第2章 眠レル森ノ少女と壊レタ家族3
巨木の森をひたすら真っ直ぐ歩いていくと、いきなり目の前が開けて、整備された道に出た。
(まぁ、人が住んでいるのだから道ぐらい会って当然よね)
唄子は深く考えずに道を歩き始めた。
表面が滑らかな一本道だった。
ただし、路面はやはり岩で、周囲の水脈の水分を吸って濡れている。
「あれれー」
見慣れていて、ここでは不自然なものが道にあった。
「車だぁ」
赤い小さなオープンカーだった。
テレビか何かで見たことがあるから有名な車かもしれない。
奇怪な世界の中のリアルだ。
つい、口元がほころぶ。
唄子は車に駆け寄って内部を覗いた。
よく磨かれた赤と黒と銀の車だ。
可愛いのと格好いいの中間で、男の子が手の中に握っていそうなミニカーっぽい、と思う。
缶ホルダーにはプルタブが開けられていないコーラ、助手席にはレザーグローブとサングラスが放り投げられている。男の人のものだ。
(ああ、さっきの人のかな?)
唄子は、綾女の指示で運ばれていった隻腕の青年を思い出す。
医者らしき白衣の人々が穴の中から出てきて、彼を護孔のどこかへ連れていった。
髪は乱れていてスーツはボロボロだったけれど、植物的な感じのする綺麗な男の人だった。
(名前は、サクトさん)
男の人でも、ああいうタイプなら唄子は大歓迎だ。
細身で知的で、野蛮からは遠いところで生きている感じがする。
(でも、成吾とケンカしちゃってんだよねぇ。男の人は見た目じゃわからないな)
そっと唄子は車から離れた。
あんな容姿なのに暴力を振るうのだ。成吾に暴力をふるったのだ。
(パパみたい――)
嫌な人物を思いだして、唄子は唇を尖らせる。
彼女が六歳の頃、父が浮気をした。
父は母や唄子が嫌いになって、怒鳴って物を投げつけた。
それから、ずっと父という名の柔道黒帯の巨体の男の罵声が家を支配した。
一年もしないうちに、母は唄子を連れて金山市の実家に逃げた。
その直後、父は浮気相手に母の名前を書かせて判子を押させて、離婚届を出した。
だが、――それを知って母は笑った。
唄子も笑った。
家族から男が消えて平穏に暮らせるようになった。
急に車が汚らわしい物に感じられて、唄子は走り出す。
そして、車が入られないだろう枝道の細い方を選んだ。
買ったばかりのローファーの靴音が高らかに響く。
「……はぁ」
細道の終わりは、大きな平屋だった。
コンクリートの壁が円を描き、屋根は平ら。
やたらと近代的な造りだった。
(ここが綾女の話していた家?)
門も、塀もない。
しかし無防備ではなかった。
沢山の狼が家を守っているようだった。
(あれがニホンオオカミって本当かな? 番犬じゃなくて番狼とかできるの?)
唄子を襲う様子はない。
こちらをチラリと見た後、みんなそっぽを向いた。
狼といってもそんなに大きくないし、凶暴には見えない。
毛並みもいいし、目が愛らしい。
(可愛いから、まる)
「おいでおいで。ねぇ~、遊ぼうよぉ」
甘ったれた声を出すと、その中の一匹が反応した。白い毛並みの狼だ。
「あー、さっきの子だよね?」
目覚めた唄子と綾女を赤い狼と一緒に守ってくれたのだ。
焼けていく山を昇らせ、安全な場所へ避難させてくれた。
きっと群れのリーダーなのだろう。
「そうだ。シンだよね。シンちゃん、さっきはアリガトねぇ」
側に来た狼の喉を撫でる。ふさふさした毛が指に心地よい。
「カノエちゃんは一緒じゃないの?」
たずねると狼は頷いた。人の言葉を理解しているのだろうか?
いい子いい子をすると、シンはくすぐったそうに首を縮めてから家の方へ歩き出した。
「もしかして、カノエちゃん、そっちにいるの?」
背に声を投げかけるとシンは頷いた。
「わたし、入ってもいい?」
またシンが頷く。
唄子は気軽にシンの後をついていった。
こんなに頭が良い番狼が許可したのだから、唄子は客人として認められているということだろう。
平屋も、さっきの車と同じでやたらと現実的な代物だった。
平屋なのに鉄筋コンクリート造りなのは防御のためだろうか。
明かり取りのためか、壁に無数の小さな丸窓が設けられている。
プラネタリウムの機械みたいだった。
(かっこよくて、まる)
お泊まりするのは、時代劇に出てくる日本家屋だと思いこんでいた。
小さなサプライズに唄子の心がぽんぽん弾んだ。
シンは飛び石の上を跳ねて進み、平屋の裏側へ向かっていく。
追いかけっこの気分で唄子も駆けだす。
「うっわー」
すごい、という言葉を飲み込んで目の前の光景を眺めた。
平屋の裏側には小さな湖がひろがっていた。
澄みきった水を湛えた湖の中心には見たこともない植物の茂みがある。
「アヤの家って、テーマパークみたい」
白い砂利が敷き詰められた波打ちぎわを歩いていく。
道案内の狼は建物の前に立っていた。
そこには湖から水をひいてが作られている。
シンから数歩離れた所にカノエが座っていた。
悲しそうな顔をして池を覗き込んでいる。
「どしたの、カノエちゃん?」
シンとは違ってカノエは反応しない。クーンと鳴いて池から目を離さない。鯉でも死んでしまったのだろうか?
唄子はカノエの隣に並んで池の中を覗いた。
「――!」
衝撃が強すぎて、悲鳴さえでなかった。
人が水の中に沈んでいる。しかも浮き上がってこないように腹に岩が乗せられている。
「……た」
相手の名前は分かっていたが、言葉が続かなかった。
――水の中、竹村英利が死んでいる。
岩が腹にあるということは、人の手が加わったということだ。
殺害された事は明らかだった。
「……うそ」
唄子は腰を抜かして、その場に座り込んだ。
頭の中は真っ白真っ白。
何も思いつかない、考えられない……。




