第6話 消えた第二小隊とランの苦言
「行き先を言ってなかったな。ベルガー。東都都庁別館までやってくれ」
ランは助手席にちょこんと座ったままハンドルを握るカウラに向けてそう言った。
「東都都庁別館ですか?あそこには東都警察の鑑識の研究所があったはず……」
狭い路地を器用なハンドルさばきで車を走らせながらランの言葉にカウラはそう答えつつ首をひねった。
「よく知ってんな。大したもんだ。それとこれから見るものは一切他言無用だ。無用な混乱は起こしたくねー。まーこれだけ言えばこれからテメー等が見るもんが結構エグイもんだって想像はつくかも知れねーがな。実際、アタシが東都警察の警視総監だったとしてもあんなものを見せられたら全責任をアタシ等に押し付けたくなるよーな代物だ……確かにあんなものには一切かかわらねーのが得策なんだろーな」
車内に一瞬、重い沈黙が落ちた。カウラがハンドルを握る手にわずかに力を込め、誠は無意識に喉を鳴らす。死体ならげっぷが出るほど見てきたと笑って自慢げに話すのが日常のかなめでさえ、口を挟むのを一拍遅らせるほどだった。住宅街から幹線道路へ出ようとハンドルを切るカウラを見ながらランははっきりとそう言った。その言葉がこれから誠達が見るものが先ほどの写真を超える恐ろしいものであることが察しられた。
「ランの姐御、ちょっといいか?」
後部座席からかなめが珍しく殊勝な口調でそう切り出した。普段なら怒鳴り散らす彼女が、後部座席の狭いシートに身を沈めてなぜか声を潜め、少しだけ視線を落としていた。その異様さに誠は思わず顔を上げた。
「なんだ、言ってみろ」
シートベルトが明らかに意味をなしていないような助手席にちょこんと座っているランがそう答えた。後ろからまるで見えないところが誠の萌えの心を刺激する。
「アタシをこの車に乗せるのはかえでの事について話すからって言ってたが、かえでの馬鹿が歓迎会の二日後から出勤してねえのはなんでなんだ?リンもアンもそうだ。第二小隊の全員は今何をしている?屋敷でさぼってるなら連れて来いよ。機動部隊長だろ?アンタは」
かなめが気にしていたのはこれから見ることになるであろう異様な光景よりも第二小隊の事だった。かなめが言うように小隊長の日野かえで少佐、副官の渡辺リン大尉、そして三番機担当予定のアン・ナン・パク軍曹。三人とも配属初日に『特殊な部隊』の機動部隊の詰め所に顔を出した後、一切顔を見ていなかった。
「そう言えばそうですね。初日に僕が豊川駅に日野少佐を迎えに行った日と次の日に出勤してきたのが最後で、それからは一切顔を見ていない……」
誠もかなめに言われてようやくその異常な事実に気が付いた。
男装の麗人で変態のかえでとその愛人であるリン。最初は普通の少年軍曹に見えたが、翌日には女子の制服を着て『男の娘』となったアン。あまり顔を合わせたくない面々だったが居なければ居ないで心配になるのが人のサガと言うものであった。
「だからそれについて車内で説明するためにこの車に第一小隊を集めたんだ?そんなことも分かんねーのかオメー等は。馬鹿か?」
あきれ果てたようにランはそう言いながら振り返って後部座席の二人を見ようと身を伸ばした。
「クバルカ中佐。私は分かっていました」
ハンドルを切りながらカウラはそう言って誠達を軽蔑するような笑いを浮かべた。
「ベルガーは分かって当然だ。小隊長だかんな。そんくれーじゃねーと困る」
ランはそう言うと苦笑いを浮かべて察しの悪いまこととかなめを見つめた。
「第二小隊が居ないのは西園寺には結構な話なんじゃねーのか?毎日、日野からセクハラを受けなくて済むんだ。感謝して貰いてーな。アタシも気を使ってんだぜ……日野の変態性は筋金入りだ。西園寺、良くあそこまで妹を変態に育てたな。感心するぜ」
ランは伸びあがるようにして後部座席で不機嫌そうにマフラーを弄っているかなめを見ようとするが小さいランの背ではそこまで体を伸ばすことが出来ずにいた。
「アタシは育ててねえ!ただアタシは暇つぶしとストレス解消を兼ねたおもちゃにしただけだ!」
『もっと悪いわ!』
車内の全員がかなめの発言にツッコミを入れざるを得なかった。
日野かえで少佐。甲武海軍出身のエリート女性士官で、かなめの妹だった。ただし、その人格には尋常ではないほどの問題があった。
彼女は極度のシスコンでしかも『女王様』気質のかなめに調教された開発され尽くしたマゾヒストの露出狂だった。その異常な性的嗜好は誠もアメリアがかえでから誠に見せるように言われて見せられた動画で誠もよく分かっていた。つまり、彼女は変態だった。
その変態である彼女を始めとする第二小隊は確かに初日に詰め所に顔を出して以来、誠も『特殊な部隊』でその顔を見ていない。
「別に日野の性癖とは関係ねー。真面目な話をするとだ」
ランは顔を真剣なものに変えてそう切り出した。
「日野以下、第二小隊の面々にはパイロット経験がねー。元々パイロット上がりのカウラや神前みたいに正規の教育は受けてねーんだ。西園寺、オメーは良い。サイボーグの身体はパイロットに必要な技量をコードをつないで脳にインプリントすれば教育終了だからな。でも、生身の連中はそう言う訳にはいかねーんだ」
誠もランの言葉を聞いて納得していた。誠もシュツルム・パンツァーの操縦を覚えるまでに一年半の教育を東和宇宙軍で受けた。素人がいきなり乗って戦場で戦えるほどシュツルム・パンツァーの操縦は易しいものでは無いことは今でも誠の操縦技術が『AI以下の操縦能力』との評価を受けていることで分かる。
「それじゃあ、クバルカ中佐が元居た東和陸軍の教導隊で訓練を受けているんですか?」
なんとなく誠は勘でそうランに尋ねてみた。ランは大きくため息をつくと助手席から後部座席の二人に向けて振り返った。
カウラの『スカイラインGTR』は千要北インターチェンジから東関東自動車道の入口へと差し掛かっていた。これまでの一般道では感じなかった低いエンジン音の響きが高速道路に入って車内に響き渡る。
「そんな悠長なことを言ってる余裕はうちにはねーんだ。神前のバックアップ要員。今すぐにだって欲しいくれーだ。だから連中には菱川重工豊川の工場でシミュレータで訓練してもらってる。アタシの目の届くところに置いておかねーとアイツ等何をしでかすか分かったもんじゃねー。さっきも言ったろ?アイツ等は筋金入りの変態だって」
ランの言葉に誠は新たな疑問が沸き上がってくるのを感じていた。わざわざ隊の隣にある菱川重工の工場で訓練をするくらいなら、シミュレータを『特殊な部隊』に持ち込んで訓練する方がより効率的なはずだ。
「神前。オメーの考えは手の取るようにわかる。なんで第二小隊の機材も機体も隣の工場にあるって言うのにまだうちに納入されてねーかって話だろ?」
誠の心を読み切ったようにランはそう言って笑った。
「予算がねーんだ。うちの備品にするためには菱川重工からうちにシミュレータやら05式やらを資産移動させなきゃならねー。だが、うちの予算はもうカツカツだ。高梨渉参事が管理部部長に就任して司法局本局には掛け合ってはいるが、すぐにどうこうできるもんじゃねーんだ」
そう言って笑うランの表情はどこか乾いた印象を誠に与えた。
「隣の工場に機体とシミュレータが有る限り、どちらもその資産は菱川重工豊川のもんで、うちの予算はかからねー。それをうちの敷地内に運ぶとどちらもうちの予算で買い上げた扱いになった上に資産として計上されることになる。世の中そーゆー仕組みになってんだ。当然、そうなればうちの予算は破綻する。神前、勉強しな」
ランはいつもの決め台詞を吐いて誠の少ない社会常識に新たな一ページを付け加えることになった。誠は頭を抱えながら『世の中ってそんな仕組みなのか……』と呟き、カウラが肩をすくめる。そしてそのままカウラは車線を追い抜き車線に切り替えそのまま一気に車を加速させた。
「じゃあ、なんで菱川重工豊川に行ってるんだ?それこそ、姐御の機体が来るまで古巣の東和陸軍教導隊の古臭い寮に監禁して徹底的にしごいてもらった方がいいじゃねえか?どうせ東和国防軍のお荷物の東和陸軍教導隊……暇してるんだろ?姐御だってここと片手間でできたくらいだ。パイロットの三人をすぐに即戦力にしてくれって頼めばやってくれるんじゃねえの?」
かなめもまたここで疑問を口にした。
「だから言ってるだろ?時間がねーんだよ、そんな基礎から操縦技術を仕込むような時間が。そこでだ。菱川重工には07式との次期東和軍主力シュツルム・パンツァーコンペの時にプレゼンテーションに使った最新鋭のシミュレータが有る。連中はそいつで訓練している。それこそ基礎を知らずに感覚的にシュツルム・パンツァーの操縦法が学べる画期的な奴だ。もし、05式が07式とのコンペに勝ってたらあれが全教導隊に配備される予定だったんだ。そうすればアタシの仕事も楽だったのに。他のテストパイロットが05式に最低点を付けたからそんなことになったんだ。07式なんて機動性だけが売りの紙装甲の貧弱なお人形じゃねーか!あんな機体のどこが良いんだ?アタシには理解できねーな」
ランはため息をつきながら現在の第二小隊の状況を説明した。
「でも隣の工場の最新鋭のシミュレータを使うと、なんでうちの予算が少なくて済むんだ?シミュレータの使用料だって民間企業に委託するわけだから結構するだろ?連中だって慈善事業でやってるわけじゃねえんだから」
予算の事に関しては一隊員に過ぎないかなめも良く分からないところだった。
「その使用料が今回は破格の値段なんだ。コンペで負けた時点でそのご立派なシミュレータは完全な不良在庫になった。これらの資産をアタシ等が有効利用して連中は訓練を受けてるんだ。当然こっちは向こうの弱みに付け込んで高梨部長が値切りに値切った。世の中結局金なんだよ。隣の工場長も使い道に困ったシミュレータに意外な使い道が出来たって喜んでるみたいだぞ」
子供のような姿のランが言うにはあまりに世知辛い話に誠は絶望した。
「でも、連中の成長速度は本当にはえーな。今の時点ですでにここに来た時の神前のレベルを超えてきてる。予定ではあと三週間はあそこで訓練を受けてもらうことになってるが、その時には神前の今のレベルに追いついているだろーな。神前、うかうかしてられねーぞ」
ランは笑顔で誠を見つめてきた。
「僕は僕なりに頑張ってるつもりなんですけどね……才能の違いでしょうか」
誠は照れながらそう言い返すしかすることが無かった。
途中のパーキングエリアで茜の車が停まると言うので合流した茜の車の前には、茜から今回の事件の説明を受けている島田達の姿があった。
「とりあえず外の空気を吸うのもいいだろう。それと、西園寺はどうせタバコだろ?」
カウラはそう言うとパーキングエリアの一隅に車を停めた。車が停まると助手席のランが降りるとすぐに後部座席のかなめはニコチン補給のために喫煙所に急いだ。
誠とカウラとランがすることも無いのでとりあえず自動販売機でマックスコーヒーを買うと茜達の車を見つけたので近付いていくと。そこでは茜がとりあえず連れてきた『特殊な部隊』の面々の中で唯一の茜の難しい話を理解できそうな頭脳の持ち主であるアメリアと話をしていた。
「身元の共通点……租界の女たちね」
いつものふざけた調子のまるでない真剣な表情の顔のアメリアが腕組みをして茜を見つめていた。アメリアの手に握られたココアから熱そうな湯気が上がっていた。
「ええ、だから会いに行く必要があるのですわ。事情を知っているのは……『彼』しかいない」
それに答えるようにして着物姿の茜が静かにうなずいていた。
「つまり、共通点を見出せないようにする必要があった可能性があると私は考えているの。これが事故や個別に発動した事件だったとしたら、何がしかの共通点があるのが普通ですわよね?場所は限られていますわ。特に港湾地区はよその住人が喜んで出かけるような場所ではありませんわよね?」
茜の言葉の終わり部分しか聞けなかったが誠も茜の意図が理解できた。港湾地区は治安が悪いと言うのは誠の大学時代からよく知られていたことだった。アメリアはその話を聞いていつもの能天気な表情では無く難しい顔をしてその特徴である糸目をさらに細くしていた。
寮で見せられた死体の発見現場の場所の配置は、再開発から取り残された使われない倉庫と町工場の跡しかない街ばかりだった。通りすがりの人間が立ち寄り、しかも事件に巻き込まれる。そんなことは偶然にしては出来すぎていることは世間に疎い誠にもわかった。
「なんだ、今回の事件について説明してたのか。でもなー。誰かが意図的に仕掛けたとして、何のためか?そして誰がやったか?その辺の事情は身元を洗っただけじゃわからねーのも確かなんだよなー」
そんな言葉を吐きながらランが大きくため息をついた。
「身元に共通点が無い遺体。どうつなげていけばいいやら」
運転の疲れをいやすべく、カウラはぬるくなったマックスコーヒーを飲んでいた。
「いや、身元の共通点は有ると言えば有るんだ。例の7人のうち3人は租界の中の住人。しかも全員が女だ」
ランの言葉を聞いた時、それまでタバコの事で一般客と揉めていたかなめが相手の男を突き飛ばして戻ってきた。
「やっぱそうか……租界の中の被害者は女か。そんな事だろうと思ってたよ」
かなめの目には光が無かった。こういう時のかなめは静かにしておいた方が良い。かなめを見ていた誠はいつもの経験からこう察して彼女に話しかけないでいた。
「だから会いに行くんですわ……『彼』に」
突然の茜の言葉。その言葉を言った瞬間に鋭さを帯びた茜の青い瞳を見て誠は興味をひかれた。
「『彼』って誰です?もしかして僕はその人を斬るんですか?」
誠は直感的にそう言っていた。茜は答えることも無くそのまま運転席の中に消えた。
慌てて乗り込む島田とサラとアメリア。バックミラーに移る彼女の父惟基を彷彿とさせる悪い笑顔が誠の不安を激しく掻き立てた。




