【80】ゼラフィーネ・ブラックオパール
無駄に長い。女の過去回想的な回。ダラダラと語っている。
――ゼラフィーネ・ブラックオパールは、ブラックオパールの一族出身の男性と、ファイアオパール一族出身の女性との間に生まれた女性であった。
父は兄弟との折り合いが悪く、ブラックオパール側の親族との付き合いは最低限にしていた。故に、ゼラフィーネはブラックオパールという家名であるが、親族らしい親族は殆どがファイアオパールの者であった。
仲良くしていた従兄弟も、よくしてくれた伯父も、全て母方の親族ばかりだ。
周りが赤やオレンジの髪色の中、ゼラフィーネだけが黒い髪である事に、幼いころは劣等感もあった。だが幸いにも、ブラックオパール一族の髪の特徴である黒に混じる色が、ゼラフィーネは赤系の色であった。故に、その色彩に親しい親族たちとの繋がりを感じて、幼いゼラフィーネは嬉しく思っていた。
成長したゼラフィーネは、偶然に偶然が重なって、ブラックオパール伯爵家――つまり、総本家で働く事が出来るようになった。
元々は、総本家で働く事が出来るか怪しい立場であったゼラフィーネだが、一族内のゴタゴタの結果、ブラックオパールの親族との関りが薄かったが故に、ゼラフィーネに「伯爵家で働かないか」という話が舞い込んできたのだ。
父が死ねば貴族ではなくなってしまうが、伯爵家で働けば、父の死後も働き続けられるだろう。また、万が一伯爵家を辞める事になったとしても、その後どこか別の家で働くにしろ、箔がつくのは間違いない。ゼラフィーネは喜んで伯爵家で働き始めた。
その後のゼラフィーネの生活に特筆すべき事は特にない。下の立場から少しずつ経験を積み、だんだんと後輩に教えるような立場へと出世していった。
その間、何度か伯爵家で働く他の使用人の男性と良い仲になった事もあったが、最終的には結婚するには至らなかった。
そうしている間もファイアオパール家の親族とも関りが続いていたが、伯爵家で働く者の常識として、伯爵家の情報を外に漏らすような真似はしていない。それは侍女として、当然の、常識だった。
出戻って来たメルツェーデスに対しては、正直、あまり良い印象がなかった。
ファイアオパール伯爵(当時はまだ次期伯爵だったが)に嫁いで、数年彼に守られておいて、けれど、子を成すという一番大事な仕事が出来なかったのだ。
他の仕事をどれだけ成そうが、子を作るのが貴族夫人の最大の仕事だ。ゼラフィーネはそう思っている。
それが出来なかったのに、実家からも特に責められる事もなく戻ってきて、出戻りの癖に兄や義姉からもあっさりと受け入れられて、使用人たちも優しく接している。
そのうえ、自分の子を生んだこともない癖に、次期当主であろうルイトポルトの子守までしていた。
とはいえ、自身の好悪と仕事とは別である。ゼラフィーネは公私は割り切り、あくまでも仕事としてメルツェーデスに接していた。その態度のせいでメルツェーデス付きの侍女になってしまったと知った時は、過去の己の行動を失態だと思ったものだった。
だってメルツェーデス付きの侍女なんて、これ以上の出世が殆どないようなものだ。
当主である伯爵夫人ヴィクトーリア付きの侍女であれば、更に出世も見込めるだろう。他所で働く事になる時も、当主夫人の元で働いていたなんて、と尊敬の視線を集めるに違いない。
だがメルツェーデスは、貴族夫人としては失点の方が多い女性である。
今後、どこかに嫁ぐ事が出来るかも怪しい。嫁ぐとしても政略でどこかの家の後妻として嫁ぐぐらいだろう。
他所で彼女に仕えているなんて言って、前向きに考えてくれるのはブラックオパールの一部だけだ。ファイアオパール側には全く誇れない。
不満は多かったが、それでも、ゼラフィーネは不満を押し込めて、公私を混ぜず、仕事を行った。
メルツェーデス付きの侍女になったなんて恥ずかしくて親族には口が裂けても言えなかったが、どこからかは漏れていたらしい。久方ぶりにあった親族に「お前はメルツェーデス・ブラックオパール殿の専属侍女なのだろう?」と言われた時は羞恥で顔を真っ赤にしたが、そんなゼラフィーネに親族はつづけたのだ。
「頼みがあるんだ。ブラックオパールで働くお前にしか頼めない」
それは、バルナバス・ファイアオパール子爵令息とメルツェーデスを結婚させるための策略であった。
最初は断った。いくらなんでも、成功したならばともかく、失敗した場合のゼラフィーネの立場が無さ過ぎたから。
でも、何度も説得される内に、考えが変わった。
メルツェーデスがバルナバスと結婚すれば(何故そこまでバルナバスがメルツェーデスを求めているのかは、ゼラフィーネは全く知らないが)、メルツェーデス付きの侍女たちは解散するだろう。中にはジゼルのように結婚してもついていくと動く奇特な侍女もいるだろうが、付いていく事を希望しなくてもおかしくない。
つまり、合法的にゼラフィーネはメルツェーデスから離れる事が出来る。
しかもバルナバス・ファイアオパール子爵令息は、ファイアオパール一族の中でも名の通った令息の一人だ。彼に嫁ぐのは、メルツェーデスからすれば名誉な事でもあろう。まあ、子が出来ぬ体なので、そう遠くない未来にバルナバスは愛人を抱える事になるだろうが。
(けれど、ファイアオパールとブラックオパールの間に自分のせいで入った亀裂を多少なりとも埋める事が出来るなら、あの女は喜んで嫁ぐはずね)
常々、ブラックオパールの利になるように動きたいという女である。
バルナバスからの恋文を届けるようにし始めればすぐに求婚を受け入れる。
――かと思ったが、驚いた事にメルツェーデスは拒絶を繰り返した。
(ふざけないでよ。求婚を受け入れてくれないと、私はいつまでたってもメルツェーデス付きから解放されないじゃないッ!)
正攻法では受け入れないと分かり、バルナバスが狩猟祭に参加して優勝することで求婚し、断れなくする作戦が立てられた。
バルナバスが誰よりも立派な獲物を仕留めてきたことでゼラフィーネは彼の勝利を確信した。――ところが、ルイトポルトが数年前に拾ってきた身元不明の平民が、聖話や神話にしか出てこないような巨大な肉食ペリカンを仕留めてきた事で、バルナバスは優勝出来なくなった。
今後の予定など聞いていないゼラフィーネの元に、ファイアオパールの者から連絡が届く。
――後夜祭にて二人を引き合わせる。
所謂、既成事実を作る事を決めたらしい。
その既成事実がどの段階まで行われるかはゼラフィーネは知らないが、ともかく、ゼラフィーネは後夜祭での警備の動きを把握した。そして後夜祭が始まり、メルツェーデスが会場から出てきて休憩のために部屋に行ったと情報がゼラフィーネの耳に届く。それとほぼ同時に、どこから聞いたのか、ファイアオパールの男たちが数人、ゼラフィーネとの合流地点にやってきた。
彼らを部屋のすぐ傍まで案内して、ゼラフィーネはその場を離れた。あとは明日の朝には――。
……なんて、ゼラフィーネの望んだ朝は、二度と来ないのだ。
「…………」
多くの者が、ブラックオパール本邸へと帰っていく中、ゼラフィーネは監視役の騎士や監視兼世話役の数人の侍女と共に、狩猟祭開催地の屋敷に残っていた。
彼女のいる一室にはシンプルな造形の椅子と机しかなく、何かしらの小物も一切ない。
ゼラフィーネの恰好もシンプルなワンピース一枚になっていた。普段袖を通していた侍女の制服は、既に取り上げられている。
窓のない部屋の中で、ゼラフィーネは何をするでもなく椅子に腰かけ黙っていた。
「…………」
既にすべて自白した。もう逃げられない事をゼラフィーネは理解していたからだ。隠し事をして、自分に利がある事は何もない。
だがそうした理由よりも――何もかもただ吐き出したくなったから、ゼラフィーネは自白したのだった。自分の中に様々な隠し事を持ち続けるのは酷く苦しかった。
――自白の後、主人であったメルツェーデスが部屋にやってきた事を思い出す。
メルツェーデスは既に自白した事を、もう一度聞きたがった。他人から聞くのではなく、ゼラフィーネの口から直接聞きたいと言ったのだ。
だから言ってやった。全て。
「バルナバス様が石女なんかを欲しがったのよ? 喜んで受け入れればいいものを、どうして拒絶なんてしたのよッ!? 男を選べる立場でもないでしょうに!」
メルツェーデスが傷付いた顔をすれば、少しは気が晴れただろう。
実際、メルツェーデスの後ろに控えていた元同僚の侍女は、ゼラフィーネの言葉に怒りを覚えて顔を赤くしていた。
だがメルツェーデスはゼラフィーネの言葉を受けても表情を変えず、部屋に入ってきたときと同じ、少しだけ悲しそうな顔をしたままだった。
「そう。分かったわ」
メルツェーデスはそう答えて、部屋から出ていった。文字通り、ゼラフィーネの言葉を聞きに来ただけのようであった。
ドアが閉まる。
仕えていた主人の姿は見えなくなった。




