第3章 立チ上ガル少女と戦サノ女神7
「見えた」
成吾が口を開く。
「あそこにある。筒卵だ」
坂の上に、金粉をまぶしたような青い光が見える。
王魅の光だ。
「ここは……」
綾女は呆然と坂の先を見つめていた。
「秘密基地」
子供時代、姉と咲人と綾女と英利が遊んでいた場所だ。
坂の上には先の短い洞窟があって、四人は中にテントを張った。
そして、大人達の目を盗んでは修行をさぼってテントの中で過ごした。
テントといっても、大きな四角い布の中心をつまんで釣り下げただけのものだが、四人には貴重な息抜きの空間だった。
姉の屡衣には大好きな遊びがあった。
そのためにテントはいつも白かった。
汚れると、すぐに新しい豪華な布で新調された。
「結婚式ごっこ……」
綾女は胸を押さえた。
まさか、という気持ちと、またか、という衝撃が心を切り裂く。
『――おしまい』
昔、族長になった姉がテントに火を放った。
『子供の時間はおしまい』
姉は、まだ十歳だった。
初潮も来ていないのに、交わる相手が定められた日だった。
「でてこいっ、屡衣!」
英利が唄子を降ろして叫んだ。
「もう、子供の時間は終わりなんだよ!」
成吾の腕から降りた綾女は、心臓が一瞬停止しそうになった。
「英利……なにを言って」
「終わったんだよっ。だだこねていないで出てこい。戦いたかったら戦え、それとも潔く――自決でもするか!」
細波のように笑い声が坂の上を転がり落ちてくる。
靄の中、空に散っていたらしい王魅の粒が一つ、また一つ、燃え上がる。
『相変わらずね、英利』
悲しみに満ちた声が響き渡る。
『……英利、もう顔も見たくないわ。綾女と一緒に、死んで』
粒の炎が大きく花開き、坂を滑降する。
炎の流れが鉄砲水のように襲いかかってきた。
流れは明らかに、綾女と英利へ向かっていた。
「天壺七星陣っ」
綾女が戦陣に立って叫ぶ。
天空から光り輝く北斗七星が降り、炎の流れをせき止めようとする。
炎が消えた――が、王魅の粒は綾女の陣を突き破る。
粒は青く光っていた。
まだ、攻撃前だ。
「鬼の斧っ、大きく広がれ!」
成吾が綾女の腕を押し避けて前に立ち、青白い光線から庇おうと右腕を振る。
鬼の斧が薄く薄く伸びて守りの殻を作る。
鬼の斧の、殻の内側で守られたのは、三人。
狙われた綾女と英利、唄子……。
……成吾は無防備だった。
「いやぁぁっ!」
唄子が口を押さえて叫んだ。
成吾の身が青白く、赤黒く、発光している。
王魅の粒に、全身を貫かれて――。
ブシャッッ!
血のシャワーが、鬼の斧に降り注ぐ。
成吾の皮膚に入った王魅が、らんらんと頬や首の中で光っている。
左耳は王魅が貫き、丸い穴があいている。
叫ぼうとして開いた成吾の口から、王魅の粒がぽろりと落ちた。
唾液と血にまみれた粒は鬼の斧の殻にあたって地に落ちる。
「……」
綾女は小さく首を横に振った。
間違っている、と。
この人は死にたくない人なのだ。
この人は明るい明日を求める人なのだ。
この人は私に未来を夢見させてくれた。
甘くて優しい、ボンボンショコラの夢を……見せてくれたのだ。
「――……っ」
殻に手をついて成吾の元に行こうとした。が、鬼の斧の殻は硬くて破れない。
「馬鹿だっ」
英利が地を蹴り、対処できなかった己に腹を立てて腕や頭を叩く。
成吾は死ぬ気などなかったのだ。
きっと鬼の斧が広がれば自分も守られると信じていた。
鬼の斧も成吾を守るつもりだった。
薄く伸びた鬼の斧の先端が、成吾の背を覆おうとしている形になっている。
――ただ間に合わなかっただけ。
姉の変則的な攻撃に、間に合わなかったのだ。
「ああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ」
綾女が頭を握りしめて絶叫した。
腹に籠もった物全て吐き出すように叫んで叫んで、それでも、わき上がってくる怒りと混乱。
綾女は、両手で鬼の斧の殻を殴った。
成吾は大きく目を見開いたまま綾女の姿を瞳に映している。
痛みを感じていない顔だった。
「守れたよね」と話しかけてくるような表情をしていた。
「鬼の斧、邪魔ですわ!」
殻を殴って綾女は叫ぶ。
「鬼の斧、わたくしを通しなさい! 成吾さんを守れなかった、この愚かな……わたくしを、通しなさい!!」
絶叫の後、地面が大きく揺らいだ。
護孔が綾女の心に反応して振動している。
英利は唄子を庇いながら地に伏した。
綾女は地を踏みしめ、大切な少年が地に崩れ落ちるのを見ていた。
「鬼の斧ッ! わたくしを外に出せと言っている!」
すると……殻が揺らぎ、鬼の斧が変容する。
綾女の身体と成吾の身体を包み込んで引き合わせる。
「……成吾さんっ」
倒れた成吾を抱き上げて、その顔を覗き込む。
大量出血をしすぎて完全に血の気が失せていた。
王魅の粒は、既に去り、成吾の身体は赤い穴だらけだ。
綾女は呼吸と心の音を探し出そうと。必死に彼の身体をまさぐる。
しかし生きている証など一つもなかった。
自分よりも少し暖かな血液が、綾女の太股を濡らしていく。
「わたくしが、わたくしがっ、殺した」
綾女は叫ぶ。
「わたくしが――っ」
姉を殺せないから、姉を守ろうとしたから、成吾に甘えたから、成吾の側にいたいと願ったから。
生きるなら、楽しく生きてみたかったから。
「この、甘えが殺したっ」
欲しい未来が、直ぐそこに見えたのに。
その為なら戦えると思ったのに。
「許さない。わたくしの、大切な、成吾さんを……」
成吾の華奢な身を抱き寄せ、その日焼けした頬を両手で挟む。
うつろな瞳に生気はない。
「この人は、死ぬべきじゃないのに。この人は生きなくてはならなかったのに。ご両親が帰りを待っているのに。わたくしが、成吾さんの人生を壊して……壊して……」
もう声が出てこなかった。
全身がガタガタと震え、魂は煮えたぎっていた。
自分が許さなかった。姉が許せなかった。
(――成吾さんっ!)
そのとき、脈を計ろうと掴んでいた成吾の左手が消え失せた。
手の平の喪失感、目を動かして成吾の消えた手を探す。
消えていたのは右手だけではなかった。
脚も、胴体も、そして顔も消えかかっていた。
周囲の殻もなくなっていった。
成吾の肉体が、鬼の斧と化している右腕に吸収されていく。
まずズボンが地へ落ち、右腕の袖が膨らんでシャツが破けていく。
右腕はどんどん太く長くなり、黒に金の帯模様が巻き付く斧の柄になる。
柄には大きな斧刃があった。
鬼の斧が成吾の全てを取り込んでしまった。
彼の生きたいという精神を、あまりにも、欲したために――。




