第3章 立チ上ガル少女と戦サノ女神2
葉の舟が岸に着き、綾女と成吾は手を取り合って降りる。
すでに、成吾の背から鬼の斧の白い煙が立ち上ってきていた。
「鬼の斧がわたくしを選ばない理由は」
成吾の隣に並び、彼の背にそっと手を当てて綾女は俯く。
彼の中にいる鬼の斧に、こうして語りかけるようになってから十日が過ぎた。
綾女が何度話しかけても、鬼の斧は何も答えてはくれない。
「わたくしの敵が、わたくしにとって大切な人だからですわね」
白い煙が、綾女の指間を通り抜けて少年の右腕を包んでいく。
「わたくしが本気で戦えないからですのね?」
「……そうじゃないって、言ってる」
成吾が否定する。
始めて鬼の斧が綾女に答えてきた。
「鬼の斧は、もう死にたくないんだって。だから死のうとしない人を選んだんだって。他にも色々あったんだけど、それが一番の理由だって」
「わたくしは、死のうとしていると?」
訊ねると、成吾の大きな目が綾女を見つめた。
彼の目は、その向けられた視線に込められた思いは……真っ直ぐではない。
真っ直ぐの方がよいと言う人もいるだろうが、成吾の中の迷いがそうはさせていない。
迷いは多いけれど、逃げることをやめて、己を見失わないように努力している人の目だ。
自分の弱さを知った上で、戦い続けることを決意した人の目。
綾女は彼の気に圧倒され、その背から手を離した。
「あのさ。犠牲になるなんて、自分に酔っているだけだよ」
いつも優しい言葉を掛けてくれる少年が、冷たく言い放つ。
手の中で、冷えすぎたボンボンショコラが割れた気がした。
「紀田さんは、いつも自分さえ犠牲になればって考えている。でも、紀田さんも救われなきゃ、駄目じゃんね」
「ですが、わたくしはっ」
族長なのです、と綾女が言い切る前に、成吾が言葉を続ける。
「オレは自分も幸福になりたいって考えてる。両親や友達と一緒に、楽しい暮らしがしたいって考えてる。紀田さんは違うでしょ。道で偶然出会ったオレの為にまで、命を犠牲にしようとしたっしょ。困っている人に手を貸すのは良いよ。でも、命まで賭けるのはダメじゃん」
だけれど、あの時は他に方法が見つからなかった。
お姉さまは成吾さんを殺そうとしていた。
わたくしは成吾さんに死んで欲しくなかった。
だから、わたくしが死ぬしか方法がなかった。
他に方法があるなら、おっしゃってください。他に最善の策があったのですか?
――否定する言葉は沢山あるのに、何一つ言い出せない。
「命がけで人を守るってカッコイイよね。他人が聞いたら美談だよね」
自分はそう思わない、と成吾の声色から伝わってくる。
「だけどさ、助けられた人は辛いよ。助けてくれた人が、その所為で怪我したり病気になったりしたら、毎日、毎日、責められているような気分になるよ。もし、死んじゃったりしたら、生きることすら否定したくなるよ」
針のような衝撃が、心に波紋を広げる。
「成吾さん……」
「鬼の斧は、助けた仲間の気持ちも良く分かっているって。鬼の斧で戦った人が死んで、助けられた人が鬼の斧を持って戦って死んでってのを繰り返してきたんだって。オレの気持ちを理解できるから、鬼の斧はオレを選んだんだ」
綾女は気付いた。
あの時、自分は一番安易な方法を選ぼうとしたのだ。
本気で、成吾を助けたかった、姉を人殺しにしたくなかった――だが、生きるために戦おうとはしなかった。
長老方が「姉を殺せば終わる」と思っているように「自分さえ死ねば終わり」と思ったのだ。
(なんて……情けない)
視界が揺れて涙が頬へこぼれ落ちる。
胸の前の冷たい空気を掬うように両手を顔へ持っていく。
そして、濡れた頬を打つ。
強く。
パンッと皮膚が鳴った。
「ちょっ、紀田さんっ。んなことしたら痛いでしょ」
綾女は顔を上げて成吾を見た。
「勝ちましょう」
慌てていた成吾が、綾女の顔を見て笑みを見せる。
「うん。勝とう。だから、オレを盾にして。紀田さんは王魅を奪うことに集中して」
「……わかりました」
勝算は分からない。
でも、生きるという意志さえ持ち続けたら勝てる気がした。
「がんばろう。一緒に。勝てるよ」
成吾は、彼女の知っている誰よりもしなやかだ。
もろい部分を知っているだけ、柔軟性がある。
人を受け入れる許容もある。
(だから、強い。あのお姉さまよりも)
綾女は成吾の背中に抱きついた。
成吾が「うわっ」と声を上げる。
綾女は腕に力を込めて、身体を密着させた。
「わたくしは愚かな真似をするところでした。長老方の指示に従って姉を殺すか、己を犠牲にするか、そんなことしか考えつきませんでした。あなたが、わたくしの側にいてくれることに感謝いたします」
綾女は、この時やっと、族長であることをしっかりと受け入れた。
そして、自分と長老方は対等であると考えを改めた。
彼女は紀田である事に誇りを持っている。
そこが姉とは決定的に違う点だ。
ずっと長老方の言葉を大切に受け止めてはいた。
長老方の決定が間違っていないから、今まで紀田はやってこられたのだから。
だが、姉は違う。
屡衣は王者だ。
孤高の王者だ。
誰の意見も聞きたくないのだ。
族長に選ばれる前から、屡衣は紀田を変えようと努力してきた。
族長なのだから、もっと表舞台に出るべきだ、でたいのだ、と主張し続けた。
そんな姉を頼もしいと考える一方で、なぜ、そこまでして紀田を変えなくてはならないのか、綾女は疑問だった。
確かに、紀田のしていることは、筒獣から遠い血縁の者達を守るというある種の慈善事業だ。
それの何処が悪いのだろうと綾女は思っていた。
遠縁の者達の中にも紀田の存在を知り、自分達を守る紀田のために動く者達がいる。
親戚の殆どは金山市を動かす立場にあり、一部は病院やら研究所やらで活躍して、紀田のサポートをしている。
それに紀田の本家筋は、学園を運営しているので金に困っていない。
学園を作る際に活躍したのは、紀田と通じている政治力と経済力だった
筒獣と戦わなかったら、今の地位はあり得なかった。
その点に関して、綾女は長老方の存在を否定しない。
紀田の働きを否定しない。




