第80話 地獄からの這い出し者
突然、地面が低くうなりを上げ、同盟厚生局庁舎の駐車場が大きく揺れた。
コンクリートが裂け、街灯が倒れ、装甲車のタイヤが半分地面に沈む。誠は咄嗟に機体を踏ん張らせ、モニター越しに崩れ落ちる地面を凝視した。
……そして、そこから這い出してきたのは地獄のような存在だった。
ぬめりに覆われた肉塊が、泥と血の混じった液体を撒き散らしながら這い出す。表面には溶けかけたような人の顔や手足が浮かび、絶えずうねり、苦悶の叫び声のような音が響く。腐臭と鉄錆の匂いが風に乗って広がり、誠は思わず息を止めた。
「……こんなものが、『不死の兵隊』の源……?」
背筋に冷たいものが走る。誠は機体の操縦桿を握りしめる手の震えを止められなかった。
『神前曹長!例のプラントの確保に失敗したとクバルカ中佐からの通信だ!例の化け物が出てくるぞ。あくまで予想の最悪の事態と言うことだ。予想外の出来事ではない。それだけは覚えておけ。気の弱い貴様の事だ、あくまでこれは予定された範囲内の出来事なんだ。気にするんじゃないぞ。もう一度言う、これは予想の範囲内の出来事だ。その為に貴様はそこに居るんだ!』
カウラの声に緊張の色が見えた。それまでただ装甲車両から指示を出していた彼女が誠の後ろで装甲車両から降りて指示を出しているのが見えた。
誠はそのまま陥没の土煙の中に開いた穴の大きさに目を向けた。それはシュツルム・パンツァーと比べて一回り大きい十二メートルくらいの大きさだった。
その姿は一言では言い表せない姿がった。肌色の餅のようであり、ナマコの化け物のようであり、誠の好きなファンタジー世界のスライムのようにも見える得体のしれない化け物の姿をしていた。
『あんなにでかいのか?こっちよりずっとでかいじゃないか。神前。テメエでやれるのか?本当に』
誠の05式のモニターの画面を受信しているらしく、かなめの表情が驚きに包まれた。
「これが……同盟厚生局が作りたかった『不死の兵隊』製造プラント……悪魔の研究の成果……不死の人を作るために作られた血清製造装置……」
そう言いながら誠はコックピットの中でしばらく誠は息を呑んでいた。誠はひたすらどうしていいのかわからずにいた。そして次の瞬間、その化け物が干渉空間を展開したのか、激しい衝撃波が誠の機体を襲った。
「なんだってこんな!こんな干渉空間なんて想定外ですよ!アイツに意志はあるんですか?戦闘能力とか分かります?西園寺さん!調べてくださいよ!」
誠は目の前の明らかに誠を敵と認識しているらしい化け物と対峙しながら情報収集をバックアップを担当しているかなめに頼んだ。10メートルほどの大きさの誠のシュツルム・パンツァー05式を優に超える巨大な肉の塊がまだぞろぞろと地下の駐車場に空いた穴から這い出して来るのが見える。それはまさに悪魔が地上に這い出そうとしている姿だ。誠にはそのようにしか見えなかった。
全身から取り込まれた法術適正者の足や腕、かつてそれが人間と呼ばれていたときの記憶のようなものを感じさせる突起を全身に配した褐色の不気味なナマコに似た怪物がそこに居た。これまで見たもの、想像したものの中で一番おぞましい姿をしたものが今、誠の目の前にあった。
「どうしたらいいんですか!こんな化け物に急所なんて有るんですか?どこにダンビラを突き立てたらいいんですか?教えてくださいよ!西園寺さん!あんな衝撃波を何度も受けたら、いくら重装甲が売りの05式でももちませんよ!」
東都警察の機動隊の照明で明かりを浴びて伸び上がろうとする目の前の物体を前に誠が叫んだ。
『急所なんか知るか!自分で探せ!相手は法術師の成れの果てなんだ!法術は効く!法術兵器だ!ダンビラは使えるからそれで行け!とりあえず何度か突き立てて反応を見ろ!その中で一番反応が大きい場所が奴の急所だ!そこで干渉空間を展開しろ!』
かなめの分析より早く、カウラの叫び声がヘルメットの中に響いた。ようやく誠も理解して大破した07式に突き立てていたダンビラと通称される軍刀を引き抜いた。
「ムゴー!!」
雄たけびのようなものを上げる巨大なナマコのような物体がモニター一杯に広がって見えた。そしてそこに渦巻く取り込まれていた人々の思いが誠を襲った。誠はその思いの一つ一つが脳裏に刻み込まれていくのを感じていた。
東都に来れば仕事がある。そう言われて東海のシンジケートに借金をして東都の租界に渡った若者。生まれたときには不法入国者として『租界』の濁った空で身体を売って暮らしていた少女。法術が何かの足しになるかと誘いに乗ってみた七人の子持ちの父親。それらの過去が誠の頭の中を走馬灯のように走った。
「やるしかないのか……彼等を救うには他に方法はないのか……この化け物を倒すしか!」
目の前の物体の総合としての意思はただ意識を持つものをうらみ、ねたみ、そして破壊すると言う本能だけの物体だった。その破壊本能の標的に自分が選ばれたと言う事実を誠ははっきりと理解することが出来た。
誠はダンビラを構え直した。その目の前で肉塊はじりじりと間合いをつめた。衝撃波を放たないのは軽度の干渉空間が発する衝撃波では誠の05式を仕留められないということを学習したからだろう。敵に学習能力があると言うことは思考中枢が存在していると誠は思った。ならばそこにダンビラをそこに突き立てれば目の前の化け物は倒せる。誠のその思いが誠を奮い立たせた。
『干渉空間発生!衝撃波が来るぞ!神前!下がれ!』
カウラの声で誠は機体を飛びのかせた。切断された空間が都心のアスファルトを削り取りビルを寸断した。その威力は誠が使える『光の剣』に匹敵するものだった。
『やばいぞ!あれに巻き込まれたらオメエの機体ももたねえ!あれはオメエの『光の剣』クラスの威力だ!同レベルで戦ってたら勝ち目はねえ!とりあえず奴がオメエを攻撃しているってことは奴にも知能は有るんだ!適当にダンビラをつきたてて反応を見ながら中枢神経の場所を探れ!一番反応の大きかった場所にダンビラを突き立てて干渉空間を展開すれば終いだ!』
かなめの指摘を受ける前からその可能性は誠は認識していた。そして目の前の肉塊がそのことに気づくだろうと言うこともわかっていた。
『やばいな。こちらは飛び道具無し。しかも丙種出動だから僕の切り札の『光の剣』は使えない。そして次々とさっきのような干渉空間を展開されれば……この周辺は数時間で廃墟になる。その前に仕留めないと……同盟厚生局の連中が最後までここで決戦を挑めば勝てると踏んでいた理由はそこにあるのか……あの衝撃波の威力。僕ほどでは無いが、この街を滅ぼすには十分すぎるもんな……東都近郊に住む3000万人の命は今僕の手にかかってるんだ……』
そんな誠の思いを理解したかのように再び干渉空間発生の感覚が誠を襲った。
再び飛びのいてカウラの装甲車両の前にまで後退した。後ろには07式のパイロット確保の為に集結した東都警察機動隊がひしめいていた。誠はこれ以上下がることができないと考え直してダンビラを構えて目の前の肉塊に向き直った。
緊張感は先ほどの07式を相手にしたときの比ではなかった。
目の前の化け物は体を震わせ、その上空に干渉空間を展開しようとしているのが分かった。それもこれまで誠が数回しか展開に成功した規模のものを何重にも展開しようとする気配を感じた。
『このままじゃやられる!どうする!僕はどうしたらいいんだ!』
次第に息が荒くなるのがわかった。背後に庇うものを背負って戦える相手ではないことは間違いない。こちらが捨て身で行ったところで勝ち目があるかどうか分からない。状況は最悪だった。
肉塊は干渉空間を安定して持続させたまま、じりじりと誠との距離を詰めてきた。だが背後に無防備な機動隊員を背負っている誠はダンビラを構えたまま動くことが出来ないでいた。
じっとにらみ合う時間ばかりが流れた。だがもはや目の前のかつて人間であったものにはすべてを破壊する以外の考えはないというように頭上に広がる干渉空間の転送先を考えているかのように見えた。




