第36話 廃帝の影、その手駒たち
「餌を撒いて相手を混乱させる……まあ思うとおりに行きますかね?と言うか、我々が協力関係にあるということをあの『おバカの集団』にばらす必要があったんですか?『俺達が監視しているから注意しろ』って……連中でもアンタ等が動いてるって嫌でも気づくと思いますよ……まあ、俺達の存在にまで気づくかどうかわからない程度でやめておいてくれたことには感謝しないといけないみたいですがね」
革ジャンを着たサングラスの男がそう言った。その男、北川公平は、同盟軍事機構本部ビルの高層階から、乾いた北風が吹きすさぶ東都の街を無感情に眺めていた。ここは東和共和国国防省の東和陸軍の作戦本部の第三指揮管理室長の執務室だった。北川は明らかにこのような国家の施設には慣れないというように歪んだ笑顔で目の前の軍服を着た男を軽蔑を込めた視線で見つめていた。
そんなところに元学生活動家の履歴を持ち、公安当局からもマークされている北川がいることは不自然極まりない事なのだが、この部屋の主である同盟軍事機構の東和の代表である東和陸軍所属の菱川真二大佐はその事実を別に気にする様子もなく感情を押し殺した真面目過ぎる表情で北川の言葉をソファーに深く座って聞いていた。
その感情を殺しきった菱川の態度が気に障ったとでもいうように北川は下卑た笑みを浮かべると言葉を続けた。
「貴方達、東和の『戦争を知らない軍人』のやってることは本当に矛盾だらけだ。東和陸軍の仮想敵国である遼北人民共和国の管理下にある同盟厚生局に資金を提供して技術開発を委託してる。同盟厚生局と言えば東和共和国とは犬猿の仲の遼北の影響下の組織でしょ?そんな敵にお願いしてなんであんなものを開発しようと考えるのか……ちょっと理解に苦しみますね。それにそんなことをするんなら、なんで東和陸軍の虎の子のあの『汗血馬の騎手』と呼ばれたクバルカ・ラン中佐をあんな社会不適合者集団の『特殊な部隊』に出向させているんですか?そんなもん、命令書一つで連れ戻すことくらいできるでしょ?正直、付き合いきれませんよ」
北川は時折、菱川の方を振り向きながらも意識は窓の外に向けていた。こんな馬鹿と顔を合わせている時間は一秒でも短い方がいい。北川の菱川から目を逸らすたびに見せる笑みにはそんな北川の本音が見て取れた。灰色のビル群が霞む中、遠くの空には軍用輸送機がゆっくりと旋回している。彼の指先には煙草があったが、火はつけられていない。
「どういうことでしょうか?この威嚇、ある程度の効果は期待できると私は踏んでいるんですが?それとも、同盟厚生局の研究成果とそちらが提示している法術師の能力では比較にならないとおっしゃりたいわけですか?それに、あなた達は私達の商売敵。敵の敵は味方と言うじゃ無いですか。同盟厚生局には法術に関する技術の蓄積がある。例え、それが遼北の影響下にある組織でも本国の指示で始めたことでなければ我々としては彼等がどんな経緯で設立された組織化などと言うこととは問題はではない。私はそう考えますがどうでしょうか?」
ソファーに座った菱川は感情を押し殺した調子で自分を馬鹿にしてくる北川ににそう返した。北川は菱川の言葉が終わると一度そちらの方を振り向いただけで、再び窓の外に視線を向けた。その顔には明らかに菱川に対する侮蔑の色が見て取れた。その様子にさすがに感じるものが会ったのか、菱川は口調をより強いものに変えて言葉を続けた。
「それに、クバルカ・ラン中佐を呼び戻すことはすでに上層部も実行に移しています。しかし、クバルカ中佐はあの『駄目人間』で知られる嵯峨惟基には頭が上がらない……こんなことは軍としてはあってはならない事なのですがクバルカ中佐はいくら命令書を出してもなしのつぶてですよ……実際、『特殊な部隊』には数十名東和陸軍からの出向者が居るので司法局には原隊復帰命令を何度も送っているんですが、すべて誰かが握りつぶしている。まあ、その人物が十中八九あの嵯峨惟基という男であることは間違いないのですが……あれだけ巧妙に握りつぶすということは、あの『特殊な部隊』に派遣された東和陸軍からの出向者には東和陸軍への復帰を希望する者は一人もいないというのが実情なんでしょう」
菱川の顔にようやく感情のようなものが浮かんだ。それはある種の諦めと侮蔑のまじりあったような独特の滅多に見ないものなので北川はただ呆れてこのエリート軍人の血統の良さがそんな珍しい表情を作るのだろうと推測して笑みを浮かべた。
北川は菱川の諦めにも似た笑いを見ると満足げな笑みを浮かべてこの執務室の内装を見回した。金がないことで知られる東和陸軍にしては豪華すぎる室内の調度品の数々。それが菱川コンツェルンの次期当主と目されている菱川に気遣って東和陸軍上層部が無い袖を振り絞って取りそろえたものだということを菱川は知っているのかとあざ笑いながら北川は菱川に目を向けた。
北川は諦めたようなため息をつくと軍の高官である菱川を尻目に北川はソファの背に体を預け、わざと気だるげな口調を作った。だがその目だけは、菱川の動きを一瞬たりとも逃さない。その目は明らかに敵を見る目。そして確かに二人は今現在は敵同士だった。
「なあに、おたくが支援してる知識の開拓に熱心な研究者の連中にはこっちも別ルートで警告はしましたから仕事を急いでもらえると思ったんですがね。そちらも司法局への恐喝で無駄になるんじゃないかと……自分は東和陸軍に守られていると安心して研究者が手を休めてしまうんじゃないかとね。ここ最近、逆に『特殊な部隊』の連中の動きが激しくなってる。そのことに関しては陛下も気にされていますよ。おたくが火遊びをするのは勝手だが、その火の粉がこちらまで飛んできたら迷惑ですな。こちらの準備が整うまでは『特殊な部隊』の連中とは出来る限りぶつかり合いたくない。それが陛下の意向です」
北川はそう言うとそのままソファーに向って歩いて行き、菱川の前の席にさも偉そうにふんぞり返った。その態度は明らかに軍人である菱川に対するあからさまな敵意を態度で示しているのだというような雰囲気が見て取れた。
「あくまで我々はお互い敵同士。世間様の前では一応はそう言う関係と言うことになってるじゃないですか。それにあなたと同盟厚生局の貧弱な研究じゃどう頑張って研究を早めても俺達にも『特殊な部隊』にも勝てっこない。なんなら東和陸軍の法術適性のある人間を全員東都警察に出向させて、経済大国の誇りを捨ててあの焼き畑農業の帝国に頭を下げた東都警察みたいに遼帝国で法術師としての訓練を受けるような手続きをとってみたらいかがですかね?その方が手っ取り早いですよ?どうです?いいアイデアでしょ?そんなに国を守る軍人がたかが警察や遅れたお百姓さんの国ごときに頭を下げるのがお嫌いですか?」
何度もそう言う東都警察を煙に巻いていた人物である北川の言葉に菱川は黙り込むしかなかった。菱川は北川の言葉を受けるたびにその握りしめた右手に力が入り震えているのが北川には分かった。その明らかに北川の嫌味が菱川には不愉快に聞こえているという事実が北川の顔に浮かぶ軽蔑の笑みをさらに残酷な憐みの笑みへと変えるきっかけとなった。
「まあ、あなた達が何を考えているかは深く詮索しませんが、無駄に一生懸命支援している同盟厚生局の連中。あの連中も研究熱心なのはいいですが、こう言うのを無駄な努力って言うんですよ。どんなにあなた方が同盟厚生局の独自研究だという言葉を信じていても恐らくその技術の一部は本国に流れてますよ。その先はアンタたちが仮想敵国として無駄な演習を繰り返している遼北人民共和国なんですよ。そう言うの『利敵行為』って言うんじゃないですかね?まあ、政府のお役人に追われてた学生活動家崩れの俺が言うのもなんですが……そこまで先の事を考えて今回の研究を始めたんじゃないですかね?それとも何も考えずに始めたんですか?それはまた……狂気の沙汰だ」
菱川が不快を隠そうともせず茶を啜る横で、北川のポケットの奥が震えた。軽快な着信音が、この重苦しい部屋の空気を破る。
北川は『やれやれ』とつぶやき、菱川を一瞥すると無造作に携帯端末を取り出した。
「こちらも暇ができたらまた別の手段を使って脅しをかけておきますから。お互い今のところは自重しておきましょう。とりあえず今日はご挨拶だけで。東和陸軍には多数の法術適性者が在籍しているんですからその有効利用……ってその中での最強の切り札のクバルカ・ラン中佐を『特殊な部隊』に安売りしちゃったあなた達ですものね、期待するだけ無駄ですか」
そう言うと北川は菱川の神経を逆なでするような憎たらしい笑みを浮かべるとそそくさと立ち上がり、そのまま部屋を出て扉が閉まるのを確認してようやく端末の回線を開いた。
「はい?誰でしょう?」
北川は明らかに気に入らない軍人相手の交渉から解放された解放感から元気よくそう端末に語り掛けた。北川がこの部屋で気に入ったのはただ空調の音頭が最適だということだけだった。心地よい暖かい空気が北川の頬をなでて吹き抜けていく。
『俺だ。連絡先は画面に表示されているはずだ。シラを切るとは趣味が悪いぞ』
向こう側の低い声の持ち主を特定すると北川の表情がゆがんだ。受話口の向こうから聞こえる声は、まるで血の匂いを孕んだ風のようだった。桐野孫四郎……『人斬り孫四郎』と呼ばれる男の声には、冗談とも本気ともつかない残酷さがあった。北川の背筋に、嫌な汗がじわりと浮く。
「桐野さん。俺の予定表も知っているでしょ?今かけてくるのはやばいですよ。時と場合を考えてください。今俺は敵のど真ん中に居るんですよ。騒ぎは起こしたくないんです。そのくらいの気は使ってくださいよ。人を斬るのだけが人生じゃないですよ」
苦々しげにつぶやく北川だが、電話の向こう側にいる桐野孫四郎。通称『人斬り孫四郎』はまったく気にしていないというようにからからと笑った。
『なあにそのときは一人の悪趣味な男が世界から消えるだけだ。別に困ることも無い。敵のど真ん中で何人かその敵を道連れにしてくれれば俺としても助かるくらいだ。その分、俺は俺の趣味に没頭できる』
あっさりとそう答える桐野に北川は唖然とする。
「その悪趣味な男から言わせて貰いますがね、これは本当に陛下のご存じの作戦行動なんですか?同盟厚生局との腕比べはこっちが勝つのが分かってるから別にどうでも良いとして、同盟厚生局の馬鹿共は司法局に目を付けられてますよ。連中に絡むのは面倒なことになりますよ。司法局の連中は俺達の敵の中でも一番質の悪い敵だ。なんと言ってもあそこにはあの『悪内府』と呼ばれる嵯峨惟基が居る。関わってろくな目に遭うことが無い。面倒ごとはこれ以上御免ですよ」
桐野が示した同盟厚生局とそれを支援する東和陸軍の法術師能力強化開発との技術力比較コンペは北川の気に入る話では無かった。それを桐野が独断で北川に突きつけたときから北川はそのことが気になっていた。
法術師の支配する銀河の秩序を建設する。それが彼等の主である『廃帝ハド』の意思だった。遼州人の世界を作るということで協調している菱川大佐の東和陸軍内部の有志達と北川が行動をともにしているのはとりあえず地球人をこの惑星遼州とその勢力圏から叩き出すと言う目的を共有しているからだったので北川も理解できた。
だが、桐野が顔をつないでいる法術能力の強制発動研究施設の背後に居るのは同盟厚生局であり、その同盟厚生局のパトロンともいえるのは地球人の国である遼北人民共和国だった。そんなものとの法術技術の腕比べなど無駄なことだと北川は思っていた。
『陛下はご存知では無い。今回の相手先が同盟厚生局に決まったのはコンペの主催者からの提案だ。その主催者である人物は我々に協力したいと言うことで俺は動いている。ゆくゆくはそれも陛下の為になる。俺も考えて行動しているからな。ただの人斬りだと思って馬鹿にするな』
そうあっさり言い切る桐野に北川は呆れた。はじめから桐野に物を考えるということは期待はしていなかった。ただの人斬り、死に行く敵の断末魔の声を聞きたいだけの殺人鬼に過ぎない桐野に何を言うつもりも無い。今回も彼が待ち焦がれている『同類』だと言う司法局実働部隊隊長嵯峨惟基をおびき出したい一心での作戦なのだろう。
「それじゃあ、俺は俺達が今回のコンペに参加しているという情報を消して回る作業に従事しますんで。コンペで負けることが決まっている東和の軍人さんと同盟厚生局の面々にはそちらはそちらで自分の尻は自分で拭いてもらいましょう。俺が責任を取る話じゃない」
そう言って北川は一方的に電話を切った。
「まったくただの人殺しらしく隠れていてくれると良いんだけど。あの人は法術師が斬れるとなると頭に血が上るところがある。今回は神前誠を斬ってもらっては困るんだけどな。それに勝ちの見えてるコンペをやって見せるほど、今回の出資者は価値のある存在なのかねえ……ネオナチ連中。俺は一応左翼の学生運動活動家崩れだよ?あんなカギ十字の旗を振って喜ぶ連中の顔なんか見たくもない」
そう言うと北川は不愉快極まりないという顔で携帯端末を切った。振り返ると菱川は北川の様子など気にも留めていないというように茶を啜っていた。
「すみませんね。ちょっと急用ができましてね、大佐殿」
北川はわざと菱川から聞こえるように先ほどの会話を続けていた。それを聞いてもまるで反応を見せない菱川に北川は交渉相手としてふさわしくないように考えるようになっていた。
「あなたもお互い忙しい身分ですから。また情報があったら接触しましょう。連絡先は……例のサーバーを経由させますか?それとも……」
菱川の頬に笑みが浮かぶ。この菱川コンツェルンの御曹司でありながら東和共和国陸軍での派閥を形成する人物に改めて北川は敵意を抱いた。
「またこちらから連絡しますよ。それとご忠告までに例のサーバーはすぐに閉鎖した方が良い。司法局公安機動隊隊長の安城秀美少佐。あの女はかつて東和共和国公安調査庁に居た『ビッグブラザー』の手先だった女ですよ。確か、公安調査庁から司法局に移るにあたって義体に残っていた『ビッグブラザー』に関する記憶は消されているようですが、あの女が公安調査庁時代に俺が何度痛い目にあわされたか……舐めると痛い目に遭いますよ。昔は学生活動家として追われた経験が有りますが、あの女の執念深さにはほとほと感服させられる。敵には回したくないですからね。貴方と一緒で。ああ、最後の言葉はリップサービスです。気にしないでください」
そう言って北川は笑顔を見せ付けて一服しただけのタバコを応接セットの灰皿に押し付けると、そのまま北川に挨拶しようと立ち上がる菱川を無視して彼の執務室のドアから誰もいない廊下に出た。
「菱川財閥の御曹司がなんで東和陸軍というお荷物軍隊なんかに居るのかな?変な思想に染まった世間知らずのぼんぼんか……『法術は遼州人に与えられた権利』?そんなことを言う資格はアンタが軍服を着ている間は一生無いんじゃないの?あんなのが一派の首領とは……東和陸軍も終わりだな……。それに『不死の兵隊』を作る研究か……そんなもんわざわざ作らなくても、この東都のホームレスを千人ぐらい集めて武装させればいいだけの話じゃないの。この国のホームレス、日雇い労働者、期間工、風俗嬢。お坊ちゃん育ちで世間を知らないアンタは知らないかもしれないけどそのほとんどは不死人だよ。この国の底辺を支えてるのはそう言った不死人達なんだ。そいつ等を武装して訓練すればあっという間に『不死の軍団』の出来上がりだ。そんな簡単なことも思いつかないなんて……世も末だね。やっぱりこの国には本当の意味での『革命』が必要みたいだわ」
北川は吐き捨てるように扉の向こうにいるだろう菱川に向けてそう言うとそのままビルの業務用エレベータを目指した。
「せっかくこちらが連中を監視していることを教えてやったのに……同盟厚生局の研究熱心な技術者の方々にはもう少し仕事を急いでもらわないとな。こっちの売り物の価値を上げるためには彼等にはもう少しマシな研究成果で対抗してきてもらいたいもんだ。菱川さん。アンタ等の目指す人工的な『不死の兵隊』の完成は無理でもせめてうちで用意した強制覚醒法術師のデモンストレーションの華を添える程度の技術を期待していますよ。そうでもしなきゃ、アンタ等のイカレタ研究で死んでいった同じ遼州人が報われないでしょ?頑張ってくださいよ……まあ、今日あった感じではアンタにはそんなことを期待するだけ無駄かもしれませんが」
鼻で笑った北川は桐野が連絡してきた新しい研究施設の下見に向かおうと人気のない出入り業者用の大きめのエレベータ前スペースで業務用エレベータの到着を待った。




