第67話 絶望の窓明かり
冷たい冬の夜風が吹き込む湾岸沿いの路地。狭い坂道の頂上に停められたカウラの『スカイラインGTR』からは、マンションの三階の窓明かりがよく見えた。遠くを走る国道のトラックの音が、ときおり車内の沈黙をかき消す。
「若干十四歳で司法試験に通ったエリートとか言いながら……なんやかんや言いながら、茜も司法捜査官なんだな。アイツの指定通りの場所に停めるとちゃんとあのおばはんの部屋の様子が良く見えるわ。張り込みは捜査の基本だ。神前、一瞬たりとも油断するなよ。このおばはんはもう同盟厚生局からは用済み扱いされてる可能性が高いんだ。あの三郎と同じように口封じに消される可能性がある。まあ、同盟厚生局の特殊部隊が動いてくれるとこっちとしては強制捜査に入れるから楽なんだけどな」
納得するようにカウラの『スカイラインGTR』の窓からかなめは目新しいマンションを眺めていた。すでに東都理科大での一般教養科目の生物学の講義を終えて片桐博士が自宅のマンションに帰っていた。茜の指示でその三階の部屋の明かりが見通せる路地の坂の上にカウラは車を停めていた。
「今や花形の法術研究者でありながら、研究施設はおろかろくな研究費も与えられずに糊口をしのぐために一般教養科目の講師か。確かに屈辱でしかないだろうな。今のように法術が当たり前の時代が来てしまえば法術研究……特に不死人に関する研究は花形の研究課題だ。准教授だろうが教授だろうが学部長だろうがどんな待遇でも迎えてくれるところがある。それが一度政府に目を付けられるとこの様だ。人生とは残酷なものだな」
カウラの声に誠もうなずいた。誠自身が法術と言うものをこの世界に知らしめてしまった張本人であるだけに、時代を変えてしまった責任と言うものを痛感していた。そして、その時代を読み切ることが出来なかった女性研究者に同情する気持ちも持ち合わせていた。もし自分があの研究者の立場だったら……誠はそう考え、胸の奥がじわりと重くなるのを感じた。自分の一言が時代を変え、誰かの未来を奪ったかもしれない。その事実が車内の空気よりも重くのしかかる。
東都理科大は誠の母校だった。理系の単科大学の私大では東和でも一番の難関大学である。専門課程の研究室の准教授が高額の研究費を貰っているのに対して教養科目の講師の立場があまりにも低い待遇なのは誠も知っていた。もし、すでに法術が表ざたにして良いものであったとするならば、彼女は若手の准教授として研究室の一つや二つ兼務していたとしてもおかしくないだろう。
しかし、現実はそうではない。あくまで今の彼女は一コマいくらのはした金で雇われる非常勤講師に過ぎない。高学歴低収入の典型例。誠にもそう言う先輩が多くいたのでその苦労は良く知るところだった。
「しかし……男の影も無いのかよ?寂しいねえ。まあ、あのおばはんも『モテない宇宙人』である遼州人で有る訳だから別に普通だと言ってしまえばそれまでなんだけどね」
まるで自分のことを考えずにつぶやくかなめの言葉にカウラは思わず噴出した。だがそれはかなめの耳には届かなかったようで彼女はひたすら車の中から夕闇に明かりの目立つ片桐博士の部屋を見つめていた。ときおり、通りを横切る人影にかなめの指が自然と腰のホルスターに伸びる。カウラの視線もバックミラーに走る。張り込みは退屈でありながら、いつ銃声が響くか分からない神経戦だった。
「西園寺。あのマンションの訪問者の画像データは?いくらこんなに静かでも訪問者の一人や二人ぐらいあるだろう。教師と言うものは生徒から慕われるものだと聞いているぞ」
カウラはそう言ってかなめに目を向けた。かなめは面倒くさそうにタバコを吸うようなしぐさをしながらカウラに目を向ける。
「当然手に入れたに決まってるだろ?あのおばはんがらみはとりあえず無し。それに生徒に慕われるって面じゃ無かったろ?あのおばはん。これじゃあライラさんの部隊や東都警察の連中もすぐに手を引くだろうってことが分かるくらい綺麗なもんだ。孤独を絵にかいたような暮らしだ。精神がどうにかならない方がおかしいくらいにな」
かなめの言葉と共にカウラと誠の端末にデータの着信を知らせる音楽が流れた。誠の深夜放送のアニメの主題歌が流れる端末を見て、かなめが監視をやめてニヤニヤ笑いながら助手席の誠を見つめてくるが、誠は無視してそのままデータを開いた。
「綺麗と言うか……この数ヶ月の間誰も訪れていないじゃないですか。もし容疑者ならば同盟厚生局の関係者の出入りくらいは有ってもおかしくないですよ。基礎研究のデータのやり取りとかはどうやってたんでしょうね?」
誠もあまりに訪問者の少ない女性研究者の生活に不安を感じるとともに、そもそも同盟厚生局との関係すらないのではないかと言う疑念を持ち始めていた。
「なんならお前が行くか?『お姉さんさびしいでしょー』とか言って。それとなにも直接対面だけが研究機関との連絡手段じゃねえ。電話にメール。いくらだってあのおばはんを同盟厚生局の関係施設に呼び出す手段はある。むしろ違法な研究をしていた自覚は有るだけにそっちの連絡手段を取っていた可能性は高い」
「確かにそうなんですけど……それとなんで僕が片桐博士を慰めに行く行く必要が有るんですか?いくら母校の先生だからって面識がまるでありませんよ」
かなめの冷やかすような視線を避けて誠は片桐博士のマンションを見上げた。築三年、東都の湾岸沿いの再開発で作られた新築マンション。博士号を持つ新進気鋭の研究者にはふさわしいといえるが、最近はすっかり研究から取残された知識人が住むには悲しすぎる。そんな感じを受けるマンションだった。
「あのさあ。話は変わるんだけどさあ」
そう言って軍用のサイボーグらしく眼球に備えられた暗視装置でもなければ見えないような暗がりを見つめていたかなめの声が車内に響いた。
「もし、オメエ等が一言の失言ですべての地位を失ったらどう考える?オメエは逆に『近藤事件』ですべてを手に入れた側じゃん。逆の立場だったらどう思うよ」
静かな調子でかなめがつぶやいた。その言葉にはそれまでの軽口の調子はまるで無かった。
「私は考えたことも無いな。私は作られた存在だ。そしてロールアウトし、今の仕事を与えられた。失った経験がない以上、答えようがない」
運転席のハンドルにもたれかかりながらカウラはすぐに答えた。誠は突然の言葉にかなめに視線を向けていた。
「僕は……」
かなめは視線を薄い明かりの漏れる片桐博士の部屋に向けたままじっとしている。誠はしばらくかなめの言葉の意味を考えていた。
「簡単な言葉で済みませんが絶望するでしょうね。この世のすべてに……」
飲み込んだ誠の言葉が耳に届いたのか軽く頷くとかなめの表情に笑みを浮かべる。カウラはダッシュボードを開けると眠気覚ましにガムを取り出した。
「だろうな。アタシはこの世を恨んで銃で強盗でもやるかな。カウラ、タバコが吸えないんだ。アタシにも一枚よこせ」
かなめはそう言うと視線を動かさずに手だけをカウラの手元に向けた。
「なら話は変わるが……神前。オメエが法術を使えると分かったときどう思った?オメエにはそれに答える義務がある。『近藤事件』ですべてを始めたのはオメエだ。どう答える。聞こうじゃねえか」
ガムを噛みながらかなめがつぶやいた。誠はしばらく沈黙した。
「正直驚きました。僕にはそんな特別なことなんて……」
「驚いたのは分かるってんだよ。その後は?」
かなめの声に苛立ちが混じる。こういう時はすぐに答えを返さないとへそを曲げるかなめを知っている誠は、静かに記憶をたどった。
「何かが出来るような……あえて言えば希望を感じました。世界が変わるとかそう言うことじゃなくて……僕個人が何かできるような……そんな希望です」
「希望ねえ。良いねえ……若さを感じるよ。アタシもそんな年じゃねえが、アタシには出てこない答えだ」
かなめの口元に皮肉を言いそうな笑みが浮かんだ。そんななめをカウラがにらみつけた。
「人類に可能性が生まれる瞬間だ。希望があって当然だろ?神前、貴様は正しい。そしてそれまでの世界が間違っていたんだ。存在するものを無いと言い張り続けて真実を曲げていたのは世界の方だ。貴様は世界を正したんだ」
「小隊長殿は新人の肩をもつのがお好きなようで!へへ!」
ぼそりとカウラの言葉に切り返すと、再びかなめは難しい顔をして片桐女史のマンションに目をやった。
「その可能性を探求することを断念させられた研究者。その屈辱と絶望が何を生むのか……」
自分に言い聞かせるようにかなめはつぶやいた。狭いカウラの『スカイラインGTR』の中によどんだ空気が流れた。
「絶望したら違法研究に加担をしていいと言うものじゃないだろ。そんなことしてたら世の中犯罪者ばかりになるぞ。まあ、西園寺は絶望したらすぐに犯罪に手を染めそうだがな」
カウラはかなめに向けて明らかに注意するような調子でそう言った。
「実に一般論、ありがとうございます。でも人間それで犯罪に加担することが多いのも分かれよな、小隊長殿。犯罪者の大半はそうして製造されていくものなんだぜ。8年しか社会を知らない小隊長殿にはまだ分かりませんか?」
カウラの言葉をかなめはまた一言で切り返した。
「あの、西園寺さん。食べるものとか買ってきましょうか?僕、お腹空いてきたんで」
二人のにらみ合いにいたたまれなくなって誠が二人の間に割って入った。二人はとりあえず黙り込んだ。
「パンの類がいいな。監視しながらつまめる奴、それで頼むわ」
かなめはそう言うとポケットを漁った。だが、カウラが素早く自分のジャケットから財布を取り出して札を数枚誠に手渡した。
「私は暖かいものなら何でもいい」
そう言われて押し出されるように誠は車の助手席のドアを開けていた。人通りの少ない路地。誠は端末を開いて近くの店を探した。
幸い片桐博士のマンションと反対側を走っている国道沿いにコンビニがあった。誠はそのまま急な坂を上ってその先に走る国道を目指した。走る大型車の振動。ムッとするディーゼルエンジン車の黒煙を含んだ熱気が誠の頬を撫でた。地球人類の植民する惑星で唯一化石燃料を自動車の主燃料としている遼州の東和共和国ならではの光景だった。だが惑星遼州の東和からほとんど出たことの無い誠にはそれが当たり前の景色だった。
凍える手をこすりながらコンビニの明かりを目指して誠は歩き続けた。目の前には寒さの中でも平気で談笑を続けている高校生の群れがあった。それを避けるようにして誠が店内に入った。
レジに二人の東都警察の制服の警官がおでんの代金を払っていた。
誠はカウラの言葉を思い出しておでんを眺めた。卵とはんぺんが目に付いた。しかし、かなめに菓子パンを頼まれていたことを思い出し、そのまま店の奥の菓子パン売り場を漁ってからにしようと思い直してそのまま誠は店の奥へと向かった。店先のガラスに自分の顔が映る。心なしか険しい顔だ。ガラス越しに見えるレジ前の制服警官を見て、胸の奥にわずかな安心と同時に不安がよぎった。……彼らはただの買い物客か、それとも張り込みに気づいているのか。
『焼きたて!』と書かれたメロンパン。誠はそのクリーム色の姿を見ると、それがカウラの好物だったことを思い出した。
『カウラさんはメロンが好きだよな。でもメロンパンにはメロンが入っていないわけで……』
黙り込んで誠はつんつんとメロンパンを突くとかなめが食べそうな焼きそばパンを手に取った。




