第4章 覚悟ノ女王と鬼ノ斧ノ少年4
「筒器に狂った族長など、紀田の恥です。殺しなさい」
「このことは紀田の話し合いで解決いたします。お姉さまは謹慎なさってくださいまし」
「どうせ、長老方は私を殺せといったのでしょう? 生かしておく必要などないわ」
負けても、その目に宿る力は強さを失わない。
「屡衣……さ、ま」
洞窟から消え入りそうな声が聞こえた。
血まみれの咲人が、右腕の力だけで屡衣の元へ行こうとしている。
「屡衣さま、どうか、どうかここは……綾女の言うことを」
屡衣はふっと笑って、どこまでも主従関係を崩さない咲人を見る。
「何もかも失ったのよ」
咲人の右目は空っぽだった。眼球がないのだ。
「貴方は、その目と一緒に唄子に心まで奪われてしまった。貴方は力が弱いから私とは子をなせない。それでも、私は貴方が欲しかった」
静かに、しかし強い意志を感じる口調で屡衣が言う。
「紀田を裏切ってまで、貴方は私についてきてくれたのに。寺出唄子を探しに行ったことに嫉妬して、貴方を殺そうとまでした。ごめんなさい。私はいかれていたわ。私の方法は、間違っていたわ。私は負けてしまったわ」
正直に言ってから、屡衣は成吾の方を見た。
「池平成吾、鬼の斧で私を斬りなさい」
あまりの言葉に、成吾は呆然とする。
「お前には、その資格があります。綾女はこれから族長として生きていかなければなりません。綾女が私を殺したら、綾女は狂ってしまいます」
「……そんなの」
「お前の中には、大きな憎悪があります。犯罪者に対する憎悪です。それを私にぶつけなさい。私は大きな罪を犯しました。私は実の妹を殺そうとし、その友人や、金山市に住む人々を危機にさらしました。憎悪の対象として完璧でしょう?」
成吾は子供のように激しく首を振った。
涙があふれ出て、血で濡れた服の染みをもっと大きくする。
「あなたを殺したらっ、オレの負けっ。オレは犯罪者にはなりたくないからっ」
屡衣は、溜息混じりに苦笑して成吾の前に歩み寄る。
そして成吾の顔を両手で挟んで、目を合わせた。
「貴方って、顔だけじゃなくて性格もそんなのなの?」
「……子供みたいかもしれないけど」
成吾は鼻をすすって彼女を見る。
「可愛い坊や、そんなに甘い性格なのに、どうして鬼の斧は貴方を選んだのかしら……。鬼の斧ほど血に飢えた筒器はないと言うのに……」
「違う鬼の斧は」
否定しようとした瞬時、屡衣が成吾の右手――鬼の斧を掴んだ。
そして、そのまま自分の首を切り落とそうとする。
「やめろーっ!」
『成吾!』
発作的に、成吾は屡衣の首と鬼の斧の刃の間に左腕を差しこんだ。
ザクッと成吾の肉が切れる音がして、綾女の悲鳴が響いた。
どくどくと成吾の腕から血が流れ落ちていく。
怪我を無視して、成吾は屡衣をにらみつける。
「卑怯者ッ」
成吾は荒い呼吸を繰り返しながら、屡衣を見つめる。
噴き出す血が屡衣のふくよかな胸を濡らしていく。
「生きろ……絶対、生きろ。恥を背負ってでも、敗北感に打ちのめされても、隠れるように生きて行かなきゃならなくても、生きろ」
成吾は憎しみをこめて、一言、一言、声を発する。
「未来が泥の中だろうが、踏ん張って、生き続けてみせろ。犯罪者として、人の視線を浴びながら、生き続けろ」
鬼の斧が成吾の腕の傷を癒すように内部へ溶けていく。
それでも深い溝のような傷跡が残り、血は止まらない。
「オレは善人じゃない。オレはあんたを許せない」
成吾は声を張り上げた。
人を殺そうとする連中は大嫌いだ。
人の命を蔑ろにする行為など許せない。
それによって、どれだけ他者の心に傷が残るのか。
回復するまでに、どれだけの年月がかかるのか。
周囲の人々に迷惑がかかるのか。
死んで償うなんて、酔っぱらった甘い行為などさせるものか。
「本気で悪いと思ってんなら、逃げずに罪を受け止めてみせろよ!」
高ぶった怒りの弾丸を浴びて、屡衣の顔が強ばっていく。
「成吾さん……。もう、もう、お姉さまも分かったはずです」
綾女が震える手で成吾の腕の付け根を抑えて止血しようとする。
成吾はそれを振り払って、自分の血で濡れた屡衣の胸ぐらを掴んだ。
「オレはっ、オレはっ、心の中にたっぷり憎悪があるけど、それをいつか克服してみせる。それなのに、アンタは、アンタはっ」
自分本位の言葉だと成吾は分かっている。
それでも死なせるものか、と煮えたぎる怒りの中で思う。
更正して罪を償え、とは思わない。
一生、罪を背負ったまま生きて行け、と熱望する。
「罪の重さを知った人間に生きろとは……あなたは誰よりも残酷ね」
屡衣が始めて悲痛な表情になった。
(痛い……)
罪を恨んでも、罪を詰っても、胸の痛みを消し去ってくれない。
過去の傷は、過去のものなのだ。
なぜ、自分はそれを乗り越えられないのだろう。
今、自分が口にした言葉は、きっと彼女を苦しめる。
一生、彼女を苦しめる。
言わなくて良いことを言ってしまった。
これもまた、罪だ。言葉の暴力だ。
成吾は鬼の斧が入り込んだ傷口を手で押さえ、屡衣を見つめる。
「残酷に決まってるだろ。オレは、鬼の斧の所有者なんだから」
言った途端、また両眼から涙が溢れ出てきた。悪人になろうとしたのに演じきれない。
「駄目な子」
屡衣は成吾の涙を手の平で拭ってから、彼の胸を押して身体から引き剥がした。
そして、よろめきながら体の向きを変えて妹を見る。
「綾女、紀田と竹田を収集して私を断罪しなさい。私は死刑以外の、どんな罰でも受けるわ」
「お姉さま……」
「私は、まぎれもなく、重大な罪を犯したのだから」
負けはしても、女王は女王。
成吾の頭に、そんな言葉が浮かんだ。
屡衣は綾女の手の中の天壺を見て微かに笑い、深呼吸して空を見上げた。
成吾も釣られて顔を上げる。
――新しい夜が来ようとしていた。




