第78話 司法局の悪魔が笑う夜
ボロボロの軽自動車が東和陸軍本部ビル前の車止めにきしむような音を立てて停まった。
深夜の静まり返った空気の中、背の高い男が狭い車内から体を折り曲げるようにして現れる。嵯峨惟基。疲労で額を押さえ、汚れが目立つトレンチコートを脱ぎ捨てて下に着ていた皺の目立つスーツの裾を軽く払うが、埃は取れない。
突然現れた安車両に警備兵たちがざわめき、銃を下げながらも警戒心を隠そうとしない。
嵯峨は彼らの視線を意にも介さず、ぼやくように呟いた。
「……電車賃すら持ってねえ司法局の隊長か。やれやれ、貴族の名折れだな」
その声には自嘲と疲れが滲んでいた。
「ここに来ると聞いてから……大体の今回の事件の大枠が見えてきたがやっぱり東和陸軍はどこまで関わってるのか……一部過激派の責任と言うことで手を打ってくれればいいが、その人物が責任を擦り付けるにはあまりに立派な家柄の人物だったりすると面倒だな。菱川大佐とか……菱川グループの御曹司がなんだってこんなお荷物扱いされてる東和陸軍なんかに居るんだよ。それが不思議だ」
嵯峨は一人そう言って胸のポケットのタバコを取り出しかけてやめた。
「法術の軍事利用はどこの国も密かに行っていた。今回の同盟厚生局だって東和陸軍に研究成果を引き渡すことで陸軍の虎の子の07式を引っ張り出す算段をつけたに決まってるんだ。まあ東和陸軍としては同盟厚生局が本気で本局防衛に走っちゃって07式を起動せざるを得ないところまで頑張っちゃうとは思っていなかっただろうけどな。同盟厚生局本局とプラントの関連施設があっさり陥落しちゃえば07式は同盟厚生局に奪われたってことにしておけば東和陸軍としては逃げ道はいくらでもあるもの……今回もその線で分かってあげるってのも悪くない」
嵯峨は自分に言い聞かせるようにそう言ってうなずきながら集まって来た警備兵の中の背の低い兵士に身分証を渡した。
「いきなりこんなところに……司法局の方ですか……誰とご面会ですか?こんな時間に面会など……来る時間を間違えているんじゃないですか?」
確かに深夜である。東和陸軍の客人が訪れる時間としてはあまりに遅い。そのことに明らかに歩哨が不信感を抱いているのが嵯峨にもありありと見えた。
「決まってるだろ?面会だよ。別に時間なら問題ないんじゃないの?相手は細野陸幕長だ……今居るんだろ?この時間までお仕事してるのはお互い様さ。幕僚長も今頃は虎の子の07式がお釈迦になって機種選定を05式にしておけばよかったと後悔している最中じゃないかな?タイマン勝負じゃ07式に勝ち目は無いって幕僚長に伝えて。俺達『特殊な部隊』の勝ち。残念だったねって」
そう叫んだ嵯峨を見て長身の兵士の顔がゆがんだ。しかし、身分証を見ていた兵士が彼に耳打ちするとその顔色は水銀灯の光のせいばかりではなく明らかに青ざめていくのがわかった。
「しばらくお待ちください」
兵士の一人が嵯峨が司法局の関係者だと知って態度を変えたことに嵯峨は満足げな笑みを浮かべていた。
兵士達はただ戸惑うだけでその場を動こうとしない。その様子に嵯峨は苛立ったように口を開いた。
「なんですぐ動いてくれないのよ。同盟厚生局前の一件……東和陸軍も関係してるんだから。一刻を争う事態だぜ。場合によってはこの建物の中に俺達が追ってる同盟厚生局の違法法術研究のプラントがあるかもしれないんだぞ。そうなったら東和陸軍は解体だ。なあに、東和宇宙軍が別部隊を編成して君たちの代わりを務めてくれるから。君たちは安心して失業して良いよ」
嵯峨の穏やかな声の調子がさらに二人の兵の恐怖を煽った。
「ですから、そう急かさず、しばらくお待ちください!こちらにも事情が有るんですから!」
ようやく決断がついたとでもいうように長身の兵士がドアを開いて消えていった。その様子を満足げに眺めた後、嵯峨は今にも失禁しそうな表情を浮かべている小柄な兵士を見下ろした。
「司法局実働部隊の隊長をやってるんですよね?あの『特殊な部隊』の」
小柄な歩哨の質問に答える代わりに嵯峨はタバコの箱をいじりながらにやりと笑った。
「まあね。それにしても隊長なんていうのはなるもんじゃねえぞ。面倒ばっかりだって言うのに感謝もされないどころか友達が少なくなる。損ばっかりだよ。今回だってそうだ。やれ、秘密主義だの情報の正確性が低いだの同僚や部下から突き上げを食らって、命がいくらあっても足りないくらいだ。平の兵隊さんくらいが平和な時は一番楽でいいの。なあ、兵隊さん。アンタもそう思うだろ?」
嵯峨がタバコを手に取ると何を思ったのか歩哨はポケットからライターを取り出した。
「あのー俺も持ってるんだけど」
そう言って嵯峨が使い捨てライターを取り出すと同時に先ほどの長身の兵士が手に通信端末を持って飛び出してきた。
「ほう、直接話すのは嫌なんだ……シャイだねえ。それとも俺が法術師だと知ってて怖くて近づけないのかな?軍人ともあろうものがそんな命を惜しむようなことをしていちゃだめだよ。まったく」
嵯峨は兵士に見えるように肩をすぼめて見せた後、兵士に両手でタブレット端末を持たせたまま画像を開いた。
「細野さん。引き際を間違えると大変だねえ……」
嵯峨は画面に映る憔悴した細野陸幕長を眺めた。明らかに会議漬けと言う髪は乱れ、口の前に手を組んだまま目だけが画面を見つめていた。
『引き際?私達がいつ君達と対立したのかね?私たち軍はいつでも同盟機構には協力してきたつもりだ。特に、司法局には貸しはあっても借りは無いと思うんだが、どうだろうか?うちからクバルカ中佐を始めとする人材を次々と引き抜いたじゃないか、君は。その借りは私はしっかり覚えているよ』
ようやく開かれた口には明らかに力強さが欠けていた。それを満足げに見つめる嵯峨を見て、一歩哨に過ぎない兵士は思わず吹き出していた。
「07式を同盟厚生局の本局前に持って行ったの……あれはやりすぎでしたよ。今回のタイミングであそこに07式が有ったら馬鹿でも同盟厚生局の出資元が東和陸軍だってわかる。……まあ、一部同盟機構に不満を持つ不届きものが同盟厚生局の局員にそそのかされてあそこに置いて来たって言うなら話は分かりますが。少なくとも俺には分かるな……そっちの方がお互い都合がいいですものね?そう言うことにならないかな……そうあってくれると助かるな……そう思いません?細野さん?」
そう言いながら嵯峨はタバコをくわえた。
『東和陸軍内部には同盟機構に反対する多数将校が居るのは事実だ。それで、その線で行くとそちらはどう都合が良いのかね?』
ぼそぼそとつぶやくように東和陸軍のトップである細野幕僚長は話した。それをあざ笑うような下卑た笑顔で追及しようと嵯峨は画面のをにらみ付けた。
『乗って来たな……自分がかわいいと人は他人にはいくらでも残酷になれるって奴の典型例って奴だ。ランも言ってたがこの狸親父やっぱり東和陸軍で敵に回したくない人物第一位になるわけだわ。でも、ちゃんと俺が逃げ道を用意してやったおかげで細野さんはたぶん結構俺の知らないことも話してくれるかもしれないな……この顔つき……前の戦争で尋問したそんな時の捕虜の顔によく似てるわ……ついでに後々の為に色々弱みを握っておくか……俺がそう仕向けないでもたぶん気が動転して言わなくてもいいことをぺらぺらとしゃべりだすぞ、きっと』
そう思いながら画面の中の細野の顔を覗き見る嵯峨を兵士は見つめた。
しばらく沈黙した後、嵯峨は肩からかけているコートのポケットから一枚のディスクを取り出して兵士が持つ端末のスロットに差し込んだ。
「じゃあ、コイツを見てからはどうお答えになりますか?ああ、セキュリティー解除のキーワードはHISHIKAWA323ですよ」
嵯峨の目に狂気が浮かんでいるように見えたのは気のせいだろうか?そう思いながら兵士の見ている画面では手元の別画面に目を移してすぐに驚きの表情を浮かべる初老の幕僚長の姿があった。
『これは……このデータはどこにも出していないだろうね?』
急に陸幕長の声が穏やかになったのを見て嵯峨の笑みが顔全体に広がるのを兵士は見つめている。
「当然!信用第一が司法局の売りですからねえ……そりゃあもう……あの忌み嫌われている『租界』の支援物資がこんなところに流れてるなんて……とても言えたもんじゃないですよねえ……お互いに……違いますか?」
嵯峨のまるで悪魔のような笑みを見て細野の顔が歪む。
『なあに、アンタには対等な交渉なんてする気は俺にはさらさらないの。こっちが有利に交渉しなきゃ交渉なんて意味ないでしょ?こうして情報を小出しにして揺さぶりをかけるのは俺の専売特許。そりゃあもうゆすりまくるよ……俺は。俺は目的の為には手段を択ばない男なんだよ。甘く見てもらっちゃ困るよ……相手が悪かったね……細野さん♪』
そう思いながら嵯峨は画面をにらみつけた。そのディスクの中身が先日のベルルカン大陸の失敗国家『バルキスタン』の独裁者エミール・カント将軍波政府の壊滅作戦の時に入手した情報が入っていた。
東都警察の浄化作戦で止められたはずの『租界』を通じての『バルキスタン』を出発点として東都の『租界』を通じて地球に流れる薬物のルート。それが今でも細々と東和陸軍の停戦監視部隊への支援物資に紛れ込ませて行われているという祥子を示す数々のデータと写真がそこには入っていた。
さらにその秘密資金を東和陸軍は同盟加盟国の中での離脱運動を支持する政治家、軍人、官僚、ジャーナリスト。彼等の活動資金として東和陸軍の権益拡大を目指してばら撒かれ続けている。その裏づけを目の前の悪党としか表現できない男、嵯峨惟基が握っているという事実は細野にとっては恐怖でしかなかった。
それが表ざたになれば嵯峨の言う通り東和陸軍解体の話しも現実味を帯びてくる話になりかねない。細野の額に汗がにじんでいる様を嵯峨は満足げに眺めていた。
『それでは……大事な話だ。来てくれ給え』
しぶしぶ、不承不承、細野幕僚長は兵士に目をやった。
兵士は任務を完全に忘れたように立ち尽くしていた。その姿は不思議な生き物に遭遇したようなぽかんと口をあけているただの若者に過ぎなかった。
「案内。頼むよ♪お兄さん♪」
嵯峨の一言にようやく気がついた背の低い兵士が扉を開けた。『司法局の悪魔』は悪魔を呼び出した哀れな老人との契約の為に東和陸軍軍令部の玄関通路へ足を向けた。




