第38話 与えられた急襲任務
その日の深夜。誠は一人、アサルトライフルHK53を抱え、冷たい路地裏のごみの山の陰でじっと息を潜めていた。湿ったアスファルトからは、昼間に降った雨の匂いがまだ残っている。
前方わずか百メートルほど先、東都『租界』に駐留する遼帝国軍第三基地の鋼鉄の門扉がぼんやりと照明に浮かび上がっていた。魔都と呼ばれるこの街でさえ、軍施設に近づくことは憚られるのか、夜の街の喧騒はここだけ切り取られたように静まり返っている。聞こえるのは、遠くを走るトラックのエンジン音と、基地の入り口付近で警備兵が靴底を擦る規則正しい足音だけだった。
『なんだよ、敵兵が起きてるぞ……遼帝国軍の見張りは夜中は居眠りしてるって聞いてたんだが。噂を信じるとろくなことにならねえな』
アストラル通信の向こうで、かなめの声が低くぼやく。誠は小さく息を吐き、スコープを覗き込んだ。ナトリウム灯に照らされた兵士の顔には疲労が浮かんでいたが、少なくとも眠気に負ける気配はなかった。
『こうしているだけで、心臓がうるさい……やっぱり一人で潜伏なんて、性に合わないな』
ごみ袋を背もたれ代わりにし、HK53の安全装置を確認しながら、誠は決められた合図が来るのを待った。夜風が頬を撫で、汗がひんやりと冷える。街灯の光が路地の先で揺らめき、そこに影が動いた気がして誠は息を止めた。
『そんなネットにしか出てこないような都市伝説をあてにするとは、腕が鈍ったんじゃないですか?連中だって給料もらってるんだ。しかもここには危ないブツが有る。そうなったら緊張で眠りたくても眠れねえのが普通でしょ』
裏面の陽動部隊の一員である島田の声が通信機越しに響いた。正面部隊からの内部への侵攻部隊の指揮はランが行い、そしてカウラとかなめ、そして誠が攻撃を担当する。裏門陽動部隊には指揮は茜。それにアメリア以下ラーナとサラ、島田が待機していた。裏門が陽動で正面部隊が今回の人身売買被害者の救出に当たる。それが今回の作戦の内容だった。
「寒いですよマジで。こんなことならカイロぐらい持ってきておくべきだったかな」
そう愚痴る誠だがそこに不意に光学迷彩を解いたかなめが現れて誠は驚いて銃を向けた。
「おい、その物騒な物を下げろよ。二度目のフレンドリーファイアーは許さねえからな。そん時は神前だろうがぶっ殺す」
実地偵察を終えて帰ってきたかなめは、誠を押しのけると後ろでライフルを抱えているランに近づいていった。深夜の基地の周りは闇に包まれている。誠も暗視ゴーグル無しでは50センチ先すら見ることができない。恐らくこの闇夜にゴーグルの助けなく周りを見回せるのはサイボーグで目にサーモセンサーを仕込んであるかなめと、そもそも法術のテリトリーの使い手で視界を当てにせずに戦いを行うことが出来るラン程度のものだった。
「連中、目は覚めてはいるが緊張感はゼロだ。あの衛兵達、規則どおりに銃の薬室には弾が入っていないみたいだぞ。それどころか銃にマガジンすら刺していない。恐らく連中はここに人身売買の被害者がため込まれているなんてことは教えられちゃいない。ただ決められた場所に立ってるだけだ。典型的な遼帝国軍だな。戦う軍隊じゃなくて逃げるために存在する軍隊。それが遼帝国軍だ」
そんなかなめの言葉にランは右手を上げた。影を静々と進む誠達。警備兵達は雑談を続けるばかりで気づくわけも無かった。
直前、30メートル。衛兵達はまだ気づく様子は無い。ランに二回肩を叩かれたかなめは軍では禁止されているものの警察任務としては使用の許可されている光学迷彩を展開した。
衛兵達の談笑が突然止まる。眼鏡の衛兵の首をぎりぎりと何かが締め付けていた。話し相手をしていた色黒の伍長が驚いたように銃に手をやるが何者かの足がそれを蹴飛ばした。
「今だ!一気に行くぞ!」
ランの声を聴くとカウラは突入する。カウラがベストから取り出した薬剤を警備兵の顔面に散布すると彼等はそのまま意識を失った。
「さて、結果はどうなるのかねえ。ちゃんと商品の管理には十分気を使っておいてくれよ。こちらとしてもその方が都合が良いんだ」
そう言いながら光学迷彩を解除してかなめは基地のゲートをくぐった。
その時かなめの動きと同時に裏手からも発砲音が響き始めた。
「向こうも始まった。あっちは派手に動いてもらわねーとこちらが困るんだ。西園寺、先導を頼むぞ。あくまでも慎重にな」
ランは呆然と窒息して倒れこんだ警備兵を見下ろしていた視線を引っ張り上げて立ち上がった。正門の警備兵が倒されているが、裏門の派手な銃撃戦に気を引かれている基地の兵士達は寝ぼけた調子でとりあえず護身用の拳銃を手に裏門へ走っている様が見えた。
「どんなことが起きても絶対に撃つなよ神前。アタシ等は見つかったら作戦は即中止だ。それに射撃下手のテメエが撃つとどこに弾が行くかわからねえ。何度も言うがフレンドリーファイアーは次は殺すからな。面倒ごとは御免だぜ」
先頭を歩いていたかなめが振り返った。誠は大きくうなずいた。
射撃が苦手なことは自覚している誠もわざわざ自分から銃を撃つような真似はしたくなかった。
隊舎の建物の裏手、影の中を誠達は進んだ。遭遇する敵兵は居なかった。
遠くでは派手の銃声と爆発音が続いていた。恐らく茜の指揮する陽動部隊は順調に進んでいるらしい。
「茜もやれば出来る子なんだな。向こうの銃声が止まねえ。この調子でガンガン撃ちまくってくれているとこちらとしても都合がいいや。囮は動いてなんぼだ。撃って撃って撃ちまくれば良いんだ」
かなめは皮肉のつもりでそう言うと影の中を確認しながら裏の武器庫の隣をすり抜けようとする。
「誰だ!」
武器管理を担当しているような感じの士官が拳銃を向けているのが誠の目にも入った。しかし慌てずにかなめはそのまま士官の手に握られた拳銃を蹴り落とす。そしてすぐさまサバイバルナイフを手に士官を締め上げた。
「眠ってろ。起きた時にはすべてが終わってるはずだぜ」
かなめは士官の口に薬剤のスプレーをねじ込むと噴射した。意識を失う男を確認すると、そのままラン達を引き連れて隣の別棟にたどり着いた。
「さあて、どんなものにお目にかかれるかねえ。あの三郎が扱っている商品。生きているのか……仮死状態か……まさか腑分けされて臓器の状態でご対面なんてのは御免だぜ」
軽口を良いながら飛び出したかなめは歩哨を叩き伏せて入り口の安全を確保した。街のチンピラ達の粗末な建物と違い、駐留軍の駐屯地の建物はいかにも敵を防ぐべく、しっかりとしたコンクリートで覆われていて壁は冷たい光を放っていた。
かなめはホルスターから抜いた拳銃を握って建物の内部に突入する。誠も続くが人の気配はまるで無かった。
「一本道か。退路の確保は難しそうだ」
脱出口を確保しようと銃を構えるカウラだが、その建物の長く続く廊下を見て進むかなめに続いた。
「おかしくねーか?ここまで警戒が薄いって……いくら油断だらけで知られる遼帝国軍でも有り得ねー話だぞ」
最後尾で警戒するランの言葉が真実味を帯びて誠にも響いた。そして倉庫のような扉を見つけたかなめが誠を呼び寄せた。誠は腰に引っ掛けてあった銃身を切り詰めたショットガンの銃口を鍵に向けて引き金を引いて鍵を破壊した。
轟音の後、すぐさま鍵の壊れた扉を蹴破りかなめが室内に突入した。
そこには何もない空間が広がっていた。正確に言えば、数時間前まで何かがあった空間。その空気が妙に暖かいことからも誠はその事実に気が付いて愕然とした。
「空だな。これは完全にしてやられた!畜生!夜を待ったのが失敗だった!」
ランの言葉がむなしく何も無い部屋に響いた。かなめはすぐさま部屋を飛び出しそのまま廊下を進んだ。地下へ向かう階段で先頭を行くかなめは、手を上げて後続のラン達を引き止めた。奥の小部屋の入り口の前でかなめは全員にその場に止まるように合図をする。かなめの闇夜にも見える赤外線をとらえるサイボーグの目が人間の姿をとらえたことをそれは意味していた。
「分かった、西園寺。全員止まれ。誰かいるんだな。気を付けろ、ここが空な理由と関係のある人物の可能性がある。こっちの襲撃を知って待ち伏せしている可能性がある」
ランの言葉を聞いて誠はその言葉に銃口を上げるが、冷ややかなランの視線が目に入ってきた。
「銃の部品の音がしたぞ。小さな音でも気を付けろ。気づかれたらどうするんだ?」
陽動部隊の派手な銃撃音が響く中それは杞憂かもしれないと誠は口を尖らせるが、カウラはそれを見て肩を叩くとゆっくりと下へ向かうかなめの後ろに続いた。明らかに人の出入りがあった建物だった。埃も汚れも無い階段。そして避難用のランプも点灯している。
そして地下の入り口のシャッターにたどり着いたかなめはポケットから聴診器のような器具を取り出すと壁に押し付ける。
「間違いねえ。人がいるぞ。すると商品はこの中か?」
そう言って誠の顔をかなめは見上げた。誠はシャッターの横の防火扉の鍵に手を伸ばすと自然と扉は開いた。そのままかなめが体当たりで扉から進入、それにカウラとランが続く。誠もその後に続いて赤い非常灯の照らす部屋へと入った。
「これはやられたな」
ランがつぶやいた。誠もその言葉の意味を理解した。
廊下には紙の資料が散乱していた。実験資材と思われる遠心分離機が銃で破壊されて放置されているのが見えた。床にはガラスと刺激臭を放つ液体が広がり、明らかにすべての証拠を抹消した後のように見えた。
証拠はすべて隠滅済み。すべてが水泡に帰した瞬間だった。
「遅かったじゃないか」
部屋の隅でパチリと金属音が響くような音がすると同時に聞きなれた低い声が部屋中に響いた。
壊れた遠心分離機の向こうから響いた突然の人の声に誠は思わず銃口を向けた。
そこには足下に転がる人のようなものを蹴っている嵯峨が着流し姿で立っていた。その腰には剣の鞘が有り、手には彼の愛用する『粟田口国綱』が抜き身で握られている。
嵯峨は明らかに不機嫌そうな顔でタバコをくわえていた。その表情には諦めきったような疲れが浮かんでいた。
「隊長……?なんで?」
カウラはすぐに嵯峨の足下に人が縛られて転がっているのを見つけた。
「隊長、この人は?」
誠は嵯峨の足下で泡を吹いて白目をむいている高級将校を指さしてそう言った。
「ああ、この基地の総責任者の三上中佐だ。ちゃんと挨拶した方がいいぞ。これでもこの基地の隊長様だ。しっかり賄賂を貰って本国には別荘を買うそうだ。本当にお金の集める方がお上手なようで。小遣い3万円の身からしたら羨ましい限りだ」
そう言う嵯峨の手にはいつもの日本刀が握られていた。それを見ると警戒していたかなめは狐につままれたように呆然と立ち尽くした。
「なんだよ、叔父貴は知ってたのか」
かなめは嵯峨の秘密主義に耐えかねたように怒りに満ちた表情でにらみつけながらそう言った。
「知ってたというか……ラン」
「は!」
嵯峨のにごった視線がランを捕らえると彼女の小さな体が硬直したように直立不動の姿勢をとる。
「お前がついているから安心していたんだけどなあ……でももう少し早く行動できなかったのか?こういう事件は分単位の作戦設定が基本だろ?襲撃は夜が良い。そりゃあ、普通の軍隊ではそうだが、俺みたいにまともな兵隊さんのお仕事をほとんどしたことが無い軍人から言うとそんな悠長なことを言ってられないのが戦場というものなの。あと三時間……二時間早く動いていればこんなことにはならなかった。ランも所詮は正規部隊しか指揮した経験がないってことか……つまりこれは俺の判断ミスってことになるな。しかし、こりゃあちょっとまずいぞ。ここの証拠を消した連中、俺達が動いていることを知ってて活動している。だからこうしてここの商品を別の場所に移したうえで証拠を消して立ち去った。これから先の捜査はやりにくくなるぞ」
そう言うと嵯峨は抜き身の愛刀『粟田口国綱』を転がっている指揮官の首に突きつけた。
「しかし、三上さん。アンタも大変だね。利用するだけ利用されて、危ないとなったら即この様だ。人間欲に縛られると良くないって言う典型例だな……まあ俺の言うことが今理解できる状態ならそう言いたいけど……無理だよね、そんな状態じゃ」
嵯峨はタバコを再び口にくわえて、足元の三上と言う指揮官を軽く蹴飛ばす。
「コイツに話を聞こうと思ったんだけどさ。まあ薬と催眠で記憶が消されてるみたいでまるで話のつじつまが合わなくてね。コイツの話さえ聞ければ事件は一気に解決へと向かうはずだと踏んだんだが……さすが同盟厚生局はお薬とかには精通しているよね。なんと言ってもお医者さんと薬剤師さんの管理指導をするのがお仕事のお役所だもんね。こんな状態じゃお話の聞きようがない。それよりお前さんら完全にマークされてるな、法術を使える追跡者とは別の本命の方。研究の指揮を執っている奴に。やられたよ」
嵯峨の言葉にかなめの顔が硬直する。
「じゃあこっから先の情報は……事件の糸は切れたわけですか」
そう言いながらランは銃口を下げる。
「ぷっつんだな。それにこんだけ派手に動いたんだ。ここを放棄した連中もかなり警戒することになるだろう。一声、俺に話しとけば何とかできたかもしれないが……まあ、もう終わったことだ……それに最低限の目的である新規の法術師研究はあちらさんも見送るだろう……それだけが救いだね。ただ、今の段階でどれだけ研究が進んでるか……そこまでは俺も分からないからねえ。そこまで俺は便利には出来ていないんでね」
今頃になって誠はいつの間にか外の銃声が止んでいることに気付いた。それに合わせるようにして防弾チョッキで身を包んだフル装備の茜達の陽動部隊が入ってきた。
「ああ、お父様」
明らかに茜の声は沈んでいた。察しのいい茜である。この場所に来るまでの景色でこれまでのすべての誠達の行動が無駄に終わったことを理解しているように見えた。
「茜。なんなら秀美さんに頭下げるか?公安機動隊の情報網ならなにか引っかかるかもしれないぞ。なんなら俺が頭を下げてやってもいい。今回の違法研究捜査の手柄は秀美さんのものになるが、組織の面子なんてつまらないものに縛られる必要なんかないんだ。これ以上犠牲者を出さない。それが一番のお前さんの目的だろ?」
嵯峨の言葉に茜は首を横に振った。いつも物腰が柔らかい茜にしては珍しい意固地な表情に誠は驚いていた。
「公安機動隊に頼めば確かに発見できる可能性は上がりますが、あちらの任務は非法術系の捜査活動に限定されているはずですわ。法術にからむ犯罪は私達の……」
あくまでも頑固な娘に呆れ果てたように嵯峨は大きくため息をついた。
「そうか。確かに秀美さん達サイボーグ部隊じゃ法術師相手は荷が重いか。確かにこの襲撃でこの施設を管理していた組織はしばらくは動きが取れなくなるから被害者は出ない……茜はそう言いたいんだな?でもそんな原則論に拘らなくても秀美さんなら動いてくれるだろうに。まあ、あちらは俺達と違って俺達の捜査に付き合ってくれるような暇も無いだろうしな。なら俺も手伝ってやるか」
そう言うと嵯峨は立ち上がる。頭を掻いてそのまま誠に近づくと嵯峨は手を伸ばした。
「なんでしょう?」
「端末……持ってるでしょ?」
嵯峨の言葉に誠は銃のマガジンが刺さっているベストから端末を取り出して嵯峨に手渡した。




