第44話 にらみ合いと、うどんと
西のゲームが滅亡で終わったのを確認すると、ランが勢いよく手を叩いた。
「オメー等、西をからかうのもいい加減にしねーと、昼おごってやんねーぞ!食通のアタシが自信を持って勧める店だ。本当にうめーから期待しとけよ!アタシ等は今、司法局から見捨てられた捨て子みたいなもんだ。旨いもんでも食わなきゃ、やってらんねーからな!」
にらみ合うカウラとかなめに、幼い顔をしたランがドンと腰を上げながら言い放つ。その場の空気が一瞬緩み、全員の視線が彼女へ集まった。
「クバルカ中佐のおごりですか?」
誠が少しだけ目を輝かせる。
「おう、そうだとも。懐は痛ぇが、たまには良いもん食わせてやんねーとな!」
ランの言葉に、誠やアメリアが少しだけ表情をほころばせた。長く張り詰めていた緊張が、食事という共通の救いによってほどけていくようだった。
にらみ合うカウラとかなめに向かってランはそう言って立ち上がった。全員の視線が彼女の幼い面差しに注がれた。
「クバルカの姐御のおごりか……旨い店なんだろうな。寿司か?ウナギか?天ぷらか?」
かなめはランが食通なのを知っているので明らかにこれまでの不機嫌を吹き飛ばす勢いで元気よくそう言った。
「あのー僕達は?僕達にもおごってくれるんですよね?」
バッドエンドの画面が映し出される端末を見ながら西とアンがランを見上げた。
「オメー等はおごらねー。西。お前は休暇中だろ?しっかり休め。アンもそーだ。いい加減いつも持ち歩いてるカラシニコフの爺さんの作ったその物騒な友達ともおさらばしろ!ここは平和な東和なんだ。戦争だらけのベルルカン大陸じゃねーんだよ。銃を持ち歩いて問題を起こすのは西園寺だけで十分なんだ。オメーまで問題起こされたらアタシの身体がいくつあっても足りなくなる」
ランはそう言ってアンの肩を叩いた。そして視線をアンの持って来たカラシニコフライフルが入っている大きめのカバンに向けた。
「その行先もまた僕には秘密ですか?捜査の関係の事ですか?僕も一応司法局実働部隊の隊員ですよ。知る権利くらいあると思うのにな……」
西の反論を無視してランはそのまま部屋を出て行った。
「ランの姐御のおごりか……楽しみだな……何が食えるのかな……」
寮の薄汚い廊下をいかにも楽しそうな表情のかなめの顔を見上げたランの目には自信がみなぎっているのが誠にもわかった。ランは相当自信のある店に連れていこうとしている。誠はそのことを確信した。
「いつもすみませんね。おごってもらってばっかりで。でも、本当にランちゃんのエンゲル係数ってどうなってるのかしら?まあ、お金のかからない趣味しかないし、住まいはあの御仁が提供してくれているから家賃もかからないし……それにお給料もこの中では一番高いもんね、ランちゃんが。そう考えると食べることと飲むことにお金をかけるのは当然かもね」
アメリアは部長職と言うこともあってランには何度もおごられているらしく、楽しげにそうつぶやいた。誠はランがどうやら『あの御仁』とやらのところに居候していることをアメリアの言葉で理解した。ランは特殊詐欺にすぐ引っかかるので誰か保護者が居ないと自立できないのは知っていたのでなんとなく納得した。
「良いって!アタシが好きでおごってるんだ。気にすんな……おっと!」
アメリアのゴマすりににやけた顔をしながらジャケットのポケットでランは震える携帯端末を取り出す。かなめはおごりと言う言葉を聞いてからニヤニヤが止まらないような様子だった。携帯端末の上の画面には司法局付き将校明石清海中佐の禿げ頭が映し出されていた。
『謹慎中すいませんなあ』
少しも詫びるつもりは無いというような笑顔で局付き将校である明石の禿げ頭が画面に映った。
「ライラの奴。オメーのところに連絡よこしたろ?なんて言ってきた」
ランの言葉に士官は少しばかり緊張した表情を浮かべた。
『まあ思った通りクバルカ先任中佐がうちに上げてきた情報を全部よこせ言うてきましたわ。うちも面子がありますよってそないなことはできませんと軽くいなしときましたけど……連中はやはり狙いを同盟厚生局に絞ったようですわ。そのままうちの手の届かん所まで調べといてくれると助かるんやけど』
明石はそう言うと禿げ頭を撫でつつ決して外すことの無いサングラスを掛け直した。
「……なるほどねえ、ライラも花形の近衛山岳レンジャーとしての実績が欲しいだろうからな。そこんとこの調整はタコの腕の見せ所だろ?それに同盟軍事機構なら同盟組織の中でも同盟厚生局より格上だ。アタシ等が手に入れられなかった情報が手に入るかも知れねー。そっちの方で何かわかる事が有ったら教えてくれ」
ランはどう見てもやくざの幹部にしか見えない明石にも動じず、まるでその親分ででもあるような大きな態度でそう言った。
『あんじょうやっときまっさ。いやあほんま。ライラの嬢ちゃんも、手柄が欲しうて焦ってるのは分かるんやけどねえ。ワシ等にも面子ちゅうもんが有りますさかいに』
明石はそう言いながら自分の禿げ頭を叩いて見せた。ランは彼の言葉に安心したようにうなずいた。
「別にあれだぞ。情報は小出しにする分には出しても構わねーぞ。下手に隠し事をして波風立てるのもアレだからな。それに連中はアタシ等が入れなかった施設にも入れる権限を持ってるんだ。それに関する情報は積極的にくれてやれや。同盟軍事機構様の威光とやらを見せてもらおーじゃねーか。ここはちゃんと利用させてもらおー」
ランはそう言って皮肉の効いた笑みを浮かべた。
『分かってま。ええ感じにしときますわ』
明石はそう言って通信を切った。
「そう言えば飯をおごるって……車は?カウラのは4人乗りだろ?」
かなめは全員の顔を見回しながらそう言った。
「アタシとラーナは茜の車で出ればいいはずだ。島田、お前はバイクでサラと行くんだろ?」
ランに見つめられて島田とサラは仕方なさそうにうなずいた。
「でもどこ行くんですかね」
島田が食通で知られるランにどんな高級料理をおごってもらえるかが気になってそうつぶやいた。
「おう、うどんに決まってるだろ?遼南と言えばうどんなんだ。あの『租界』に行って、アタシも遼南の生まれだってことを思い出したんだ。じゃあ行くぞ!」
通信を終えたランが力強く叫んだ。出て行く人々をなみだ目で見上げる西を無視して一同は玄関へと向かった。
遼大陸南部には地球人の入植が湾岸部のみでしか行われず、第一次遼州戦争と呼ばれる遼州独立戦争の後に遼州原住民族が独立して遼帝国と言う国を建てた。
多くの物産が地球から持ち込まれたうち、うどんこそが彼等を魅了する食材となった。遼南は高度の技術を誇る遼南の焼き畑農業により良質の小麦を生産することで知られ、その小麦粉から作ったうどんの腰は地球のそれを上回るとして宇宙に名をとどろかせるものだった。
第二次遼州戦争でも『祖国同盟』として地球圏と戦った遼帝国は宇宙でうどんをゆでて水が不足し降伏した軍艦の噂や、うどんを同盟国である甲武やゲルパルトに取り上げられて寝返った部隊があるという噂で知られるほどうどんを愛する国民性だった。
そして遼南人がいかにうどんを愛するかというエピソードの中でも伝説とされるのが『うどん戦争』と呼ばれた遼南内戦の最後の戦い『東海侵攻作戦』が有名だった。
先の大戦後の遼南内戦に勝利した人民政府をクーデターで倒し、遼南の全権を握った後遼帝国の献帝は甲武への再編入を求める東海州の軍閥花山院家を攻撃した。
だが戦線が膠着すると見るや前線基地で一斉にうどんを茹でるという珍妙で理解不能な行動に出た。遼帝国軍が長期戦を覚悟したと勘違いした花山院軍が軍を前線に張り付けて首都ががら空きになったのを見ると献帝が直接指揮する特殊部隊で首都に潜入、奇襲によってこれを打ち破ったという話は誠も訓練校の座学で聞いていた。
遼南人が三人集まればうどんを食べる。そう言われるほどうどんは遼帝国の国民食だった。
「でもランちゃんの薦めるうどん屋って興味深いわね。遼南のうどん。それこそ本格的でおいしそう。これは期待できるわね」
完全にお客さん体質になっているアメリアが微笑んでいる。
「トッピングは選べるのかしら?」
アメリアは笑顔で指を数えつつどんなトッピングを乗せたうどんを食べるかを考えていた。
「あれっすよ、嵯峨捜査官。手打ちうどんの店がこの前……」
そんなアメリアに声をかけたのは遼帝国出身のカルビナ・ラーナ巡査だった。その目はランの口からうどんという言葉が出た時から光り輝いていた。
「なんだ?ラーナは行ったことあるのかよ」
茜の助手らしく情報をまとめてみせるラーナの言葉にランが少し不満そうな顔をする。
「へへへ……すいません……アタシもうどんには目が無いんで。一応アタシも遼帝国の生まれです。でも、うちの土地は瘦せてるんで蕎麦しか作れないんですよ。でも皇帝の献上品に選ばれるほどの良いそばが取れるんですよ。今度、父に行って蕎麦粉を送ってもらいますね」
ラーナは笑顔でそう言った。
「そうなんだ……じゃあ、毎日蕎麦を食べてたの?」
アメリアの質問に靴を履き終えてラーナは恥ずかしげにうつむく。
「蕎麦も食べますけど町まで出て蕎麦粉を出すと小麦と交換が出来るんですよ。私は山育ちですけど実家で結構打つんで……週に一度は食べてました。それ以外は蕎麦ですけど」
その言葉にアメリアとカウラとかなめの顔が一瞬とろけそうになるのを誠は見逃さなかった。
そう言って駆け出すランの姿に萌えた誠を白い目で見ている紺色の長い髪があった。
「誠ちゃん。実はロリコンだったの?」
そう言いながら声の主のアメリアはなぜか端末をいじっていた。
「何する気だ?」
カウラは歩きながら片手で器用に端末に何かを入力しているアメリアの手元をのぞきこんだ。
「遼南風のうどんの店ならリーズナブルでしょ?それにうどんは腹持ちがよくないから後で食べるケーキを予約しようと思って」
かなめの問いに答えたアメリアが耳に端末を当てながら玄関を出て階段を下りた。まだロングブーツを履けないでいるサラとそれを見守る島田を残して誠達はそのまま隣の駐車場に向かった。
「おい!お前等の端末に行く先を転送しといたからな!遅れたら自分達で払えよ!」
茜の白いセダンの高級車の脇に立ったランが叫ぶ。誠、かなめ、アメリアの三人はいつも通りカウラの『スカイラインGTR』に乗り込んだ。
「カウラちゃん待っててね」
携帯端末を手に助手席のアメリアが嬉しそうにそう言った。カウラは車のエンジンをかけるとアメリアの端末に映し出された豊川駅南口の近辺の地図を覗き見た。
「私の通ってたパチンコ屋の代わりにできた雑居ビルの中の店か?」
カウラの言葉に誠も自分の端末を地図に切り替えた。司法局実働部隊のたまり場であるお好み焼きの店『月島屋』のある商店街の奥、先日閉店したパチンコ屋の跡にそのうどん屋の情報が載っていた。
「あそこのパチンコ屋……カウラは通ってたんだ。あのパチンコ屋は災難だったなあ。叔父貴の奴。あれは『ゴト師行為』って言って犯罪だぞ。叔父貴はあそこでいくら稼いだんだ?いくら小遣い3万円が足りねえって言ってもやっていいことと悪い事が有るぞ」
噴出すようにかなめがつぶやくのは彼女の意識と接続されている情報を見たからなのだろうと誠は思った。
そのまま『スカイラインGTR』は走り出した。フロントガラスにうどん屋までの行程が映るが、すでに行き先の分かっているカウラはそれを切った。
「トッピング……何にしようかな」
あいかわらずアメリアの脳内ではその事ばかりが浮かんでは消えているようだった。
「今から考えるのかよ。ついてみなきゃどんなもんがあるか分からねえだろ?」
場当たり的なことばかりのかなめからそんなことを言われるとさすがのアメリアも驚いたような顔をしてかなめをにらみつけた。
「何?私が何を食べても関係ないでしょ?それに大概の遼南うどんの店には揚げ物の定番なんて決まってるわよ『かしわ』でしょ?『サツマイモ』でしょ?それに……」
「定番が決まってても売り切れてなかったら話になんねえじゃねえかよ」
動き出す車の中ですでにかなめとアメリアはうどん屋の話を始めた。苦笑しながらカウラは住宅街の細い道を抜けて大通りに出た。
「そう言えば神前はうどんは好きか?」
加速する車の中、かなめの声に誠は迷った。誠は鰹節派だったが親が鰹節派だったひねくれたかなめが昆布しか認めないなどと言い出す可能性は否定できない。
「そう言う西園寺さんはどうなんですか?僕は嫌いじゃないですけど」
誠は愛想笑いを浮かべながらそう言った。だがアメリアもカウラも助け舟を出すようなそぶりは無かった。
「ああ、アタシも結構好きだぞ……お袋が遼帝国の貴族の出だから。居候によくうどんを茹でさせていた。ただ、お袋を満足させるうどんは一度もなかったみたいだけどな」
かなめは得意げにそう言って笑った。
「遼帝国出身なんですか……まあ、帝国だから貴族ぐらいいるでしょうね。甲武一の貴族に嫁入りするぐらいだから偉い人なんでしょうけどね」
誠は少しレベルの違うかなめに感じる距離をここでも感じることになった。
「うどん……おいしいといいわね」
アメリアはそう言ってにっこり微笑んだ。そこにはどこか身分違いの話を平気でするかなめに対するけん制のようなものが誠には感じられた。




