【39】メルツェーデス・ブラックオパール
「メルツェーデス様っ、捨ててしまいましょう、このような物っ」
不機嫌さを隠しもせず、ジゼルがいう。そんな侍女を、メルツェーデスは諫めた。
「そんな訳にはいかないわ。ジゼル、返信を送るから紙の用意を」
ジゼルは不服そうな顔をしながら、部屋から出て行った。
本来であればあそこまで感情的になるのは侍女として宜しくない事だろう。だがメルツェーデスの心情を思って怒った侍女を咎めるなんて事は出来なかった。
手紙の最後に書かれた、名前を見る。
バルナバス・ファイアオパール。
彼はファイアオパール子爵家の嫡男という立場の男で、メルツェーデスもよく知る相手だ。
年が近かった故、貴族学院でも何度も話す機会があったが……何故か最近、彼から手紙がよく届く。その多くは所謂恋文であった。文面は読むだけで恥ずかしくなるような、とても熱烈なものである。
どうやらバルナバスは詩の才能があるようだ。もしこのような手紙が、まだ若く、未婚の頃に届いたのならば、期待に胸を膨らませたかもしれない。
だがメルツェーデスはそのような身の上ではない。
「……どうしてわたくしのような、出戻りの女を求めるの?」
そう。メルツェーデスは、一度結婚し、そして実家に戻された女だった。
「理解出来ない。わたくしと結婚することによって得られる利より、不利益の方が多いはず……」
傍から見れば、ただの恋文。
ただメルツェーデスも、その内容を共に確認しているジゼルも、全く文面を信じていなかった。
「ファイアオパールは……一体何を考えているの」
ファイアオパールは、ブラックオパールと同じオパール一族の内の一つだ。
――三オパール伯爵家の初代は、三つ子だった。
彼らはそれぞれ伯爵家を建て、オパールの一族の始祖となった。
今日、思想の違いにより『穏健』のブラックオパール、『過激』のホワイトオパール、『中立』のファイアオパールと呼ばれる三つの伯爵家が、その家である。
共に生まれた故に三つの一族は対等であり、オパールの行く末を決めるためにはそれぞれのトップたる、三つの伯爵家の長が話し合わなくてはならない。
たとえ意見が異なったとしても、完全に道が別たれる事はない。
三つ子の初代を持ったが故に、オパールの運命は共通となった。どこか一つが滅びれば、他のオパールは道連れとなる――。
そのような言葉が先祖代々引き継がれており、オパールの一族はその言葉を守り続けている。
それでも三つの家は思想に大きなへだたりがあるのも事実であり、長い歴史上、相争ってきた事も少なくなかった。
特に、メルツェーデスから見て祖父母の代は、その争いが酷かったようだ。
その争いに疲れたのが、メルツェーデスの父母の代。彼らは結託し、三つの家の結束を強めようとした。
それによって行われたのは、三家の中で子供たちを結婚させるという、古来より幾度となく行われてきた政略結婚だった。
まるで示し合わせたように、当時の三オパール伯爵家には息子と娘が一人ずついた。故に三伯爵家の娘たちは、回すようにして別の伯爵家に嫁ぐ事になった。
『中立』のファイアオパールの令嬢は、『過激』のホワイトオパールの嫡男の元へ。
『過激』のホワイトオパールの令嬢は、『穏健』のブラックオパールの嫡男の元へ。
そして『穏健』のブラックオパールの令嬢であったメルツェーデスは、『中立』のファイアオパール伯爵家の嫡男の元へ。
だが――メルツェーデスは、貴族夫人として最も重要な仕事を果たせなかった。
「離縁してくれ。メルツェーデス」
そう夫に……元夫に言われ、メルツェーデスは何も反抗なんて出来なかった。
自分のせいで、彼を困らせていたと知っていた。
彼は、義父母やその周りの声を自分に聞かせないようにと、出来る限りしてくれていた、優しい人だった。
自分がこのまま正妻の座に居座っては、彼の人生を苦しめるだけだと、分かっていた。
恐らく貴族女性にとって、最も不名誉な理由での離縁、出戻りだった。
普通であれば家に帰る事すら許されなかったかもしれない。実際、一族内でそういう提案があったと、メルツェーデスは知っている。
それを止めたのは義姉だ。
義姉は疎ましいはずの義妹が家に戻ってくる事を許容してくれた。お陰でメルツェーデスは家を追い出される事なく、実家で兄夫婦の手伝いをしながら、甥を慈しむという生活が出来ている。
「……ともかく今は、わたくしの事よりも、ルイトポルトの事だわ」
今度の狩猟祭は、ルイトポルトにとっては社交界デビューに等しい。つまり、これからは一人の貴族令息として見られる事になるのだ。
失敗は出来ない。
狩猟祭にはブラックオパールの一族が皆こぞって参加する。跡取りであるルイトポルトに近づきたいという側面もあれば――自分たちの上に立つ立場として、ルイトポルトが相応しいかと見定めるという側面もある。
勿論、兄も義姉も、息子の初めての狩猟祭のために沢山準備をしている。自分が何か大きな事をする必要はないと、メルツェーデスは弁えている。
だが可愛い可愛い甥のデビューだ。出来る限り助けてあげたいと思うのは、当然の事だとメルツェーデスは思う。
そんな事を考えながら、メルツェーデスはジゼルが持ってきてくれた返信用の紙に文字を綴った。
既に何度も送っている、失礼にならないように気を付けた、お断りの文を。
次回の更新はいつもより遅くなります(ゴールデンウィークのため……)




