第33話 銃声の後の始末書
司法局実働部隊隊長室は重たい空気に包まれていた。分厚い木製の扉が閉ざされ、外の喧騒は一切届かない。誠は冷や汗をかきながら、まるで自分が被告人になったような気分で隊長の机の前に立たされていた。
誠の膝は緊張で震えていた。あの時、租界で駐留軍の警備兵に銃口を向けられた恐怖が、未だに彼を支配していた。
土下座外交で知られる嵯峨が甲武陸軍の東和大使館付一等武官などの上層部に頭を下げて回ったおかげで、かなめとランが暴れまわったことの釈明の書類を提出することで話はついていた。甲武軍の駐留部隊の被害は警備車両三台に負傷者十二人。本来なら甲武軍駐留施設の監獄で数日を過ごすことになっても不思議ではない被害状況と言えた。
ともかくさまざまな出来事に振り回された誠の頭の中はただ単に歩き回っていただけの自分と、その捜査活動の結果銃撃戦にまで発展したランとかなめの違いにある種自分は仕事をしていなかったんじゃないかという疑問に囚われていた。
そんな思いの誠を知ってか知らずか、最初に発砲して事を大きくしたかなめはまったく無表情で反省の色も無いような顔をしている。一方のランはと言えば、それなりに深刻な顔をしてはいるもののこれくらい大したことではないだろうというように腕を組んで嵯峨をにらみつけていた。
「で?言い訳くらいした方が良いよ。俺としてもその方が気が楽だし。俺も上司だしちゃんと聞くよ?実際のところは誰が悪いの?教えて?俺は現場にいた訳じゃないんだから分からないの……ね?」
嵯峨は相変わらず緊張感のない間抜け面を晒して誠達を見回した。
「ですから今回の件に関してはアタシの見通しの甘さが原因であると……」
幼いランが小さな声で責任を一人で背負おうとする。その肩の震えが痛々しく、誠は衝動的に抱きしめて庇いたいと思った。横にいるカウラも同じ気持ちらしく、眉を寄せてランを見つめている。
「ランが責任を取るのは当然。だって指揮官なんだもん。俺の聞きたいのはそう言うことじゃないんだなあ……でも、まあ起きちゃったんだからしょうがないよね。死人が無かったのは何よりだ。マスコミが動いてるみたいだけど……連中の狙いは毎度のことながら駐留同盟軍の汚職がらみってことで、うちの本丸の違法法術研究事件とは別案件みたいだから。まあそっちの方は気にしなくても良いんじゃないの?司法局が汚職の捜査をしていたと勘違いしてくれれば駐留軍の乱れた軍規も引き締まって租界の中身も少しは良くなるかもしれないね。甲武軍他の駐留部隊の皆さんからは感謝状が欲しいくらいだよ。だったらランには甲武陸軍から勲章が授与されるべきだな。醍醐のとっつぁんに一筆書こうか?あの人、いまだに俺のことを主君だと思ってるって話だから……くれるかもよ?勲章」
そう言って嵯峨は手元の端末の画面を覗き込んだ。流れるニュースが東都の租界での銃撃戦に関するものがいくつかあったが、どの報道も租界の軍管理の特殊性を批判する論調ばかりで、甲武軍と銃撃戦を交えたのが司法局の関係者だと報じているものは無かった。
「今後はこのようなことが無いよう気をつけます!特に西園寺の銃器の扱いについては徹底的に指導しますのでご安心ください!」
ランの言葉に頷いた後、嵯峨はかなめを見つめた。
「……今後は出来るだけ自重します」
かなめの言葉とは裏腹に、その表情には一切反省の色は無かった。おそらく自分達に銃を向けた甲武軍の駐留部隊に対する怒りでかなめのはらわたは煮えくり返っているだろうことはこの部屋の誰もが分かっていた。
「そうしてくれると助かるな。銃はね、人を殺す道具なの。自衛のためとはいえ、バカスカ撃たれるとこっちとしても迷惑なんだ。銃は持つなとは言わないよ。かなめ坊にとっては精神安定剤みたいなもんだからな。でもあんまり撃たないでね。それだけが俺からできるお願い」
嵯峨はそれだけ言うと端末のキーボードを素早く叩いた。恐らく駐留軍の上層部へとメールを打っているのだと誠は思った。
「それと言っておくけど、一応決まりだからさ。始末書と反省文。今日中に提出な。よろしく頼むよ」
ランとかなめに目を向けた後、嵯峨はそのまま端末の画面を切り替えて自分の仕事をはじめた。ラン、かなめ、カウラ、誠は敬礼をするとそのまま隊長室を後にした。
「大変ねえ。かなめちゃんは何かというと発砲して……銃はおもちゃじゃないのよ?いい大人が分かってるのかしら?」
部屋の外で待っていたのはアメリアだった。かなめはつかつかとその目の前まで行くとにらみつけた。
「何?私の言うことに文句が有るの?タレ目ににらまれても怖くないわよ。それに今回悪いのはかなめちゃんじゃない。自分の責任は自分で取りなさいよ。というか、責任を取らされるランちゃんの身にもなって見なさいよ。そのくらいの想像力が有るんでしょ?かなめちゃんにも。大人でしょ?」
挑発するように顔を近づけるアメリアだが、その光景を機動部隊の詰め所の扉に隠れて涙目で見ているかえでの気配に気おされるように身を引いた。アメリアはかえでの視線に一度怯んだ気持ちを立て直すように咳払いをすると相変わらずに偉そうに自分を見上げてにらみつけて来るかなめに目をやった。
「なによ、その態度。反省してないわね。全部、甲武軍の汚職軍人が袖の下をとってたのが悪いと思ってるでしょ?いくら自分が所属していた軍だからってその態度は無いんじゃないの?」
アメリアは非難する調子でかなめにそう言った。
「……汚職軍人の一人や二人、射殺したって何が悪いんだよ……アタシは甲武四大公家の筆頭だ……その資格はあるんだ……」
そう言うかなめの口調には反省の色はまるで見えなかった。それどころかそこまで言うと激昂した調子でアメリアをにらみ返した。
「そうだよ!なんでアタシが反省したり反省文を書いたりしなきゃいけねえんだよ!連中は『宇宙一清廉潔癖な軍隊』である甲武軍人を名乗ってるんだろ?じゃあ、そんな奴等は甲武軍人失格だ!どうせ今回の件で汚職がバレて本国に送還されて、士族は切腹、平民は打ち首で軍籍そのものが抹消されて存在そのものが消される!それがあの国の軍の仕組みだ!そんな殺される運命の人間をその場で射殺て『名誉の戦死』にしなかった責任なら取ってやってもいいがな!」
そう言うとかなめの口元には笑みすら浮かんでいた。誠はそんなかなめの表情に恐怖を覚えると嵯峨に目をやった。
憲兵隊長としてそう言った汚職軍人を取り締まる立場だったこともある嵯峨もかなめと同様、不敵な笑みを浮かべてかなめを黙って見つめていた。
「そんな『無かったことにされる』運命の決まってる兵士を早めに殺してやって何が悪い?連中もバレたらそうなることくらい分かってたはずだ。だから悪事がバレそうになったら必死になってアタシ等に銃口を向けた。これは叔父貴の得意な軍の綱紀粛正を図ってやっただけだ。今のアタシの立場からすれば慈善事業なんだから逆に褒めてもらいたいくらいだねえ……なあ?叔父貴?」
開いたままの隊長室の中では嵯峨がかなめの態度にどうでもいいというように平然とタバコを吸っているだけだった。誠は甲武の刑法は厳しいことは知っていたがそこまでだとは思わなかった。それゆえに今回の問題は甲武国内では大問題に発展する。そのことが誠の心配の種の一つに加わった。
「お姉さま!」
機動部隊の詰め所の扉に張り付いてその様子を黙って見守っていたのは隣の菱川重工豊川でシュツルム・パンツァーの訓練を終えたかえでだった。心配そうな顔のかえではそう叫ぶとかなめに抱きついた。かえでが抱きついた瞬間、かなめの身体がのけぞった。まるで地雷を踏んだかのような表情で、助けを求める視線が誠に向けられる。
通称『18禁部隊』。かえでが小隊長を務める第二小隊はこの『特殊な部隊』でもさらに特殊な隊員達で構成された部隊だった。
「嫌です!僕は嫌です!せっかくお姉さまと同じ部隊になれたのに!お姉さまが解雇なら僕も!お姉さまに与えていただいた痛み、忘れていません!さあ、気晴らしに僕をぶってください!殴ってください!踏みしめてください!虐めてください!果てしない恥辱で僕を快楽のるつぼに突き落としてください!その為なら僕は命すら惜しみません!」
完全にマゾヒストモードに入ってすがりつくかえでにかなめは先ほどまでの強気が完全に吹き飛んだようにうろたえていた。自分がサイボーグにならざるを得なかったうっぷん晴らしにかなめがかえでを徹底的に苛め抜いた結果かえでをそんなマゾヒストに調教したとはいえ、先ほどまでの怒りの矛先の相手にするにはかなめには心の準備が出来ていなかった。
「落ち着けかえで。今回は始末書だけで済むんだ……解雇だ?誰が解雇だよ!おい、アメリア!テメエだろ!かえでに妙な事吹き込んだの!こうなることが分かっててやりやがったな!そんなにアタシが困るのが楽しいか!」
かえでに抱きつかれて身動きできないかなめが逃げ出そうとしているアメリアを見つけてにらみつけた。
「アメリア。面白いからと言ってデマを流すのは止めておけ。それと、日野少佐。あまり人前でそのような変態的な発言は慎んだ方が良いのではないですか?一応これも立派なセクハラですので」
アメリアとかえでに向けてカウラはそう言うとかえでに抱き着かれて困惑しているかなめを見捨てて呆れたように実働部隊の詰め所に入った。誠が見回すとランの姿ももう無かった。
「神前!アタシを見捨てるのか?テメエ!オメエはかえでの『許婚』だろうが!未来の嫁が『女王様』でマゾ豚共に死の苦しみを与えたことで知られるサディストのアタシに虐められようとしているんだぞ!そんな『許婚』が徹底的に虐められるのを黙って見逃がすのか!かえでの事は全部オメエに預けるから!こんな状況に置かれたアタシをなんとか助けろ!アタシはオメエの上官だ!上官の危機は部下がなんとかするもんだ!」
しかしかなめとかえでの間に入るとろくなことがないだろうと思えてきたので、誠はそのままひたすら自分を虐めてもらえるようにかなめの嫌がることを平然とするかえでに全身をまさぐられて困惑しているかなめを見捨てて特機隊執務室へと入った。
「あの姉妹……仲が良いのか、悪いのか……まあ良いんだろうな」
廊下で醜態をさらすかなめとかえでを見てカウラは珍しく心からの笑みを浮かべていた。廊下に二人の声が響き、近くを通る下士官が気まずそうに視線を逸らした。まるで学級会の口喧嘩のようだが、かなめのかえでを罵倒する言葉は筆舌尽くしがたく、それが逆にかえでのマゾ心に火をつけてさらに状況をかなめの望みから遠ざけていた。一方、ランはそんな馬鹿騒ぎなど見るに値しないというようにすでに書類の作成に集中していた。
「でもいきなり街中で発砲なんて……西園寺さんはそう簡単に撃たないと思っていたんですけど。あの租界の異常さ。やっぱり今の西園寺さんは特殊部隊で戦っていた時の西園寺さんに戻ってしまったんですね」
つい誠の口をついてそんな言葉が出ていた。兵士を使い捨ての駒としか見ていない甲武軍の体制は戦中も戦後も変わっていない。誠にはその事実だけが心に刺さった。
「当時の西園寺に戻っているのかどうかは私には分からない。ただ、東都戦争の時の方が凄かったらしいぞ。シンジケートの抗争が24時間絶え間なく行われていたんだからな。そんな中に銃を持って一人で取り残されたら私だってああなっていただろう。それを任務として経験していたんだ、西園寺は。そんな西園寺から言わせればあの程度の銃撃戦などちょっとしたいたずら程度の物なんだろう。それに甲武の軍は軍という組織の面子を何よりも大事にする。その為なら兵士の命がどうなろうと関係はない。それは昔からのあの国の伝統だ」
そう言うとカウラも今日も空振りだった調査結果報告書の作成の為に自分の端末を起動した。仕方ないと言うように誠も席についた。一人、第二小隊三番機担当の『男の娘』アン・ナン・パク軍曹が一人でみかんを食べていた。そこだけはこの機動部隊の詰め所の中で平和な空間だった。
「二人とも今のうちに日常業務を済ませておけよ。今回のニュースは租界の駐留軍のすべての国の部隊の知るところになってる。各国の駐留軍も汚れ具合は甲武軍と似たようなもんだから、同じような目に遭うまいとアタシ等を目の敵にしてくるだろーから、明日からは忙しくなるかも知れねーからな」
始末書を書き始めたランが一瞬顔を上げてそう言った。カウラも端末の画面に目が釘付けにして書類を作る作業に集中していた。




