第40話 因縁を梃子に、強権は振るわれる
指揮車の中ではオペレータが数名手馴れた調子で端末を操作していた。絶え間なく続く外部からの指令の通信。メモを持って走り回る下士官たち。その様子を見て誠達の襲撃は完全にライラたちの監視下にあったことを実感した。
そしてその情報を同盟軍事機構に流したのはおそらくは嵯峨であろう。嵯峨は初めから茜の襲撃作戦は失敗することを予見していてその対応策として姪であるライラを呼びつけたに違いない。その事実が青ざめた顔で指揮者に一番先に入った茜の顔を見れば鈍い誠にも見て取れた。
誠達が案内された指揮車の中では、端末のタップ音と無線の微かな雑音だけが満ちていた。狭い車内に緊張感が漂い、数名のオペレータが迷いのない手つきで端末を操作し続けている。
「駐留軍の隊員は、非番を除いてほぼ全員拘束済みです。非番の隊員も東都警察に通報済みで、間もなく身柄を押さえられる見込みです。全員に例の組織から裏金が流れていた可能性が高い。至急尋問にかけ、黒幕の線を洗い出します」
手前の女性オペレータが立ち上がり、息を詰めるように報告すると、ライラの前で短く敬礼し、再び椅子に沈み端末へ向き直った。
ライラは無言で頷き、硬い視線を車窓の外に向けた。その眼差しは、すでに次の一手を計算している者のものだった。
「自己紹介が中途半端だったな。私が遼南山岳部隊隊長リョウ・ライラ……」
「ちなみにバツイチだ!子供も居ねえ。これから寂しくなるねえライラ姉さん」
ライラの言葉をさえぎってかなめが突っ込みを入れた。明らかに殺気の込められた視線がかなめに突き刺さった。怒りを鎮めるべく大きな深呼吸をした後、ライラは鋭い目つきで誠達をにらみつけながら話を始めた。
「法術師の違法研究の容疑でこの基地の部隊の幹部。同盟厚生局の課長級の職員の手配を済ませて現在、その行方を遼帝国の特命憲兵隊が捜索中だ。よって、これからのこの事件の捜査権限は同盟軍事機構が引き継ぐことになる。これは同盟加盟国首脳の判断だ。今後一切司法局はこの事件に介入することを許さない。茜、かなめ、悪いがすべての資料はあの伯父……いや、嵯峨惟基特務大佐経由でコピーを取らせてもらった。貴君等はすでに用済みと言う訳だ」
突然のライラの言葉に誠は絶句した。かなめもカウラも呆然と立ち尽くしていた。誠がアメリアを見ると、彼女は後ろを向いていた。
そこには口を開けたままライラを見つめている茜とその脇で立ち尽くすラーナの姿があった。
「そんな横暴です!それに……」
同じ遼帝国の国民としてラーナは帝室の威光をかさに着たようなライラの言葉に言い返そうとした。しかし、彼女の肩を茜は押さえて黙るように示した。
「捜査権限を軍や憲兵隊に任せるのは不安だと言うんだろ?しかし、司法局は茜に人的支援をするわけでもなく、情報開示の権限も制限して捜査をさせてきたわけだ。そんな甘い体制ではこの事件の解決には程遠いと同盟上層部は判断したのだろう。だからこれからは私がすべてを引き継ぐ。茜、頑張ったな。もうお前の仕事は終わりなんだ」
ライラの声明にかなめの顔に怒りの表情が浮かんだ。
「ライラの姉さん。叔父貴に復讐したいからってやりすぎだぞ!それに同盟首脳の電話会議の結論は姉さん達もこの捜査を独自に進めると言う内容だった。アタシ等が捜査を止めようが続けようが同盟機構は関知しないって話だったはずだな。ここまで来たのはアタシ等の手柄だろ?それを礼も無しに全権限を取り上げるって……私情で動くのもいい加減にしろってんだ!」
そのおそらくは同盟首脳の電話会談とその後の実務者会議の議事録でものぞき見たのだろう。かなめの言葉は断定的で、その表情は挑戦的なものだった。誠はただかなめとにらみ合うライラを見つめていた。
「かなめ。私はお父様の仇を討つのは諦めたって何度言ったら分かるんだ?あの男はこの遼州圏に必要な男だ。だから生かしておいてやる。必要が無くなったらどうするかはその時考える」
急に事務的で無表情に見えたライラの顔が厳しくなった。
「仇?隊長が誰かを殺した……ライラさんのお父さんを殺した……」
誠のつぶやきにかなめが大きくうなずいた。
「そう!このオバサンは遼南内戦で色々あって親父の遼弁を叔父貴、嵯峨惟基に斬られてるんだ。そこで今、アタシ等の権限を取り上げることでうっぷんを晴らしてるんだ。何が『あの男は遼州圏に必要な男』だ!テメエだってクバルカの姐御を倒すために結成された第二期『特殊な部隊』の隊員として叔父貴の下で戦った女じゃねえか!しかも聞いた話じゃその部隊の中でも一番シュツルム・パンツァーの操縦が下手で、ひたすら足手まといになり続けてたって話だぞ。まるでうちの神前だな!それがなんでアタシ等まで目の敵にする!親父を殺された恨みは叔父貴の指揮の下で戦ったことで恨みは晴れたんじゃねえのか!」
かなめは血縁に当たるライラに向けて激しい言葉を吐いた。
「つまらない話は止めろ!私は私情で貴君等の捜査権限をはく奪したわけではない!これは同盟機構首脳部の決定だ!貴様等に反論の機会は一切無い!」
ぴしゃりと言い切るライラだが、明らかにその表情は動揺しているように見えた。
「西園寺。この事件と関係の無い過去の話は止めろ。それにアタシ等は喧嘩をしに来たんじゃねー。それにあの時はアタシを倒すことが出来たライラ達だ。今回もアタシ等の任務を立派に引き継いでくれる。安心して後任に任せよう。用済みになったアタシ等は消え去る。それが軍人の役割ってもんだ」
かつてはライラの宿敵だったランの一言でようやくかなめとライラのにらみ合いが終わった。そしてライラは言葉を続けた。
「私の部隊の派遣には同盟機構や東和国防省と東和警察の正式な要請によるものだ。それに司法局実働部隊隊長の意見書つきの推薦も得ている。貴君等は司法局本局の信頼も失っている。司法局本局は法術特捜をこの捜査から外すことを決めたんだ。諦めることだ。優しい言葉の一つもかけてやりたいところだが、それが現実だ。受け止めてくれたまえ」
ライラの言葉に後ろで立っていた茜がひざから崩れ落ちた。ライラの最後のねぎらいの言葉が逆に茜の心を折ったのだと誠は力なく地面を見つめる茜を見ながらそう思った。
「警部!大丈夫ですか?」
ラーナが表情の冴えない茜を支えた。隣ではベストから気付け薬代わりのブランデーの入ったフラスコを取り出すサラの姿もある。
「終わりにしろ?冗談は止めてくださいよ」
突然指揮車に乱入してきた足音に車内の全員が振り向いた。
そこには防弾チョッキを脱ぎかけていかにも喧嘩腰で真剣な目つきでライラをにらみつけている島田の姿があった。その背後では恐らく島田をけしかけたのであろう先ほど島田を連れて行ったはずの着流し姿の嵯峨が顔を出した後、ライラを一瞥してそのまま姿を消した。
「正人……」
サラが驚いたように視線を島田に向ける。いつもなら薄ら笑いを浮かべて黙りこんでいる島田の強気な姿勢に、かなめもカウラも黙って彼を見つめていた。
「島田准尉。これは上層部の決定だ。もう君達は上層部の信用を失っている。もうすでに貴君等に後は無い。すべて我々に任せて立ち去り給え」
ライラは相変わらず厳しい表情で自分をにらみつけて来る喧嘩を売るヤンキー独特の姿勢の島田に向き直った。
「上の連中の言葉に従えって言うわけですか?またまたまた……俺達は『特殊な部隊』ですよ……上の命令なんて知ったことかよ。さっき聞いたが、アンタも以前は『特殊な部隊』と呼ばれる部隊に居たらしいじゃねえの。だったらその流儀。忘れましたなんて言わせねえからな。状況においては臨機応変、上からの命令なんてなんのその、場合によっては手段を選ばねえ。それが『特殊な部隊』の共通のルールだってこの部隊に入った時、隊長から聞かされてますよ。そのルールは昔は違ったんですかね?どうなんです?そのおかげでクバルカの姐御に勝てたんでしょ?アンタ等は?……その事実を忘れてもらっちゃ困りますねえ。『目で見た者だけがリアル』それだけが信じるに値するもの。その合言葉で戦ってるのはアンタが居た時も今の俺達も違いはないんですよ!」
ライラの言葉を斬って捨てた島田は平然とランを差し置いてライラと向かい合う席に腰を下ろした。
「それにだ、法術系研究施設への取り締まりは司法局実働部隊と法術特捜にのみ許された専権事項のはずだ。一同盟加盟国の司令官の掌中に収めていい事件ではないはずだ。首脳の決定?そんなの知るかよ!一度法律で法術特捜の専権事項と決めたんだったら、その法律を最後まで守れよ!アンタ等上層部の人達も同盟加盟国の首脳も大人だろ?法律は守りましょうって法律を破ってばかりのヤンキーの俺から言われて恥ずかしくねえのか?」
そう言って詰め寄る島田を黙ってライラは見つめていた。
「それに今回は多くの東和国の国民が被害にあっているわけだからこそ法術関連事件の捜査経験のある我々が……」
ムキになって法術特捜を庇う島田の姿に力を得た茜がなんとかライラに食い下がろうとするが、ライラはあくまで強気だった。
「それは貴様の感情の問題だろ?我々の関知するところではない!」
ライラは明らかに苛立っているように島田を見つめていた。島田はため息をつくと誠を見つめた。
「そう言えばコイツの護衛を頼んだときは同盟の上層部はだんまりでしたね。あん時は法律に無いからってことで護衛は無しで今回は捜査から違法に外すと来たもんだ。随分と首脳とやらは勝手なもんだ。本当に首脳部の決定なんですか?さっき西園寺さんが言ってたように親父の仇の意趣返しなんじゃ無いですか?どうです?違います?違うんならちゃんと答えてくださいよ!」
島田は誠を指差してにんまりと笑った。そんな島田の言葉を聞くとようやく振り返って部下に指示をしていたライラが振り向いた。
「それは『近藤事件』の時は近藤中佐の決起が予想以上の早さだった為にこちらの準備が整わなかった事情がある。あと、北川公平については情報が東和警察と公安調査庁が独占していたため、同盟軍事機構は知ることが出来なかった。どちらもそれなりの理由があった!」
ライラは島田のヤンキーらしい恫喝にも一切心動かされること無くそう言い切った。
「そんな言い訳聞きたいわけじゃないですよ。だったらなぜ今回だけはこんなに素早く動くんですか?隊長からの出動要請は前回もあったはずだ。それを今回は動いて前回は無視。何か上層部で……」
「黙りたまえ!」
島田の言葉にライラはようやく感情的に反応した。だがそれを見てこの捜査の責任者である茜が立ち上がった。少しばかり青い顔で黙っていた茜はようやく状況が頭の中で整理できたというように凛として立ち上がった。
「ライラお姉さま。同盟からの指示が何かは私は存じ上げませんわ。そちらの捜査はご自由にお続けください。ですが私達も捜査は続行します。たとえ同盟司法局が捜査停止を指示してきても私達は動かせていただきますわ。これは私個人の意志です。仕事とか人とかもうそう言う次元の話では無いのです……これは私の人としての良心の問題です」
茜はそう言うとサラに支えられるようにしてそのまま指揮室を出た。
「アイツは見ていると心配だからな。アタシも従うつもりだ。アイツは優等生だからガラスのハートなんだ。ついててやらねえと従姉として不安なんだ」
かなめの宣言にカウラとアメリアはライラを一瞥して指揮車を出て行った。取り残されたというように一人立ち尽くしていたラーナもライラに敬礼して出て行った。
「神前曹長。あなたはどうされるおつもりですか?貴君も茜の私情に付き合うつもりか?」
腹を立てていてもおかしくない状況だがライラは朗らかな笑みを浮かべていた。
「僕もこの事件は最後までつき合わせてもらうつもりです!茜さんは法術の訓練でお世話になっています!その恩を返したいんです!」
そう言い切る誠に満足げな表情でライラは信頼できる後輩を見つけたような表情を浮かべてうなずいた。それを見ると誠もはじけるようにして指揮車を飛び出した。
「なんだよ、神前。アタシ等に付き合う必要なんて無いんだぜ。これは明らかに命令無視の行為だ。『特殊な部隊』ならではの任務って奴か?」
かなめが遼帝国軍の出口、ひっきりなしに武装車両が行きかう道に立って笑みを浮かべていた。カウラはすでに端末を開いて遼帝国軍の情勢を探っていた。
「遼帝国近衛山岳レンジャー部隊。どれほどの実力か見せてもらえるのはありがたいな。逆にこれまで足りなかった人手が増えたと考えればいい。何事も前向きにとらえるんだ」
不敵に笑うカウラを見てアメリアは肩をすくめて誠を見つめていた。
「そう言えばリョウ中佐と西園寺さんや警部って……」
暗がりの中足早に基地を出ようとするかなめに誠が声をかけた。
「ああ、ライラさんはお父様の姪に当たる方ですわ。つまり私にとっては従姉。かなめさんが義理の従姉なのに対してライラさんは血のつながりの濃い従姉ですわ」
茜の声が冷たい冬の空気に消えた。先ほどショックで貧血を起こしかけたとは思えない厳しい表情が基地のスポットライトを浴びながら輝いて見えた。
「うちの家系は複雑だからな……アタシのお袋の姉ちゃんがライラ姉さんの祖母に当たるんだ。だからさっき茜が言ったのは少し不正確で血縁上はアタシと茜は……又従姉で良いんだっけ?自分で言ってても混乱するくらいだから。結構複雑だろ?」
そう言うとかなめはタバコを取り出した。
「今の遼皇帝も本当は自分が行方不明になる前に退位したいと言い出した時には、後にはライラを皇帝の地位にすえるつもりだったらしいぞ。まあ血統順なら別に第一帝位継承者がいるんだが一度は王室を離れて東和の戸籍を持っているということで国内での支持を得られる見込みが無いからな」
かなめは茜を一瞥した後吐き出すタバコの煙を吐いた。冬の澄んだ空気の中、ライトに照らされてなびいていた。
「でもな、あの人は見ての通りの頑固者で、結局、行方不明の皇帝陛下がお帰りになる見込みがあるはずだと言って未だに帝位の継承を拒否していやがる。おかげで姿を隠している現皇帝は名目上はいまだに遼帝国の元首だ。まったくあの自分勝手な皇帝陛下にも困ったもんだ」
かなめはまるで遼帝国皇帝が知り合いか何かのように苦笑いを浮かべた。誠も彼女に合わせるように笑いを浮かべた。一方タバコの煙を吐きながらかなめがいやらしい笑いを口元に浮かべた。
「本当に頑固だからねえ。ライラの姐御もそんなだから旦那にも逃げられるんだよ」
「それは関係ないんじゃないですの?」
冗談に答える時も茜は真面目な表情を崩さなかった。カウラは二人のやり取りに呆れたような視線を送った後、先頭を歩いて作戦開始地点に止めてあるワゴン車への道を急いだ。
「でも良いんですか?軍が動き出したら僕達は用済みになるんじゃないですか?本当にこれからどうやって捜査を続けるんです?令状も無い、権限も無い。私立探偵と同じくらいの事しか出来ませんよ」
誠はとりあえず捜査を続けるとして何をしていいのか全く見当がつかなかった。
「逆だな。私達はある意味目的はこれで一つは達成したことになるな。これ以上非人道的な実験を行わせないというのも今回の作戦行動の目的の一つだ。同盟機構軍が動けば私達が追っている研究施設の連中もやすやすとは研究を続けるとは行かなくなる。そうなれば実験は中止という判断を下す可能性も無くはない。最低限の目的は達したわけだ……あくまで最低限だがな」
カウラはそう言うと基地を制圧し、非常線を張っている山岳部隊の兵士に敬礼する。だが一人島田は浮かない顔で一番後ろを歩いていた。
「どうしたの正人」
サラの心配そうな声に誠達は立ち止まった。いつもの陽気な島田の姿はそこには無かった。
「そう言えばさっき叔父貴に呼ばれてたけど何かあったのか?」
そう言いながらかなめは携帯灰皿を取り出す。カウラや茜、そしてこういう時は先頭に立っていじりに行くアメリアも不思議そうに島田を見つめていた。
「別に良いじゃないですか。俺も遼州人ですから今回の事件への憤りは……」
島田の表情にはいつもふざけてばかりのヤンキーの面影はなく緊張にこわばっていた。
「そんなきれいごとが出てくるような顔じゃないぜ。何かあったんだろ?」
かなめの言葉を無視して島田は歩き始めた。サラは心配そうに島田の肩にすがりつく。苦笑いを浮かべる島田は彼女の肩に手を乗せた。
「まあどうでも良いけど。それよりランちゃん。啖呵は切ったのは良いけどどうするつもり?」
いつもと違う島田を眺めながらアメリアが小さなランの頭に手を載せる。どうせ何を言ってもアメリアには無駄だと分かっているのでランはそのままの体勢でしばらく考え込んだ。
「隊長が島田に何かを見せてけしかけたってことは、アタシ等の出番が終わりじゃないって事を言いたかったんだろうな。それにアタシも遼帝国軍の動きを耳にしてなかったから恐らく正式な出動手続きが行われたとしてもそれは臨時的措置で権限もかなり制約されているだろうからなー。同盟上層部の指示ってのもあやしーぞ。同盟上層部はたぶんまだアタシ等に期待しているはずだ。それじゃなきゃあの無駄なことは絶対しない『駄目人間』がここに来るわけがねー。アイツは根っからのサボりだからな」
ランは長年の軍での勤務の経験から軍が持つ権限についての知識は十分にあった。
「そうですわね。私達の捜査権限を法的に取り上げることを意味する出動なら早い段階で私やクバルカ中佐に話が降りてくるのが普通ですから。ライラ様もあのようにおっしゃったのは恐らく手柄を取られたくないからけん制したおつもりなんでしょう」
茜もランの言葉に頷いていた。
「じゃあ決まりだな。明日から忙しくなるぞ」
銃を吊り下げたままかなめが再びタバコを取り出した。誠は呆れた顔で歩き出すかなめに続いていった。




