魅了スキル持ちで欲しがりの妹が夜会をメチャクチャにしてしまうお話
※暴力的でグロい描写があります。苦手な方はご注意ください。
子爵令嬢デゼレティア・ファルゼタルムは幼いころから奪われ続けてきた。
彼女には一歳年下の妹がいた。ラナーティカ・ファルゼタルム。ふわりとウェーブのかかったハニーブロンドの髪に、きらめく水色の大粒の瞳の、天使のようにかわいらしい少女だ。
だがデゼレティアにとって妹は、とても天使と呼べるような存在ではなかった
「そんないいものを持ってるなんて、お姉様はずるいずるい! わたしにちょうだい!」
そう言っていつもデゼレティアの物を欲しがった。ドレスやネックレスや髪留めなど、姉が気に入っている装飾品を欲しがった。自分の分があるのに、ぬいぐるみや人形を姉がかわいがっているのを見ると欲しがった。毛布やハンカチ、櫛やペンなどといった何でもない日常品でも、姉が大事に使っていると知ると欲しがった。
姉に対して意地悪しようとする意図はない。姉が大事にしていて、うらやましいと感じると、欲しくて欲しくてたまらなくなる。それがラナーティカという令嬢だった。
そんなことはやめさせるべきだ。わがままなんて許さずに姉としてしかるべきだ。頭ではそう考えても、欲しい欲しいとせがんでくる妹を見ていると、デゼレティアは最後には笑顔で物を譲ってしまう。
「妹のことを大事にして、姉として立派だぞ」
そう言って両親はほめてくれた。
「お姉様だーいすき!」
そう言って妹はなついてきた。
大事にしている物を奪われて、辛くて悲しくて仕方ないはずなのに、笑顔で渡してしまう。
自分の気持ちと行動が一致しない。その矛盾に、幼いデゼレティアはこう思うことにした。
「きっとわたしは妹のことが大好きなんだわ」
妹は天使のようにかわいらしい。そんな妹を愛するのは当たり前のことだ。だから物をねだられたら笑顔で渡してしまうのだ。そういうことだと思い込んだ。
それが間違いだとわかったのは、ラナーティカが10歳になったときだった。
この王国では10歳となった貴族は魔力適性の検査を受ける。幼いころは不安定な魔力が、10歳になるとある程度安定し、その適性が見極められるようになる。その時に検査することで、将来どのように能力を伸ばすべきかを判定するのだ。
ラナーティカは高い魔力を示した。そればかりではなく、類稀なスキルを有していることがわかった。
彼女は『魅了スキル』を持っていたのだ。
『魅了スキル』と言っても、おとぎ話に出てくるような強力なものではない。周囲の人間に好印象を与えるという程度の物である。効力こそ控えめだが、ほとんどの者に対して効果があり、その効果範囲も広いとのことだった。
ラナーティカのかわいらしい容姿と合わさればその効果は絶大なものだった。出会った者全てに好印象を抱かせる可憐な令嬢。貴族社会において極めて有用な存在だ。敵を倒すことより、敵を作らず味方を増やすことが貴族令嬢に最も求められる才能だ。
「ラナーティカ! お前はこの家に繁栄をもたらすだろう!」
両親はこの検査結果をとても喜んだ。
屋敷中が妹を祝う空気の中、しかしデゼレティアだけは慄然と身を震わせていた。
これまで妹のことを愛していると思っていた。だから笑顔で物を譲ってしまうのだと思い込んでいた。しかしそれは間違いだった。『魅了スキル』の効果で強制されていただけだったのだ。
原因がわかってもデゼレティアは妹のおねだりを拒めなかった。どんなに嫌だと思っても、妹におねだりされれば笑顔で物を譲ってしまう。気持ちと行動が一致しない。今まで妹を愛しているからだと自分をごまかしてきたが、もうそれもできなかった。
両親には相談した。しかしまだ11歳の少女に過ぎないデゼレティアは、自らの苦しみをうまく伝えることができなかった。両親はラナーティカを溺愛している。その上、デゼレティアはいつも笑顔で物を譲っている。そのせいで深刻な問題だと受け止めてくれなかった。最後には「姉として妹を大事にしてやりなさい」と諭されて終わっただけだった。
耐えるばかりの日々が続いた。そしてある日、デゼレティアは限界を迎えた。
「あはははははははは!」
デゼレティアは笑った。腹の底から笑った。その視線の先。階段を降りた先には、倒れ伏す妹の姿がある。頭から血を流し、ぐったりとする妹が滑稽に思えて仕方なかった。
朝起きて、階下の食堂に向かうとき。階段を元気に駆け下りようとする妹を見かけ、発作的に背中を押した。それによって引き起こされた惨事だった。
使用人たちはすぐさま応急処置すると、急いで医者を呼んだ。デゼレティアはちょっとふざけただけで、突然の事故に混乱しているだけだと両親たちは解釈した。
ラナーティカは医者の治療を受けたが、すぐには目を覚まさなかった。
「外傷は完全に治療しました。傷跡が残ることはないでしょう。ですが頭のケガは思わぬ結果を招くことがあります。慎重に経過を観察しましょう」
医者の言葉に両親たちは泣きそうな顔をした。ラナーティカの安否を心配するあまり、冷めた目で妹を見るデゼレティアには注意が向かなかった。
三日後、ラナーティカは目を覚ました。
「おなかすいたー!」
発した第一声はそれだった。医者から診察を受けたが異常はどこにも見られなかった。
両親から状況を教えられても、けろりとしていた。姉に対する恨みはかけらも見せない。どうやら事故当時のことはまるで覚えていないようだった。
大事を取ってそれから一週間はベッドで安静にしていることになった。
「自由に歩き回れるなんて、ずるいずるい! お姉様はずるい!」
ラナーティカは今までと何も変わらず、ベッドの中から姉を羨んだ。そして一週間後、普段の生活に戻った。
何も変わらなかった。デゼレティアは笑顔で妹に大事なものを渡す日々に戻ることになった。
妹に悪意を向けた。運が悪ければ死んでいたかもしれない。それなのにラナーティカはそのことを覚えてすらいない。事故などなかったかのように元気で、今まで以上になついてくる。
当然、両親には叱られた。しかしそれも子供の悪ふざけを戒める程度の物だった。ラナーティカが階段から落ちたのはただの事故ということになった。
あれほどのことをしたのに何も変えることができなかった。その結果に幼いデゼレティアは絶望した。
この日からデゼレティアはほとんど笑わなくなった。彼女が笑顔を見せるのは、ラナーティカからねだられ、物を譲る時だけだった。
両親はその事故以来、以前よりいっそうラナーティカのことを溺愛するようになった。ことあるごとにプレゼントを贈るようになった。
しかし、そうしたプレゼントがラナーティカに直接渡されることはめったになかった。
ラナーティカは姉の持ち物をことさらに欲しがる。だから両親は、まずデゼレティアに贈り物を渡すのだ。
妹に奪わせるために姉にプレゼントを渡す。あまりにも自分のことをないがしろにした行為だが、デゼレティアはあまり不満を抱かなかった。あの日、何も変えることができなかった絶望が、デゼレティアの心を冷たいものにしていた。
デゼレティアは無表情になった。妹から物を奪われる時だけ『魅了スキル』で笑顔を見せる。それ以外に感情を表に出すことのない物静かな令嬢となった。
感情を表に出さない物静かな姉、デゼレティア。天真爛漫で元気いっぱいな妹、ラナーティカ。事情を知らない世間の者たちからは、対照的だが仲睦まじい姉妹と知られるようになった。
デゼレティアは16歳になった。
腰まで届くしっとりとした暗めのブロンドのまっすぐな髪。落ち着いた輝きをたたえた深い蒼の瞳。どこか愁いを帯びた整った面差し。儚げで美しい令嬢に成長した。
対して15歳となったラナーティカはほとんど変わらなかった。ふわりとしたハニーブロンドの髪に快晴の空のような水色の瞳の澄んだ瞳。10歳のころから背丈は少し伸びたが、それでも同世代の令嬢と比べればかなり小柄だ。
礼儀作法も身に付けず、勉強もあまりできない。しかしその無邪気さとかわいらしさはそれを補ってあまりあるものがあった。
2人は貴族の学園に入学した。物静かで落ち着いた姉と、天使のようにかわいらしい無邪気な妹。生徒たちの噂にのぼることも多い評判の姉妹だった。
そんなある日、デゼレティアに縁談が持ち掛けられてきた。
縁談の相手の名は、伯爵子息アイルタート・リーアフェクトン。リーアフェクトン伯爵家と言えば、ここ数年で大規模な農地拡張に成功して勢力を増している貴族だ。その嫡男であるアイルタートとの縁談。子爵令嬢であるデゼレティアにとって、なんとしても成就させなければならない良縁だった。
縁談の話はとんとん拍子で進み、すぐに顔合わせをすることになった。
デゼレティアはリーアフェクトン伯爵家に招かれた。形式的な両家の挨拶が済んだ後。伯爵家の庭園で、婚約者二人きりで歓談するという流れになった。
アイルタートは伯爵家にふさわしい紳士だった。さらりとした金髪に緑の瞳。学園でも多くの令嬢の目を奪う甘いマスク。物腰はやわらかで、その所作には気品があり、言葉の端々には女性に対する気遣いが感じられる。釣り書きによれば学業の成績も優秀で、魔力も十分に高いらしい。
あまりにも恵まれた婚約相手。だからデゼレティアにはすぐにわかった。
これは妹のための縁談だ。両親はいつも妹に与えるプレゼントをデゼレティアに渡す。姉から奪いたいという妹の欲求を満たすためだ。これもきっとそうなのだ。
その予想を裏付けるように、庭園に妹がやってきた。
「そんな素敵な婚約者ができるなんて、ずるいずるい! お姉様はずるい!」
家で待っているはずのラナーティカがやってきた。伯爵家の許可を得ず庭園まで乱入するなどありえないことだ。
間違いなく両親の計らいだ。伯爵家にも話を通してあるのだろう。
デゼレティアはため息すらつかなかった。彼女にとってこうした状況は日常の一部のようなものだった。
アイルタートは席を立つと、優雅な所作でラナーティカを迎えた。
「ラナーティカ嬢ですね? わたしはあなたの姉君と婚約者となるアイルタートです。よろしくお願いいたします」
アイルタートの紳士的なふるまいを受け、ラナーティカは笑顔をはじけさせた。
「まあなんて素敵な殿方! こんな方となかよしになるだなんて、お姉様だけずるいずるい! わたしもなかよくしたいわ!」
「ええ。これから家族になるかもしれないあなたとは私も仲良くしたいと考えています。ですが今は婚約者同士の語らいの場。ラナーティカ嬢も淑女として、この場を二人のものとさせてはいただけませんか?」
「淑女!? 淑女ですって!? ええ、わたしも淑女ですものね! もちろん場をわきまえているわ! ちょっとお顔を拝見しに来ただけ! これでお暇させていただくわ!」
ラナーティカは妙に気取った足取りで立ち去って行った。淑女と言われてすっかりその気になってしまったらしい。我が妹ながらずいぶんと単純なことだ。デゼレティアはそっとため息を吐いた。
「……妹君のお噂はいくつかお聞きしています。あなたが妹君にお優しいことも知っています。ですが婚約者として、こうしたことの線引きはきっちりしたいと思うのです」
アイルタートは笑みを浮かべた。紳士的で上品な笑み。彼は妹のための婚約者であるはずだ。それなのに妹との線引きをするという。婚約者の意図がいまいちつかめないデゼレティアだった。
そしてデゼレティアとラナーティカの婚約者としての付き合いが始まった。
そうは言っても特別なことは何もない。学園で時間が合えば話をして、週に一度はお茶会をする。休日に予定が合えば、二人で観劇や美術館に出かけたりする。そうしたごくありふれた、貴族の婚約者同士の付き合いだ。
ラナーティカはたびたび乱入してきた。大抵はアイルタートがうまく言いくるめて追い返した。ラナーティカが去らないこともあったが、その時もアイルタートはデゼレティアのことを優先してくれた。
アイルタートは婚約者を大事にしてくれている。デゼレティアはそのことがどうにも奇妙に思えた。どう考えてもこの縁談はラナーティカに対するものだ。それは顔合わせの場にラナーティカが乱入してきたことからも明らかだ。リーアフェクトン伯爵家も了承済みのはずだ。
それなのにアイルタートは普通の婚約者との付き合いをしてくれる。彼は事情を知らされていないのか。
アイルタートは、本当に自分のことを愛してくれているのかもしれない――デゼレティアはそんな風に考えることはできなかった。妹から奪われ続けてきたせいで、彼女の心は荒み切っていた。自分にそんな幸運が訪れるなど考えることなどできなかった。
そして、そんなデゼレティアの心構えは正しかった。
ある日の放課後。学園の校舎裏を通りかかったとき、デゼレティアは耳慣れた声を聞いた。気になって行ってみると、そこにはラナーティカとアイルタートがいた。
「ふふ、アイルタート様ったら!」
「あはは。ラナーティカ、君は本当にかわいいな」
屈託なく笑うラナーティカと、ほほ笑むアイルタートがいた。知らない者が見れば、貴族の生徒二人が歓談しているだけに見えたことだろう。だがデゼレティアはその光景ですべてを察した。
アイルタートは実にくつろいだ様子だった。婚約者であるデゼレティアに対して見せたことのない、親しみに満ちた笑みを浮かべていた。今までデゼレティアに見せてきた気遣いが全て演技だったと確信させるほど、穏やかでくつろいだ空気があった。
やはりアイルタートの狙いはラナーティカだ。妹は何かをねだるときにもっともかわいい顔を見せる。『魅了スキル』を発動させていることもあるだろう。あえてラナーティカを焦らし、焼きもちを焼くかわいらしい妹の姿をより楽しむ。そのためにデゼレティアを大事にしているふりをしているのだ。
その事実を前にしてデゼレティアが抱いた感情は、怒りでも憎しみでも悲しみでもなかった。ただの安堵だった。今まで抱いていた疑問が氷解した。やはりアイルタートは妹へ向けた「プレゼント」だった。そのことがわかって、なんだかほっとしたのだ。
自分のことを求めてくれる者などどこにもいない。デゼレティアはそのことを再確認しただけのことだった。
デゼレティアの心は冷めきっていた。だから婚約者が自分を見てくれないことも当然だと受け入れたし、そのことに心を揺らされることはなかった。
しかし、彼女の心は死んでいるというわけでもない。どれほど冷めて荒んでいようとも、受け入れられない苦しみはある。彼女はすぐにそのことを知ることになる。
「私はこのラナーティカとの間に『真実の愛』を見つけた! 子爵令嬢デゼレティア・ファルゼタルム! 貴女との婚約は、残念ながら破棄させてもらう!」
学園で執り行われた夜会。アイルタートは家の都合により欠席すると聞いていて、一人で出席していた。
しかしアイルタートは妹のラナーティカを引き連れてやってきた。そして舞台役者のように婚約破棄の宣言をした。
アイルタートは勝ち誇った笑みを浮かべている。ラナーティカはそんな彼のことを夢見るような目で見つめている。
最初からラナーティカのための婚約だとはわかっていた。これが家同士の話し合いによる婚約解消だったのなら、デゼレティアはいつものように笑顔で妹に譲っていただろう。
だがこの時、デゼレティアの心を支配していたのは怒りだった。アイルタートはデゼレティアを貶めるために、これまで仲のいい婚約者を装い、そして夜会での婚約破棄の宣言などというバカげたやり方を選んだ。アイルタートは人を虐げることに喜びを感じる人間だったのだ。
得意げなアイルタートの顔も、そんな彼に無邪気に好意を向けるラナーティカも、デゼレティアの冷めた心であっても受け入れられないものだった。
そしてデゼレティアは唐突に気付いた。今、自分は笑顔をしていない。ラナーティカから魔力が放出しているのを感じ取れる。『魅了スキル』はおそらく発動している。それなのに、影響をほとんど受けていない。長く『魅了スキル』にさらされ慣れたのか。あるいは怒りでなにかの壁を破ったのか。デゼレティアはラナーティカの『魅了スキル』に対して、耐性を得ていたのだ。
ならやるべきことは一つだった。
デゼレティアはラナーティカに人差し指を突きつけて叫んだ。
「ええ、いいでしょう! その婚約破棄、受けてさしあげます! でもわたしは捨てられるのではありません! そんな男はこちらから捨ててやります! ラナーティカ、あなたはわたしの大事にしているものを奪うのではなく、わたしの捨てたものをみじめに拾うのよ!」
会場が静まり返った。婚約破棄の舞台はこの王国でも人気で、それをテーマとした小説が何冊も出版されているし、演劇もいくつも公演されている。婚約破棄荷を告げられ悲しみに暮れる令嬢は見慣れている。だが、ここまで真っ向から罵倒の言葉を返す令嬢など、物語の中にすらいなかった。
あまりの侮辱の言葉にアイルタートは顔を真っ赤にした。今にも殴りかかってきそうな危険な気配をあらわにした。
だが彼の機先を制して動く者がいた。
「やだーっ!」
突如、ラナーティカが金切り声を上げた。
「やだ! やだ! やだーっ! お姉様の大事にしてるものじゃなきゃやだーっ! お姉様の捨てたものなんていらない! いらない! いらないーっ!」
ラナーティカは泣きじゃくった。15歳の令嬢のふるまいではない。おもちゃをねだる幼い子供のように恥も外聞もなく泣きわめいた。そのあまりの幼さにデゼレティアは言葉を失いアイルタートもあっけにとられて動けなくなった。
誰もが混乱する中、歩み出る者がいた。銀髪の大柄な紳士。侯爵子息ワーインドだ。彼はいきなりアイルタートの胸ぐらをつかんだ。
「何をする!?」
「ラナーティカ嬢はたった今、お前のことをいらないと言った。実に無様なことだな」
「な、なんだと貴様っ……!?」
「お前は用済みということだ! 消え去れ!」
侯爵子息ワーインドはつかんだ手を荒々しく振った。たまらずしりもちをつくアイルタートに対して呪文を詠唱し始めた。
「ま、待て! なにをするつもりだ!?」
アイルタートの制止の声にかまわず、侯爵子息ワーインドは風の攻撃魔法を放った。無数の風の刃がアイルタートの身体をバラバラに引き裂いた。
まるで予想しなかった酸鼻を極める凶行だった。学園の夜会でこんなにも堂々と攻撃魔法を使って命を奪うなど、前代未聞のことだ。デゼレティアは驚きに目を見開いた。目の前で起きたことがとても現実のことだとは思えなかった。しかし漂う濃厚な血の匂いは、それが現実だと否応なしに告げていた。
しかし、事態はそれだけ終わりではなかった。
「ラナーティカ嬢の近くで魔法を使うとは何事だ! 彼女に当たったらどうするつもりだーっ!」
突如生徒の一人が飛び出ると、侯爵子息ワーインドを殴り飛ばした。床に転がる侯爵子息ワーインドに何人もの生徒が群がると、一斉に足で踏みつけ始めた。
「あのかわいらしいラナーティカ嬢を傷つけようとは、なんて愚か者だ!」
「クズめ! クズめ! こんなクズが侯爵子息とは嘆かわしい!」
「これは制裁だ! 正義の制裁だ! 思い知れ!」
その暴力に加わる者は男爵子息ばかりだった。侯爵子息に手を上げることなどありえない身分の者たちが、一切の躊躇なく足を踏み下ろしている。その勢いは止まることはなく、むしろ激しさを増していく。このままでは侯爵子息ワーインドは殺されてしまう。
これほどの蛮行を前にして、なぜ誰も止めようとしないのか。デゼレティアは困惑しながら周囲を見渡した。
そして助けが入らない理由を知った。それどころではなかったのだ。
激しく言葉を交わす伯爵子息と伯爵令嬢がいた。
「ようしチャンスだ! 邪魔者はいなくなった! 今こそラナーティカ嬢に我が愛を告げよう!」
「わたしという婚約者がいながら、他の令嬢に手を出すおつもりですか!?」
「ふん、知ったことか! お前の陰気臭い顔を見るのはもううんざりしてたんだ!」
「よくも言いましたね! 私のほうこそ、気取ってるだけで能無しのあなたのことなんて、大っ嫌いだったんです!」
「この無礼者め、貴様など死んでしまえ!」
「死ぬのはあなたのほうです! この浮気者!」
そう言って、二人は攻撃魔法を撃ち合った。伯爵子息は衝撃波の魔法で頭を砕かれて崩れ落ちた。伯爵令嬢は炎の魔法で全身を焼かれ燃え落ちた。
血走った目で呪文を詠唱する子爵子息がいた。
「お前も! お前も! お前も死ね! ただれた女関係を、今こそ全て清算してやる!」
子爵子息は3人の貴族令嬢に雷の攻撃魔法を放った。雷にからめとられた令嬢たちは、黒焦げになって倒れ伏した。
「さあ、これでラナーティカ嬢と……ごふっ!?」
子爵子息は血を吐いた。その胸元には一人のメイドが縋り付いてる。その手に持ったナイフは、子爵子息の胸に深々と刺さっている。
「わたしだけを愛していると言ってくれたのに……あんなにたくさんの女と付き合っていたんですか!?」
「待て……俺はお前のことが一番……!」
「もう何も聞きたくありません!」
メイドはナイフを抜くと、もう一度子爵子息の身体に突き入れた。子爵子息が倒れると、その体に馬乗りになった。
「愛していたのに! 愛していたのに! 愛していたのに!」
メイドは何度も何度も、子爵子息にナイフを突き刺した。
婚約者にささやきかける男爵令嬢がいた。
「あなたはどこにも行かせない……私の近くにいるの……ずっと、ずうっと……」
彼女は氷魔法で作り上げた大きな氷柱の中に婚約者を封じ止めていた。凍りつき息絶えた婚約者に対し、何度も何度も愛をささやいていた。
会場の誰も彼もが争いあっていた。生徒もメイドも使用人も争っている。会場を警護すべき騎士たちや生徒を諫めるべき教師たちすら例外ではない。言葉で、腕力で、魔法で。お互いを傷つけあっていた。貴族の夜会では聞くはずのない怒号と悲鳴が響き渡った。
会場の誰もが狂気に呑まれていた。
「い、いったい何が……!?」
暴力と狂気に染まる中、デゼレティアだけが正気を保っていた。この異常事態の原因が何かを探し求めた。
すぐに気付いた。ラナーティカから異常な魔力が放出されている。
「まさか、『魅了スキル』が暴走している……!?」
妹が『魅了スキル』を持っているから、デゼレティアはその仕組みについて学んだことがある。
『魅了スキル』とは人の好意を引き出すスキルだ。その効果の段階は、まず対象の心を乱して正常な判断を失わせ、そこに自分の好ましい部分を心に刻み込むというものだ。そうすることで対象はスキル所有者のことを好きになる。
ラナーティカの『魅了スキル』の効果はそれほど高いものではなかった。しかし初期段階の心を乱すという部分については優れていた。効果は弱くても多くの者に効く。それがラナーティカの『魅了スキル』の特徴だ。
ラナーティカの発している魔力量からして、明らかに『魅了スキル』が暴走している。もともと心を乱す能力に長けた『魅了スキル』が暴走したら、いったいどういうことになるのか。
心が極端に乱されれば、人は精神の平衡を失い、そして狂気に至る。ラナーティカの『魅了スキル』の効果範囲は広い。この会場にいる者全員が狂気に呑まれている。
デゼレティアが正気を保っているのは、子供のころから『魅了スキル』の効果を受けて、耐性を持っているおかげなのだろう。そうでなければこの狂乱の渦に巻き込まれていたに違いない。
「ラ、ラナーティカ! 今すぐ『魅了スキル』を抑えなさい!」
大声で呼びかける。駆け寄りたいところだったがそれは躊躇われた。ラナーティカに近づこうとする者とそれを阻もうとする者が争い、彼女の周囲では攻撃魔法が飛び交っているのだ。
声はどうにか届いたのか、ラナーティカに動きがあった。顔を上げると、あたりをきょろきょろと見まわした。
そして泣くのをやめた。その顔を目にしたデゼレティアはぞっとした。
ラナーティカは笑っていた。それも、誕生日ケーキののろうそくの火を吹き消そうとする子供のような、無邪気で喜びに満ち溢れた笑顔だったのだ。
「みんな! みんな! わたしと同じ欲しがりになってる! すごい、すごい! すごーいっ!」
ラナーティカは目を輝かせている。その目はどこまでも澄んでいる。殺しあう生徒たちを見ているはずなのに、むごたらしい死体を目にしているはずなのに。まるで汚いものなど見たことがないかのように、その目は澄み渡っているのだ。
それは正気の者にできる顔ではない。ラナーティカは狂気の中にある。『魅了スキル』はただ暴走しただけではない。生まれたときから持っているスキルは、使用者が変わることで性質が変化することがある。『魅了スキル』が周囲に狂気をもたらすスキルに変質したのは、ラナーティカの精神が異常を来しているからにちがいない。
つい先ほど、デゼレティアから拒絶の言葉を告げられ、ラナーティカは子供のように泣きじゃくった。まさかあの時に彼女は正気を失ったというのか。たったあれだけのことで狂ってしまったというのか。
「違う、あの時じゃない……!」
デゼレティアにはわかった。本当は薄々感づいていた。
礼儀作法すらろくに覚えない。勉強もあまりできない。いつまでも姉の物をうらやましがり、欲しい欲しいとねだっては奪い取る。
15歳になったというのに、ラナーティカは年相応の分別をまるで身につけない。そのことを誰も不審に思わなかった。子供のような無垢さがラナーティカのかわいさだったからだ。『魅了スキル』のせいもあるだろう。
だがこれは、明らかに異常なことだ。まともな人間にはありえないことだ。ラナーティカはきっとずっと前から、精神に異常を来していたのだ。その始まりにデゼレティアは心当たりがあった。
「あはは! あはは! あははははっ! みんな欲しがり! みんな一緒! たのしい! たのしい! たのしいーっ!」
ラナーティカは何度も飛び跳ね、手を叩いて喜んだ。この狂気と暴力のうずまく会場の中で、まるで秋の収穫祭に来た子供のようにはしゃいでいた。そしてさらに魔力の放出量を増やした。狂気をさらに深く拡大するつもりだ。
「やめなさいラナーティカ! それ以上はあなたの身体が持ちません!」
デゼレティアは防御魔法を展開すると、ラナーティカの方へ向けて駆けだした。妹を止めるのは自分しかいないと思った。
だって、ラナーティカを壊したのは自分なのだ。ラナーティカが10歳の頃。階段から突き落としたあの日。ラナーティカの精神はあの時から成長していない。やはり頭のケガは完全には治っていなかった。あの日からラナーティカの精神は壊れ始めていたのだ。
ラナーティカが狂気にむしばまれることになったのも、その狂気が発露するきっかけをつくったのもデゼレティアだ。この惨状の責任は自分にある。だから彼女は危険も顧みず、攻撃魔法が飛び交う中に突っ込んでいった。
いくつもの攻撃魔法を受け、防御魔法がきしむ。それでもあと数歩でラナーティカのもとにたどり着く位置まで至った。もう少しと思った瞬間、防御魔法が砕かれ、デゼレティアは吹き飛ばされた。何が起きたのか理解する間もなく、彼女の意識は闇に呑まれた。
ふと、デゼレティアは目を覚ました。
周囲が明るい。窓から差し込む日の光はまぶしいほどだ。いつの間にか朝になっていた。意識がはっきりしてくると、昨夜の出来事が思い起こされた。
見回すと会場には死体が累々と転がっている。見た限りでは生き残った者はいないようだった。床はあちこちが砕けていて、燃え落ちたテーブルや椅子がいくつも転がっている。カーテンの多くは破れが目立つ。会場は昨晩まで夜会が開かれていたとは思えない惨状を呈していた。
ひどく寒かった。身体の感覚がほとんどない。手足が動かない。自分の身体はどうなってしまっているのだろうか。
視線を落とすと、右胸を深々と貫く氷の槍が見えた。ラナーティカに近づこうとしたとき、どうやらこの氷の魔法が防御魔法を貫いて、自分の胸に刺さったらしい。会場の端まで運ばれ、そして座った状態で壁に縫い止められたようだった。
氷の槍はおそらく心臓を傷つけてはいない。そうでなければ即死していただろう。だが致命傷であることには変わりない。氷の魔法を受けてから時間が経ちすぎた。身体は冷え切っていてほとんど動かせない。痛みも感じない。命が尽きるまであとわずかしかないのだろう。
本来なら目覚めることなく眠るように死を迎えていたはずだ。それが、暖かな日の光を受けて、束の間意識が戻ったようだった。
目が覚めたのは、神の与えた罰なのかもしれない。デゼレティアは否応なくこの惨状と向き合うことになった。
取り返しのつかないことになってしまった。ラナーティカの狂気にずっと気づかなかった。自分の言葉によって『魅了スキル』は暴走した。そして夜会に参加した生徒すべてが命を落とす結果になった。
どうすればいいのかわからない。償おうにも自分の命はもうじき尽きる。できることは何もない。
「あ……お姉様、おはようございまーす……」
ラナーティカの声が意外なほど近くから聞こえて驚いた。目を向けると妹と目が合った。どうやら彼女はデゼレティアの太ももを枕にして眠っていたようだ。
「ラナーティカ! あなたは自分が何をしたのかわかっているんですか!?」
「よくわからない……でもすごく、楽しかったなあ……」
ラナーティカは身を起こすと、大きなあくびをした。
妹を狂気に至らせたのはデゼレティアだ。それでもこの惨状を生み出したのは、ラナーティカの『魅了スキル』なのだ。彼女も罪を償わなければならないはずだ。
だがラナーティカは正気を失っている。自分がどれほどのことをしてしまったのかを理解できていない。罪の自覚がないのなら糾弾も意味をなさない。
デゼレティアは言うべき言葉が見つからなかった。
「お姉様、わたし、ずっとさみしかったんだ……」
「……さみしかった? あなたが?」
急に妙なことを言い出した。『魅了スキル』でずっと周囲からちやほやされていたラナーティカ。両親も溺愛していた。それこそ、姉のデゼレティアをないがしろにするほどに。
そんなラナーティカが「さみしい」などという言葉を言い出すなんて思いもしなかった。
ラナーティカはまだ眠いのか、目をとろんとさせながら話を続けた。
「だって……わたしみたいな欲しがりは他にいなかったんだもの……でも昨日の夜は楽しかった。みんな欲しがりになってた。みんな同じだって思えて、すごくすごく楽しかったんだ……」
『魅了スキル』によって誰もが惹かれ彼女を大事にする。だがそれは対等の関係ではない。
それを孤独に感じるだなんて、デゼレティアは想像したこともなかった。
「お姉様が優しくしてくれなかったら、きっとわたし、寂しくて死んじゃってたと思うんだ……だから、わたし、お姉様のこと、だーいすき」
そう言うと、ラナーティカはふわあと大きなあくびをした。
「なんだかつかれちゃった。もうちょっと寝るね……」
そう言ってラナーティカは再びデゼレティアの脚を枕にすると、眠ってしまった。
言いたいことが山ほどあった。大切なものを奪ってばかりの妹なんて嫌いだ。夜会をめちゃくちゃにして、それを楽しかったなんて言う妹を、罵ってやりたかった。
でも、言葉が出なかった。妹の寝顔はあまりにも安らかだった。デゼレティアはその寝顔に見入ってしまっていた。
『魅了スキル』の効果によるものではない。妹がこんな顔をして眠るのを、初めて知ったのだ。
大切なものを奪う妹だった。だから普段は接触を避けていた。姉妹らしい思い出は一つもない。寝顔を見るのなんて、きっとこれが初めてだ。
ラナーティカは狂っていた。こんな恐ろしい惨事を引き起こした。でもそれは、本当は避けられたのではないか。奪われる苦しみにだけに目を向けて、ラナーティカのことを見ようとしなかった。妹が狂気に陥り、孤独を感じていたなんて想像もしなかった。
『魅了スキル』があろうとも、きちんと向き合っていれば、もっと違った結末があったのではないか。そう思えてならなかった。
そうして、ラナーティカの寝顔を見つめるうちに気が付いた。呼吸をしていない。魔力もまるで感じられない。
ラナーティカは、死んでいた。
その理由にはすぐに思い至った。『魅了スキル』の暴走だ。ラナーティカは会場すべてを狂気で包むほどスキルを暴走させていた。魔力の放出は、通常の呪文の行使でも身体に負担がかかる。あんな異常な出力で魔力を放出し続ければ身体がもたないのも当然だ。
常人なら身の危険を感じて魔力の放出を抑えようとするだろう。だが、ラナーティカは狂っていた。そんな当たり前のこともできず、死ぬまで『魅了スキル』を使い続けたのだ。
「あ……ああっ……!」
デゼレティアの目から涙がこぼれた。一度こぼれだすと止まらず、涙はとめどなく流れた。
大事なものを奪う憎い妹だった。会場すべてを狂気に包み、何人もの人間を死に追いやった恐るべき狂人だ。
それでもデゼレティアにとって、ラナーティカは妹だった。彼女は最後に、自分のことを大好きだと言ったのだ。
「あんなスキルさえなければ……わたしたちはもっと、こんなふうに……」
そこまでつぶやいたところでまぶたが下がった。言葉はそれ以上出なかった。呼吸さえも途絶えた。
デゼレティアは、静かに息を引き取った。
学園からの連絡を受け、王国から派遣された調査員たちが夜会の会場を検分した。
無惨すぎるありさまだった。破壊があまりに徹底的すぎて、この異常な事態がどうして起きたのかまるでわからなかった。わずかな生存者はいたが、完全に正気を失っており、まともな証言は得られなかった。
魔法による集団幻覚を見せられたのではないか。飲み物に異常な興奮をもたらす薬物が入れられていたのではないか。強力な魔族が襲来し、同士討ちに見せかけて皆殺しにしたのではないか。様々な説が唱えられたが決定的なものはなかった。
そんな惨状の中、寄り添いあって息絶えた姉妹の姿があった。二人は貴族社会でも評判の仲睦まじい姉妹だった。この惨劇の中でも最後まで手を取り合ってお互いを守っていたに違いない……人々はそう語り合った。
デゼレティアとラナーティカの間にあったものが何だったのか。それを知る者は、誰もいなかった。
終わり
2025/9/16 12:30頃、19:30頃、9/18
誤字指摘ありがとうございました! 読み返して気になった細かなところもあちこち修正しました。
2025/9/19
前書きに注意事項を書きました。