【88】ピンクサファイア男爵
女性蔑視ぽい発言が多いです。ご注意ください。
「ふむ……ブラックオパール伯爵家か」
ピンクサファイア男爵は、届いた招待状の手紙を見下ろしてそう呟いた。
男爵が暮らす男爵領から、一つ小さい別の貴族の領を挟んだ向こう側にある貴族家である。
地理的な話をすれば、間に小さい山が二つある。
どうやらその伯爵領の中心である領都にて、現伯爵の嫡男が社交界デビューを果たすパーティーが開かれるらしい。
「ふむ。悪くない。ブラックオパール伯爵家主催ならば、多くの家が集まるだろう」
交流が深い家ではないが、領地は近隣だ。恐らくピンクサファイア男爵だけでなく、近隣の貴族全てに招待状が届いているだろう。
何せ伯爵の嫡男の、社交界デビュー。
出来るだけ豪華に行いたいはずだ。
三オパール伯爵家とも呼ばれる三つの伯爵家がトップを務めるオパールの一族は、男爵からすればやや特殊な形の家であった。
ピンクサファイア男爵家は、この国に三つしかない侯爵家の一角、サファイア侯爵家の血を引き継ぐ名家であるという自負が、男爵にはある。
だからこそ、一族を取りまとめる家が三つあり、更にその三つが同じだけ力を持っているだとか、そういう(男爵に言わせれば)訳の分からない形で一族をまとめているオパール家は、異端の家だった。
サファイア一族とは、格が違う。
……とはいえ、現在では一男爵家でしかないピンクサファイア男爵家と、多くの分家を抱えるブラックオパール伯爵家では圧倒的な力の差があるという事は、流石に男爵もよく分かっている。
「旦那様。こちらのパーティーで、是非、我が家の威光を取り戻す一手を打ってはいかがでしょうか」
そう口にしたのは、執事長である。
「そうですわ。多くの貴族が集まるパーティーなのですから、我が男爵家の素晴らしさを他家に見せつけてしまいましょう!」
そう同意するのは、侍女頭である。
両者共に、男爵の父親の代からこの家に務める、忠臣たちだ。きわめて不本意ながら爵位が子爵から男爵に落とされて代替わりしてなお、男爵を主人と崇めて仕えてくれている。
「うむ。確かにそうだな」
と男爵は満足げに頷いた。
「服を仕立てなければな! それにしてもブラックオパール伯爵家の嫡男はいくつだったか?」
「社交界にデビューされるのですから、十二、三ほどかと」
「嫡男は確か、まだ婚約者がおりませんわ。もしかすればパーティーで婚約者を選定するつもりなのかもしれませんわ!」
「ううむ……だがグレートヒェンはデビュタントもしておらん。連れていくわけにも行かない。正妻の座を勝ち取るのは難しかろう」
デビュタントはハッキリとした規定がある訳ではないので、早い子供であれば一桁の年齢でも行う事がある。
とはいえ長子であるグレートヒェンは、まだ社交界に出せるほどの教育が済んでいない。見た目は完璧なピンクサファイア男爵家の姿形なのに、どうにも教育の進みが遅い。
(見た目はよくとも、やはり血に濁りでもあるのかもしれない)
そう思ったが、グレートヒェンを生んだ妾を責めようとは思わない。
断絶寸前であった男爵家に、子を残したのだから。
「では旦那様。グレートヒェンお嬢様を行儀見習いに出すのはいかがでしょう?」
「ふむ。悪くないな。所詮女はどこかに嫁ぐのだから……」
ブラックオパール伯爵家は近隣の中では最も高位の家と言えるだろう。その家で行儀見習いを務めていれば、見た目も悪くないので、もしかすれば妾あたりになれるかもしれない。そうでなくとも、ブラックオパール伯爵家で行儀見習いを務めていれば、結婚させるときの箔になるだろう。
「素晴らしいお考えですわ!」
侍女頭はそう言って、男爵をほめたたえた。
「とはいえ、パーティーに行くのであればアレを連れていくしかないだろう。準備をするように連絡をとっておけ」
アレ、というのは、男爵の正妻である男爵夫人の事である。
男爵からするとできる限り顔も会わせたくない忌々しい相手であるが、グレートヒェンや最近生まれた待望の嫡男の母親である妾は平民で、とてもではないがパーティーには連れていけない。既婚なのに一人で参加すれば妙な目で見られかねないので、パートナーは必須だ。
という事で、男爵はあっさりと夫人を連れていくことを決めた。
「……畏まりました」
不服そうなのは、むしろ執事長や侍女頭である。
(本来、旦那様には、もっと素晴らしい血筋の女性が嫁いでくるはずであったのに……)
という思いが、男爵夫妻婚姻後数十年経ってもなお、消えないのである。
本来であれば、男爵夫人は婚約者候補にも上がらない存在であった。
ところが男爵が若いころ、若い彼の妻の座に無理矢理収まってきたのが、今の男爵夫人である。
しかも男爵夫人の実家は領地も持たないちっぽけな家であり、まともな持参金さえ持ってこなかった。使用人たちからすれば、男爵家に縋りつこうとする、忌々しいネズミである。
とはいえ妾は寝込んでおり、まともなマナーも持っていない平民だ。子を生んだという素晴らしい役目は果たしているが、とてもではないが連れて歩けないのは使用人らも理解している。なので大人しく、男爵の言葉を聞いたのであった。




