だから無事をお知らせしに来ましたのよ」
「ほらほら、お嬢だって病み上がりなんだから、子なきジジイがいると歩きづらいだろ」
唄子を綾女から引き剥がして、英利が成吾を見た。
目の動きで、綾女の脚が完全に治癒していないと知らせてくる。
「誰が、子なきジジイよっ。竹村、ここ見なっ!」
唄子が顎の傷を指さす。
「なぜ、そんなかすり傷がいつまでも治らないんだ……」
夫婦漫才のようなやりとりをしながら二人は先に駅へ歩き出していた。
「オレって、最近超人くんなんだけどさ。おんぶとだっこ、どっちがいい?」
成吾は笑い話でもするように綾女に訊ねる。
「一人で歩けますわ」
背筋をしゃんと伸ばして綾女は答え、成吾の手を離す。
「せめてお姉さまが島に到着するまで、わたくしは元気でいなければなりませんの。咲人さまに、そう言われました。今は頂点に立つ者が泣いているときではないと。そんな姿を紀田や竹村の者達に見られてはならないと」
でも、と綾女は小声を柔らかな微風に乗せてくる。
「甘えられるときは、甘えに行きます。成吾さんのところへ……」
成吾は大きく頷いた。
―了―
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