第1章 落下スル少年と殺意アル刃物11
成吾は十分以上も、口を半開きにして頭上を眺めていた。
あんまりな事態に、身体が動かなくなっている。
地下へ向かって階段を下り続けたら、広大な森が広がっていたのだ。
名も知らぬ巨木群が、地から天へ向かって真っ直ぐに、緑の頭を突きだしている。
地下に潜ったはずなのに、天には青空が広がっていた……。
今日は曇りだから、作り物の空かもしれない。
恐竜に似た鳥が滑空している。
あれは始祖鳥だ。木に昇って飛ぶ原始の鳥だ。
「足元に気を付けてください。ここは、転びやすいんですの」
綾女の声に引っ張られて、上げた顔を下げる。
地では、巨木の太い根が、曲がりくねり、重なり合い、所々でトンネルを造るという複雑な網を形成していた。
ここには根が潜る土がない。
地は濡れた岩だ。
こまかな白い砂が薄く広がった岩の割れ目に、透明な水が流れている。
この水を求めて木々は根を伸ばしたのだ。
「これが護孔の心界、彼の持つ世界です」
「……世界」
たしかに、これは一つの世界だ。
科学ではない。
今の科学技術で、地下に、これほどの規模の森が作り出せるはずがない。
「これからする話は奇抜すぎるので、信じろとは言いません。ただ、頭の片隅に記憶してもらいたいのです」
静かに綾女が語り始めた。
「地球と宇宙の狭間にも、心界と呼ばれる空間が存在します」
「人の目に見えませんが、心界は地球を左右する強力な力を持った空間です。
心界の底には、天水と呼ばれる意識の水が宿っています」
話に付いてこられるのか、と綾女が成吾の目を見据える。
「天水は地球上の生命の『意識の集合体』です。そして天水を動かすのは、生きるという本能です」
言ってから綾女は成吾から目をそらし、自分の説明が正しいのか確認するように唇に指先をあてた。
「生きるという本能には、群れ単位や個体単位もあります。
中には自ら死して、他を生かすという意識もあります。
とにかく天水を動かしているのは、そういった生命を持続させようという意識なのです」
分かるようでちっとも分からない話に、成吾は頷いてみせた。
「他にも天水の中には、様々な意識が溶け込んでいます。
愛情、憎悪、幸福、絶望など生命が持つ感情です」
「あのさ、なんで天水に人とかの意識が溶け込むの? 溶け込む必要ってあるの?」
「お答えできませんわ。わたくし達にも分からないことですから。
ただ、そういうことになっている、だけですの。そういうことになっている、から大変なんですのよ」
成吾が首を傾げると、綾女は屈んで、巨根の下を通って流れてくる親指幅の水流を見つめた。
「これが天水だとすると、人の意識は――」
濡れた砂利をつまみ、水流に入れる。
「――この砂ですわ」
白い砂に水が白濁していく。
「人は、異常なのです。他の生命体とは違って、複雑な意識を毎日大量に放出します。
人の意識は、天水を濁して流れを遅くします」
砂利に含まれた小石に、流れてきた小枝や砂が引っかかっていく。
そうやって出来た即席のダムによって、水は濁ったままだ。
「天水の流れは、生物の意識を左右します。
よどめば生命活動が不活発になり、生き残ろうという基礎の意識が薄れることすらあります。
酷いときには生態系に狂いが生じます」
「地球が滅亡しちゃうと?」
大きな話だ、と思いながら成吾は聞いてみる。
すると綾女は「いいえ」と言って笑った。
「天水には、濁りを排除する浄化作用がありますの。
天水の濁りは、時が経つと凝縮して地上へ破棄されます。こんな風に」
綾女は水流から小石や小枝を取り除く。
すぐに流れが復活し、水は茶色から無色透明に変わっていった。
「この排除された物質が結晶化したものが筒卵です。
中には、心界が持つ特異なエネルギーと、生きるという生物の基礎意識と、濁った意識の三つが入っています」
汚れた指先を水流に浸しながら綾女は説明を続けた。
「筒卵が生物に宿れば、つつじゅう筒獣になります。
筒獣は濁った考えで生命活動を続けようとする心界で……」
「ごめん。あの、話が飲み込めない」
戸惑って成吾が話を止めると、綾女がちょっとしょぼんりした。
「すみません。わたくしの説明がヘタなのです。
ようするに、筒卵が無機質にはいると筒器という神具になります。
ただし筒卵が生物にはいると、化け物とか妖怪とか精霊と呼ばれている者達が誕生するのです」
やっぱり、いまいち良く分からない。
「筒器と筒獣の違いって何?」
「筒卵が違いますの。
筒器の場合は、筒獣よりも、筒卵に入っている天水の量が多いんですの。
だから生物に入らなくても無機質に命を吹き込むことが出来ます。
天水の量が多いと、天から心界の力を呼び出して摂取することが出来ますから、永遠の命を宿すことになりますの」
そう言ってから綾女は「筒獣は……」と言って目をさまよわせる。
簡単に説明することが難しいのだろう。
宇宙と地球の狭間に、心界があり……心界には生物の意識の水『天水』が流れている。
その天水の濁りが結晶化したものが『筒卵』
無機質なものに宿ると『筒器』という神具になる。
生物に宿ると『筒獣』という化け物になる。
――そこまでは、なんとなく成吾でも理解できたような気がする。
「筒獣について……話を分かりやすく説明すると、筒卵に天水が少ないんですの。
そんな筒卵は命を宿したものに寄生しなければなりませんの。だからたとえば」
と、綾女は自分で考えた内容を口にするのがおかしいという風に語尾を弾ませる。
「チョコレートが大好きでたまらない。
その為ならなんだってしますっという濁った感情を持った筒卵があったとします」
いたずらっ子の目をして、白い歯並びの中からピンク色の舌先を覗かせる。
そういや、同じ年だった。さっきまでは、年上の女のように感じていたのだ。
「その筒卵がウサギに宿ってしまうと、そのウサギはチョコレートが大好きになってしまいますの」
「……草食動物の枠を越えちゃうんだ」
成吾の呟きに、綾女が可愛らしくふきだした。




