第9話 封じられた部屋の声
「次で目的地ですから、深呼吸してくださいね。……それと、誠さんは覚悟を決めてください。この先で、必ずその剣を使うことになります」
開いた扉を見ながら茜はそう言って笑う。何を安心すれば良いのか見当もつかず、誠は汗ばんだ掌で刀の柄を強く握りしめた。鞘越しに伝わる冷たい金属の感触が、逆に胸の奥の不安を増幅させる。
「あの、嵯峨警部……これ、本当に何に使うんですか?使うって……任務だからやりますけど、本当に何を斬るんです?いい加減教えてくれても良いじゃないですか。もう情報漏洩も何も関係ないブロックまで来てるんでしょ?それに斬るのは僕ですよ……その僕が何も知らないなんて……問題あることだと思いません?その態度、まるで隊長ですよ」
誠は静かにそう言って手にした刀を茜に見せた。茜はそれを見てにっこりと笑うばかりで答えることはなかった。
「そうですわね。とりあえず剣は袋から出しておいた方がよろしいのではなくて?それと私とお父様を一緒にしないでくださる?私はあんな駄目な人間とは違う真人間です!」
茜の言葉に誠は刀の袋の紐を解いた。冷たい空気の中で指かかすかにかじかんでいるのが誠にも感じられた。
「へー、そう言う風な結び方なんだ。初めて見たわ。さすが剣道場の跡取りだけあって手慣れたものね」
アメリアは珍しそうに刀の入った袋の紐をほどく誠の手元に目をやった。
「別に決まりなんて無いですよ。ただ昔から普通に……こうして……これで大丈夫です」
誠は剣を袋から取り出すと袋をジャンパーのポケットに畳んで入れて剣を握りしめてアメリアに笑いかけた。そんな誠の言葉が出る前に通路の奥で不気味なうなり声のようなものが聞こえた。誠達は身をすくめてその異様なうなり声のするあたりを見つめた。
「このうなり声……茜さん。なんなんです。答えてくれますよね?実際に生き物を斬るとしたら僕なんですからいい加減教えてくれてもいいんじゃないですか?もう僕は何か斬らなきゃいけないことは理解してるんで。大丈夫ですから。ためらったりしないですから」
心の決まった声で誠は茜に尋ねた。茜は笑顔でごまかしたりはしなかった。
「この剣を使うべき時が来ました。いずれ『彼』にも休むべき時が来た。その為にその剣を使ってください。気の小さい誠さんも『彼』を見たら心が決まるでしょう」
茜ははっきりとそう言って誠にそのうなり声の主を斬ることを命じているのだと誠にも分かった。
「斬るべきうなり声の主か……やっぱり怪獣を飼っているのか?神前の出番ってことは銃の効かねえバケモンということか……おもしれえ。一目見てみたいもんだねえ」
笑いながらそう言ってかなめは茜の前に出て歩き始めた。かなめはそのまま楽しむような視線であたりを見回す。茜はわざとランやラーナを壁にして誠達の足を止めた。
「誠ちゃんも気になるの?これから誠ちゃんが斬るうなり声の主の事。じゃあ確認しに行きましょう」
そのままいかにも楽しそうなアメリアが一人歩き出した。それにあわせてカウラも誠の肩を叩いた。ただここにいる全員の足音だけが無音の廊下にこだました。
「はしゃぎ過ぎだ、アメリア。これはあくまでも任務だ。別に動物園に来たわけじゃ無い。それに何か生き物の命を奪うことになる神前の気持ちも少しは考えろ!」
カウラの声で気を取り直した誠は歩きながら刀の鞘を握った。振り返るとサラと島田が不安そうに誠達を見つめていた。
廊下の横には強化ガラスで覆われた、まるで動物園の展示スペースを思わせるものがいくつも並んでいた。そのガラス越しに何かが見えた。誠は汚れたガラスの中に目を凝らした。
「大丈夫よ。ここの技術者の方々も見てる代物よ。噛み付いて来たりはしないわよ。この存在にはもう敵意と言うものは無いのですわ。御覧なさい、今のこの存在。救ってあげたくなるでしょ?」
そう言って進んでいた茜がその一つの前で立ち止まった。カウラは警戒したように歩みを止めた。そこに再び獣の雄たけびのようなものが響いた。
誠はその獣のような雄たけびに悲しみのようなものを感じて自然と涙がわいてくるのを感じていた。
「悪趣味ね。さっきまでふざけていた自分が馬鹿らしくなるくらい。どうしたら人間こんなことが出来るのかしら?」
立ち止まったアメリアはそう言い切ると誠を見つめて笑った。その笑いは乾燥していて、自らも科学が生み出した悪魔の人造兵器である『ラスト・バタリオン』としての宿命を背負っていることを示していた。
「でも……これは……悪趣味ですか……それで済む代物なんですか?こんなこと人がやることなんですか?」
誠はアメリアの影に入り込みながら強化ガラスの向こうにある黒い塊に目をやった。
誠は最初はそこに何があるのか分からなかった。大きさは動物園で見た地球のヒグマという生き物と同じくらい。誠が見た大きさの印象はそんな感じだった。ただ、それが良きものなのかどうかは誠にも分かりかねた。正確に言えばそれは誠の思いつく生物のどれとも違う形をしていて種類や名前という定義づけが難しいからだろう。それはあえて言えばウニかナマコと考えれば分かりやすいが、ウニやナマコが吼えるわけも無かった。
そこにあったのは、言葉を失わせるほど異様な存在だった。肌色の巨大な塊から、節くれだった五、六本の突起が不規則に伸び、まるで人間の手足が無理やり接ぎ木されたかのように蠢いている。吐き気を誘うほどの生温い臭気がガラス越しにも漂ってくる気がした。その生えているものが人間の手や足と似ていることに気づくまで数分かかった。そしてその丸い肉塊は細かく震えながら床をうごめいていた。その表面に見えるのは目のようなもの、口のようなもの、耳のようなもの。そしてところどころから黒い長い毛が伸びているのが分かった。
「茜さん……クバルカ中佐……これが見せたかったものですか?」
その物体から目を離すことができた誠は近づいてくる二人の上官に目をやった。二人とも腕組みしたまま黙って誠を見つめていた。
「成れの果てですわ。法術適正者の。法術が暴走すれば自分でも制御が不能になりこのような姿に成り果てる……それが法術師の定め……でも、自然にこのような状況が起きるわけがない。もし起きるなら遼州人は1億年も焼き畑農業しか出来ない平和な暮らしをしている民族として永続することは出来なかった……そこには地球科学の影響……明らかに誰かの作為が背後にある……そう考えるのが自然ですわね」
そう言うと茜はガラスの窓の隣の出っ張りに携帯端末を載せた。開いた画像には女子高生とサラリーマン風の中年の男、そして小学生くらいの男の子の姿が写されていた。
「こうなってはどうするべきか分からないけど、この三人の遺伝子データと一致するサンプルが見つかっていますの。おそらくは……」
茜は淡々とした調子でそう言った。そこには感情を殺さなければこの非道を許すことが出来ないと言う彼女の怒りが現れていた。
「おい、こいつはどこで見つかった……って聞くまでも無いか。例の湾岸地域か……それにしてもあそこは『租界』に近いな。闇研究をやるには最適な場所だ」
かなめの言葉に茜は静かに頷く。東都港湾地区か沖の租界の周りででも発見されたのだろう。黙り込む茜達の纏う雰囲気で誠もそれを察した。
そしてその時、誠は気づいた。手にしていた剣から熱いものが手のひらを経てそのまま頭の先まで達するような感覚を感じ、それが何意味するのか戸惑っていた。
「神前さんは何か気づいたことは?」
そう茜に言われて自然と誠は手にした刀を茜に差し出した。
「剣が反応しているんです。なんと言ったら分かりませんが、とにかく剣がここに来てから妙に熱を帯びてきているんです……僕に何か言いたいことがあるような……そんなはずが無いですよね。しゃべる剣なんてファンタジーの世界じゃないんですから」
誠にもはっきりと今言えること。剣は熱を帯び、手の中でかすかに震えていた。それはただの物理的な反応ではない……理不尽な暴力への憤怒が、鋭い刃から脈打つように誠の腕を通じて流れ込んでくる。剣そのものが生きていて、怒りを共有しているかのようだった。誠にはこの温かみがそんなことを意味しているように感じられた。
「やはり待機状態に入ったようですわね」
茜はそう言うと口元に笑みを浮かべた。その視線は誠の手と握られた刀に向いていた。
「待機状態?なにか?この法術適正者の成れの果てを見て神前がビビると何かが起きるのか?」
そんなかなめの言葉を無視して茜は開いた端末を仕舞うとさらに奥へと歩き始めた。次の部屋にも似たような肉塊が転がっているという状況が何度も続くと次第にその存在が自然に思えてくる。誠にはこのような異常な光景に慣れてく自分に恐れの感情が浮かんできた。
「まだこんなのが続くんですか?俺もう飽き飽きですよ!こんなの二つも三つも見たくありませんよ!」
普段はヤンキー王を気取って『喧嘩最強』と言っている島田は、実はオカルト信者でお化けとかにはものすごく弱い。明らかに島田が想像するお化けの姿の形をしている物体の存在を見て普段は見ることが出来ないほどの怯え切った様子で手を握ってくるサラと一緒に一歩遅れて誠達に続く。一方の、サラはと言えばあまりの目の前の変わり果てた法術師の慣れの果ての姿に言葉を失い、目に涙をためていた。
突き当りにはこれまでの動物園の展示スペースを思わせるものとは違う金庫のようなものがあった。その雰囲気の厳重さと無機質な金属の壁で完全に封じられており、先ほどのガラス窓とは異なる重苦しい閉塞感が漂っていた。まるでこの奥には、見てはならないものが眠っているとでも言うように。
好奇心の塊のアメリアはそこに開けられた小さなのぞき穴に顔を近づけた。そのアメリアの態度はいつもふざけてばかりいるアメリアのそれとは違い、真面目ないかにも中佐らしい態度が感じられた。
「見えないわね。レンズが曇ってるのかしら」
アメリアがそう言うが、茜はただ黙ってその様子を見つめているだけだった。茜は中のモノには関心が無いというように誠の手の中の刀を見つめていた。手にした刀の熱はアメリアがレンズを覗いた瞬間にさらに確実に温度を上げていた。




