第2章 眠レル森ノ少女と壊レタ家族9
階段の前は混雑していた。
押し合いながら我先にと進もうとする生徒達で、混乱もきたしていた。
巨漢の男子が力で女生徒を押し避け、逃げていこうとする。
女子も粗暴な者は男子を突き落とすようにして進もうとする。
どこからか悲鳴が聞こえた。
痛い、やめて、という声があちこちから聞こえてくる。
男子も女子も、めちゃくちゃになりながら階段を降りようと必死になりすぎていた。
(こんなんじゃ、誰も助からないかも……)
唄子は、がつっと踊り場の階段の手すりを掴み、上に乗っかって立ち上がった。
「こらぁっ。みんな落ち着けっ!」
小さな少女の張り上げた声に、幾人かが振り返る。
「男ども、女の子を押し避けないで手を差し伸べな。女の子も自分勝手に動くんじゃないよ。普段、恋人が欲しいって騒いでる癖に、こんなときは自分の身ばっかり庇うのかっ」
瞠目する生徒達に向かって、唄子は怒りの感情をぶつけた。
「火は、まだ来ないのにっ。あんたら同じ学校の生徒を突き飛ばして、怪我させたいのっ。怪我した生徒を校舎においてけぼりにしたいの!」
何もできない怒りをぶつけているだけだ、と唄子は叫びながら思う。
守られているのを知らない人々に怒りをぶつけているだけなのだ。
「そうだ。彼女の言うとおりだっ。従え、者共!」
びっくりするほどデカイ声がした。
身を萎縮させてビクビクしながら振り返る。三バカが後ろに立っていた。
「パンツみせながら説教しているんだからねー。みんな従わないとね!」
その指摘に、唄子は短いスカートの裾を手で押さえる。
「はいはいはい。整列しろ、整列。前から順番に階段を下りようってばさ」
三バカが「整列整列」と大声を張り上げながら、階段の混雑をおさめていく。
「……っ」
唄子の目から涙がこぼれ落ちた。
何で泣いているのか自分でも分からない。
三人の大声が怖いわけじゃない。
やたらと優しく聞こえてきて泣けてくるのだ。
混乱が収まると、生徒達に優しさと余裕が生まれた。
倒れた者に手を貸す生徒、廊下で順番を黙って待つ生徒、男も女もなく、整然と階段を下りていく。
「唄子っちは偉いねー。すごいよねー」
「偉い偉い」
「うちの学校の女神様だ」
剣道部の喜多が、手すりの上で泣いている唄子に手を差し伸べてきた。
唄子は彼の手を掴んだ。
大きくて太い男の手だ。でも彼を怖いとも汚いとも感じない。
「あんたら三バカじゃなくて三賢人。こんどからバカって言わないからね」
踊り場におり、涙を拭って笑顔を見せると、キダ三人は各自照れ笑いをした。
「それならね、ぼくは啓と読んでもらいたい」
「俺は惣一でいいぞ」
「おれはジョニーで」
無視した。
「啓も、総一も、吉兵衛も、ありがとね」
「吉兵衛って呼ぶなぁっ。この名前はいやなんだぁぁ」
「みんな平等ってことでいいじゃないのさ~」
「古めかしいが、良い名前だぞ。吉の兵士だ。運がある」
啓が吉兵衛の肩を叩く。惣一は拳で殴る。
「そんじゃあ吉兵衛でいいよ。バスなくなる前に帰ろうぜ」
しんみりとした吉兵衛の肩を慰めて全員で叩く。
唄子も面白がって叩いてみる。なんだか気持ちが安らいでいた。怖い男ばかりじゃない。
「仲良しついでに、唄子っちのLI●E教えてくれない?」
ナンパ師喜多が軽いノリで言ってきて自分の携帯を見せる。
「んー。教えちゃおうかなぁ」
スカートのポケットに手を入れて、唄子は「あ」と声を上げる。
「教室の机の中だよ、スマホ」
あちゃー、と自分の頭を叩いてから、また「あ」と言う。
竹村の横に落ちたスマホの代わりに、新しいスマホを綾女が持ってきてくれて、今はそれを使用している。
(成吾のお母さんから電話がかかってきたらフォローしないと)
もし、また成吾の腕が変化したら治るまで時間がかかる。
さっき成吾はバッグを置いて教室を出ていった。
成吾はスマホをバッグに入れている。
護孔に中に泊まったとき、綾女は「紀田がしていることを隠し通してもらえますか?」と唄子に言った。
唄子は「親友の頼みを断る唄子さんじゃないぞ」と答えた。
その為にも、スマホは必要だ。
「わたし、ちょっと教室に戻ってスマホとってくる~。先帰ってていいよ」
「お供するぞ」
「三人は、みんなと行かなきゃ駄目。できることなら、バスにも一人ずつ乗って、押し合いにならないか見張って欲しいな。こういうときは、冷静でいられる人の力が必要だよ。うちのクラスの三賢人さん達でしょ。わたしは大丈夫だから、さっきの勢いで頑張って」
ねっ、三人の顔を見て承諾を得る。
「では、行って来まーす」
唄子は人がいなくなった階段を駆け昇っていく。
高等部は五階建てで一年の教室は三階にある。
行き遅れた生徒の何人かとすれ違ってから、教室に戻って机の中を探る。
「……あれ?」
机の中にスマホがない。
(そっか、体育のとき……。更衣室においてきちゃったんだ)
唄子は成吾のワンショルダーバッグを抱きかかえてから更衣室へ向かった。
更衣室は二階の一番奥だ。
昇降口から離れた方の階段から下りると、体育館の観覧席への入り口がある。
その前にあるトイレを曲がった場所に女子更衣室があった。
ドアノブを回すと、更衣室に鍵はかかっていなかった。
ショートパンツの体育着で帰るのを嫌がって、みんな慌てて着替えたらしい。
床に体育着が散乱している。
「スマホ、スマホっと」
自分が使用していたロッカーに駆け寄って戸を開けた。
上部の網棚に、新しいけど見慣れたスマホが乗っかっていた。
池に落ちたのと同じ機種を綾女が用意してくれたのだ。電話番号もメアドも前と同じになっている。
「よかったー。盗まれてない~」
ディスプレイに【アヤ】の名前があった。綾女からメッセージが届いている。
【今、長老達に呼ばれて護孔の中にいます。危険だったら学園放送で流します。その放送を聞いたら、唄子はみんなと一緒に逃げてください。絶対に、一人にならないでください。もしかしたら前と同じ筒獣が出現するかもしれません】
(……絶対に……一人に)
息を潜め、携帯をたたんで、周りを見渡す。
誰もいない。
人の声すら聞こえない。
スマホを取り戻すのに夢中になっていて、もっと気を配るべき事を忘れていた。
筒獣が狙っているのは自分だった。
「みんなと合流しないと」
筒獣は通常は人混みの中には現れない、と綾女が教えてくれた。
ただし、興奮してからでは遅いのだという。理由は知らない。
ただ『筒獣が興奮する前に、人混みの中に紛れて遠くへ逃げること』それは彼女が唯一できる自衛手段だった。
唄子は更衣室を飛び出して廊下を走った。
いくらなんでも、そんなに早くバスが出ていってしまうことはないだろう。まだ、間に合う。
「――うそ」
廊下の窓からグラウンドがある校舎裏を見つめた。
グランドの前方が、真っ赤だった。
煙が青空を隠し、木々は炎の大群に押しやられていく。
人がいるのに、筒獣が近づいているというのか。
(逃げ切るんだからっ)
右手にスマホ、左手に成吾のバッグを握りしめて唄子は体育館へ猛進した。
体育館から中庭へ出て、斜めに突っ走れば昇降口だ。
観覧席の階段を駆け下りて、ドアの鍵を開ける。
重い鉄の扉を引くと、そこは花の中庭だ。
体育館周りにはマーガレット、噴水を囲むのは薄水色のアジサイ、レンガの小道の周りには薔薇の花が咲き乱れている。
唄子は噴水側のベンチに座って綾女とお喋りするのが好きだった。
ここも燃えてしまうかもしれない。
唄子が好きなものは、夢の国は、なくなっていくばかりだ。
(……わたしだけ、取り残されてる)
馥郁とした香りの中を唄子は泣きじゃくりながら走った。
いつから、綺麗なもの可愛いものばかり追い求めるようになったのだろう。
男が嫌いだからというのもある。
きっと、それだけではない。
唄子は、金山市に来たとき、二度と元の生活に戻りたくないと思ったのだ。
この土地でなら綺麗で可愛いものばかりに囲まれて暮らせる気がしたのだ。
だって、この街は異質だったから。
この街自体が、唄子にはお伽の国に見えたから。
「見つけた、寺出唄子」
昇降口の手前で、誰かに呼び止められた。
声に引っ張られるように顔を上げる。
屋上に紺の浴衣を着た――咲人が立っていた。




