【96】名目 打ち上げ
「ま、重苦しい話はこの辺にしておいて。ルキウス。お前酒は呑めるな?」
「え? あ、はい。人並には」
「上々」
トビアスとオットマーはいつの間に用意していたのやら、部屋の中にワインを並べていった。
「合否は残念だったがお前の試験も無事に終わり、もうすぐルイトポルト様の社交界デビューだ! それと、お前があの巨大肉食ペリカンを刈り取った事も祝っていなかったからな!」
「今日はどれだけ呑んでも大丈夫だぞ。明日はお前は休みにするように掛け合ってある。明後日は部屋の移動だろう? それまでに英気を養うとしよう」
「は、はあ……」
どうやらこの部屋もその為に今日は借りているらしかった。
いつの間にそんな話に……と思いつつ、完全に私人の顔で酒を広げるトビアスらを断る事など出来るわけもなく、ルキウスは久方ぶりにワインに手を伸ばした。
――さて。
ワインを呑んだ三人の誰かが酔いつぶれる、なんて可愛らしい事は特に起こらず。
全員酔って普段よりは意識が浮ついているものの、確かに意識を保ったまま三人での呑みは進んでいた。
ルキウスは(高いお酒は酔いにくいっておっちゃんたちが言っていたのは事実だったんだなぁ)なんて思いながら、今までの人生で呑んできた中で最も高いワインに舌鼓を打っていた。
トビアスは普段からよくしゃべるので酔ってよりしゃべってもあまり違和感はなかったが、オットマーも酔うとしゃべるようになるタイプであったらしく、ルキウスはワインを呑みながらもっぱら二人の話を聞いていた。
ルキウスにとっては、ルイトポルトに次いで、長く知り合った二人である。
実際に一緒にいた時間で考えれば、恐らくルイトポルトよりも二人との時間が最も長いだろう。
年齢も自分より上で、かつ、自分の知らぬ事を教えてくれる存在である二人は、兄のような先達であった。
「……そういえばお二人は、いつから伯爵家に仕えておられるのですか?」
ふと思った事を尋ねると、二人はそろって「最初からだ」と答えた。
ブラックオパールの騎士希望者の大半は、最終的に伯爵家で働くために、小姓や従騎士になりたくて伯爵家の門をたたくのだという。
騎士になるためには、基本的に幼いころから小姓として、騎士の近くでその仕事ぶりを見ながら鍛錬をしなくてはならない。騎士の集まるところに小さい子供や若い人間が意外に多いのは、そういう理由だったと、ルキウスは伯爵家に来てから初めて知った。
小姓から一つ上になれるのが従騎士だ。
従騎士として更に数年鍛錬を詰んで初めて、騎士に叙任される。
騎士というのは簡単になれぬのである。勿論、何事にも例外があるので全ての段階を飛んで騎士になる者もいるが、やはり一般的ではない。もう随分な年齢のルキウスを今更騎士に出来るか、と騒がれたのは、そのあたりの理由がある。
「とはいえ、私が伯爵家で小姓になれたのはトビアスのお陰だが」
とオットマーは補足した。
「いくらブラックオパール家でも、無制限に小姓や従騎士を抱えるわけにはいかない。日常的に抱えきれる騎士団の人数にも限界があるからな。基本的に、代々伯爵家に直接仕えている騎士の家の子供などが優先的に、小姓として受け入れられる。その枠組みで行けば、私の家はブラックオパールの末端も末端の男爵家だったからな。通常であれば、願っても受け入れられなかったはずだ」
「そんな事はないだろうオットマー。君の身体能力の高さは幼いころから有名だったじゃないか」
「見合う師がいなければ、簡単に埋もれる程度さ」
酒のお陰で気分が明るいのか、二人はそろってワハハハと笑った。
一方ルキウスは、オットマーが本来であれば伯爵家で騎士になれない身分の家出身者だった事は分かったが、伯爵家に入れた理由がトビアスであるという点が、未だに分からず首をかしげていた。
一通り笑ったところで、オットマーはそんなルキウスの顔を見て目を丸くする。
「なんだルキウス。お前、もしかして知らなかったのか? おいトービン。お前話してないのか?」
「うん? ……うーん?」
酔っ払いは、気分よさげに首を傾げた。
「おいおい。話してないのか!」
「そういえば話していなかったかもしれない」
ケロッとそう白状するトビアスに、オットマーははあとため息をついてから、ルキウスにトビアスのお陰の答えを教えてくれた。
「トビアスの父親は、先代伯爵の弟だ。つまりトビアスと現伯爵様、メルツェーデス様は、従兄弟にあたる」
「エっ?」
ルキウスは素っ頓狂な声が出た。
「歴史が違えば、こいつはブラックオパール伯爵様だったかもしれない身分という事だ」
「エッ!!??」
さっきよりもっと大きな素っ頓狂な声が出た。
酔っぱらっているトビアスは、ム、と眉を寄せた。
「大げさすぎる、オットマー。そもそも継承順位で行けば我が家より上の人間は沢山いるし、我が家でいっても私より先に兄たちに出番が回ってくる。私にそんな大役は回ってこないよ」
「だから歴史が違えばと言ったろうが。……で、トビアスの母親は私の母親の妹で、私とトビアスもまた従兄弟なんだ。私はその伝手で、伯爵家で騎士になれたというわけさ」
「エッ!?」
「そんなに驚く事かなルキウス。縁故採用なんてありふれているだろう?」
ワインを新たに注ぎながらトビアスはそんな事をいう。
「言えている」
とオットマーも同意した。
「縁故採用、贔屓の出世。どちらもよくある話だ。権力闘争には結局のところ、人間関係での強味が必要不可欠だからなあ。……とはいえ騎士は実力もなければ、簡単に権力が失墜する世界でもあるがな」
「我らが伯爵家は比較的実力重視だからね。本当に実力がない騎士は、いくら重役の親族と言えど、重要職には付けない」
驚きすぎて言葉を失っているルキウスに気が付いていないのか、トビアスとオットマーの語りは続く。
「それに従兄弟だから頼りにしていると、リュディガー様は割と無茶を仰る! 信頼に報いれなかったらどうしたらいいんだ私は!」
「お前はお二人にもよく懐いていたからなぁ」
「目にかける必要もないような隅の従弟であった私にも目をかけてくださった恩がある。恩を返すのは当然だろう?」
「それはそうだとも。我々で言えば、ルイトポルト様を危険にさらしたというのに、挽回の機会まで頂いてしまった。本当であれば親兄弟そろって首はねでもおかしくはなかったんだからな」
「それで言えばルキウスこそ我々の恩人だ」
「ああ確かに」
ぐるりとトビアスとオットマーに見られ、ルキウスは肩を揺らした。
「ルキウスは我らの命の恩人でもある! まさかあの時は、巡り巡ってこうして同僚として並ぶとは思ってもみなかったが」
「いや……その……」
「全くだ。まさか弓の才能があれほどあるとは思いもしなかったが、武の才がある事は良い事だ。とりあえずたいていの男は、剣にしろ槍にしろ弓にしろ、熟練者を見たら軽くは扱えないからな。覚えておくといい」
「はい……」
「それはそれとしてルビーの血族と会った時にしかとした決まりもなしに武勇を競うような事だけはしないようにしておけ」
「は、はい……?」
そんな会話をしている内に、夜も更けていくのであった。




