第45話 第一期『特殊な部隊』
すぐにカウラは路地を抜け、車体を軽く揺らしながら国道へと合流した。遼州圏きっての経済大国、東和共和国を代表する巨大企業……菱川重工業の企業城下町らしく、国道には次々とコンテナを積んだ大型トレーラーが行き交っている。排気音が低く唸り、油と鉄の匂いが風に混じって流れ込んできた。
カウラの愛車『スカイラインGTR』は、そんな重量車両の波を縫うように軽やかに走り抜けていく。車高の低いスポーツカーならではの路面の近さが、タイヤの振動をそのままシートへと伝えてくる。
「でもあれよね……」
アメリアのつぶやきを聞くとカウラは信号待ちで片手をステアリングから離し、助手席のアメリアをにらみつけた。
「乗り心地だけなら、パーラの前の車のほうが良かったわよね。あれは四駆だから荒れた道に強かったし……でも、もう買い替えちゃったのよね……今度の車は島田君のチューンだからこの車みたいにサスペンションがレーシング向きに設定されるでしょうから……乗り心地悪そうで……」
彼女は軽くため息をつく。
「今度の車って、なんだか小さいくせにエンジンばかりデカいって島田君が言ってたわ。あれは島田君好みかもしれないけど、私にはちょっと合わない気がするのよ」
アメリアは持主はパーラなのにまるで自分の車について話すようにそう言った。誠は助手席でハンドルを握るカウラの横顔を見つめながら、彼女の言葉の端々に漂う懐かしさに気づいた。きっと、あの車にはただの乗り心地以上の思い出があったのだろう。
アメリアは自分の車は維持費がもったいないと廃車にしてしまい、口実を付けては運航部の女子の車を借りてお出かけをする狡い上司だった。
「人の車が気に入らないんだったら、今降りても良いんだぞ。そして歩け。豊川市は狭い。クバルカ中佐の指定した場所も無理をすれば歩けない距離では無いな」
余計なことを言うアメリアとそれに突っ込むかなめを振り返りながら、誠は次々と三車線の道をジグザグに大型車を追い抜いて進む車の正面を見てはらはらしていた。カウラはそれほどはスピードは出さないが、大型車が多く車間距離を開けている時はやたらと前の車を抜きたがる運転をする傾向にあった。そして駅へ向かう道を左折すると制限速度が落ちるのでがくんとスピードが落ちた。周りは古い繁華街。見慣れた豊川の町が広がった。
「あそこのパチンコ屋は駐車場があったんだが……うどん屋にはあるのか?」
カウラはパチンコ依存症らしくそう言った情報には詳しかった。
「潰れたパチンコ屋の立体駐車場は取り壊し中だ。いつものコインパーキングが良いだろ?」
かなめのアドバイスに頷いたカウラは見慣れた小道に車を進めた。そして古びたアパートの隣にあるコイン駐車場に車を止めた。
「じゃあ行くぞ!」
かなめの笑顔を見ながら誠は商店街のアーケードに飛び込んだ。平日の日中と言うことで客の数は思ったよりも少なかった。
「流行ってるんですかね」
誠の言葉に答える代わりにアメリアは指をさした。
そこにはすでに到着していた島田にサラ、茜とラン、ラーナの姿があった。
「おう、アメリア。丁度いいときに来たな」
「ご馳走様であります!中佐殿!」
そう言うとアメリアは素早く暖簾をくぐって店に消える。誠は『讃岐うどん』と書かれたのぼりを見ながら店の中に入った。
「いらっしゃい」
店に入ると出汁の香りが広がる。そこで恰幅の良い大将が振り向きもせずに抑揚を殺したまるで歓迎するそぶりも無い調子でそうつぶやいた。
「客が居ねえな……まあ、ここはいつものことか。その方がアタシ等にとっては都合がいいや」
ランはそう言って店内を見回した。その言葉を聞いて巨漢の大将が振り向いてため息をついた。まるで親子のようでほほえましいと思いながら誠はそのまま奥のどんぶりに向かった。
「それじゃあ私から!」
いつの間にか脇をすり抜けてきたアメリアが飛び出してカウンターに手をかけた。
「おたくが『特殊な部隊』の運用艦の艦長さんかい……聞いてた通りデカいね」
ぶっきらぼうに振り向いたうどんを打っていた店の大将はアメリアを見てそれだけ言うとそのまま再びうどんを打ち始めた。
「なんでそんなこと知ってるの……デカくて悪かったわね……ぶっかけうどんの大で」
そう言いながらアメリアは揚げ物をしている女性従業員に声をかけた。
「揚がっているのはかき揚げしかないけど……」
東和では珍しい金髪のどう見てもゲルパルトのドイツ系かフランス系、あるいは外惑星連邦のロシア系と思われる割烹着を着た女性従業員はそう言うと言い訳がましくほとんどからの揚げ物コーナーを指さした。
「こいつ等は客じゃねえよ……かなめ坊……何だねその目は」
うどんを打つ手を止めて大将はそう言うとまだ入り口で外を気にしているかなめに声をかけた。
「まるで重要拠点だな。狙撃手は308ウィンマグか?随分と歓迎してくれるじゃねえか」
かなめの目は完全に戦場に居る時のかなめの目に変わっていた。誠はこのことに気付いてこのうどん屋が普通のうどん屋ではないことに気付いた。
「308ウィンマグ?なんですそれ。銃の名前ですか?」
誠はそう言ってかなめに目をやった。大将はその言葉を聞くとにやりと笑った。
「ここの入り口の狙撃だったら距離はいらねえんだ。5.56ミリで十分だ。それにオメエ等の歓迎をしている訳じゃねえ。いつ来るか分からねえ米帝の手先共の歓迎をしてるんだ。俺らは戦争犯罪人。いつ殺されても当然の存在だ。そのぐらいの自衛手段をとって無いととうの昔にくたばってるよ」
「へー……」
誠は大将の『5.56ミリ』と言う言葉でそれが銃弾をさしていることが分かった。誠の使っているHK53の使用弾も口径は5.56ミリだと記憶していた。
「狙撃手付きうどん屋?」
カウラはそう言って店内を見渡した。確かにこの店は食べ物屋としては奇妙なほどに殺気立った雰囲気が漂っていた。
「別に驚くほどの事じゃねえ。ここの大将は第一期『特殊な部隊』の副隊長……つまりアタシ等の先輩って訳だ」
ランはそう言って誠を見上げてきた。
「第一期『特殊な部隊』……。じゃああの近衛山岳レンジャーの隊長のライラさんのさらに先輩……隊長が隊長をしていた最初の部隊……」
反芻するように誠はそうつぶやいていた。そしてランがただうどんをおごるためだけでここに誠達を連れてきたわけでは無いことに気が付いた。
「そうだ……うちの隊長が初めて率いた部隊……その時の副隊長がここの大将ってわけだ……」
ランはそう言って背を向けたままの恰幅の良い店の大将を見つめた。
「そうだ……レイチェル、そう言うわけだからこいつ等客じゃねえ……俺の後輩達だ」
大将はそう言って妻らしき金髪の女性に声をかけた。
「そうなの……せっかくのお客さんだと思ったのに。もう少し宣伝して店を流行らせないとまた潰れちゃうわよ」
白い割烹着に三角巾を頭に巻いた金髪の美女が揚げたイカゲソ揚げをトレーに並べていた。
「この人も?その『特殊な部隊』の隊員の人ですか?」
島田はそう言ってレイチェルと呼ばれた女性を指さした。
「こいつはうちの家内……隊長のことは知ってる……身内だ。それに第一期『特殊な部隊』には野郎しかいねえ。そりゃあむさい顔の連中さ」
そう言って大将はようやくまともに誠達に顔を向けた。
でっぷりと太った大柄な体格。その顔には蛇のような鋭い視線とそれに似つかわしくないユーモラスなバランスに思わず誠は吹き出しそうになる。
「そこの一番デカいのが神前か……聞いてたよりマシな面構えじゃねえか……シュツルム・パンツァーの操縦下手なんだってな」
ぶっきらぼうに話題を切り出した大将の言葉に誠は照れながら頭を掻いた。
「隊長は……確か甲武軍治安機関の出身ということは……」
カウラのつぶやきに大将の目から輝きが消える。
「そうだよ。俺達は遼帝国で甲武国家憲兵隊の一員として『ゲシュタポ』の真似事をしてたんだ……当時はな。今はカタギでやってるのもいればいまだに戦場で傭兵稼業に励んでいる奴もいる……色々あるもんだ。プロの戦争屋。それが俺達の真実の顔だ」
大将はそう言うとその大きな不機嫌そうな顔を崩してにやりと笑った。
「昔話はそれくらいにしてだ。志村三郎の実家のうどん屋をご存じなんですか?」
レイチェルから受け取ったかけうどんをトレーに乗せた誠は意を決して無表情な店の大将に声を掛けた。
「あそこの親父は俺の兄弟子だ……俺も遼帝国の名店で修業した口だ。味は保証するぜ」
大将が言ったのはそれだけだった。かなめとランはわかりきっているというように黙ったままうどんを茹でる大将の手を見つめていた。
「なんでそんなこと知ってるんですか?あそこって『租界』の中じゃないですか?って聞くだけ野暮ってもんですよね。第一期『特殊な部隊』なんですから。でも『租界』の中なんてそんなロートルが行くような場所じゃねえよ。怪我したって知らねえな俺は」
島田はそう言った。誠は島田の表情を不自然に感じていた。
甲武国陸軍の工作員として活動していた経験のあるかなめや、遼南内線で共和政府軍のトップエースとして鳴らしたランという二人の百戦錬磨の戦士に警戒感を抱かせる程に危ない男。この店の大将がまともな経歴の持ち主でないことは誠にもわかった。そんな男を相手に島田は明らかに喧嘩を売ろうとしている。ヤンキーの闘争本能がそうさせるのかもしれなかったが、誠から見ても島田の行動はかなり危なっかしいものに見えた。
「だからどうした。俺に意見する気か?兄ちゃん。腕っ節には自信があるのはいいが口の利き方には気を付けた方が良いぜ。喧嘩ってもんは相手がいるもんだ。相手は選んで喧嘩ってもんはするもんだ。銃を使っての喧嘩の専門家の意見だ。覚えておけ」
大将は黙ってそう言った。島田の顔にあざけりの笑みが浮かぶ。
「あそこは一般人は立ち入り禁止っすよ。危ないですから。俺達みたいな司法執行機関員でもない限り出入りは難しいように出来てる。アンタみたいな昔慣らした口のパンピーが行くところじゃないですよ。大人しく店でうどんでも打ってるのが似合いなんじゃないんすか?」
そう言って島田は親父をにらみつけた。親父は口を真一文字に結んだまま島田の言葉を黙って聞いていた。
「正人……挑発するのやめなさいよ」
それまでうどんが湯の中で踊る様を見るのに夢中だったサラが止めに入った。それでも島田は不敵な笑みを浮かべて大将をにらみつけた。
「茶髪のあんちゃん。喧嘩慣れしてるな。腕っぷしに自信がある。そんな餓鬼の面だ。餓鬼は餓鬼。いつまでたっても大人になれねえのは感心できねえな」
そう言うと大将はにらみ合いに飽きたとでもいうように島田に背を向けて壁に並んだ湯切りざるの整理を始めた。
「ふん!」
勝ちを確信した島田がカウンターに並べられた空のどんぶりに視線を落とした。
「茶髪の兄ちゃん」
ドスの聞いた女性の声が店中に響く。誠はそれがこれまで客向けの笑みを浮かべたレイチェルから発せられたことに気づいた。さすがの島田も彼女の突然の変化に驚いたように顔を上げる。
「あんた。暴走族上がりだね……せっかく今はこうして更生して司法局実働部隊なんて言う堅気の仕事についているんだ。自重しなよ……それと隣の嬢ちゃん……」
レイチェルの目。先程まで誠達を客として見つめていた目には人間性のかけらも見えなかった。
「はっはい……」
サラがおずおずと赤い髪に隠れそうな顔を上げた。
「あんたも自分の男が間違いを犯したら止めてやりなよ。特にこの兄ちゃんの目。まるで狂犬だ。まあ、心根まで狂犬ならとっくの昔に人の道から外れていたんだろうけど……。兄ちゃん」
「なんすか?レイチェルさん」
島田は今度はレイチェルを挑発的視線でにらみつけた。
レイチェルも一歩も引く気はないと言うようににらみ返した。
「いい年なんだろ?喧嘩自慢は結構だが……相手を選びな。アンタ、そのままだと近いうちにその娘を泣かすよ。まあアタシの言葉の意味はアンタがくたばってその娘が悲しむってことだけど」
レイチェルはそれだけ言うとそのまま揚げ物に顔を向けた。その様子は戦場に慣れ切ったかなめの顔をほうふつとさせた。
『この人、かなめさんと同類……いや、もっと上だ。人の死んでいく様をかなめさん以上に見てきた目』
誠はレイチェルの青い瞳を見てそう思った。
「島田の。レイチェルさんの言うとーりだぞ。オメーは自分より弱い奴には絶対手を上げないが、強い奴にはまるで土佐犬みたいに無境にかみつく。悪い癖だぜ」
カシワを揚げているレイチェルの手元を見つめていたランは顔を上げてそう言った。
「ランの姉御。ひどいですよ。俺が犬っころみたいじゃないですか」
島田は笑いながらランを見つめた。
ランの表情に笑顔は無かった。その表情を見てこの店は『戦争のプロ』だけが入ることを許されたうどん屋なんだと誠は実感した。




