第1章 落下スル少年と殺意アル刃物1
精霊は、
妖精は、
妖怪は、
どこからくるのだろう。
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『はいっ、ここが人質立てこもり事件の現場になっている高見銀行です!』
成吾は空になったどんぶりに、ラーメンの汁が染み込んだ割り箸を投げ捨てると、ゆっくり首を動かして、店内の角に設置されたテレビを睨んだ。
『シャッターが下ろされた後、銀行員と客十数名は三階へ移動した模様です。犯人の手でカーテンが閉められ、内部は覗けません』
画面には、四階建ての白いビルの前でレポートする中年女性がいる。
彼女は眉間に皺を寄せ、右手でマイクが震えるほど強く握りしめ、左手で三階を指さしたまま動かない。
『今は夕方の五時半です。立てこもりから三時間が経過しております。え……今、カーテンが動きました?』
カメラマンか誰かに確認してから、彼女は建物を振り返る。
ブラインドに僅かな隙間ができていた。
そして窓が少し開き、黒い革手袋の手が「何か」を夕闇に突き出す。
ビルを照らし出す警察の照明。
その中で照り輝きながら「何か」が歩道へ落下する。
カメラが慌てて追う。
画像が風になり、歩道にピントを合わせる。
『包丁ですっ。血に染まった包丁です。事件から三時間、とうとう犠牲者が出ました!』
【世間を騒がせた事件トップ10! ~高見銀行人質救出作戦~】
――という番組のタイトルと事件名が画面の右上に入ってきた。
さっきまでやっていたニュースで特集を組んだらしい。
(ふざけてやがる)
成吾は思いっきり顔を顰めて、カウンターに視線を戻す。
そして、そなえ付けのティッシュを一枚もらい、乱暴に口を拭った。
『ただ今、情報が入りました。犯人から警察に電話がかかってきました。女を刺した、次は女の子を刺す、と言ってきたようです。あ、今、窓から子供の顔が見えます。犯人に首根を掴まれ、無理矢理……ああ、落ちてしまいそうですっ』
反射的に成吾は振り返って、テレビの画面を凝視した。
『犯人が「金を渡さないなら、この子を殺す」といっているようです。……あ。金と、車でしたね。正しくは「車に金を積んで渡さないなら、この子を殺す」でした』
大丈夫。
子供の顔には、しっかりとモザイクがかかっている。
ふと成吾は自分を見つめる目を感じ取った。隣の青年だった。
「きゃああぁぁぁぁっ」
店内にテレビの悲鳴が響いた。
画面を見なくともわかっている。
真っ赤な血に染まった子供が暴れて、三階の窓から突き落とされたのだ。
警察が用意していたクッションの上で、子供の身体は二度三度跳ねあがり、路上へ転げ落ちるのだ。
隣の席の青年が「ねぇ」といきなり声をかけてきた。
「君さぁ」
青年の方を見るとニヤニヤしている。
(まさか、あの子の正体を知ってるのか!)
成吾は急いで丸椅子から立ち上がり、カウンターに置いていた眼鏡をかける。
細身でスクウエアタイプの黒い眼鏡フレームは、顔の印象を変えてくれる必須アイテムだ。
「ごちそうさん」
声を出すと、青年が首を傾げて聞いてきた。
「風邪ひいちゃったの?」
成吾は訝しげに青年を見る。
「君ってショートカットで日焼けして、健康的で可愛い娘だなぁって。さっきから気になっててさ。ボーイッシュな格好もすごいタイプ」
「――お前な!」
怒鳴ろうとした瞬間、ワークパンツのポケットからヒップホップが流れ出す。
成吾はポケットに手を突っ込んでスマホをとりだした。
母親の明るい声がした。電波が悪くて言っている内容はわからない。
「はい。母さん。聞こえてる? オレだよ」
オレを強調して言うと、青年が真っ青になった。
「ええっ! 嘘だろっ」
叫んだあと神妙な顔になって「そのなりでオトコ?」と訊いてきた青年の顔に、成吾は大盛りラーメンの半券を叩き付けた。
大股で店を出ると、電波の調子が良くなり「成吾ぉ? いまの誰? 友達? 何かあったの?」と、母の声がクリアに聞こえてくる。
「ラーメン屋で騒いでるヤツの声じゃない? うん。雨降ってきて、ラーメン食いながら雨宿りしてた。あとは本買うだけだし七時までには帰れる。父さんにもよろしく言っておいて」
何事もなかった風に成吾は電話を続けた。
毎日、五時半、普通の態度で電話に出る。
あの事件以来、これが家族の約束事になっていた。
「なにもないよ。じゃあ」
携帯を切って、成吾は溜息をつく。
この後すぐ、母は父にも生存確認をするはずだ。
(一生、これを繰り返しているわけにはいかないよなー)
スマホをポケットに入れて、成吾はだらだらした足取りで駐車場へ向かった。
自分達家族は、変わらなければならない。
事件や事故は、いつ起きるかわからないのだから。
このままでは、一人一人が息苦しさで狂ってしまう。
(みんなで普通に生き続けるために、何したらいい?)
成吾はメッセンジャー御用達の自転車フラットロードバイクにまたがった。
答えは、なかなか見つからない……。




