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第28話 捨てられた名と引き受けた任務

「カウラ、少し時間いいか」


 かなめの声は、いつものような刺々しさが影を潜め、どこか疲れた響きを帯びていた。 道路にはここが安全地帯と知っているのであろう、子供たち笑いながら駆けまわっている姿が誠の目にも飛び込んでくる。


 いつもの雰囲気と明らかに違うかなめは端末をセンターコンソールの上に置いた。エンジンの振動が微かに響く車内は、外のざらついた街の気配と妙に隔絶されているようだった。誠は息を潜め、彼女の動きを待った。かなめは自分用の端末をセンターコンソールの上に置いた。『志村三郎』と言う租界管理局のパーソナルデータがそこには映っていた。


「先に言っておくけどアイツとの関係はオメエ等の想像通りさ。……あの男には、情報を吐かせるために何度も抱かれた。思い出すだけで胃の奥が冷たくなる。ただ、それは情報を聞き出すためで、アタシには娼婦やSMクラブの『女王様』以外にも甲武陸軍の工作部隊員と言う顔があったわけだがな。アイツはアタシを手に入れたつもりでいたらしいがアイツの命がいつ消えてもおかしくないような情報をアイツから手に入れて腹の中では大笑いしてたのはアタシの方だったんだ。そんなアイツだ。この『租界』で生きていくにはあまりに口が軽いちょろい男なんだ。よくこれまで生きてこれたのか不思議なくらいにな。実際、アイツが昨日生きていることを知った時点でも今日生きているという保証はどこにもねえから、アイツに会えるかどうか心配なくらいだった。そのくらいアイツはうかつな男だ。どうやってあそこまで出世したのか不思議なくらいに」 

挿絵(By みてみん)

 かなめの言葉が暗くなる。誠はいくつもの疑問が渦巻いていたが、そのかなめの顔を見て口に出すことが出来なかった。


「おい、西園寺。貴様の戦闘における判断の正確さや義体性能を引き出す能力は私も感服しているんだ」 


 静かにカウラがそう言いながらかなめの死んだ魚のようになる目を見つめている。


「だとしてもだ。なぜ甲武四大公の筆頭がこんな汚れ仕事に携わるんだ?生まれを重視する甲武ならそのような穢れた仕事は私のような人造人間を造って工作員として育成するとか方法はあったろうに。伝統や身分を重んじる甲武ならそれが当然の手段というものだと私は思うのだが……違うのか?」 

挿絵(By みてみん)

 その言葉にただ無表情で返すかなめに車内の空気は次第に重くなっていった。外の景色はただ建ってからの年月からみると不思議なほど痛みの目立つビルが続いている。そんな中で誠は黙ってかなめを振り返っていた。


「カウラ。そいつは……」 


 かなめの表情が曇る。カウラも自分の言葉がかなめの心に刺さったことに気づいて黙り込んだ。


「そいつは物を知らない、甲武と言う国の構造を知らない人間の台詞だな。一体これまでアタシと付き合って来て何を学んだのか不思議になるくらいだ……この前の『殿上会(でんじょうえ)』の話をしたろ?四大公家筆頭なんて地位は『殿上会』の殿上貴族のみが入ることが許される甲武の権威の象徴と誰もが認める『金鵜殿(きんうでん)』の中では至上のものだが、そこから一歩出ればただの金持ち以外の意味なんかねえんだ……特に『武力』という権威とは別の種類の力を持っている軍人達にはそんなものは頭さえ下げておけば何とでもなるただの形式に過ぎないんだ」 


 相変わらずうつろな瞳のかなめをじっと誠は見つめていた。


「アタシが入った陸軍は親父とは対立関係にあった派閥、『官派』の牙城だ。20年前に甲武が負けた『第二次遼州大戦』中に爺さんを三回爆殺しようとしたのは退役軍人の貴族主義活動家ということだが、全員が陸軍の予備役の身分だった連中だ。陸軍の連中の西園寺家憎しの思いは半端じゃねえんだよ。それを知らずにのこのこ陸軍に入ったアタシは世間知らずのお姫様……カウラ、オメエが時々アタシをそんな目で見ているのは知ってんだぜ?」


 そう語るかなめの目は鉛色をしていた。感情を押し殺し過去を語る時のかなめの口調に誠は息を飲んだ。


「今じゃ語り草の醍醐将軍のアフリカでの活躍にしても、西園寺家に近しい嵯峨家の被官と言う醍醐さんの家柄を陸軍内の人事権を掌握している『官派』の将軍たちに煙たがれて僻地に飛ばされたと言うのが実情みたいなもんだ。陸軍内部じゃ西園寺家や叔父貴……今はかえでが継いでる嵯峨家は不俱戴天の(かたき)みたいなもんだ。虐めて虐めて虐め抜いて初めて自分の価値を見出せる。陸軍の士官連中は西園寺家に関わる人間にはそうすることが当たり前だと思ってる。まあ、当然だ。連中のほとんどは武家貴族か士族。アタシの嫌いな『サムライ』だ。西園寺家の人間が徹底的に『サムライ』を嫌うように『サムライ』を自称する陸軍の将校たちは西園寺家の関係者を徹底的に嫌うのは当たり前の話だな。アタシの初めての上官も『西園寺家の次期当主は死んでもらった方がありがたい』と考えているような男だった」 

挿絵(By みてみん)

 かなめの抑揚の無い言葉に誠は心をかきむしられる気分がした。外の窓から見えるビル群は、計画性のないまま増改築を繰り返した傷だらけの建物ばかりで、まるで彼女の過去の傷を映し出すように誠の胸に迫った。


「前の甲武の内戦、『官派の乱』のきっかけも、戦争に負けてからも自分達への嫌がらせを続ける陸軍への政治干渉を狙った親父の挑発に陸軍が乗っかったのが真実だ。あの内戦の後も、親父が宰相として政権を取った後も、陸軍省の紅い絨毯の上には『官派』のそう言った西園寺家に恨みを持つ連中がデカい顔して闊歩(かっぽ)している。まあ、そんな連中がでかい顔をしているから今アタシはこの部隊に居るんだがな。かえでの居た海軍は逆に親父を支持している『民派』の砦だ。アイツがうちに来たのはアイツの変態性が問題になったからだからであって、海軍の上層部は問題行動は多いがそれに目をつぶるには十分なほど有能なかえでを手放すことに反対する声さえあったくらいだ。それが無けりゃあ、アイツはアメリアみたいに巡洋艦の艦長くらいはちょうどいい腰かけとして務めてるはずだ。アタシとかえで、陸軍のアタシは常に日陰者で、海軍のアイツはいつでも光の中にいた……それが甲武軍の内部の仕組みって奴だ」 


 そう言うとかなめは窓を開けてタバコを取り出す。いつもなら怒鳴りつけるカウラも珍しくかなめのすることを黙って見つめていた。


「その今でもデカい面で陸軍省を抑えている『官派』の軍人達は、『官派の乱』に負けて外への発言が出来なくなった。結果としてその敵意は内部へと向かった。そのあまりに露骨な反政府人事を親父への当てつけとして内部で展開したわけだ。『官派の乱』で勝利した陸軍の親父の信奉者として知られる醍醐文隆将軍が親父が何度も任命権を発動したにもかかわらずしばらく陸軍大臣に就任できなかったのもすべては陸軍の貴族主義勢力の根回しが原因だからな。前の戦争で功績を上げて生き残ってる将軍で、醍醐のとつっぁん以上に仕事が出来る人間が他に居るのかよ?それでも何の功績も無い無能な将軍を親父は『官派』の『サムライ』の顔を立てるために数代にわたり嫌々陸軍大臣に任命してきた。そいつ等もあまりに無能で使えねえことがバレたからようやく醍醐将軍が陸軍大臣になれたわけだ。あの爺さんが大臣としてにらみを利かせている限り陸軍の『官派』も身動きが取れなくなる」 


 かなめの言葉には甲武と言う国の持つ政治の世界の重みと屈折が有る。誠にはそのように感じられた。


「なるほど、『官派の乱』の敗北で頭の上がらなくなった陸軍の『官派』の貴族主義者が民主勢力の旗頭の西園寺義基の娘に汚れ仕事を引き受けさせて面子(めんつ)を潰そうとしたわけか……まるで子供の発想だな」 


 明らかにかなめのタバコを嫌がるように仰ぎながらランが言葉をつむいだ。


「でも西園寺宰相がお前の配属にブレーキをかけるくらいのことは出来たんじゃないのか?公爵家の嫡子が元娼婦なんてスキャンダル以外の何者でもないぞ」 


 カウラの言葉には誠も賛同できた。甲武の貴族制度はもはや形骸になりつつあると言っても長年の伝統がすぐに廃れるはずは無い。誠はそう思いたかった。かなめが見知らぬ租界の成金達にもてあそばれる姿など想像もしたくなかった。


「ああ、でもアタシは志願したんだ……こりゃあ、別に感傷とかでもなんでもねえ。アタシのその時の上官はこの任務は内容が内容だから辞退してもいいと言ったがアタシは引き受けた。結局誰かがやる仕事だからな。こんな身体だ。別にそのくらいのことはして当然だと思っただけだ」 


 あっさりそう言うとかなめはタバコを携帯灰皿に押し込んだ。カウラはその様子と気が抜けたような表情の要を見るとそのまま車を出した。


「親父さんへのあてつけか?それにしては度が過ぎてるぞ」 


 ぼそりとランがつぶやいた。ドアに寄りかかるようにしてかなめは上の空で外を眺める。街は再び子供達が駆け巡るスラム街の様相を呈して来た。


「それもあるな。『身分制は国家の癌だ』なんて言ってるくせに法律上の利権だけはきっちり確保している親父の鼻をあかしたかったって気持ちが無いって言ったら嘘になるよ。自分の手で何かをしたい、親父や醍醐のとっつぁんの世話にはなりたくない。そうつっぱってたのも事実だからな。それにアタシの代わりに任務にあたるという中級士族のご令嬢は生身だって言うじゃねえか。生身でこんな任務を押し付けられれば心も体も汚されるだけでは済まずにむざむざ死にに行くようなもんだ……いくらでも交換可能な身体を持っていて生存確率の高いサイボーグのアタシが任務に就くのが当然だ。その時はそう考えた……それだけだ」 

挿絵(By みてみん)

 かなめは上の空でつぶやく。その姿はコンクリートの壁など一撃で砕くような軍用義体の持ち主のかなめにしてはあまりにも小さく見えて誠は目をそらして正面を向いて街を眺めていた。冬の日差しは弱弱しく見える。まだ時間が早いのか繁華街にたどり着いたカウラの車の両脇には無人の酒場と売春窟が続く。


 その時ランの携帯端末がけたたましく鳴った。ランは黙ってそれを取り出して画面をのぞき込んだ。


「おう、茜達も仕事が済んだらしい。このまま寮に直帰だ」 


 ランの言葉がむなしく響いた。カウラもランも一人ぼんやりと外を眺めているかなめに気を使って黙り込んだ。誠もこの痛々しい空気に耐えられずに外を眺めた。


 検問ゲートの警備部隊は甲武軍から遼北人民解放軍に変わっていた。だが彼等もやる気がなさそうにカウラの『スカイラインGTR』を眺めているだけだった。


「……この街に良い思い出なんか一つもねえ。でも、あたしを作ったのは、この街と……この表は奇麗に捕り繕っている割に裏ではこんな地獄を放置している『経済大国』東和共和国の腐った構造だ。甲武の実家の『西園寺御所』よりも、ここの埃っぽい空気のほうが、よっぽど自分の帰る場所に思える……皮肉な話だよな」

挿絵(By みてみん)

 ぼんやりと窓の外を眺めていたかなめがそんなことをつぶやいた。カウラはその声にはじかれるようにして車のアクセルを踏み込み、東和の都心に向かう大通りへと向かった。


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