僕の魔王様が今日も可愛い!
「それで? このわたくしに『魔王』を降りろというのかしら?」
魔王城の謁見の間。美しい少女が玉座に座り、頭をたれる使者を見下ろしている。
「はっ……はは! まことに恐れながら、ルシリル様では、前魔王陛下のようなご活躍は期待できないとアガレス様が……」
「ふーん? わたくしの城から去ったと思えば、そんな馬鹿げたことを吐いているなんてねぇ」
彼女は小さく息をつき、隣に立つ僕に気だるげな視線をよこす。
「ノイン。そいつの首を添えて書状を出しなさい。このわたくしに歯向かえばどうなるか。奴に示すのよ」
「はっ!」
腰にさげた剣を引き抜き、僕はこつこつと階段下まで降りていく。男が身体を震わせ、命ごいをはじめた。
「お、お待ちください! 魔王陛下! お命だけは! お命だけはどうかご勘弁をっ!」
狼狽え、床に額を擦りつける。
──馬鹿だな。彼女の前でそんな無様な醜態をさらすとは。
僕が剣を振り上げると、ふいに制止の声がかかった。
「お待ちなさい」
少女が優雅に立ち上がる。
「──そこまで言うなら命だけは勘弁してあげましょう。帰ってアガレスに告げなさい。この魔精国を統べるのは、この第32代目魔王、ルシリルだとね!」
「は、ははー!」
男が滑るように玉座の間を立ち去り、謁見の時間は終わりを告げた。僕は小さくなる彼の背中を一瞥し、剣を鞘に納めると、親愛なる魔王陛下をお迎えするべくかしずいた。
「お疲れ様です、ルシリル魔王陛下」
臣下の礼を取ると、少女を高い靴を打ち慣らし、玉座に繋がる長い階段を降りてくる。
──ああ、なんて今日も彼女は綺麗なのだろう。
腰まで伸びる桃色髪に好戦的な紫の瞳。黒のドレスからはすらりと白い手足が伸びていて、彼女が一歩一歩、足を動かすたびに、扇情的な太ももが露になるのだ。
僕は彼女の手を取るべく、階段下で待機する。もう少しで小さな指先が僕の手に触れるところで、バキッと嫌な音がした。
(あ…………)
靴のかかとが折れて、彼女が盛大にすっ転ぶ。慌てて駆け寄れば、ふるふると震えて顔をあげた。
「あの……、今日のわたしの魔王度は何点でしたか?」
「20点です」
「────っ!」
がーんと、衝撃に青ざめる少女。こくりとうなづく僕。
そう、これは。
強き魔王を演じるルシリルと、元勇者の他愛もない日常話である。
そして僕はいま、声を大にして言いたい。
「僕の魔王様が今日も可愛い!」
「?」
それだけである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あの、すみません……。え? なにこれ、箱?」
魔王軍との戦いに苦戦していたある日のこと。僕は聖王の命により箱詰めされていた。ちなみに『聖王』というのはバーンオルト聖国の王様のことである。メイル大陸の端っこにある大国だ。僕はその国の『聖女』とやらに召喚されてこの世界へとやってきた。
いわゆる、異世界召喚ものだ。
僕が元いた世界でも、小説とか漫画で人気を博していたジャンルだったけれど、まさか僕がそんな目にあうとは思ってもいなかった。しかもまさかまさか、学校からの帰り道にズトーンと雷に撃たれて死んだと思ったら異世界でしたーとか。人生なにがあるかわからないもんだね。
まぁそれはともかく。そんな形でこの世界に来た僕は勇者になれと言われて大変だった。いま思えばそれは、異界から呼び出した者を使って人間兵器を作っていたのだろう。事実、勇者教育だと言われてあらゆら剣術、武術、魔法……さまざまなことを仕込まれた。
そうして魔王軍と戦っていたある日のことだ。
「すまぬ、勇者よ。今日まで我が国に尽くしてくれたおぬしの勇姿は決して忘れん。だが、ことは急を有する話。なにも言わず、いまは大人しくしていてほしい」
その瞬間に僕の意識は途絶えた。
次に目を覚めました時には、かの悪逆非道で有名な魔王ルシリルの前だった。
「畏れ多くも我が魔王陛下をしい逆せんとした勇者ノインよ! その首を持って聖国バーンオルトと我が魔精国ゼリエの両国の和平を結ばんとする!」
執事風の老人が声を張りあげる。羊紙で出来たファンタジーっぽい書状を読みあげた彼の頭には二本のツノが生えている。いかにも魔族っぽい男だ。
僕は状況を確認するべく、さっと首をめぐらせる。豪華絢爛とは程遠いボロい大広間。深紅の絨毯が敷かれた高い階段上には玉座がある。
そこに座るのは多分美少女。
気だるげにこちらを見下ろす彼女が魔王ルシリルだ。
圧倒的な強さで兵を蹴散らし、みずからも前線に出る好戦的な女帝。僕も何度か戦場で見たことがある。老人同様、彼女にも二本のツノがついていて、魔族の長に相応しい苛烈な少女だったはず。
「あの……」
「なんですかな、勇者殿」
鎖に繋がれたまま僕がたずねると、老人が訝しげな視線を向けてきた。巨大な斧を持ち上げる老人の腕はプルプルと震えている。まさかあれで僕の首をはねる気か?
「すみません。事情がですね、よく飲みこめないんですけど……つまりあれですか? 僕は国に売られて、魔王の前に差し出されたと」
「いかにも。我が領土への進軍および敵対行動はすべて勇者ノインが画策したものだと聞き及んでいる。よって、そなたの首を差し出す代わりに聖国は和平を申し入れてきたのだ」
「はぁ……」
爺さんがズルズルと斧を引きずりながら、僕の前にやってきた。
「安心せい。ひとおもいに楽にしてやる」
斧を振り上げる爺さん。よく手入れの行き届いた美しい斧だった。
ああ、僕の人生ここで終わりか。
そう思った時、凛とした声が広間に響いた。
「待ちなさい。ログレス」
魔王ルシリルが玉座の階段を降りてくる。
「聖国の勇者といえば、何度か刃を交えた仇敵……。だが、殺すには惜しい力よ」
かつかつと、赤い靴と共に美しい足が視界に広がった。残念ながら下着は見えないが、こんな状況だというのに、僕はその姿に釘付けになった。
(なんて、綺麗な子なんだろう)
こうみえて僕は近視だから、さっきまでの彼女の姿は若干ぼやけていた。それが目の前に立たれてやっとその顔をはっきり捉えることができて気づいた。
ぱっちりとした大きな瞳。
形のよい小鼻。
桜色のふっくらとした唇。
文句無しの美少女だ。おまけになんかいい匂いもする。ルシリルの細い指が僕のあごを掴んで上を向かせた。
「どうかしら? おまえ、わたくしの下につかない? 勇者としてのその力。今後はこの、魔王ルシリルのために使いなさいな」
──はい、喜んで!
本当はそう言いたい。だってこんな美少女に使ってもらえるとかご褒美じゃないか。聖王や教会のくそジジイどもに比べたら天と地ほど違う。でも僕にだってプライドはあるのだ。ぎりぎりと歯を噛みしてルシリルを睨みつけてやった。
「──断る。僕は仮にも勇者だ。勇者が魔王にくだるだって? はっ! 馬鹿を言うなよ。この僕を誘惑するつもりならもっと上手くやるんだな」
「貴様!」
「よしなさい、ログレス」
いきり立つ老人を手で制すとルシリルは冷たい眼で僕を見下ろした。
「さすがは勇者だけあって強情ね。……いいわ。ログレス、こいつを牢に繋ぎなさい。わたくしが直々にお仕置きをしてあげるわ!」
「はっ! 来い、勇者!」
老人が鎖を引っ張る。
「せいぜい、上手に啼くことね? そうしたら、下僕として飼ってあげるわ」
ぺろりと舌舐めずり。悪魔的な笑みを浮かべるルシリルに僕の心はちょっとだけ高鳴った。そのあとは察しの通り。僕は老人に連行される形で牢に閉じ込められた。それから3日が経過した。
「あれ? お仕置きは?」
無かった。
この3日、ただ牢屋でゴロゴロしているだけだった。しかも三食豪華なお食事つき。なんという手厚い待遇だろうか。
僕はローストチキンにかぶりつきながら、牢屋の窓から月を眺めた。
(バーンオルトには……)
戻れないよな。話を聞く限りじゃ、魔王との戦争は勇者によって引き起こされ、最終的にはその勇者を罰することで両国間の和平を結ぼう! みたいな話らしいから、いまから国へ帰ったところで処刑されて終わり。何とも切ない話だね。
「相変わらず、ジジイどもは汚ないな」
僕はチキンの骨を床に投げた。ツノの生えたリスたちが群がってきた。リスって肉食だっけ?
「さてと、抜け出すか」
鉄格子を押すと、いとも簡単に扉が開いた。別に僕の腕力が強いとかじゃない。もともと鍵は開いてた。まるでいつでも逃げていいですよ、と言っているようなユルい警備だ。
「というか、逃げろってことなんだろうな」
あれからルシリルは姿をあらわさない。
代わりにログレスとかいうあの老人がやってきて、やたらと城の内部構造を話してくるのだ。どこの扉が開いていて、警備が手薄だとか。
そんなのもう、さっさと帰れと言っているようなもんじゃないか。けれど、なんのために僕を逃がそうとするのか。よくわからない。だから彼らの動向を探るべく牢に居座っていた。でもまぁ、そろそろ牢屋生活にも飽きてきたところだし、僕は城の中を散策することにした。
「僕が逃げたことを聖国に伝えて、戦争を再開するつもりとかなのかなー」
牢屋を出て廊下を歩きながら考える。幸い、巡回する警備兵はいない。僕が逃げだすことを想定していたのか、驚くことに人……いや、魔族の奴らと遭遇しない。
「魔族……か」
古よりメイル大陸東部に住む種族の総称だ。数こそ少ないが、おのおの強大な魔力を持ち、聖国をはじめとする人間の国とは敵対している。
見た目は人と大差はないが、角が生えていることが多く、中には竜のような翼を持つ者もいるそうだ。
まぁ、全員仮装していると思えば同じ人間だ。 聖国をはじめとする諸外国のみんなは怯えるけれど、正直僕は魔族とか怖くない。これでも元勇者だし、実のところ本当に怖い奴ってのは──
「……ん? 話し声がする……」
気がつけば、食堂とかかれた扉の前まで来ていた。ボロい城とはいえ、中は案外広い。
どうやら僕は迷ってしまったらしい。
ひとまず扉に耳をつけ、中の会話を確認する。警備の兵士だったら武器をいただいて逃走しよう。
「──っ……勇者……おひる……どう」
勇者? 昼? なんだって?
ぼそぼそと、か細い声でよく聞き取れない。しゃがれた声があとに続いた。
「魚はレモンのバターソテーがよろしいかと」
「つけあ……せ……は?」
「ニンジンと緑の葉物を添えましょう。彩りは大切ですから」
いや、なに話してんの?
会話から察するに献立か何かの打ち合わせのようだけど、料理番とメイドの会話かな?
魔王城のくせに平和なものだね。僕は素通りすることを決めて足を踏み出した。その時だった。
「そこにいるのは誰ですか?」
鈴のように綺麗な声だった。
きいっと扉が開かれる。出てきたのはエプロン姿の愛らしい少女だった。というか、魔王ルシリルだった。
「へ? 魔王ルシリル?」
「……っ!」
ルシリルがぴしりと固まった。すぐにログレスが駆けつけてきて、ナイフを投げる。
「貴様! 脱獄とはやってくれる!」
かかかっと、ドアにナイフが突き刺さった。
怖いな。僕は間一髪で避けて、壁に背を張りつけ弁明した。
「ま、待って! だって牢屋、開いてたし! 最初からそういうつもりだったんじゃないの!?」
「ルシリル様! お下がりください! こやつ、ルシリル様が油断した隙に命を狙おうと……!」
「してねぇよ! 僕、いま丸腰だし! どう解釈したらそうなるんだよ! てか、ナイフ向けないで、怖いからっ!!」
投てきポーズを取るログレスと、両腕をあげる僕。肝心のルシリルはいまだに扉の前で固まっている。
この状況どうすればっ!?
そう焦ったとき、ルシリルがこちらに顔を向け、ビシっと人差し指を向けてきた。
「よ、よくわからないけれど! おまえ、わたくしの──」
そこで、こてん。
床に落ちたナイフに足を取られて、魔王ルシリルは転んだ。次に彼女が顔あげると頭から二本の角がぽろりと落ちた。
ログレスが叫ぶ。
「ルシリル様! 角! 角がお取れに!」
「……っ!」
ルシリルがさっと頭部を手で隠した。いや、隠しても。思い切りツノ落ちてるし。よく見ると髪飾り、いや、角つきのカチューシャだった。
「え? つけツノ?」
「──────っ!」
僕が指摘すると、ルシリルは身を縮めて、いまにも泣きそうな顔をした。
「ご、ごめんなさい。本物のツノじゃなくて……。怒りましたよね? ごめんなさい……」
「え、いや……」
誰もツノが本物か偽物かは気にならないけど。
必死に謝るルシリルになんだか拍子抜けした。
最初に会った時とイメージ違くない?
僕が戸惑っていると、ルシリルをなだめていたログレスが、そのへんに座るよう言ってきた。偉そうな奴め。
◇ ◇ ◇
「つまり、魔王っぽい演技していただけと……」
「は、はい。わたしは最近魔王になったので、魔王らしい威厳をと思いまして、その……」
しゅんと肩を落として、ティーカップを両手で握るルシリル。こうして見ると、ただの深窓の姫君のようだ。ログレスが経緯を説明した。
「半年前に先代魔王が亡くなり、ルシリル様が次の魔王として玉座に着きました。ですが、見ての通りルシリル様はまだお若い。魔王の威厳が足りぬと臣下たちの心が離れてしまったのです」
「ふーん……」
先代魔王といえば、ルシリルの前の魔王だ。厳つい相貌で、見た者の心臓をとめるとまで言われていた男だ。そんな先代魔王も、僕の前の勇者に殺された。相討ちだったらしい。それで死んだ勇者の後釜に僕が選ばれたわけだけど、彼女も似たようなものか。ちょっとだけ親近感が湧いた。
「どうしてもお父様のようにはいかず、みんなわたしのもとを離れていってしまいまして……」
「父親? 魔王って世襲制なの?」
たずねるとルシリルが頷いた。てっきり、力で王座をぶんどるイメージがあった。
「もしかして、この城が荒れてるのってそれが原因?」
「はい……お恥ずかしながら……」
そういう彼女の横をツノリスが通る。天井には蜘蛛の巣が。食堂の壁の一部は崩れて穴があいている。使用人も出ていってしまったそうだから、誰も直す人がいないのだろう。
「大変だね。魔王の立場も。それで僕を勧誘したってわけか」
彼女の状況を考えれば、戦力は一人でも多いほうがいいだろう。そう思ったら、どうも違うようでルシリルは首を横に振った。
「あれは……、仲間にしようとしたのではなく、ログレスがあなたの命を奪おうとしていたので止めようと、それで……」
「え? もしかして助けてくれたとか」
こくこくとルシリルが頷いた。反対にログレスは心外だと言わんばかりの顔をした。
「ルシリル様……、このログレス。玉座の間を血で汚すような真似は致しません。あれはあくまでこの人間に対する脅しでございます」
「それは、先日お聞きましたが……」
「いいですか? 人間など小賢しい生き物です。和平など受け入れる必要などありません。この勇者殿には早急に城を出てもらうか、消してしまうのがよろしいかと」
「爺さん、けっこうひどいのな」
「ほほ、私は人間が大嫌いですから。一匹残らず滅ぼしたいと思っていますよ」
「あ、そう。でもまぁ、人間が小賢しくて救いようのない馬鹿だっていうのは同意見だね。僕も人は嫌いだし」
出された紅茶を口にしながら感想を漏らせば、ログレスがなんともいえない顔をした。
「そこまでは言っておりませぬが……ずいぶんと勇者らしくない発言ですなぁ」
「そりゃあね、僕は『元』勇者だから」
僕を売ったバーンオルト聖国。許すまじである。
「それで? 僕はこれからどうすればいい? 爺さん的には城から出ていってほしいみたいだし、このままお暇すればいいのかな?」
「あ、はい……。少ないですが、路銀とお水をお渡しするので、明日にはお帰りになっていただけると助かります……」
「わかった。でも、明日っていうことは、今日はいていいの?」
「もちろんです。ちょうどこれからお昼ですので、ご一緒にどうですか?」
「じゃあ、ご相伴に預かろうかな」
僕がうなずくと、ルシリルはぱたぱたと走って食堂の奥へと消える。フライパンを片手に厨房で慌ただしく動く姿がぼんやりと見えた。
「普通、こういうときって爺さんが作るんじゃないの?」
見た感じ、執事っぽいし。
「まさか。私はこの国の国政を預かる身。前魔王様から仕える宰相でございますから、給仕の真似事などいたしません」
「そういうあんたの主人は料理番の真似事してるけどな」
こまごまと動くルシリルを遠目に僕は彼女が淹れてくれたお茶を堪能した。
◇ ◇ ◇
夜になった。僕は牢屋の寝台でゴロゴロしながら本を読んでいた。退屈だと言ったら、ルシリルが何冊か本を貸してくれたのだ。なんでも彼女のお気に入りは勇者とお姫様の恋愛小説らしい。軽く中をのぞいてみたけど、砂糖に蜂蜜をかけたような内容だったので、そっと閉じさせてもらった。
そんなこんなで僕は魔導書を見ていた。興味深いことに、魔精の召喚について書かれた本だった。
悪しき精霊。
悪魔とか悪妖精とか色んな呼び名があるけど、『魔精』が一般的な名称だ。
「ふーん、魔法陣を書いて生け贄を捧げて召喚する……か」
本には禍々しい挿し絵と一緒に魔法陣が記されていた。
「なんか僕が知っている方法と違うなぁ……」
魔精の召喚ってもっとこう簡単なものだし、いちいち儀式のたびに生け贄を捧げていたら大変だろうに。
僕はぱたんと本を閉じて月を眺めた。赤い月。牢の外では狼たちが遠吠えをあげている。もう明らかに不吉の前触れって感じがする。
「まぁ……さっさと寝て──」
と、目を閉じたところで、どかんと耳をつんざく音とともに突風が吹いた。がらがらと壁が崩れて、厳つい大男の登場だ。
「ん? 人間……? 儀式用の贄か」
隆起した筋肉。
太い腕に首。
身長は僕の二倍はあるだろう、片眼がつぶれた男は瞳を細めると、こちらには興味の無いと言わんばかりの様子で牢から出ていった。彼が歩くたびにずしんずしんと床が震動する。
「え、なに? 魔族襲来?」
いやでも、ここ魔王城だし。つまりあれはルシリルの配下か。玄関ではなく、壁を壊して入ってくるとはさすがは魔族だ。ワイルドな入室の仕方である。
「──って、そんなわけないか」
昼間聞いた限りだと、多分ルシリルの首を狙いに来た元配下か何かだろう。彼女もあの爺さんも言わなかったけれど、この城の荒れ具合を見ればわかる。
当然、自然に壊れたものじゃない。激しい戦闘の爪痕だ。僕は大男を追うことにした。
◇ ◇ ◇
玉座の間につくと、ルシリルが血を流して座り込む姿があった。充満する煙幕。多分痺れ粉の類いだろうけど、紫がかった霧が、緊迫した空気を演出している。実際ルシリルは鬼気迫る感じの顔で僕に手を伸ばした。
「……っ! き、来ては、いけません! ──うぁっ!」
どこからともなく吹いた風に飛ばされ、宙を舞うルシリル。玉座に続く高い階段上から男がおりてきた。さっきの厳つい大男だ。彼の足が広間に到達すると、これまた大きな刀を彼女に向けた。
「降参せよ、ルシリル。我が主アガレス様のもとに降れ。さすれば悪いようにはせん。そう、かのかたは仰せだ」
「う……ぐっ、嫌、だと言ったら?」
上体を起こして、好戦的な瞳を男に向けるルシリル。さっき僕に向けたものとは違う『魔王』としての顔だ。
「殺す。従わぬ場合は命を奪えと言われているのでな」
「……そう。なら!」
ルシリルは右手をかざし、その手に黒い光を宿した。ビリビリと大気が震え、彼女の頭上に幾本もの黒い雷槍が現れる。
「焦げ死になさい!」
合図とともに前方めがけて槍が飛来する。
しかし大男は太刀を横に凪ぐと、飛んできた雷を掻き消した。
「笑止。これしきの雷撃など、我には効かんわ!」
大男が雄叫びをあげると、彼の姿が赤く変貌した。みるみる背丈が伸びて、天井に届かんばかりの高さとなった。
「ぐははははっ! なにが新たな魔王だ! 歴代魔王最強と呼ばれたルキフェル陛下に比べれば、石ころも同然。父君のお力を受け継がなかった自身の弱さに嘆き死ねぃ!」
大男が巨大な足を持ち上げる。ルシリルは動けない。おそらく足を怪我しているのだろう。小さな頭上に迫る死の一撃。ルシリルが瞳をつむり、頭を抱えた時──僕は彼女の前に立っていた。
「──なにっ!?」
男の瞳が驚愕に開かれる。僕は彼の足に手を添えて、その動きを封じた。
「貴様、なにを…………」
「いや、さすがに美少女踏みつぶすとかあり得ないでしょ」
「……っ! 勇者、さま……?」
ちらりと後ろをみると、涙をためるルシリルがいる。可愛い。しかもちょこっと衣服が裂けて、大胆に太ももが見えている。いや、別に僕は太ももフェチなわけではないけれど、最高だ。黒い衣装から伸びる白い足。すべすべだよ?
そんな国宝級の足を持つ彼女をここで守らない男がいるだろうか。
「──否! 守るにっ、決まっているだろーがァァァ!」
「ぐぁぁぁぁぁあ!」
男がうめき声を上げて倒れた。ずしんと地鳴りのような音が響き、天井からぱらぱらと塵が落ちてきた。
「はぁ……お前の見苦しい足に触れて僕の手が汚れたじゃないか。まったく、勘弁してほしいよ」
僕はポケットからハンカチを取り出し、手を拭いた。まぁ触れたといっても魔力の壁ごしだったから直接は触ってないけれど。
僕に片足を吹き飛ばされた男はその場で横転し、膝から大量の血を流している。
「貴様ァァァ! 我の足になにをした!」
「なにって、吹っ飛ばした。こうやって風の渦を使ってね」
僕は手のひらに竜巻を出して見せる。大男が忌々しげにうめいた。
「ぐっ、魔術師か……道理で牢に捕らえられていたわけだ。高い魔力を持つものは魔精を喚ぶ、いい贄になる」
「魔精? ああ、あの本に書いてあったやつか」
魔法陣を書いて、贄を捧げて云々ってやつだ。僕は彼の膝を見た。ちょうどいい。あれだけ血があれば魔法陣を書くインク代わりになるだろう。
「そうだね。せっかくだし、魔族式の召喚術でもやってみようかな」
僕は懐から2枚のビスケットを取り出した。昼間にルシリルが出してくれて茶菓子の残りだ。それを宙に放り投げて、名を呼んだ。
「『ビスケス』。あいつの血を使って魔導書の陣を書いて」
「「あいさー!」」
しゅぽんと空中に現れて二体の管猫が彼の膝元に移動する。細長い身体。どこから尾になるのかは判断つかないけど、まるで赤い絵の具を尾に染みこまれるようにすばやく身体を動かすと、二体は天井に昇って大きな陣を描いて、再びしゅぽんと消える。そんな彼らの姿をみて、大男が狼狽え出した。
「い、いまのは魔精!? 馬鹿なっ……人の身であれを──」
「知らないよ」
僕は頭上に手をかざす。闇の鎖が陣から放たれて男を拘束する。
「なんでもいいけど、深夜訪問とか睡眠の邪魔だからバイバイ」
ぱちんと指を弾くと、男は魔法陣の中に引きずりこまれていった。禍々しい紫煙と鎖が消える。広間は静寂に包まれた。
「なんだ、何も現れないじゃないか」
やっぱりあの魔導書は偽物か。つまらないな。僕が肩を落とすと、か細い声が聴こえてきた。
「ゆ、勇者……さま?」
「ああ、大丈夫?」
倒れたままの彼女のそばに近づくと、どうやら足の首を折ってしまっているらしい。手をかざして光の魔法をかけてやると、彼女は驚いたみたいで目を丸くした。
「癒しの術……勇者様は怪我を治すことが出きるのですか?」
「だって、僕、勇者だし。簡単な光魔法くらい使えるよね」
専門的なものなら、聖女や僧侶の仕事だけど、骨折を治す程度なら僕にも出来る。立ち上がって足をぶらぶらさせるルシリルが可愛かった。
「で、さっきの誰? あとあの爺さんは何やってんの?」
「先ほどのかたはアガレス様の配下だと思います。腕にかの御方の紋章が刻まれていましたから。それからログレスは……」
「ルシリル様ぁーーーーーーっ!」
広間の奥から爺さんが走ってくる。全身ズタボロだ。割れたモノクロをかけてルシリルの前で床に額を擦りつけている。
謝罪の文言から察するに、大男が襲撃して爺さんも戦ったが一撃でノックアウトされたらしい。見た目通り弱い爺さんだ。
「あ、あの……」
ルシリルは僕の前に立ってもじもじと身体を揺らすと、意を決したように、僕の手を取ってふにゃりと笑った。
「ありがとうございます。物語の勇者様のようにかっこよかったです」
その瞬間、落雷に撃たれたような衝撃が走った。身体の奥底から感じる熱気。ドクドクとうるさい鼓動の音。なんて、なんて──
──可愛いすぎるんだっ!!
そして、僕は崩れ落ちた。というか、文字通り雷に撃たれた。倒れた僕から手を離してルシリルが謝る。
これはあとから聞いた話だけど、彼女は魔力の操作が不安定で、僕の手を握ったときに電撃を浴びせてしまったらしい。なにそれ。でも可愛いから許してあげよう。
長編にしようと思いつつ、とりあえず短編を書いてみました。