第2章 眠レル森ノ少女と壊レタ家族7
唄子が悩んでいると、綾女が静かに語り出した。
「鬼の斧は、江戸時代に眠りにつきました。王魅はもっと古く、平安時代頃だという話です」
あまりにも歴史が古すぎて、紀田家っていつからあるんだろうと唄子は思う。
「この二つの筒器は、あまりに巨大な力を持つゆえ、護孔と一緒に紀田の族長が管理しておりましたの」
「じゃあ、いまはアヤが管理しなきゃならないんだ?」
綾女は大きく頷き、そのまま頭を上げなかった。
「管理している分には良いのですが、使用するとなると知識が必要です。筒器の内容を知らずに使用すると、手痛い目に遭いますから
「死んじゃうとか?」
「えぇ。または心を乗っ取られるとかですわね」
そう言って、綾女は小さく溜息をつく。
「鬼の斧の情報は、沢山残っておりました。鬼の斧の意識は惨殺に傾くということや、元々飾りとして作られたことなどです。情報がある故に、鬼の斧は代々使用されておりました」
「王魅は?」
「王魅はわからないのです。王魅を所持すると、心が高揚し、自信に満ちあふれ、人を魅了するということぐらいです。ですから、王魅は謎の筒器として封印されておりましたの」
「じゃあ、どうして……こんなことになってるの?」
「お姉さまが族長になったときでした。王魅は突然光り輝いて、自ら封印を破り、お姉さまの胸元へ飛んでいったのです」
白い浴衣の太股に爪を立てて、綾女は涙を堪えた。
「そのあと、お姉さまは変わられてしまいました。わたくしの知っているお姉さまではないのです。人を陥れて喜ぶ、そんな人になってしまわれたのです。わたくしがなんとかしなくてはならないのに、お姉さまを戻す方法が見つからないのです。あの王魅をなんとかしなればっ」
唄子には姉妹も仲の良い親戚もいない。
綾女の辛さを受け止めて、癒したいけれど、傷薬になる言葉は見つからない。
だが、虐げられて、身動きがとれなくなった母なら側にいた。
子供を守りたくて、自分の身を犠牲にした母ならいた。
唄子はこのままの綾女でいいけれど、綾女の人生にとって今の状況は苦しいだけだ。
綾女は新しい場所へ動き出さなければいけない。
「……唄子?」
唄子は身を伸ばし、太股を痛めつける綾女の手の上に、自分の頭を乗せた。
そして真下から、綺麗で強い親友を仰ぎ見た。
「初めて見る顔」
右手を伸ばして、親友の頬をペチンと叩く。
「わたし、アヤを抱きしめて、良い子良い子したいけどさぁ、しないよ。だって、今のアヤはグチってるだけの女だもん。グチってね、楽になるならいいよ。でも、グチって、落ちて行くだけなら、やめな」
親友の切れ長の大きな目に、一瞬だけ、いつもの英知な光が宿る。
「自分を駄目にするだけの家族なら、捨てちゃいな」
「家族を捨てる?」
「肉親でも、どんな理由があろうとも、そいつが腐っていたら縁を切ればいいんだぞっ」
綾女は唇を内側に巻き込んで、喉を鳴らす。
(自分でも、わかっているんだね。切り捨てるべきだって)
彼女のような女性が、家族を捨てるには強い決心が必要だ。
弱ければ、恐れを感じて逃げる。
しかし才知と心の強さがあれば、なんとかなるのではないかと立ち止まって考えてしまう。
時に強さは人を助けるが、時に強さは人を愚鈍にする。
さんざん痛み付けられても家族だからと踏ん張って、きっと解決策があるはずと悩みに悩んで。
痛みを受け止めて、受け止めて、受け止め続けて。
呼吸が苦しくなって、はじめて「逃げる方向」に舵を取る。
母がそうだ。
あの悲しいほど強い母が、家を出ていこうと決意したのは、父が唄子にヤカンをぶつけたからだった。
ヤカンの水が生ぬるかったから、唄子は火傷をしなかった。
もし、このお湯が熱ければ――そう考えて母は立ち上がった。
しかし、綾女の家族は、姉だけだ。両親はいない。
それでも綾女の大切な人が攻撃されたら、きっと綾女は立ち上がる。
「竹村が池に沈んでいるの見たよ。あれって治療なんだってね」
「……はい」
綾女は目を閉じて硬い返事をした。
「運ばれていくとき、真っ黒焦げだったね」
「わたくしに力がないから、英利が盾になりましたの。筒卵を封印する術は、あの筒獣には効きませんでした。宿主になったのは、わたくしより力のある咲人様ですから……。成吾さんがいなければ、唄子も、英利も、わたくしも、死んでしまっていたかもしれません」
力が欲しい、と綾女の唇が動く。
それでいい、と唄子は思う。
力を欲するのは、前を向いているからだ。
出口を開けようとしているからだ。
「ツツキって他にないの?」
「あります」
「それで戦えないの?」
綾女は首を振った。
「王魅と渡り合えるのは鬼の斧ぐらいです。生半可な筒器で戦えば逆に自滅します。筒器が自分よりも強い筒器に味方する恐れがあるのです。かといって、もう……成吾さんを戦わせたくありません。あの方は、紀田とは無縁なのです。それに、戦いたくない人なのですわ。人を斬ることを躊躇い、命の大切さを知っている人ですもの。それなのに」
対抗手段は、成吾を戦わせることだけなのだ。
「じゃあ、鬼の斧を説得しなきゃ」
いとも簡単に唄子は言った。無知だからできる発言だった。
「説得する? 鬼の斧を?」
「意志があるなら言葉が通じるんでしょ? セイではなくアヤを主にしてってお願いしたらいいじゃない?」
一瞬、綾女の目が丸くなった。
「あ……でも、筒器には主の声しか通じないのです」
「じゃあ、セイに通訳して貰ったらいいじゃん」
ささやかではあったが、綾女の青ざめた頬に赤みが戻ってきた。
「唄子は、天才ですわ」




