【35】数年後
二章です。前回のルキウスたちから少し未来に飛んでいます。
「ルキウス殿~! 助けてくれっ!」
屋敷の外で籠に入っていた荷物の運搬をしていたルキウスは、振り返った。
バタバタと走ってくるのは、最近入ったばかりの新人の使用人たちだ。手には山ほどの荷物を持っている。先頭の一人が荷物を抱えたまま走るので、腕からぽろぽろと落ちている。それを、後ろを走る同じく新人の使用人たちが器用に地に落下する前に回収しているようだった。
話が長くなるかもしれないと、彼らが自分の所に到着する前に籠を置いた。
「ど、どうしたらいいんだ?! どこに届ければいいんだぁ……!」
泣きついてきた新人たちに、ルキウスは困ったように眉を寄せた。ゴホゴホと、咳き込んで、少しの間、アー、アーとガラガラの声を出した。
数年前のある騒ぎで一度声が出なくなってからというものの、暫くの間は声が出ないまま日々を過ごしていた。無理して使わないようにと指示されたのを守ったからか、数か月後からは少しずつ声が出るようになったのだが、綺麗な声で喋るには声出しをする必要がある状況になっていた。
声を整えてから、ルキウスは新人たちが持つ荷物を見る。
「殆ど、騎士団の方々にだろう。あと、こっちの箱の中身は、たぶん料理人宛」
「き、騎士団の、どこに!?」
「正確なのは、分からん。指示、最初に受けただろう」
新人たちが必死に目で会話をし始める。お前、覚えてる? 覚えてない。お前は? なんで覚えてないんだよ! とお互いに責任転嫁しているのが目に見えて、ルキウスは溜息をついた。
「矢は、間違いなく、弓兵隊、だから…………そこに届けて、から、全部回るしか、ない」
「ま、間違えたら怒られるのでは……」
「指示を忘れたんだ、諦めろ」
そんなぁと泣き言を言ってくるが、最初に指示を受けた時に聞き返しておかなかったり、メモを取らなかった彼らが悪いのだ。
ルキウスに泣きついてきているのは、彼がよく荷物を運ぶ雑用をしているからだろう。確かにある程度、ルキウスは新人たちの持つ荷物をどこに運べば良いのかという予想を立てる事が出来る。だが教える心算はなかった。
ルキウスがしている荷物運搬は、ルキウスの善意と担当部署の人間の許可を得て行っている事だ。ルキウスが運ぶ必要は別にない。だが新人がしている荷物運搬は、この屋敷に来たばかりの人間にやらされる仕事の一つである。
簡単に言えば、どこで誰がどんな仕事をしているのか。そういう、全体の様子を見させるのだ。
働き始めでは正直な所、運ぶのに必死で仕事の流れなんてものは分からないと慣れた者たちは笑う。だが最初に色々な所に物を運び、どこでどんな物をよく使うのか、誰が必要としているのか、いつ頃までにないと困るのか……そういう事を見た経験は、時間経過と共にだんだんと意味を発揮してくるものだとも笑っていた。そういう経験を生かしていける者は出世するし、荷物運搬すら出来ないようでは、そのうち使用人としては最下層である下男・下女の仕事しか任されなくなるだろうと。
普通の流れでこの屋敷に来たわけではないルキウスは経験していないが、させなくてもルキウスは色々な仕事を手伝っていた。本来はそれも規律違反なのでよろしくなかったが、当時は立場が不安定なルキウスがしている事なので、と見逃されていたのだった。
ともかく、これは新人が乗り越えなくてはならない案件である。騎士たちもよほど機嫌が悪かったりしなければ、尋ねれば普通に答えてくれるはずだ。
「早く行った方が良い。午後になれば忙しさが増してくる所もあるぞ」
ルキウスの言葉に、新人たちは泣きそうな顔をして走り出していった。それを見送りながら、ルキウスも自分が請け負っている仕事を終わらせようと、荷物を抱えなおした。
歩いて行った先は、洗濯を請け負っている下女たちがいる小屋の傍だ。
「シーツだ」
「ああ、ルキウスさん。また持ってきてくださったんで? いつもの所においとってください」
持ってきた物を告げれば、顔見知りの下女の一人にそう言われた。ルキウスも慣れた様子で持っていた籠をシーツの類を置くところに置く。
「ルイトポルト様の、部屋に帰る。持っていく物が、あれば、運ぶが」
「はい!」
山盛りの布を洗っていた下女たちが声を上げた。二人が作業から抜け出ていき、小屋の中にしまわれていた、既に乾かし終わった洗濯物が入った籠を引っ張り出してきた。
残りは自分ですると手で止めて、ルキウスは籠を持ち上げた。
帰る途中、屋敷の中から見えた外で、何やら騎士と先ほどの新人たちが話し込んでいるのが見えた。無事に仕事が終わると良いが……と心の中でおもいつつ、ルキウスはルイトポルトの部屋へと移動していった。
ルイトポルトの部屋には、ベッドメイキングや掃除をしているメイドたちがいた。
彼女らに乾かし終わって帰ってきたシーツや服を託した所で、ドアをノックする音がして、振り返る。
「ルキウス殿。悪いがこちらに来てくれ」
「はい」
ルキウスがこうして、人手不足の所から呼ばれる事はよくあった。余程規模の小さい家でもない限り、貴族の家では使用人たちの役割はそれぞれ分かれている。なので色々な所から呼ばれて手伝う使用人というのは普通存在しない。その点、ルイトポルト付きの従僕であるがルイトポルトから許可を得て、暇なときはどこかの手伝いをしているルキウスという存在は、ブラックオパール伯爵家で働く使用人たちからは「ちょっと困った時」に呼べるお助け役として重宝され、親しまれていた。
一日の仕事を終えて、下人棟の一室に帰ってきたルキウスは、従僕の制服から寝間着に着替えた。
ちらりと、壁際にある棚の上を見る。棚の上には、両親の骨がまだ鎮座していた。
伯爵領でルキウスという名の平民となってから、数年の月日が過ぎていたが、平民の身分を得た時に秘密裡に約束されていた“墓を与える約束”はまだ果たされていない。ブラックオパール家が約束を忘れている訳ではなく、それに相応しい成果がないからだ。成果がないとすれば、勤続年数が長い事による褒賞として与えるしかないが、歴史の長い伯爵家では二十年、三十年、四十年と働いている者が多い事を考えれば、たった数年しか働いていないルキウスに墓を与える事は難しいのは当然の事であった。
ごろりと固い布団に横になる。
片側しか視界がない生活にはとっくに慣れている。それでも時折、なんだか空しくなることがあった。その理由が何なのか……ルキウスは考えないようにして、眠りに着いた。




