第82話 語られることと、葬られること
『悪夢のような同盟厚生局違法法術研究事件』と銘打った報道番組が、寮の食堂の大型テレビに流れていた。
「……同盟加盟国首脳の電話会談は昨夜、予想通りの決裂ムードから一転、仲裁案で決着しました……」
甲武やゲルパルの仲裁を告げる若い男性キャスターの声が響く中、司法局の隊員たちは画面をちらちらと見ながら無言でコーヒーをすすっていた。
政治は動いたが、戦場で汗を流した彼らに称賛の声が届くことはなかった。
そんなニュースの余韻が残るまま、日常は容赦なく戻ってきていた。
事件は翌日に開かれた同盟加盟国首脳の電話会談であっけなく幕を閉じた。
同盟厚生局に強い影響力を持っていた遼北人民共和国と宗教問題で揉めている相手国である西モスレム首長国連邦が同盟厚生局の暴走は遼北本国の指示の下に行われた犯罪行為であり、許すことはできず、同盟加盟国に遼北非難決議を議決するように迫った。
しかし、ベルルカンの西モスレムに支援を受けている失敗国家が同調する程度でその決議は行われず、逆に同盟厚生局が本国の指示を受けずに暴走した事を示す資料を遼北の盟友ともいえる外惑星共和国連邦の諜報機関が提出したことで西モスレムは振り上げたこぶしの落としどころに困る結果となった。
遼北はこの機に乗じて、同盟厚生局の暴走は同盟機構の管理不行き届きであり、同盟機構の存在する東和共和国にその責任があると非難を始め、その証拠として東和陸軍が厚生局の違法研究に深く関わっていた事実を上げて東和共和国非難を始めた。
遼北、西モスレム、東和の対立する中、中立の立場を取っていた甲武国とゲルパルト連邦共和国が仲裁に入り、同盟厚生局再建に当たっては西モスレムが主導権を握ることと、同盟厚生局の違法研究関係者の捜査に西モスレムの司法当局が参加することで会議は終結した。
結局はこの事件も同盟内部ではよくある同盟内の覇権争いの一つの出来事に過ぎず、当事者として捜査に当たった司法局や同盟軍事機構を称える言葉はどの首脳からも発せられることは無かった。
そんな政治的な事情とは無関係に『特殊な部隊』はいつものような日常を取り戻していた。
「姐御!早く片付けてくださいよ!」
司法局実働部隊のハンガー。並べられたシュツルム・パンツァー達の前で剣道の胴着に身を包んだかなめが叫んだ。誠は目の前のランに正眼に構えた竹刀に力を入れた。
今日の訓練メニューは剣道だった。誠が剣術道場の跡取りと言うことで始まった剣道勝負もすでに5回目を迎えていた。ラン一人に対して機動部隊第一小隊を中心とした『特殊な部隊』の選抜チーム5人が対決するのだが、これまでの成績はランの全勝だった。
今回もランの前にすでに先鋒のカウラ、次峰のかなめ、助っ人の中堅アメリア、副将のこれも助っ人の島田が倒されていた。
本来ならば剣術では誠の遥か上を行く腕前のかえでが出るべきところなのだが、今日はこれまで休みなしで05式のシミュレータ訓練を受けていたということで第二小隊の面々は一週間の長期休暇の最中だった。
「ヤー!」
雄たけびを上げながら大将を務める誠はさらにじりじりと間合いをつめた。120センチに満たないランである。手にした竹刀も普通のものより二割も短い。だが、運動量を生かした軽快なフットワークでいつも誠はその誠の隙を突いての突然の突進の前に倒れていた。
『間合いを取れば勝てると簡単に考えたのがいけなかったんだな……アウトレンジからの奇襲が得意なクバルカ中佐だ。逆に間合いを詰めれば……』
だがランの左右への飛ぶような動きの前に攻撃に集中できない誠に勝機があるわけがなかった。すぐに面の下にランの笑みが広がるのが見えた瞬間、ランは竹刀を誠の長いそれに絡ませて思い切り振り上げた。自信があるはずの誠の握力でも、手にした竹刀が飛ばされるのを防ぐことなど出来なかった。
そして飛んでいく竹刀を確認してから誠の面にランの一撃が落ちてきた。
「はい!面一本!それまで」
正審をしていた司法局実働部隊運用艦『ふさ』副長、パーラ・ラビロフ大尉の声が響いた。もはやランの勝ちが当たり前になって賭けさえ成立しないので無関心な整備員達がやる気のない拍手をランに送った。
「神前!また負けやがって!それでも剣道場の跡取り息子か?『神前一刀流』ってのはお座敷剣法で役には立たないと……オメエのお袋連れてこい!オメエのお袋が姐御に勝ったらそうじゃないと認めてやる!」
面を取ったばかりの誠の首を飛び出してきた負けず嫌いを公言しているかなめは掴んで締め上げた。
「苦しいですよ!マジで!それに母さんは他流試合はしないんですよ!苦しいです!勘弁してください!」
誠の叫びを無視してかなめは誠の頭を振り回した。
「西園寺!テメーも5秒も持たずにアタシに負けた口じゃねーか!神前はとりあえず30秒持ったぞ。もっと善戦をねぎらってやれよ!神前の構えには隙が無かった。アタシはその隙の無い構えの中にも見えるわずかな隙を突いたんだ。褒めるならアタシを褒めろ」
あれだけ大勝しておいて息一つ切らさない小学生用の胴着に身を包んだランが笑いながら軽口を飛ばした。
「でもさあ。もう少しやりようってもんがあるじゃないですか。それにアタシだって剣法はお袋からイロハの『イ』くらいまでしか習ってないんですよ。ああ、かえでは相当鍛えられてた……ああ、あの変なのの事を思い出したら寒気がしてきた。明日までかよ……第二小隊の隣の工場での訓練後の長期休暇。明後日にはアレがうちに来るんだ……対策立てておかないとまたセクハラの嵐だ……」
かなめは剣と言うことで妹のかえでの事を思い出し、そのセクハラに耐える日々を想像して頭を抱えた。
「デモもストライキもねーってんだよ!アタシに手も足も出ないで負けた奴に神前を責める権利なんてあるわけねーだろ?じゃあ罰ゲームだ。いつもどおり胴着を着たまま10キロマラソン!ちゃんと身体はほぐしとけよー。それにしても、明後日に第二小隊の人間は来るが肝心の機体がしばらくは来ねーんだ。まー明後日からはかえでにはオメーへのセクハラを許可しとくから。それで奴にはストレスを解消してもらおう」
あっさりとそう言うとランはそのまま更衣室のあるハンガーの奥へと消えていった。
「まったく……神前の馬鹿が。それにクバルカ中佐、なんかもの凄い事言ってなかったか?機体が来ない?予算がねえからか?そのストレスの発散先がアタシって……そうだ、神前に責任は取ってもらおう。アイツはかえでの『許婚』だ。アイツの童貞をかえでに捧げればかえでの矛先はアイツに向く。我ながら良いアイディアだ!」
自己中心的なかなめはすっかりすべての責任を誠に擦り付けることに決めていた。
「しょうがないじゃないの。相手はクバルカ中佐。剣で暴れたらそう簡単には倒せない相手よ。まあ、誠ちゃんは剣術指南役としていつかは倒さないといけない相手だけど。それと本当に良いの?誠ちゃんとかえでちゃんが結ばれたらこれまでみたいに誠ちゃんはかなめちゃんにかまってくれなくなるのよ?私は反対するわ!誠ちゃんはかえでちゃんにはあげない!かなめちゃんは今まで通りかえでちゃんのセクハラの標的になりなさい!それが一番平和な解決策なの!」
アメリアが意味ありげな笑みを浮かべた。カウラはただいつものこんな穏やかな日常に満足しているように満面の笑顔で誠を見つめていた。
「またかよ……次回はやる気ゼロのアメリアさんじゃなくてサラに頼もうかな、助っ人。パーラさんに頼むのは……パーラさんの勝負弱さは筋金入りだからな……」
10キロマラソンに備えて屈伸をしながらやる気が無さそうに島田はそうつぶやいた。
「正人!何で私に振るのよ!パーラの方が強いのよ!アタシなんか瞬殺されて終わり……と言うか誰が相手になってもクバルカ中佐に勝てるわけが無いじゃない!」
そのまま正面に立って熱戦後の息を整えている誠を見上げていた島田の一言にサラが抗議した。
「おにぎやかね」
クリーム色の制服姿の公安機動隊隊長安城秀美少佐が慣れた軽やかな足取りでハンガーに入ってきた。その背後には、古びた鳥打帽を手にした小柄な老人が立っていた。
彼の手はわずかに震え、視線は床に落ちたまま。おどおどとした様子で誠達を見つめていた。
「あっ、西園寺のお嬢様……」
しぼむような声に、かなめは一瞬言葉を失った。
老人の視線がかなめに注がれた。先の事件の加害者とも被害者とも言える人身売買組織を仕切っていた志村三郎の父親のうどん屋の亭主であることが分かり、場が一瞬静まり返った。
「ああ……どうも。先日はうどん旨かったですよ」
かなめは何を言ったら良いのかわからず、とりあえずそう返事をしていたが、そこにいつものがらっぱちなかなめの姿は無かった。そんな姿に安城が困ったような表情を浮かべていた。
「工場の正門で困った顔してたから乗せてきてあげたの。西園寺大尉!」
いつものように『特殊な部隊』の隊長である嵯峨と違って威厳を感じさせる安城の人にらみにかなめは姿勢を正して敬礼をした。
「はい!なんでしょう?」
安城の声にこたえるかなめの顔はいつもの斜に構えたかなめではなく気恥ずかしさを押し隠している無表情をまとっているように見えた。
「お客さんは案内したからね!じゃあ私はあの昼行灯のところに行くからよろしく。まったく朝から電話を掛けてきたと思ったら第二小隊の機体を買いたいからうちの予算を回せですって……ふざけるにもほどがあるわ。あんな高いものうちの予算でどうにかなるわけないじゃないの!予算の事なら同盟機構の本部に問い合わせなさいよ……まあ、その会議でいつも寝てるからいつまでたっても肝心の予算が確保できないのよ。そんな事も分からないなんて『悪内府』の二つ名が聞いてあきれるわ」
老人を置いて安城は嵯峨に対する愚痴をこぼしながらそのままハンガーの奥へと去っていった。
「かなめちゃんのお客さん……確か、『租界』でうどん屋をしていた方でしたよね?」
アメリアは初めて見る老人の姿にかなめが戸惑っているものの、いつものようにいたずら心から場をかき乱すような発言はせずに普通に対応していた。
「あの志村さんのお父さん?」
誠は静かにそう声をかけた。それ以外の言葉が誠には思いつかなかった。
「はい……そうです……」
誠の言葉に一同の目が老人に向けられた。うどん屋で見た景気の良い大将の姿はそこにはなく、明らかにどこか借りてきた猫のようにそわそわして見えることが誠には気になった。そしてランも冷めた瞳で老人を見つめているかなめに目をやった。
「ちょっと近くまで用事がありまして……西園寺の姫様。よろしいでしょうか?」
顔を上げた老人にかなめがうなずいた。それは隊での普段着のかなめではなく、よそ行きの海の合宿での食事会の時に見た、姫君としてのかなめの姿だった。
「サラ!茶を用意してくれ。あとクバルカ中佐。応接室使うんで!」
かなめはそう言いながらも、上品なしぐさで老人をハンガーの奥の応接室の方向に案内を始めた。
「ああ、いいぞ。大事な客だ。失礼がねーようにしろよ!」
ランの許可を取るとかなめはそのまま安城が消えた本部棟の方へと足を向けた。ハンガーで剣道の試合を眺めていた人々はただ呆然と彼女を見送るだけだった。
「サラ。アタシも手伝ったほうがいい?」
「うん……お願い!」
パーラの言葉にサラは答えると奥の給湯室へと消えていった。それを見送ったアメリアがいつの間にかこの光景を他人事のように見つめていた技術部の士官の隣に立っていた。




