第1章 落下スル少年と殺意アル刃物14
「……成吾さん」
綾女が沈痛な表情で、名を呼んだ。
「庇わなくていいから。オレは行くから。逃げられない現実なら見てやるから」
「だけど、成吾さんは巻き込まれただけですのよ?」
「巻き込まれただけでも……守られ続けるのはキツイから」
すると、わざとらしく英利がパチパチパチと拍手をしてきた。
「顔は女でも、心は男。女に庇われて帰れる訳ないよなー」
一言余計である。
成吾は怒る気にもなれず、言葉を詰まらせている綾女へ目を向けた。
胸を両手で押さえて心配そうな顔をしている。
「斧の記憶があやふやで、気持ちが悪いんだ。見に行ったら思い出すかもしれないし、どうせいつか思い出すなら早いほうが良いと思う」
語りながら成吾は過去と向かい合っていた。
――成吾が記憶を失うのは二度目だった。
一度目は人質になったときだ。
両親や医師や看護婦という真綿でグルグルとくるまれて成吾は回復した。
記憶がないから学校生活も順調に送れるだろう、ということだった。
だけれども、世間がそれを許さなかった。
立てこもり犯は、五年前に高見銀行の就職試験を受けて落ちた男だった。
良い大学に入り、良い成績をおさめたのにも関わらず、彼は就職試験には落ち続けた。
そういう背後事情も加わって、マスコミは事件を就職難が生んだ悲劇として扱った。
マスコミは、病院に成吾の安否の記者会見を要求し、成吾が通っていた小学校を取材し、学校の友達にまでマイクを向けた。
そして、成吾は楽しく過ごしていた学校の中での居場所を失っていた。
級友達は「成吾くんは可哀想だから特別扱いをしなきゃイケナイ」と先生に教え込まれていた。
子供達は、何がイケナイのか、どうイケナイのか、完全には理解していない。
家にいるときはテレビで、学校では噂話で、事件のことが耳に入ってきた。
だが、ある日……記憶は完全に蘇った。
当時住んでいたマンションのベランダから、干していた洗濯物がヒラリと落ちた。
それは成吾のTシャツだった。
しかし成吾の目には、Tシャツが落下していく自分に見えた。
そしてテレビで放送されていた事件の映像や、
犯人の写真、
学校で囁かれていた「池平くんは人質になって怖い思いをしたから」「池平くんを犯人が抱いていたから、救出が遅れたんだって」
……という言葉などがミックスされて綱になって、脳の底から一つの固まりを浮上させた。
封印していた事件の記憶だった。
成吾は恐怖に発狂して、マンションを飛び降りようとした。
それは、地面には警察が用意したクッションがあって「また助かる」と思ったからだ。
犯人の人質になったままだと、両親が自分を助け出そうと自ら傷つきに行こうとする。
だから成吾は、犯人が窓の外に自分を突き出して手を離したとき、ほっとしたのだ。
(これで、パパもママも刺されない)
しかも、地面に敷かれた分厚いクッションが彼の命まで救ってくれた。
落ちても、助かる。
落ちれば、助かる。
時折、気を失ってしまう原因が、これだった。
ベランダから飛び降りようとした成吾を母親が抱きついてとめた。
その翌日、父親は退職願いを出した。
もう、この土地では生きられない。
成吾の記憶を刺激するものから離さないと、成吾がまた飛び降りるかもしれない。
一家が隣県の金山市に引っ越したのは、成吾を守るためだった――。
過去を顧みて深呼吸をし、成吾は綾女の目を見つめた。
「言っとくけど、オレ強くないよ」
「おい、成吾」
「自分で言うのも何だけど、めっちゃ強くないから。女顔なのも気にするし、チビって言われると頭に来る。だから虚勢を張って、強いふりをしようとするんだ」
聞いていた綾女は胸元のリボンをぎゅっと握りしめた。
「それでも知った方が自分の身を守れるなら、その手段をオレに見せてよ。こんな弱いオレなんかと友達になるなら、そうしてよ」
言い終わると、綾女は両手を下ろした。
そして大きく頷いた。
「わかりました。わたくしが間違っておりました。一緒に戦いに参りましょう、成吾さん」




