第15話 慌ただしい朝、走る影たち
誠はトレーを返しながら、喉にまだ残るパンの味を強引に飲み込んだ。食堂を出た瞬間、暖房の切れた廊下の冷気が首筋に突き刺さる。
「うわ、寒っ……」
本来は暖房が聞いているはずの食堂だが、予算の都合で食堂の暖房は12月まで使用が禁止されていた。誠は背中に張り付くシャツが汗で冷たくなるのを感じた。
「神前、この程度の寒さでビビってるよ―ならいい仕事なんて出来ねーぞ。だからオメー等にはきっちり仕事をして……神前。食い終わったらすぐに出る支度をしろ!」
ランにそう言われて誠は我に返って立ち上がった。ランが何も考えずにここにいるわけではないことは誠も分かっていた。そのままトレーをカウンターに返すとそのまま食堂を出て階段に向かった。
「あら、神前さん。お食事は済ませましたの?」
食堂を出てすぐの階段では隣に従者のように西を引き連れて寮を案内させている様子の茜とラーナがいた。さむがって背中を丸める誠とは対照的に二人はしゃんと背筋を伸ばして身をかがめる誠を不思議そうに見つめている。
「なんとか済ませました!すいません、急いで支度をしてきます」
そう言って誠はそのまま階段に向う廊下に出た。暖房の効かない廊下の寒さに転がるようにして階段を駆け上がり、階段から数えて二番目の自分の部屋に飛び込んだ。そしてそのまま衣文掛けにひっかけてあった財布も身分証も全部入っているジャケットを羽織った。
「おい!行くぞ!遅かったら置いてくからな!」
そんな誠が顔をあげるといつものように音もなく部屋に侵入してきたかなめの目たれ目があった。驚いた誠は反射で顔を上げると勢いよく誠の頭がかなめの額にぶつかった。
「いってぇ!」
顔を上げると、かなめが眉間に皺を寄せていた。
「お前か!もう少し周り見ろっての!」
かなめに怒鳴られ誠はまだ自分が寝ぼけていることに気づいた。
「行くぞ!朝の時間は貴重なんだ」
誠の部屋のドアを開けて顔を出したカウラはそれだけ言うとすぐ出て行った。
「カウラさん!待ってくださいよ!」
誠は立ち上がって、すでに誠をからかうのに飽きてカウラの後を追って走って部屋を飛び出していったかなめに続いた。
「おう!それじゃあ行くぞ!」
落ち着いて歩くカウラを先頭にそのまま一同は階段を駆け下りて階段の食堂に向う反対側にある玄関に向かった。そこではラーナに靴の準備をさせてランが待っていた。いつものようにその隣ではほんわかとした笑顔の茜が待っていた。
「でも姐御……カウラの車は四人乗りだからこれ以上乗れねえぞ!」
玄関前のフロアーでかなめはそう言うが、誠はたぶんラン達は茜の車で出勤するだろうと思って生暖かい視線で機嫌の悪いかなめを見つめていた。
黙って駐車場に向かう茜について誠達は寮の門柱を通り抜けるといつも隣の砂利の敷き詰められた駐車場に停められているカウラの『スカイラインGTR』の隣に茜の黒い高級セダンが停まっていた。
「どうした……乗れよ」
誠達が到着した時にはすでにランは茜のセダンの助手席から顔を出していた。
「まったく餓鬼が偉そうな顔しやがってよ……いつの間に寮の主人になったつもりなんだよ」
そう言いながらかなめもいつもどおりカウラの車の後部座席へ体を滑り込ませた。そしてそのまま伸びた力強い腕が誠を車の中に引き込んだ。
「はい!行きましょう」
助手席に乗り込んだアメリアの声で車が走り出す。狭い後部座席。かなめが密着してくるのを何とかごまかそうとするが、目の前のアメリアは時々痛い視線を送って来た。後部座席に押し込まれた誠は、かなめの肘が自分の肋骨を突くのを必死に避けながら体を縮めた。
目の前のアメリアは、誠を振り返っていつもの見慣れた糸目でじろりとこちらを睨む。無言の圧が痛い。
『……出勤前からこの扱いなんだ……まあ、最近は慣れてきたけど』
自分の護衛の為に来たはずの女性陣の自分に対する扱いの酷さに誠はため息をつきながらじっと息をひそめてカウラの車の狭い後部座席で巨体を丸めてうずくまっていた。
「そう言えば島田はどうした?それとサラも。いつの間にか消えやがって」
かなめの声にアメリアが振り返った。
「ああ、パーラが今度新しい車を買ってそれをいじるんですって。島田君御用達の旧車専門店から買い付けた20世紀の名車ですって。ニヤけながらサラと島田君のバイクで朝一番に出かけたわよ」
島田の機械好きは誠も知るところである。島田の嬉しそうな顔を想像して誠も楽しい気分になってきた。
「好きだねえ、あいつも。アイツは機械さえいじれればなんでもいいんだ。単純な奴だ」
島田から巨大な四輪駆動車を押し付けられたパーラだがさすがに東和では運転しにくいと常々こぼしていた。そんな彼女に島田は仕方なく小型車を探していた。島田らしくその条件に馬力とハンドリングが入っていたのは当然の話だった。
特に島田が狙ったのは20世紀末の日本車であった。しかも小型で大出力エンジンを積んだタイプの車である。先日誠も借り出されてネットオークションに常駐してなんとか落札した車が近々隊に送られてくると言う話も聞いていた。
「島田の奴、今日の仕事分かってるのか?アイツはいつから自動車整備工になったんだ?いくらこの車をフルスクラッチしたのが自慢だからってやりすぎだろ」
かなめのその言葉に誠は不思議そうな顔を向けた。
「ああ、お前は知らないのか?今回の発見された死体と昨日の怪物の捜査は昨日の面子で追うことになったんだと」
その言葉にアメリアも振り向く。誠は一人車窓から流れていく豊川の町を見つめていた。
「なによそれ。初耳よ!」
アメリアは驚いたように声を上げた。情報通を自称する自分にかなめに後れを取る事が有ったことにショックを受けているようだった。
「だろうな。アイツが叔父貴に打ったメールを覗いてさっきアタシも知ったところだ。たまにはアタシの方が情報に先にたどり着くこともある。電子の脳を持つサイボーグの特権だ。アメリア、いい勉強になっただろ?」
かなめは軍用のサイボーグの体を持っている。当然ネットへの接続や介入などはお手の物だった。
「でも、誠ちゃんは大丈夫なの?例の化け物がまた出てくるかもしれないのよ。剣は持っていないんでしょ?どうするのよ」
今度はアメリアは誠に向かって話した。
「いやあ、どうなんでしょうね。でもあんなのが出てくるのはほとんど無いってクバルカ中佐も言ってたじゃないですか。大丈夫ですよ」
頭を掻く誠に昨日その手にかけた、かつて人間だったものの姿が思いついた。
「今度の事件じゃ茜やラン、そしてコイツが切り札なんだからしっかりしてもらわねえとな」
かなめの言葉にうなずきながら、カウラはハンドルを切って司法局実働部隊の隊舎のある菱川重工豊川工場の敷地へと車を進めた。
「でも、あんなのと遭遇したらどうするわけ?茜さんの話では銃で撃っても死なないのよ。相手は不死人だから当然の話だけど」
アメリアの言うとおりだと誠も頷いてかなめを見た。銃しか取り柄の無いかなめにとって法術師は天敵であった。
「アタシに聞くなよ。なんでも技術部がいろいろ持っているらしいや。アタシも銃を叔父貴に渡してて今は丸腰なんだ」
いつも銃で武装しているかなめが丸腰であると言う事実に誠は驚いた。
「貴様が丸腰とは……珍しいこともあるものだな……不安にならないのか?」
皮肉めいた調子でカウラはそのまま司法局実働部隊の前の警備班のゲートに車を乗り入れた。
「銃はアタシの精神安定剤じゃねえ!オメエのパチンコとはわけが違う。素手での格闘もこのサイボーグの身体の得意とするところだ。軟な法術師程度なら絞め殺してやる」
逆にカウラの『パチンコ依存症』にツッコミを入れながら、新しくなる銃の事を考えているかなめの顔は笑顔だった。
部隊の入り口のゲートを抜けるとそこには人だかりができていた。
その中で雑談していた整備班員が振り向いた。いつものようにカウラはそれを見て窓を開いた。
「ああ、ベルガー大尉。駐車場はいま満員御礼ですよ。なんでも珍しい車が有るとかで車好きの隊員で一杯なんですから」
丸刈りの技術部員が声をかけて来た。
「例の島田が買い込んだパーラの新車か?どんなもんか見てやろうじゃねえか」
そのカウラの問いに隊員は頷いた。人垣の向こうで叫ぶ島田の声が聞こえてきた。
「まったくこんな新規の任務が始まるなんて言う忙しい時に……アイツ等なに考えてんだか……」
かなめの声を無視してカウラは車を走らせる。駐車場が見える前から野次馬の姿が見て取れた。
「おい、停められるか?」
そう言ってかなめが身を乗り出した。そのままゆっくりと近づくカウラの車に気づいてブリッジオペレータの女性隊員が脇によけた。そのスペースにカウラは慣れた様子で『スカイラインGTR』を停めた。
そうするとそこにはタイヤを外されてジャッキで持ち上げられた小型車が見えた。
「ちょっとそこに停めろ。降りるから」
かなめの言葉にカウラは小型車の手前で車を停める。ニヤニヤしているアメリアが助手席から降り、誠も追い出される。そのままかなめは苦笑いを浮かべながら見慣れない車に近づいていった。
「ああ、アメリア……見てよ……アタシの新車!なんでも『ランサー・エボリューション』とか言うらしいわよ。しかもその初代ですって!シリーズ物の初代ってことはさぞすごい名車なんでしょうね!羨ましいでしょ?」
パーラは珍しく純粋な笑みを浮かべていつも自分をこき使って来るアメリアに向けてそう誇った。いつも常識人としてアメリアを始めとする『特殊な部隊』の珍奇行動に巻き込まれて沈んだ顔しか見たことが無いパーラがこんなにも明るい笑顔を浮かべることが出来るのかと誠はパーラの満面の笑顔を見て驚いた。
ジャッキで浮かされた黄色の車体は、今にも走り出しそうな獰猛さを秘めていた。明らかに走りを追求した車。そんな雰囲気を黄色い車体は示しているように見えた。
その目の前で島田は腰を丸め、エンジンルームに顔を突っ込みながら独り言をぶつぶつと呟いている。
「……この年代の車のタービンがこの状態で今でもあるなんて……こりゃあ本当に奇跡だぜ……」
陶酔する表情でエンジンルームを見て回る島田の背後に忍び寄ったかなめの足蹴りが入るまで、彼の耳には仕事の気配すら届いていなかった。
「痛て!」
エンジンルームをのぞきこんで中から部品を取り出しては一つ一つ見入って悦に入っていた島田はかなめの蹴りによる痛みでようやく我に返った。
「バーカ!いちいち喚くな!痛いように蹴ってるんだよ!」
かなめの声に飛び跳ねるように島田が振り向く。隣に立っていたサラとパーラも振り向いた。
「ここは職場だ。仕事をしろ仕事を!」
誠は銃を弄っている時のかなめも今の島田と似たような恍惚の表情を浮かべているのにな度ととてもかなめにも言えないようなことを考えながらその光景を眺めていた。
「でもまだ始業時間じゃ……」
島田は口答えをしようとするがかなめのタレ目の不気味な迫力に押されて黙り込んだ。
「それに嵯峨警部が昨日の件で話があるそうだ」
車を奥に停めてきたいつもの冷静なカウラの言葉に島田はようやく悟った。自分の言うことはまるで聞かないのにカウラの言うことなら納得するような態度をとる島田を見てかなめは明らかに不機嫌そうに腕組みをして島田をにらみつけた。
「おい!お前等も壊さない程度によく構造を把握しておけ!後で細かい説明はするからな!特にこの時代の日本車は独特の輝きが感じられる貴重な代物だ!ありがたく鑑賞しろ!班長である俺が許可してやる!」
島田は周りで彼の作業を見ていた整備班員にそう言うとそのまま正門へと走り去った。サラとパーラもそれに続いた。
「あらあらかなめちゃんがまじめに仕事しろなんて言うからびっくりしちゃったわ!今日は雪でも降るんじゃないかしら」
手を合わせているアメリアにかなめは照れたように頭を掻いた。そのままいつもはかなめが言い返してひと悶着あるところだが、何事も起きずに大人しくかなめは仕事場に向った。
「その仕事を振ってくれる人が来たぞ。ちゃんと対応しないとその仕事を振ってくれないぞ」
カウラは散っていく野次馬達の間から白いセダンから降りている茜達の姿を見ていた。
「そうだな。どういう指示を出すか。実に見ものだな」
そう言うとかなめはようやく機嫌を直してそのまま茜達を無視してハンガーへと急いだ。
誠がハンガーに足を踏み入れると、誠の専用シュツルム・パンツァー05式乙型の前で足を止めているかなめがいた。
「どうしたんですか?西園寺さん」
かなめはランに言われてランの機体に似た赤い色から白い色に塗り替えた自分の機体を見上げた。感情の起伏の激しいかなめらしく、そこには感心したとでもいうような表情が浮かんでいた。
「リアルに作ってたんだな、アメリアの奴。細かいところまで結構凝ってやがる」
誠の濃い緑色のステルス表面塗料に部隊章の『大一大万大吉』を描いただけの飾り気のまるでない機体が目に入った。
「そうよ。いつも整備している島田君から貰った資料を使ったんだから。どこまでも資料通り、完璧な仕上がりよ」
胸を張るアメリアとあまりの反響に照れている誠がそこにいた。
「行きますか」
誠は控えめに自分の機体に見入っている真面目な表情のかなめに声をかけた。
「ああ、行くか」
そう言うとかなめは気が付いたようにそのまま機動部隊の詰め所に向かう階段を上り始めた。




