第7話 白い部屋の招待状
東都都庁別館の警察鑑識部が入る巨大ビルは、朝から慌ただしい雰囲気に包まれていた。
ロビーには磨き上げられた白い大理石の床が広がり、天井近くまで伸びるガラス窓から差し込む光が反射している。
来客用の椅子に腰かけたランは、東都警察と同じ規格の制服を着ているせいか、背丈の小ささが余計に目立つ。両手で抱えるようにマックスコーヒーを飲む姿は、まるで子供が場違いな場所に迷い込んだかのようだった。
その隣に座る茜は和服姿で缶のお茶を啜り、どこか浮世離れした雰囲気を漂わせている。
ロビーを行き交う警察関係者たちが、珍しい光景を好奇の目で見ていくのも無理はなかった。 ただ響くのは行きかう東都警察の職員の靴音ばかりだった。
「コイツが小便行きてえとか言い出してパーキングエリアに止まったのが悪いんだよ!」
かなめはそう言うとパーカーのフードをいじっていた島田の頭を小突いた。
「いくら俺でも女性の車で小便漏らすのはなんなんで……」
かなめの言葉に島田はいつものヤンキー王の貫禄はどこへやら、ただ苦笑いを浮かべていた。
「そこでタバコの煙がどうので一般市民と喧嘩を始めようとしたのは誰だ?あそこで貴様がいつも持っている銃の事がバレたら今頃警察を呼ばれて事情聴取の最中だ。銃を持ち歩くなとは言わないができるだけ隠せ」
まっとうなカウラの言葉とその刺すような視線を浴びてかなめは自分の責任を感じて一歩引いた。その顔には明らかに『アタシは悪くない』という主張の色が滲んでいた。かなめに反省などと言う物を求めることが無理なのだ。誠はこの数か月のかなめとの付き合いでそれを学んでいたし、それより長い付き合いがありながらそれを求め続けるカウラの真面目さに少しうんざりしていた。
「茜ちゃん。確かに島田君が言い出して立ち寄ったパーキングエリアで説明は受けたけど、それだけじゃ私は納得できないの。ここに来なければいけない理由。ちゃんと示して見せてね?ここは東都警察の鑑識なんだからそれなりの証拠の品が有るんでしょ?それがお仕事なんだから」
手にマックスコーヒーを持っているアメリアがそう言って椅子に腰掛けている茜を見下ろした。周りを行きかう東都警察の職員たちの好奇の目に誠はただ顔を赤らめていた。
「そうですわね。でも、たぶん一目見ていただければすぐにお分かりになると思いますの。たぶん今夜の夢に見るほどはっきりと脳裏に刻んでいただくことになりますわ。眠れなくなってしまったら……それはこのお仕事の宿命と言うことで勘弁していただけますわね?」
それだけ言うと茜は軽く周りを見回した。そしていつの間にか消えていたラーナがエレベータの前で手を振るのを見つけて立ち上がった。
「神前、刀は……あー、持ってるか」
立ち上がると言うよりソファーから飛び降りると言う調子のランがコーヒーを飲み干すと誠の手に握られた刀を確認した。
「持ってますけど……本当に何を斬るんですか?僕はこの剣で何かを斬ったことは有りませんよ。本当に僕で良いんですか?それこそ『人斬り新三』とか呼ばれてた隊長の出番なんじゃないですか?」
誠には未だ事態が呑み込めずにいた。いきなり訳も分からないまま剣を持ってきて何かを斬れと言う。それ自体おかしな話だった。いくら秘密が要求される任務と言っても訳も分からないものを斬るほど誠は物を斬り慣れていない。
「あの『駄目人間』がそれを望んでるんだ。『ラン、お前さんも副隊長なんだから俺の代わりが務まるようにならなきゃだめだよ』とか抜かしやがる。まったく人を舐め腐った態度で見やがって!そんなアタシの面子をあの『駄目人間』から守るためにもその剣とオメーの力が必要なんだ『奴』には。『奴』を地獄から救えるのは……神前、テメーだけだ」
そう言うランの表情には先ほどまでの笑顔は消えていた。そこには人を殺しなれた古強者の迫力のある表情が浮かんでいた。
「僕にしかできないこと……これまでも何度もそう言われて戦ってきましたけど。ここって敵は居なそうじゃないですか?『奴』ってなんですか?救うって言われても剣でどうやって人を救うんですか?」
ランが言葉を発するたびに誠は混乱していく。これまでもランの無茶な命令はいつもの事だったが、それは戦場での話であって、こんなビルの中でそんな話をされるとは誠は思ってもいなかった。
「なんだ?要するに神前に誰かを試し斬りをさせるって言う奴か?何を斬るんだ、やっぱ罪人か何かか?どんなふうに斬るんだ?剣で斬られて殺されるんだ。切腹が日常の甲武じゃあるまいし、この平和な東和で斬られて死ぬなんて……どんな悪人だ?」
冷やかすような調子でそう言ったかなめがランの後についていった。誠も先ほどの死体の発生とこの刀に何の関連があるのかまるで理解できないでいた。
「とりあえず、技術開発局でパスワードを発行してもらわないといけないっすからそっちに寄るっす」
全員が落ち着いたとわかるとラーナはそう言った。
「パスワード?なんでこんな入場制限しているところでパスワードなんか必要なんだ?」
最後尾を着いてきた島田がいぶかしげにつぶやいた。同様に茜、ラーナ、ラン以外の面々が不思議そうな顔でラーナを見つめた。
「まーそれだけ他所には知られたくねー事実なんだ。東都警察も政府に内緒にしているぐらいの代物だ。内部の内部の人間にも知られてはならない極秘情報。これがバレたら天地がひっくり返る。そんなヤバい話になるんだ」
そう言うとランは開いたエレベータに真っ先に乗り込んだ。誠達も急いでその後ろに続いた。
「そんな情報、よく東都警察が司法局にその処理を依頼しましたね」
一人冷静なカウラがそう言ってすべてを知っているだろう茜に目をやった。
「さっきアメリアさんにも説明しましたけどあれは東都警察には手に余る程度の法術に関する専門性を要する事件ですわ、この事件は。東都警察の覚醒した法術師の数は少ない。誠さんクラスとなると皆無と言って良い。だから、司法局に面倒ごとを押し付けた。組織なんて言うものはみんなそんなものですわよ。フリーの弁護士時代に嫌というほど思い知らされましたわ。東都警察の偉い人達も結局、失敗して責任を取らされるのが嫌なだけ。その点、お父様はプライドゼロだから責任を押し付けるには最適の人物。東都警察の偉い人も良いカモを見つけたものですわね」
少し諦め気味に茜はそう言って笑った。そこには口惜しさと悲しさと危機感がにじみ出ていた。
「東都警察も困った事が有ると全部うちに押し付けるのね。うちは便利屋じゃないのよ。まったく、そんなことなら東都警察の余ってる予算をうちに回してほしいわよ。東都警察って結構儲かってるらしいわよ。駐車禁止の罰金がこの前上がったじゃない?そのおかげで東都の財務局はウハウハ言ってるとか。うちが第二小隊の機体さえ買えない貧乏人だからって足下見てるのよ」
アメリアはなんでも面倒ごとを押し付けて来る民事警察に対する怒りを金の話に例えて吐き出した。
「そんなこと言っても仕方ねーじゃねーか。それもお仕事だ。クラウゼ、割り切れよ」
いつもなら暴走する自分を止めているアメリアが暴言を吐き続けるのをランはなんとか止めようとそう言った。
「飯食ってくれば良かったかな」
頭を掻きながらかなめがそう言うと茜とランが同情するような視線でかなめを見た。
「なんだよ、その目は。どうせまたさっきの写真よりもエグイ死体かなんかだろ?アタシの事じゃねえよ、神前の事だよ。アタシは死体なら散々アタシが作って来た。どうだ?神前。きっとさっきの写真を超えるエグさかもしれねえぞ……しばらく肉が食えなくなるとか……いつもみたいに吐くとか」
かなめに脅されるが先日の『バルキスタン三日戦争』で異様な死体を生で見たので誠には死体を見てどうにかならない自信はあった。
「吐きませんよ……最近胃腸の調子がいいですから。でも……肉が食べられなくなるって……」
話題を振られて誠は戸惑う。
そんな雑談をしていた誠達の目の前のエレベータの扉が開いた。白を基調とした部屋の中には人の気配が無かった。そのあまりに清潔感を突き詰めた結果人間の気配を消し去ったような空間はあまりに不気味なものに誠には見えた。
ただ静かな空気だけがそのフロアーを支配していた。捜査活動などで忙しく立ち働いている人からの白い目を覚悟していた誠には少しばかり拍子抜けする光景だった。
「不気味だねえ。何か機械人形でも出てきそうな雰囲気だ。ああ、機械人形はアタシか」
サイボーグのかなめは自分を皮肉るようにそう言いながら先頭を歩こうとする茜に道を譲った。誠もまるで人の気配を感じない白で統一された色調の部屋をきょろきょろと見回しながら歩いた。
「ここですわ」
茜はそう言うと白い壁にドアだけがある部屋へ皆をいざなった。
まるで光が乱反射して影ができないようにデザインされたような何の目的で作られたかもよく分からないような白い部屋。誠はそこのあまりの清潔感に不気味さを感じていた。
茜は何事も無いように歩く。扉を開いてそのまま部屋に入った。
誠はその部屋に何の意味があるのか分からなかった。ただこれまでの白い廊下と変わらない壁面で覆われたそれなりに広い白い壁で覆われた部屋だった。
茜はその中央まで行くと、一度くるりと回った後そのまま部屋から出てきた。
「皆さんもどうぞ」
襟を正しながらそう言う茜に誠達は呆然としていた。
「いったい何が?」
誠の質問を無視するように今度はラーナが茜と同じように部屋に入り、くるりと回って出てくる。そしてランも当然のように同じ動作をした。
「無意識領域刻印型パスワード入力か?こりゃあ本格的だな」
そう言ったかなめも同じように白い部屋に入りくるりと回って出てくる。
「なんですかその……」
誠はそのあまりに清潔すぎる白い部屋の雰囲気に怯えてそうつぶやいた。
「大脳新皮質の一部に直接アクセスして無意識の領域に介入するのよ。そしてそこにパスワードを入力して現場ではそれを直接脳から読み取ってセキュリティーの解除を行うっていうシステムね。でもこれは東都警察でも最高レベルの機密保持体制よ。一体……」
そう言ってアメリアが同じ動作を行った。
「僕もやるんですか?」
初めて聞くセキュリティーシステムに腰が引ける誠だが、彼の頭をかなめが小突いた。仕方なく誠は扉を開き、真っ白な部屋に入る。
何も起きない。何も感じない。そのあまりに何も起きない事が逆に誠を不安にした。
まねをしてくるりと回る。反応は無い。そしてそのまま部屋を出た。
「あのー?カウラさん?何か僕に変化は有りましたか?」
誠は何一つ感覚のつかめないパスワード入力後の脳の感覚に不自然さを感じながらそうつぶやいた。
「ああ、自覚は無いだろうがすでに脳にはパスワードが入力されているんだ。実際どう言うパスワードかは本人もわからない」
サラが続くのを見ながらカウラはそう言って後に続く。
「ああ、うちの技術部の連中なら無効化できるかもしれないけどな。連中はパスワード解析が趣味みたいなもんだ。アイツ等に頼めば大概のシステムのガードは無効化できる。試しにどこまでやれるかやってみろと俺が脅したらペンタゴンの大統領しか手を付けられない情報まで侵入しやがった。そん時はそりゃあやりすぎだってツッコんだよ」
そう言って島田もカウラに続いた。それだけの重要機密が隠されている。誠は手にした剣を握りながら自分が何を斬ることになるかを想像してはやめる思考を続けていた。




