【9】ルイトポルト・ブラックオパールⅤ
逃げ出した男を追う! とルイトポルトが強く強く強く主張したので、仕方なしにオットマーも折れ、二人は男を追いかける事となった。とはいえこのような広い森で見失った人間を探すのは難しい。
そこでオットマーは、ルイトポルトから改めて男と会った経緯を聞いた結果、仕留めた獲物を回収するのではと考えた。
何せあの様子だから、町などに行く事は出来ないだろう。恐らく狼を仕留めたのも、食事を得るためだったに違いない。ならばそこに戻るだろうとオットマーは提案した。状況をより正しく言うのならば、それ以外宛がなかったという事情もあった。
そうして馬にまたがり、仕留めた狼の所へと戻った二人は(幸いにも男がルイトポルトのために作った道があったため、来た道を戻るのは容易だった)、そこで異様な光景を見たのだ。
「ルイトポルト様。御無事でしたか」
「トビアス!」
ルイトポルトのもう一人の侍従であるトビアスが、地面にしゃがみ込んで、震える男を慰めるように背中に手を置いているのである。
「いや実は、少し哀れな奴を見かけたようでして……」
「トビアス! その者は私の命の恩人なのだ!」
「なんと」
トビアスは目を丸くした。本心で驚いているようだった。それから口元に手を当てて何かを考えるそぶりを見せる。ルイトポルトは馬から飛び降りて、男に近づいた。
「先ほどはすまなかった。約束した通り、お前を捕まえるような事はさせない、だから安心して欲しい」
ルイトポルトが話しかけるも、男は蹲ったまま動かない。
トビアスはその様子を見て少しだけ首を傾げてから、馬から降りようとしている同僚に声をかけた。
「すまないがオットマー、向こうに私の馬とルイトポルト様の馬を括りつけている。連れてきてくれないだろうか」
「……それは構わないがトビアス。その罪人から目を放すなよ」
トビアスは分かったとばかりに片手を振った。オットマーはため息をつき、二頭の馬を回収するために移動していった。
残ったのはピクリとも動かない男と、困り顔のルイトポルトと、考え事をしているトビアスである。
「トビアス。彼は……彼は優しい人間だと思うのだ。私を気遣ってもくれた。どうか見逃して欲しい。オットマーは彼を捕まえると言って聞かない……」
「この見た目で犯罪者と思うのは致し方ありませんね」
「どうか見逃してやってくれ! 私は、彼と約束したのだ。ブラックオパールの名に誓って、私を町の方へ連れていく代わりに、彼がこの森にいた事も見逃すと……」
「名を……!? ……ルイトポルト様。家名を軽々しく出すのは危険すぎます。今後なさらないでください」
「分かった。約束する。だからトビアス、どうか彼を見逃してくれ……」
ルイトポルトは必死に従者に願った。オットマーとトビアスならば、まだトビアスの方が、この正しいとは言えない選択を受け入れてくれるだろう。
オットマーが帰ってくる前にと焦っているルイトポルトを落ち着かせるように、トビアスは優しい声で言った。
「ルイトポルト様。実はこの男についてご相談があるのです」
「相談?」
「はい。どうにもこの男、どこかの町で冤罪をかけられて逃げてきたようなのです」
「何だと! 本当か?」
「勿論、話している内容が真実であれば……ではありますが。その罪も、私が聞き出した限りでは、人殺しや窃盗のような物騒なものでもありません。この者がルイトポルト様の御命を救ったのであれば、何かしら礼をしてやる事ぐらいはしてやってもよいのではないかと思うのです」
「勿論だ!」
ルイトポルトは喜んで頷いた。男は蹲ったまま、動かない。
戻ってきたオットマーはトビアスとルイトポルトの話を聞き、強く反対した。
「その男が真実を語っている証拠がどこにある!」
「勿論嘘の可能性もあるだろう。だが、親の骨を後生大事に抱えているような者が、自分本位に悪事を働く者だとは私は思えん」
「お前は人が好すぎるのだ。この世には骨の髄から嘘吐きな者とている。こんな怪しい風貌の者をルイトポルト様に近づけるなど……」
「屋敷に連れて行く間は私が責任を持つさ。少なくとも、この者がいなければルイトポルト様の御命が危なかったのは事実だろう? それに対する礼をするぐらいはしてやらねば、ブラックオパール家は恩を仇で返すと言われるかもしれんぞ」
「オットマー! 頼む。お父様やお母様への説明は私がする。私は命の恩人を、そのまま放り出すような事はしたくはない!」
二対一の説得に、いやいやオットマーは折れた。
そうしてオットマーの馬にオットマーとルイトポルトが、トビアスの馬にトビアスとこの男が乗って移動する事となった。男は動かそうとすると骨を守ろうとばかりに身を固くするので、オットマーがため息をついて荷物入れを明け渡した。ギリギリの大きさではあったが、人間二人分の骨が――トビアスが聞いた限りでは男の両親の骨が――しまわれて、やっと男はふらりと起き上がった。
男は両親の骨を胸に抱き、項垂れていた。彼の周りで聞こえていた会話は何も彼を責め立てるものだけではなかったはずだが、トビアスによって馬に乗せられて移動する事となった男は、処刑台に連行される罪人のようであった。