第4章 覚悟ノ女王と鬼ノ斧ノ少年5
――また転んで、今度は看板で腕を切りました。
――父さん、母さん、ごめんなさい。
そんな風に、紀田総合病院の病室で、泣きながら駆けつけてきた両親に謝ってから十日が過ぎた。
綾女と話し合った結果、成吾は定期的にこの病院の精神科で診察を受けることになっている。
それによって両親の不安も消えると判断したのだ。
担当医師が心的外傷後ストレス障害の名医であると知り、二人ともは無条件で同意した。
両親もストレスが溜まっていて通院の必要があるそうだ。
「あー、やっと終わった。すばらしい開放感……」
梅雨明け宣言はされていないのに、今日は晴天だった。
透明感のある昼の日差しが、列乱れた机の上に伸びている。
生徒達はみな、さっきまでの出来事を忘れたいのか、素早く動いて筆記道具をしまっていた。
地獄のテスト期間が終わったのだった。
成吾は心の底から感謝して、信じて使用したサイコロ消しゴムと数字を書き込んだ六角シャープペンシルを筆箱にしまい、メッセンジャーバッグに入れる。
前期中間テストを乗り切らせてくれたのは、彼等のお陰だ。
鬼の斧に数式を暗記させようと思ったが、なんの役にも立たなかったのだ。
(はぁ、これで明日から無駄寝できるといいなぁ。……赤点にならないことを祈ろう)
「ねぇねぇ、セイ。今日、駅前つきあって」
教室を出ていこうとする成吾を唄子が呼び止める。
「昼メシおごってくれるなら付き合う。財布の中、三百円しか入ってねーし」
「貧乏人」
「じゃ、また明日なー」
唄子が立ち去ろうとする成吾の足を踏んづけた。
「おい、竹村でも誘えよ。いまならなんでも奢ってくれるぞ、ヤツは」
成吾は自分の顎の横をちょんと指さしてみせる。
唄子はそこと同じ場所に絆創膏を貼っている。
バリアに向かった唄子を英利が守ろうとした際に出来た擦り傷だ。
傷は大したことがなく痕は残らないそうだが、これが英利にはエラく効き目がある武器になっていた。
「傷で脅してるようでイヤだもん」
「毎日、さんざん脅しておいて何を言う……」
「やりすぎたかなぁって反省中なのっ。いいから付き合ってよ」
あの戦い以降、唄子は英利を毛嫌いしつつも受け入れているように見える。
英利だけでなく、他の男子生徒も。
「なんなら俺達が付き合うぞ。どこいくの、唄子さま」
三バカが唄子の周りを取り囲む。
「なぁ。いつから唄子は『さま』付けで呼ばれるようになったんだよ?」
「色々あったのよ、こっちはこっちでねぇ」
「唄子さまとグループデートかぁ。いいねー。いいねー」
「あんたらは連れていく気ないの。一緒に行ったら、うるさくて水着選べないでしょっ」
「……水着って」
オレが、女物の水着コーナーに入るのか?
絶句する成吾の前で、三バカは「水着、水着」と大はしゃぎしはじめた。
「だから連れていきたくないのよ、あんたらはっ」
「オレはイヤだからな。女物の水着売場なんて恥ずかしいっ」
「セイなら大丈夫。水着売り場にいても、だれもなんとも思わないから!」
「それは、どーいう意味だぁぁっ」
唄子に食ってかかろうとしたとき、バシンと頭を殴られた。
しかもかなり強烈に。
殴られた頭を抑えて振り返ると、竹村英利がいた。
三バカが英利を見て恐れをなして逃げていく。
「水着がほしいなら好きな物を買ってやる。なんならジックリと試着した姿を拝見して選んでもあげよう。だから唄子くんも成吾も、放課後は俺につきあえ」
「イヤ」
唄子の即答に、英利が苦々しそうに眉を上げた。
唄子はさりげな~く自分の顎の傷を指さす。
英利が目をそらすのを見て、成吾は唄子の後ろにまわった。
彼女は今、対英利の最強武器である。
「オレもやだぁっ。行かない。行かないからなっ」
武術のイロハを教えてやるだの、戦法の講義をするだの、と近頃、英利の口出しが激しい。
嫌がれば、「あんな闘い方ばかりしていたら、こっちの身が持たない」とまだ火傷の後が生々しい腕を見せてくる。
「この命令をきかないと、十分後に後悔する。二人ともだ。ヒント、お嬢」
唄子と顔を見合わせた。
綾女が関係あるなら、行くしかない。
戦闘で重度の火傷を両足に負った綾女は、生徒がいない時間に保健室でテストを受けていたはずだ。
あの後、綾女は保健室と護孔の間を行ったり来たりするだけで、成吾とは顔を合わせていない。
英利の話では、屡衣の処罰を軽減するために動き回っているということだった。
(綾女さん、あの脚……大丈夫だったんだろうか……)
彼女のことだから、自分の傷を無視して姉のために動き回っているんだろう。
「やっぱり水着なんかいらないわ。海、いけないかもしれないし」
唄子も、成吾と同じ思いを抱いていたようだ。
二人ともだんまりしたまま、廊下に出ていく英利の後を追いかける。
竹村一族は癒えるのが早いと知っているが、紀田はどうなのだろう……。
――3人並んで昇降口から一歩外に出ると、初夏の緑が眩しかった。
山火事などなかったかのように、木々の大半は護孔の雨で回復し、燃え残った枝は所々が欠けた青葉を生き生きと天へ伸ばしている。
踏んづけていたスニーカーの踵を直すために、校舎の壁に手をつくと、コンクリートが熱かった。
筒獣の火はもっと熱かったはずだ。
幸福の固まりのように燦々とした日差しが鬱陶しい。
校門までいくと、銀の大型セダン車が停まっていた。
キャデラックだ。
運転手が静かに出てきて、後部座席のドアを開ける。
車内に綾女の笑顔があった。
「全て終わりましたのよ」
運転手に手を引かれながら制服姿の綾女が車を降りる。




