【67】狩猟祭Ⅸ
「なんだあれは」
「巨大肉食ペリカン……?」
「魔物だ、魔物だ……!」
「え。ファイアオパールの騎士が連れてきたのがそれではなかったのか?」
「馬鹿。あの大きさを見て、こっちが偽物と思えるか?!」
「どうやって仕留めたんだ……?」
「仕留めたのは誰なんだ!」
「周りで運ぶのを手伝っているのは、伯爵家の騎士たちだぞ」
「ならば騎士の誰かが仕留めたのか?」
他の貴族たちから、そんな無数の声が上がる。
己の天幕で悠々と時間終了を待っていたバルナバスは、人を押しのけて前に出て――言葉を失った。
まるで一つの切り倒した木を運搬するが如く、巨大な肉食ペリカンが運ばれていくのを見てしまったからだ。
「……ばか、な」
己が仕留めたあの大きな肉食ペリカンが、平民共の騒ぐ巨大肉食ペリカンだと彼は信じていた。ところがどうだ。それとは比べ物にならないほどに……大きな肉食ペリカンが、運ばれていく。今目の前を運ばれていく肉食ペリカンと比べれば、バルナバスが仕留めた肉食ペリカンなど、子供でしかないだろう。
今人々の関心は二つ。
一つはこの巨大な巨大な肉食ペリカンを仕留めたのは誰であるかという事。
もう一つは、その仕留めた人物は誰のハンカチーフを持っているかという事である。
肉食ペリカンは真っすぐに、主催者であるブラックオパール伯爵家の天幕に向かっていく。
父に言われた事を守り、席に座していたルイトポルトだったが、運ばれてくる肉食ペリカンの大きさにまず驚いて歓声を上げ、そして――その太い太い首の下にくたびれた様子のルキウスがいる事を見つけた。
しかしそこでぬか喜びはしなかった。ルイトポルトは必死に、メルツェーデスのハンカチーフを探した。あの肉食ペリカンを仕留めたのがルキウスであれば、必ずそのハンカチーフを付けているから。
ハンカチーフは、すぐに見つかった。トビアスが抱えて持っている、大きな肉食ペリカンの嘴。その先に、黒く染められて青い刺繍が施されたハンカチーフがあった。
そこまで確認してから、ルイトポルトは席から立ち、喜びの声を上げた。
「ルキウスだ! お父様、あの肉食ペリカンを仕留めたのは、私の従僕のルキウスですっ!」
ルイトポルトの言葉に、伯爵家の天幕周りに集まっていた他の騎士や使用人たちも、勢いに飲まれて天幕の外に出て、ルキウスの姿を認めて次々に歓声を上げる。
「ルキウスだ!」
「なんて奴だ……!」
「イザークの奴、なんでこの場にいなかったって死ぬほど悔しがるぞ!」
「すごい男だよ!」
そんな様々な賛辞が飛び交うなか、メルツェーデスはゆっくりと立ち上がり、歩いていき、揺れる瞳で己のハンカチーフを持っていた男を見つめていた。
ルキウスの目は誰かを探すように揺れ動いて、メルツェーデスを見つけた途端にピタリと動かなくなった事に気が付いた。
やっとの事でメルツェーデスの前に来たルキウスは、横に控えているオットマーに背中を押されて、肉食ペリカンの下から出てきた。
騎士たちが肉食ペリカンを地面に下ろす。
数秒、よく分からない沈黙が場に満ちた。
人々はルキウスが絵本の騎士の如く跪いたりするのを期待していたが、頭の中が殆ど真っ白のルキウスに周りの雰囲気からそれを察してその行動をしろというのは、酷な事であった。
「……」
次をどうしたら良いのか、固まるルキウスにオットマーが小声で囁いた。
「片膝をついて、頭を垂れるんだ。それから、メルツェーデス様にこの獲物を捧げますと言うんだ。メルツェーデス様の事は家名まで含めてな」
言われるがまま、メルツェーデスの方を向き、ルキウスは片膝をつく。そして頭を垂れ、掠れた声で告げた。
「メルツェーデス・ブラックオパール様、に、この獲物を、捧げます」
その一言で、人々は騎士らしい恰好をしていないその男が獲物をしとめた人であると理解した。
日常であればこんな恰好で貴人の前に出る事は許されないが、本日は狩猟祭。素晴らしい獲物を仕留めてきた者の恰好その他にケチを付ける事が出来る者はいない。
ルキウスの、(ほぼ返り血のみだが)血に濡れてボロボロな恰好も、普段より掠れた声も、激しい戦闘があった事を印象付けた。
彼の傷その他は勲章として人々の目に映り、受け止められた。
「ルキウス。ハンカチーフをメルツェーデス様に返すんだ」
跪いているルキウスに、斜め後ろからトビアスが声をかける。ルキウスは立ち上がって良いのか不安がって周囲を見たが、オットマーや他の騎士たちも頷いてきたので恐る恐る立ち上がり、トビアスが差し出してきた嘴の中から、メルツェーデスのハンカチーフを取り出した。
ハンカチーフはハッキリいって、巨大な肉食ペリカンの唾液や血がまざっており汚い状態だ。
それをメルツェーデスに渡して良いものか躊躇っていると、いつの間にか銀の盆を持ったジゼルがメルツェーデスの少し前に進み出て、ルキウスに対して盆を差し出してきた。
「ハンカチーフをお返しいたします、と言うのよ」
ジゼルは器用にも出来る限り口が動かないようにしながら、ルキウスに次の行動を教える。
「ハンカチーフを…………お返し、いたします」
ルキウスは言われるがまま、銀の盆の上にハンカチーフを置いた。
ジゼルがそれをメルツェーデスに見せると、彼女は頷いた。間違いなく己のハンカチーフであると認めたのだ。
ハンカチーフを持ったジゼルはすぐにトビアスの方へ行き、トビアスは先ほど同様に牙にハンカチーフを結びつける。
その行動をぼんやり見つめていたルキウスだったが、オットマーが喉を鳴らして己に注意を引き、その後顎でメルツェーデスに向き直れと指示を出した。
メルツェーデスに再び向き直ったルキウスは、とりあえず膝をついた。この態勢であればとりあえず、失礼はないと思ったからだ。そんなルキウスを見ながらメルツェーデスは微笑む。
「よく……よく戻りました、ルキウス。無事に戻ってくれた上……これほど素晴らしい獲物を仕留めた貴方を、わたくしは誇りに思います」
わあっ、と歓声が上がる。
誰も文句など言えない、此度の狩猟祭の優勝者が決まった瞬間であった。