第71話 人でなしの所業
地下駐車場に停めた車から降りると、冬の夜気と排気ガスの匂いが混じる中、喫煙所の明かりがぼんやりと浮かんでいた。カウラが先頭に立って車を降りてそのままエレベータへ向かうと、入り口近くの喫煙所でタバコを吸う嵯峨の姿をカウラ達三人は見つけた。
コンクリートむき出しの壁に寄りかかるように立っていた嵯峨は、いつものよれよれのトレンチコート姿で、タバコの火を灰皿に押し付けていた。
その表情にはいつもの胡散臭い余裕よりも、明らかに疲労の色が濃く滲んでいる。
「おう、やってるか?順調かね?その様子を見ると俺のヒントも理解してくれたみたいだね?そりゃあ良かった。万々歳だ」
そう言って軽く左手を上げた嵯峨の表情に誠は目を引かれた。その視線はいつものふざけた調子は見えず疲労の色を帯びている。よれよれのトレンチコートにハンチング帽をかぶり、面倒くさそうに火のついたタバコを備え付けの灰皿に押し付けていた。
「隊長、お疲れのようですが。何かあったんですか?」
カウラのその声には若干の震えがあった。退職願提出済みの自分達の為に嵯峨が動いていてくれていることに、カウラは感動を覚えていた。
「おい、カウラ。それは俺の台詞だよ。俺はいつも通り月3万円の小遣いじゃ足りないの。それなりの苦労を毎日している訳だよ。分かるかな?退職願提出済みとは言え、俺はお前さん達の退職願を受理した覚えは無いからね。あれを俺が受理するまではお前さん達は『特殊な部隊』の隊員だ。そこまで面倒を見るのが上司ってもんじゃないの?そうじゃない?」
そこまで言って嵯峨が大きくため息をついた。そしてそのまま誠に向ける瞳にはいつもの濁った嵯峨の視線が戻っていた。
「茜のとこの会議。俺も出ていいかな?邪魔はしないよ。約束する。むしろ役に立つ話ができるかもしれない」
それでも明らかに余裕を感じさせる嵯峨の態度に誠は苦笑いで答えた。それを見ていつもなら噛み付いてみせるかなめも苦笑いを浮かべながらカウラを見上げた。
「私達にそれを拒否する権限はありません。茜警部に聞いてください。たぶん許可は出ると私は思うのですが」
そう言って敬礼をしてそのまま横を通り過ぎようとするカウラを見て呆然と口を開けていた嵯峨が慌てたように三人の後についてきた。司法局本局の見慣れたエレベーターの扉が開くと、蛍光灯の白い光に照らされた本局のフロアが広がる。
端末に向かって怒鳴りつけるオペレーター、防弾チョッキを着た隊員が緊張した面持ちで銃を点検している。
空気は張り詰め、コーヒーの冷めた匂いと焦燥感が漂っていた。
「今回はマジでごめんな。今回の三件の襲撃は俺も読めなかった。こりゃあ同盟厚生局の手の者じゃないよね。例の三人の切れ者の方の法術師の飼い主の手の者のだと思うよ。連中は同盟厚生局と縁を切るにあたって、同盟厚生局の法術研究開発能力そのものを潰しにかかっている。ライバルは早めに消しておけってことなんだろうな……そこまでやるほど非情な連中だとは俺も思わなかった……俺もまだまだだってことだな。お前さん達を笑えないよ……」
そう言って帽子を手にして嵯峨は苦笑いを浮かべる。その弱弱しい笑みを見て誠は嵯峨が珍しく本音を吐いたと直感した。
「今回、相手を読み切れなかったのはいつも人の裏ばかりかいているからじゃないですか?商売敵を徹底的に叩きのめすと言うのは市場経済の社会ではあまりに普通の考え方ですよ。ひねくれた隊長からはわいてこないアイデアかもしれませんが」
振り返って嵯峨を見つめるカウラの鋭い視線に嵯峨は目をそらした。エレベータが減速を始め、止まり、そして扉が開いた。すでに定時を過ぎたとは言え、法術犯罪の発生により同盟司法局本局のフロアーには煌々と明かりがともされていた。端末に向かい怒鳴りつけるオペレータ。防弾チョッキを着込んで出動を待つ司法局公安機動隊の隊員が見えた。
「あちらさんも大変みたいだ。あの化け物騒動以来、公安機動隊の警護の依頼は山ほど来てるらしい。まあこれからもあんな化け物そう簡単に出て来るとは思えないけど、東和政府の偉いさんは念には念を入れたいんだろうね。でもあんな化け物こっちから仕掛けない限りすぐに出てくるものかね?同盟厚生局は最初から勝ち目のない段階で勝負を挑み絶対に勝ち目のないライバルに負けた。もし連中が再戦しようと考えているとすればそれは研究が次の段階に進んだだいぶ先の話……お前さん達がその前に真実にたどり着いてしまえばそもそも同盟厚生局にそんな日は来ないんだから」
嵯峨が指差す先では遼帝国軍の制服の兵士達がついたてに沿ってずらりと並べられた端末の前で囁きあっていた。そこには遼帝国近衛山岳レンジャー部隊の仮設指揮所があった。そこはすでに法術特捜への権限移譲を終え、あと片付けと機動隊の増援業務に当たっているようだった。
「裏をかかれたのはライラの姉貴のところも同じだってことだろ?あの化け物をやっつけた三人の法術師の存在は誰も予想してなかったからな。あの三人の法術師の飼い主と北川公平の飼い主は同じって訳か……ああ、考えると頭が痛くなる!」
黙っていたかなめはそう言いながら先を振り向かずに司法局長室に続く廊下へと向かった。次第に背後の喧騒から解放された誠達の前に渉外本部長である明石が自室から出てきた姿が目に入った。
「あれ?おやっさん」
不思議そうな表情で嵯峨に敬礼する巨体を揺らす明石を見て、部屋の奥から茜が顔を出した。
「お父様、何しにいらしたのかしら?」
茜の反応は誠から見ても冷たくつれなかった。疲れた表情の父親にそれだけ言うと広い渉外本部長室に入って来た嵯峨達を無視して端末の操作を再開した。部屋にはすでに工藤博士の所に向った茜とラーナが端末にデータを入力していた。北博士の所に行ったはずのアメリアと島田とサラとランは応接用のソファーでのんびりとくつろいでいた。
「おいおい、ひでえ歓迎だな。俺がいるのがそんなに不服か?俺だって一応、司法局実働部隊の隊長をしてるんだぜ、お前さんの後見人みたいなもんだ。それなりに話の一つも聞かせてもらっても良いんじゃないかな?それ以前に茜。お前さんは俺の娘だよ?それが父に対する態度?まあ、父親の給料全額取り上げて月5万円で暮らせなんて言っている時点でそんな感情を期待するのは間違ってるのかもしれないけどね」
嵯峨は思わず苦笑いを浮かべた。トイレに行くのだろう、そのまま明石は廊下を誠達が来た道を戻る方向に素早く歩き始めた。
「隊長。疲れた顔してる割に暇なんすか?情報って言ってもいつも通り隊長はすでに知ってる話ばかりだと思うんですけど」
嵯峨の言葉にやり返すランだが、隣にはうつむいているサラの姿があるのを見て全身に緊張が走るのを誠は感じていた。暗い表情のサラの隣、応接用のソファーの一番奥に島田が頭を掻きながら座っている。その右手には血で染まった包帯が巻かれていた。
「ちょっと手を切っただけですよ。もう……ほら!不死人の身体って便利でしょ!」
血で固まってなかなか解けない左腕の包帯を無理に引き剥がしてかざして見せる。そこにはそれまで白い包帯にこびりついていた血がどこから流れ出たのか分からないほどのいつもどおりの島田の手があった。
「やっぱりオメーも『不死人』なんだって自覚する時が有るんだな。アタシもそうだが、特に血が出るような怪我をするとすぐにそのことを思い出すんだ。自分は年を取ることも死ぬこともできない不完全な存在なんだって。人は羨ましがるかもしれねーが、そう産まれちまった本人としては最悪なんだ。特にアタシの場合、遼南内戦では死んでも償えない罪を犯してる。そのことを永遠に償い続けなきゃなんねーとなると辛いなんてもんじゃねー……」
ようやく明石の部屋の応接ソファーに身を投げて足の長さが足りないのでぶらぶらさせているランが島田に目を向けた。その言葉に島田は引っかかるような笑みを浮かべて再びソファーにもたれかかった。
「面倒なものだよなあ、擦り傷から心臓や額に穴をあけられた傷も時間が経てば自然に治っちまう。ただその痛みだけは永遠に記憶に残るわけだ。年を取らない分だけまさにその痛みの記憶は永遠なんだ。俺にも似たような覚えがある。それに俺もランと同じで人に言えないような罪を犯した身だ。ランの気持ち、分からないでもないな。島田にもそれが分かる日が来ちまうんだよ……そのうち嫌でもな……それが不死人の定めって奴さ……」
そう言って自分を見て笑う嵯峨を見ながら島田は血に染まった包帯を力任せに引き剥がす。乾いた血の匂いが微かに漂い、その下の皮膚は何事もなかったかのように再生していた。
サラはその手を震える指先で掴み、唇を噛みしめる。
「……私、正人より早く死んじゃうんだよね。ごめんね……一人にしちゃって……」
声は震え、涙がこぼれそうになっていた。
「サラは悪くねえよ。悪いのはこんな身体に生まれた俺だ。それに死なないし年も取らねえなんて……気持ち悪いだろ?まったくもって隊長の言うとおりなんだ。俺は簡単には死ねないんだ。細胞の劣化もほとんど無くただ生き続けるより他に仕方が無い、そんな存在なんだ。そしてサラの死んだ後も俺はこの姿のまま生きていくことになる。まあ、俺は先の事はあまり考えない主義だから、そん時の事はそん時考えるよ……だから今サラがどうこう言うことは何もない……何もないんだ……」
島田とサラは見つめあった。いわゆる『青春ごっこ』である。
「え?便利じゃねえか。アタシみたいに身体を使い捨てに出来るサイボーグだって脳の中枢と脊髄の一部は替えがきかねえんだぞ。その部分が劣化し始めればもうおしまいだ。永遠とはとても言えない存在なんだぜ。アタシはそん時の事を考えると少し怖いね。アタシでも怖いことくらいは有る……そう言うことだ」
かなめの言葉に島田が力なく笑う。だがその隣にいつの間にか座っていたカウラは手に端末を持って隣でそれを覗き込んでいる茜と小声で囁きあっていた。




