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妻が貴族の愛人になってしまった男  作者: 重原水鳥
第一粒 妻が貴族の愛人になってしまった男
32/144

【32】エッダⅢ

 頭を掻きむしる。イライラが止まらない。ほんの些細な事で、目の前が真っ赤になる。

 どれだけ喚いても他人を叩いても、心に浮かんだ霧は晴れない。


 そんな時、眠ると、とうの昔に忘れたはずの男の顔が出てくる。


 ――「エッダ。こ、これ……」


 何を渡されたのかは思い出せない。どうせ、大した事のないものだ。換金なんて出来ない、どうでもいいもの。


 ――「エッダ、大丈夫か? 顔色が悪いよ」

 ――「足を痛めてるじゃないか! 背中に乗って、急いで医者に見せないと」

 ――「体調悪いんじゃないか? 少し声が変だ」


 あの男は、エッダの事をいつも気にしていた。エッダがいつでも機嫌よくいられるようにと、エッダが不快に思うような事があったら、すぐにエッダを優先して、他の用事を投げ捨てて……。


 いつでもエッダを一番に考えていた。


 ――「エッダ。前にこれ、欲しがってただろ?」

 ――「これ。その、こ、好みじゃなかったらごめんな。でもその、エッダに似合うんじゃないかと思って……」


 金を貯めて、それでする事と言えば、エッダに何かを買い与えるばかりで。


 ――「エッダ。水、飲めるか?」

 ――「果物なら食べれるかな……ちょっと待っててくれ」


 エッダが風邪を引いたら、そういって必死に傍にいて、世話をし続けていた。

 男だけじゃない。男の親も、実の子供でもないのに、エッダの事を気にかけていた。


 ――「エッダちゃん用の薬になるやつ、採ってきたぞ。すぐすりつぶすからな」

 ――「エッダちゃん。少しだけでも、おかゆ飲めるかしら? ほんの少しでも大丈夫だからね。気持ちが悪くなったらすぐに言ってちょうだいね」


 そんな風に、ずっとそばに――そば、に――。




 目が覚める。



 エッダは一人、豪奢な寝台の上にいた。

 黙ってエッダの傍に居続けてくれる存在は、いまやない。


「ちがう。アタシは、アタシは幸せになったんだ」


 そうだ。エッダは幸せになった。食べる物も着る物も欲しい物も我慢しなくていい。そして価値の高い人間に、認められる。


「アタシの本来いるべき世界はここだったのよ」


 エッダの価値は、落ちていない。

 エッダの価値は、誰かより下になんていってない。

 結婚によって、エッダの価値は下落してなんてない。

 あの、故郷の町の、他の有象無象の女たちに笑われるような生活じゃないのだ、もう。


「アタシは貴族のおうちに生まれるべきお姫様……」


 あるべき場所に戻っただけ。たまたま、エッダは生まれる場所を間違えただけ。本来はこうして、貴族に嫁いで幸せになる運命だった。運命がこれまで間違っていた。ただそれだけ。


 膨れた腹を撫でる。もう出産は近い。


「この子が産まれて、アタシは、本当の貴族様になるんだ。あの正妻を押しのけて、貴族様に……」


 ガリガリと指をかむ。そうしていないと、腹を、苛立ちのあまり殴ってしまいそうだ。

 一度、イライラが止まらず腹を殴った事があった。たまたまその現場を目撃した古参だという使用人は怒り狂い、エッダを叱った。エッダは許せず男爵に訴えたが、使用人から話を聞いていた男爵は、初めてエッダに罵声を浴びせた。


「腹の子供に何かあったらどうするんだ!!」


 そう叫んだ男に、エッダは分からなくなった。

 エッダは今、これだけ苦しいのに。辛いのに。それよりも、腹の子供が大事なのか、と。


「アタシは幸せ、アタシは幸せ、アタシはしあわせ、アタシはしあわせあたしはしあわせ」


 指を噛みしめながら、早く子供が生まれてしまえばいいのに、と苛立った。

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― 新着の感想 ―
[一言] まあ出産は大変だが、この人、妻として失格だけでなく、母親としても失格か。
[一言] マタニティブルー? うわぁ、自業自得なんだろうけど、これ一人で対処するのきっついで……
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