【8】トビアス
ルイトポルトの侍従の一人であるトビアスは、主人の行方が分からなくなった後、同僚のオットマーと二手に分かれて主人探しを開始した。森の中を動き回っていた彼は途中で何故か背中が空となったルイトポルトの愛馬を発見した。なんとか宥めて落ち着かせたものの、その馬の様子を見たトビアスはルイトポルトが心配でたまらなくなった。
何せルイトポルトの愛馬は傷だらけだった。体中に噛み傷や引っかかれた跡があり、血が垂れている。
愛馬がこの様子なのだ、ルイトポルトだけが無傷とは思いにくい。
自分の馬にまたがり、から馬をひきながらトビアスは森の中を歩き回る。取り敢えずから馬が逃げてきた方向へと向かう。そちらから逃げてきたのなら、ルイトポルトもそちらにいるかもしれない。
「頼むから無事でいてください……」
ルイトポルトの無事を祈りながら歩いていたトビアスだったが、ある位置より先に進もうとすると、から馬が異様に先に進む事を嫌がった。という事は、ここから先に馬が傷だらけになった原因がいるという事だろう。
トビアスは自分の馬から降り、二頭の馬が逃げぬように手綱を木に括りつけ、先に進んだ。
音がする。
自然な音ではなく、何かを切っているような音だ。
そっとトビアスは音の発生源へと近く。手は勿論、腰の剣をいつでも抜けるようにしている。
長く伸びた草と木々の向こうで、幾体かの野生動物が死んでいる。狼らしい。あの馬を襲ったのは狼かと認識したトビアスだったが、それ以上に彼の目を引くものがそこにいた。
人間――の、はずだ。多分。一見、伝説の魔物か何かかと思ったが、トビアスが見る限りは成人男性だ。背中に謎の壺らしき入れ物を背負った、ともかく毛むくじゃらの人物が、狼を解体している。
(狩人には見えない。浮浪者か?)
周囲にはルイトポルトがいる気配は、ない。
あの浮浪者はたまたま、死んだ狼を偶然見つけて肉や皮などを手に入れようとしているだけだろう。だが微かとはいえ、彼が狼が死ぬ場を目撃している可能性もある――。
少しだけ悩み、トビアスは立ち上がった。
「おい! お前! 聞きたい事がある!」
トビアスに突然声をかけられた浮浪者は飛び上がった。正面から見たが、髪も髭も手入れなどまったくされておらず、顔色をうかがう事は難しい。だがその挙動から、浮浪者が驚いた事だけはよく分かった。
トビアスは草をかき分け、浮浪者へと近づく。
「私は怪しい者ではない。ブラックオパール家に仕える――」
そこまで言った瞬間、立ち上がっていた浮浪者はふらつきながらもトビアスに背を向けて、逃げ出そうとした。
「おいっ、待てっ」
トビアスがそう声をかけるが、彼が実力行使をする必要はなかった。
慌てた浮浪者は木の根に盛大に足を取られてこけたのだ。その拍子に浮浪者の体に固定されていた紐が切れ、背中から壺が転がり落ちた。
ガシャン。
哀れな音と共に、地面に落ちた壺は割れた。その中から出てきた物にトビアスは息をのむと同時に警戒から、剣の柄を握りしめる。
壺の中身は骨だ。しかも見る限り、人骨で、結構な量が入っていた。ごろりと転がってきた髑髏と、目が合う。
(人殺しか!?)
だとしても自分が殺した相手の骨を持つなんて、異常だ。浮浪者への印象がガラリと変わる。
そう考えたトビアスだったが、次に飛び込んできた情報はまた、浮浪者の印象を変えるものだった。
「父さんっ、母さんっ」
浮浪者は壺が割れた事に悲痛な声を上げ、地面に散らばった骨に覆いかぶさったそれは骨を見せないようにしようとした――つまり犯罪の証拠を隠そうとした行為というよりは……大事な物を敵から守ろうと行動する人間の動きだった。
必死に骨を自分の下に隠した後、蹲ったまま、浮浪者は黙ってしまった。
どうしたものか、トビアスは困り果てた。彼にとって一番重要な事はルイトポルトを探す事だ。
だが、騎士としてこの浮浪者を放置するわけにもいかない。
暫くして、浮浪者の体が震えている事が分かった。その震えが涙から来るものだと言う事が、更に少し経ってから分かる。
「何したってんだ、おれが、おれがなにしたってんだ……おれはなにもしてない、なにもしてない……」
浮浪者の声は不自然にしゃがれていた。喉を余程酷使したか、何かで潰したのかもしれない。涙ぐんだ声で、浮浪者はひとりごちる。
「おれはなにもしてねえ……なんで、なんでだれもしんじてくれねぇんだ……」
恐らくトビアスに向けた言葉ではない。ただただ、儘ならない現状を嘆いているだけなのだろう。
(どうしたらいい……?)
本当に困り果てたトビアスは、遠くから救いの声が響いているのに気が付いた。人間の声だ。そして、一つは同僚のオットマーで、もう一つはルイトポルトの声だ。
(ルイトポルト様は無事か!)
これで懸念が一つ解消された。最優先事項がなくなった事で、繰り上がった次の問題として、目の前の浮浪者が残った。
トビアスはお金も好きだし女性も好きな、どこにでもいる普通の男だ。
同時に騎士である。騎士として、ブラックオパール家に忠誠を誓っている。
彼が騎士になったのは幼い頃、人を助ける騎士の姿に憧れを抱いたからだった。
トビアスは浮浪者のすぐ横で、しゃがみ込んだ。浮浪者は顔を上げる事もなく、ただ動きを止めている。このままトビアスが首を落とそうとしたり胸を突こうとすれば、簡単にそう出来てしまうだろう無防備な姿だった。その背中には、濃い諦めが見える。
「何があったんだ?」
浮浪者は動かない。
「教えてくれ。何もしてないと言うという事は、何かをしたと言いがかりをつけられたという事だろう」
浮浪者は動かない。
「人を殺したか?」
浮浪者は首を振った。
「物を盗んだか?」
浮浪者は首を振った。
「金は関係あるか?」
浮浪者は首を振った。
まあ金が関わるなら窃盗にも関係しているから、強い否定の様子から違うとは思っていたが。
「ふむ……殺人でも窃盗でもないか……他に親族と逃げ出さねばならないような罪……。…………貴族に何かしたか?」
浮浪者は首を振った、が、その体が身を固くしたのにトビアスは気が付いた。
何かしら貴族は関わっているようだ。
「貴族の怒りを買ったか」
浮浪者は首を……振った。これまでとの速度の違いに、その考えが完全には否定しづらいものだったと理解できた。
(貴族の怒りを買ったわけではないが、貴族は関係している? 間接的に貴族に怒りを買いかねない事をしでかして、周りからはじかれたか?)
町も村も、その共同体が一つの生き物のような所がある。彼らの中には守らねばならない規則があり、その規則を犯すものや共同体そのものを危険に陥れるようなものは、弾かれる。
「町だか村だかの住民に追い詰められたか?」
浮浪者は動かない。実質的に浮浪者を犯罪者だと叫んだのは、その町の人間で間違いないようだ。
人殺しでもない、金でもない、そのほか物を盗んだ窃盗でもない。そして貴族の怒りを何かしら間接的に買うような行為で、周りの人間から一気に批判される事……。
自分で質問しながら、難しいなとトビアスは思った。
殺しでなく金も関係なく窃盗ではない。他に回りから責められかねない事。
「女か?」
浮浪者の体が跳ねた。だが首を横に振る事はなかった。
(女かぁ。愛憎関係は面倒だぞぉ)
とはいえ、ここまで聞き出しておいて後は知らんと捨てる事などは出来ない。
「なあ」
浮浪者の背中に手を置いて、トビアスはその背を横に揺らした。
「お前の事情、ブラックオパール様に話してみないか。伯爵様と直接は話せんだろうが、お前が本当に何もしていないというのなら、助けて下さるかもしれんぞ」
浮浪者は、何も言わなかった。